衣替え






オフがようやく取れて、俺は香藤を送り出してリビングに戻った。

何日か前、清水さんが衣替えをしなくちゃ、

と呟いているのを聞いて、ふと、思い立った。

今年も、もうそんな時期になったんだな。



子供の頃は、季節の変わり目に、

いつの間にか箪笥の中身が変わっていた。

新しい服が増えたり、古いのがどこかへ消えたり。

母さんが、親父の服を入れかえているのは、見たことがある。

何だか知らないが、嬉しそうに笑いながら、親父の服に触れていた。



母さんがやってくれてたそれを、今は自分でやるようになった。

とは言っても、今はクローゼットに全部並んでいるから、

場所を移動させるだけなんだが。

抽斗の中も、それほどは動かさない。



俺のクローゼット。

ほとんど、スーツ・・・だった、はずだったんだが。

いつの間にか、あいつが買ってくる服が場所を取るようになった。

冬物の、ブルゾンやダウンコート。

他にもいろいろあるな。

ジーンズも、香藤が買って来てくれたものばかりだ。

夏物は、襟の開いたシャツや、サマーセーターの類。

すべて、以前は着なかったものだ。

その他のカジュアルな服も、

香藤が買ってきてくれたものばかりが並んでいる。

・・・昔、俺は、自分で何を着ていたのか、思い出せないくらいだ。



俺の言葉など無視して、あいつは次から次へと買ってきた。

最初は、いらないと言ったのに。

それでも、それを着た俺を見るあいつの、嬉しそうな顔を見ているうちに、

俺はそれを嬉しいと思うようになった。

今でも、何か見つけては買ってきてくれる。



測ったこともなければ、言ったこともないのに、

俺のサイズがわかっているのか、

あいつの買ってくる服は、いつも、俺にぴったりだった。

俺の好みは別として、仕事先へ着ていくと、

人からは、必ず似合うと言われた。

・・・そのくせ、外へはあんまり着ていくな、と香藤は言う。

それじゃ、買ってくる意味、ないだろうに。



いつの頃からだろう。

衣替えはしないのかと香藤に聞いたら、

「そんなのいいよ、やらなくても。どうせ、全部ここにあるんだし。」

そういうもんじゃないだろう、そう言ったがいっこうに、やろうとしない。



いい加減気になって。

勝手に香藤のクローゼットを開けるのは、少しためらったが。

し終わって、香藤にそう言ったら、にこりと笑って、

「ありがと。」

その笑顔に、あの頃はほっとしたんだ。

まあ、それほど大変なことでもないから、

それ以来、俺が香藤の衣替えもやるようになった。

それこそ、母さんがやってたみたいに。



香藤のクローゼット。

・・・実に、カラフルというか、なんと言うか。

こう、並んでると、目がチカチカしてくる。

あいつの好きなブランドの服。

大きな柄のシャツ。

奇抜なデザイン。

でも、あいつによく似合ってる。



あいつらしい、明るい色ばかりのその中に、

スーツがいくつか、隅に並んでいる。

俺とペアのスーツも、ある。

香藤が選んだ、あいつにしては地味な、

俺の好みを考えたとわかるスーツ。

あの絨毯の上に立つ香藤の姿を思い出す。



自然と、頬が綻ぶ。

・・・見惚れていたのは、香藤には内緒だ。

久しぶりに会った香藤は、どこか吹っ切れたように、綺麗だった。



棚の上を片付けていた俺は、隅に置かれた紙包みを見つけた。

何気なく中を見たが、最初、それがなんだかわからなかった。

アクリルの透明なケースに入った、セピア色の花、二つ。

でも、どこかで見たことがあるような気がした。



・・・これは・・・まさか、あの時の?

結婚式で、俺達の胸元を飾っていた、あのコサージュ? 

名前も知らない、白い蘭のような花。

あいつ、こんなものまで、大事にとっておいてくれたのか。

形を崩さないように、わざわざ、ドライフラワーにして。



床に座って、それを見つめた。

俺に関わるすべてを、大事に、

考えれらないくらい、大事にしてくれる。

こんなものまで、と口にして、俺は思わず首を振った。

あいつには、こんなもの、なんていうものはないんだろうな。

どんな些細なものも、あいつは大事なんだ。

そして、俺にとっても。



くすぐったさと、嬉しさを感じながら、俺は花を棚に戻した。

ハンガーにかけられた、冬のものと春のものを奥に動かして、

夏物を手前に移した。

一番奥に、カバーのかかったハンガーがあった。

なんだろうと思って開くと、そこには、タキシード。

それは、結婚式で香藤が着た、黒いタキシードだった。



思わずカバーから取り出して、眺めた。

視線が、さっきの花の入った袋に向かう。


あの時の、香藤。

バージン・ロードに立つ香藤を見て、俺は震える足を叱咤した。

あの、隣に立つんだと。

香藤の優しい眼差しと、笑顔が俺を出迎えた。

2人の立会人以外、他には、誰もいない教会。

じっと、誓いの言葉を聞いていた。

香藤の返事に、身体が引き締まる思いがした。



ありえない筈だった、結婚式。

考えてみたことがない、と言えば嘘になるが。

それでも、それは実現することなど、万が一にもないことだった。



・・・2人で、これからも生きていく。

一生を共にする、その誓い。

頼もしく見えた、香藤のタキシードの後姿。

今も、目に焼きついている。



人は、年を取るに連れて、色々なものを身にまとっていく。

それは、年を負うごと、知らず知らずに分厚く重なる。

たいていの人は、それに気付かないままで、月日が過ぎていく。

たとえ気付いても、それを脱ぐことが出来なかったり、

無意識に、脱ぐことが恐かったり。



人、そのものにも、衣替えがあるんだろう。

分厚いものを脱ぎ捨てることが出来た時、

きっと、新しい人生が始まる。



俺とっては、香藤がそうだ。

俺の人生を、変えた男。

そして、俺が、香藤の人生を変えた。

それが、香藤にとって幸せなことだったのなら、

俺もまた、幸せなんだと思えるんだが。



「ただいま!」

「ああ、お帰り。」

振り返ったそこに、香藤の笑顔。

「なにしてるの?」

「すまん、出迎えなくて。衣替え、してた。」

「いいよ、ありがと。いつも、ごめんね。」

そう言いながら、香藤の顔が緩んでいる。

俺が手にした、タキシード。

「なに?思い出してた、結婚式?」

背中から俺を抱きこみながら囁く声が、優しく、甘い。

「まぁな。」

少し考えて、俺はそう答えた。

この際、聞いてみようかと、俺は香藤の腕に凭れた。

「なぁ、香藤。」

「ん?」

「お前の人生、俺と出会って変わったんだよな?」

「あ、うん。変わったねぇ!すっごい、幸せ!」

あ・・・。

「どうしたの、驚いてるけど?

当り前じゃない。岩城さんもそうでしょ?」

「ああ、そうだ。」

悩んでいたのが、馬鹿馬鹿しく思えるほど、

あっさりと答えをもらった。



香藤と出会えたことを、いったい誰に感謝すればいいんだろう。

俺は、香藤に出会って衣替えが出来た。

いらないものを、すべて脱ぎ捨て、

必要最低限の、

そして、素のままの俺でいられるだけのものを、

身につけることが出来た。



「岩城さん、ありがと。」

「礼を言うのは、俺のほうだ。」

周りのすべてを照らすような、暖かい香藤の笑顔。

・・・いい男だ。

「お前に出会えて、よかったよ。」

「うん、もちろん、俺もだよ?」






     弓


   2006年5月21日
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