藤の舞








春はあけぼの‥‥‥
               
麗らかな日差しに誘われて、木々が萌え始める。

棚には去年延びた、新しい蔦が巻きついている。

その蔦に、紫と白の房花が鮮やかに咲き誇り始めた。

視線を少し上に求めると、その花が目に入る。

きれいな藤紫と白のコントラスト‥‥‥

かの人は花を見上げ微笑む

その姿に、見とれる私がそこにいた。




夢うつつ、今年もかの人が来る事を祈っていた。

空にある太陽の化身のような人‥‥‥

私は、ここに花を咲かせ、かの人を待っているのだった。




風が暖かさを運んできた‥‥‥

声が聞こえる‥‥‥

「ああ、やっぱりもう少しで花が咲きそうだ」

その声は、私の待っていたかの人の声だった。

「後どのくらいだろうな‥‥‥満開まで」

楽しそうに呟く言葉

本当にこの人が来る事を楽しみにしている自分に驚いた。

かの人は懐より、笛を取り出すと、木の下で吹き出した。

この笛にも、心が穏やかになる‥‥‥

この笛に合わせ、舞って見たい‥‥‥

今年は‥‥‥あの人と‥‥‥




「岩城さん、藤見酒としゃれ込む?」

藤の花が咲き始め、それを見つけた香藤は嬉しそうに岩城に報告してきた。

「藤が咲き始めたか‥‥‥早いな」

岩城は筆を走らせつつ、顔を上げると庭にいる香藤に答える。

最近の平安京は何事も無い日々が続き、

陰陽師の出番も少なく香藤は嬉しそうである。

それは岩城の体や心に傷が付かない事を意味していた。

「うん、綺麗な所あるんだ。

今までは一人で行っていたけど、今年は岩城さんと行きたいなって思って」

香藤は言い返し、岩城の手を取った。

「香藤‥‥‥」

岩城はため息交じりで言い返すが、その時にふと怪訝な顔をした。

「あそこの藤は綺麗なんだよ。

一人で出歩けるようになってからよく行っていたんだ。笛を吹きに」

香藤は笑いながら言い返した。

「で、今年も笛を吹きに行くって訳か」

ようやく筆を止めた岩城は、楽しそうな香藤に言い返した。

「うん、そう」

香藤は大きく頷き返し、岩城を見つめ返した。

黒い瞳‥‥‥それが香藤を見つめ返しその中に自分も映っていた。

「場所は?」

岩城は苦笑しつつも、香藤に聞き返した。




次の日、岩城は早々に仕事を終え、内裏を後にした。

家には非番の香藤が準備をして待っているはずだった。

迎えの御所車に乗り込み、

「フゥ‥‥‥」

岩城は軽くため息を付くと、昨日香藤の周りに感じ取った気を気にしていた。

香藤本人は気づいてない、小さいが香藤を慕う物だった。

今までもこんな事は度々あった。

香藤の性格上、同姓、部下からも慕われ、

異性からは甘い恋心をもたれていることは気が付いていた。

まれに妬みなどの気を受ける事もあるが、

元来の性格でいつの間にか消え去っているのだった。

今回のものは、香藤に対しての一方的な思いだと、ほのかな恋心と感じた。

「あの男は‥‥‥もてるからな」

岩城は呟いた。

その呟きを聞きとめた、使役の者は

『似たもの同士の癖に‥‥‥』

と思わず笑みをこぼしたのだった。

自宅に戻るのを待ち構えた様に、

香藤は荷物を玄関の脇において待っていた。

ソワソワしている姿を、佐和は袖口に口元を隠し、

コロコロ笑いながら見つめていた。


香藤の案内で岩城は藤の木の元に出向いた。

樹齢100年は経っているような立派な藤の木で、

咲き始めて数日立つ花も立派なものだったので、

岩城は思わず見ほれ感嘆のため息を漏らした。

「綺麗だな‥‥‥」

岩城は言い返した。

「でしょう‥‥‥岩城さん、ここ座って」

香藤は敷物を敷き終え、座った自分の横を手で叩きながら岩城を呼んだ。

「‥‥‥笛を聞かせてくれるのではなかったのか?」

岩城は苦笑して側によると聞き返した。

「うん、だから岩城さんが座ってからの話」

香藤は岩城の手を引き、バランスを崩した岩城を抱きとめた。

「おい‥‥‥香藤」

岩城はその胸に収まりつつも、顔は真赤だった。

「可愛い‥‥‥」

香藤はその唇についばむ様な口付けを落とした。

「じゃあ、始めるね」

そっと岩城を放して、懐から笛を取り出すと深呼吸をする。

口元に笛を当てると、そっと吹き始めた。

優しい、心に響く音色

藤の花が咲き始め、

暖かい日差しの中で‥‥‥香藤の心の優しさがあふれるその音色に、

岩城はいつの間にか心を奪われ聞きほれていた。




ザワッ‥‥‥

かすかに周りの藤が揺らいだ。

周りの気温が少しだけ低く感じる。

岩城は目を閉じ、周りに気配をめぐらした。

『この気は‥‥‥』

どこかで感じたことがある。

ザワワッ‥‥‥

さらに周りの藤が揺らいだ。

岩城はふと目を開けると、そこには白拍子姿の女性が二人の前に立っていた。

『お前は‥‥‥』

岩城はその女性に対し、言葉では無い声で問いだした。

『私は‥‥‥この笛に音に呼ばれた者‥‥‥』

その女性はそう言い、岩城の前に座ると頭を垂れる。

『この笛の音に踊りを舞いたいと、長年思い続けた者です』

藤紫の衣‥‥‥黒髪に黒い瞳‥‥‥

その姿はこの世のものでは無いと岩城は感じ取っていた。

この藤の精‥‥‥香藤の笛に惹かれ、焦がれたかと、

その気持ちは岩城にも解る気がした。

『藤の舞いか‥‥‥見事だろうな』

岩城は女性を見つめ返す。

『お願いいたします』

女性はさらに深々と頭を下げる。

『香藤に問うてみよう』

岩城はそう答えると、笛を吹いている香藤に視線を向けた。




「何?岩城さん」

岩城の視線を感じ、香藤は自分から笛を吹くことを止めた。

「其処に藤の精が舞わせて欲しいと来ている」

岩城はある空間を指し示し、香藤に言い返した。

「えっ‥‥‥」

香藤は岩城の指すほうを見つめるが、其処は何も無かった。

「お前の笛の音に引かれたのであろう」

岩城はクスクス笑うように言い返した。

「岩城さんは見えるの?」

香藤が悔しそうに聞き返すと、

「ああ、藤色の衣白拍子だ。どうする?香藤」

岩城はその姿を伝える。

「光栄だよ。俺の笛が其処まで気に入られたんならね。

岩城さん、後でどんな踊りか教えてね」

香藤はそう言い返した。

「そうだな‥‥‥」

岩城は答えると、何も無いように見える空間に目をやった。

『聞いたな‥‥‥良かったな』

岩城はその女性に答えを返すと、嬉しそうに微笑んだあと、音も無く立ち上がった。

「香藤‥‥‥準備は出来ているようだ」

岩城がそう告げると、香藤は待ち構えていたように、笛に口を当てる。

目を閉じ、大きな深呼吸をした後に、笛を奏で始めた。

麗らかな春の日差しの中に、香藤の笛の音が響き渡る。

その音に酔うように、生ける者達の動きは止まった。

藤の精が舞う、笛と衣擦れの音だけが空気を伝って岩城には聞こえた。




笛を吹いていた香藤にその姿が見えたのは、まもなくだった。

その場に藤紫の衣がサラサラと音を立てずに舞っていたと感じた瞬間に、

姿が脳裏に浮かんだ。

黒髪に黒い瞳‥‥‥

藤の白い花のような皮膚に、藤紫の衣と扇‥‥‥

その視線の先には自分か居た。

それに気が付いた時には、香藤は何故この姿で姿を表そうとしたかを感じ取った。

舞の礼と思い、1曲を拭き終える。

総てを見終えた岩城は見事な舞に拍手をしていた。

香藤は無言で何も無い空間に歩き向かった。

「踊ってくれてありがとう。綺麗な舞だった」

その言葉に藤の精は顔を上げ、頬を朱に染めた。

「踊った姿は見えたけど、今はもう何もわからない‥‥‥でも、聞こえているよね。

俺が姿を見たのは、多分、岩城さんのおかげだと思う。意味解る?」

岩城にはその時の、寂しそうな顔を目に入れてしまった。

「気持ちは嬉しい。ありがとう‥‥‥でも、俺には岩城さんが居るから、ごめんね」

香藤は本当にその姿が見えないとは思えないように、ニッコリ笑って伝える。

目じりに涙が光る。

しかし、それを見せぬように深々と頭を下げると、そのまま姿が消え去っていった。

「岩城さん、帰ろう」

振り返ると、香藤は笑顔で答える。

「香藤‥‥‥」

岩城は小さな声で答え、視線をそらした。

「あ〜〜あ、そんな顔しないで、岩城さんのせいじゃないでしょ。

それより、踊っている姿見えたよ。ありがとう」

香藤は岩城を立ち上がらせるとその場で抱きしめた。

「見えた?のか?」

岩城は驚き聞き返す。

「うん、岩城さんが見ている映像だと思ったけど‥‥‥

俺、笛を吹いているときって目を瞑っている事が多いでしょ。

でも、この姿ははっきり見えたから‥‥‥違う?」

事も無く香藤が答えるのを見て、岩城は大きなため息をついた。

「そんな難しい技を、教えも無く使ったとは‥‥‥本当にお前は」

香藤の頭をポンと叩くと、微笑む。

「帰ろう、後は家で聞くよ」

香藤は岩城を促して、その場所を後にした。

ザワザワ‥‥‥

大きく藤の花が揺れる。

その事に気が付かない様に、二人はその場所を立ち去って行った。




「見せようと思ったわけではない‥‥‥見て欲しいとは思ったが」

家に戻り、庭の見える縁側で酒を二人で飲みつつ、岩城はポツリと呟いた。

「うん」

香藤はその言葉にあいづちを返した。

「あの踊りは、それだけ‥‥‥見事だった。お前の笛の音とも合っていたし‥‥‥」

空を見つめている岩城の瞳は、あの踊りを思い出しているのであろう。

「そうなんだ」

香藤は杯を飲み干す。

「アレを見る限りでは、お似合いだなとも思った‥‥‥」

そう呟いた岩城に、

「岩城さん!!」

香藤は岩城の顔を自分の方向に向けなおさせる。

「なんだ?香藤?」

岩城は驚いて、香藤をキョトンと見つめなおすが、

「いい?聞いて。あの踊りは確かに綺麗だし、凄いって俺も思った。

でもね、『お似合い』って言葉は気に入らないよ」

香藤は岩城の目を見つめ言い返す。

「あっ‥‥‥」

岩城の瞳が揺れる。

そう、まだどこかで思っていた。

香藤が自分を選んだ事を、どこかで信じ切れなかった‥‥‥

まして、自分の正体をまだ教える前の段階‥‥‥

いつ、この場から居なくなってもいいと、

どこかで思っていた事を見透かされたようだった。

「俺は、貴方を選んだんだよ。それはこれから先に変わりないことだからね」

香藤はきっぱりと岩城に告げる。

「何度でも、岩城さんが信じてくれるまで、

心にも告げるし、体にも告げるよ‥‥‥貴方が逃げようとしても、逃がさないから」

視線を伏せている岩城が思わず顔を上げる。

「香藤‥‥‥」

潤んだ瞳に、香藤はフッと微笑み返す。

「本気だよ‥‥‥俺は」

香藤はそのまま岩城の唇を捕らえる。

ついばむ様に岩城の唇の柔らかさを楽しんで、舌で唇を舐める。

「あっ‥‥‥」

岩城の頬が朱に染まり始め、息が唇から漏れる。

その隙を突いて、舌を絡めとりさらに深い口付けを楽しむ。

「愛してる」

香藤は耳元の唇をずらし、聞こえるか聞こえないかの声で岩城に告げる。

「か‥‥‥とぅ‥‥‥」

岩城は香藤の首に自分の腕を回した。

闇が深くなった気がしたが、二人にはもうそんな事は関係なかった‥‥‥




「はぁ‥‥‥統領達‥‥‥たら」

屋敷内を見回っていた佐和が、呆れたように呟くだけだった。





                 ―――――了―――――


                   2007・4   sasa

                      





本棚へ      罪な人だなぁ、三位殿(笑)
     でも、香藤君には岩城さんがいるのさ〜vv
     可哀想だけど、仕方ないよね、
     岩城さんには、誰も勝てない・・・ふっふっふv
     sasaさん、いつもありがとうございますv