寡黙、されど匂うがごとし









欧米で発行されている、ファッション雑誌の日本語版。

普段、その表紙を占めているのは、

各コレクションに常連のスーパーモデルたち。

今回、この雑誌が発行されて以来初めての、

スーツ姿の男性がその表紙を飾っている。

巻頭の十数ページを割いて彼の特集が組まれ、

写真やインタビュー記事が掲載されていた。

その、写真の中の一枚。

白いざっくりとしたコットンセーターを着て床に座り、

立てた片膝に組んだ両腕を乗せ、伏目がちにその腕に顎を乗せた姿。

その写真に添えられた言葉が、この特集のタイトルにもなっていた。



「寡黙、されど匂うがごとし

     ・・・Reticent,but Radiant ・・・」







この仕事を受ける、と香藤に言ったとき、案の定、彼は反対した。

「なんで?岩城さん、いつもはそんな仕事、ほとんど受けないじゃない?」

「そうでもないだろ。」

「でもさ!なんか、やばそうじゃない?」

「何が、やばいんだ?」

「いや・・何って・・・。」

言いよどんだ香藤に、岩城がまたか、という顔をした。

「・・・また、同じことを言う気か?」

「なに、同じことって?」

「俺以外に、素の顔を見せるな、とか、言うんだろ?」

「岩城さん?!」

驚いた香藤の顔に、岩城が呆れて溜息をついた。

「・・・まったく・・お前の焼餅は嬉しいが、少し、度が過ぎてやしないか?」

「そんなことないよ!」















「・・・香藤、のことですか・・・?

そう、ですね・・・。

俺にとっては、特別な存在ですね。

なんて言ったらいいんだろう・・・。

・・・あの、質問状を事前に頂いていたって、

言っちゃ、まずいですか?

大丈夫?

ああ、そう。

よかった。

それで、その質問状を読んでいて、

改めて考えたんですよ、

香藤のこと。

あまりに身近すぎて、

いるのが当り前になってて。

特に、この数年、考えてみたこともなくて。

・・・俺にとって、香藤は・・・。

そう・・・パソコンで言えばCPU、ですかね。

いくらどんなにいい、ディスプレイとか、

キーボードとか、

ソフトとかをくっつけても、

CPUがないと、

パソコンって、動かないでしょう?

メモリーだって、役に立たない。

それと同じ。

俺も、そうです。

今の俺は、香藤がいるから、俺として動いていられる。

本当は、恥ずかしくて、

普段はこんなこと、言えないんですけど。

今回はね・・・。

面と向かって、口に出して言ってやれないから。

・・・すみません、私的に使っちゃって・・・。」






「最初の出会いですか?

仕事場で会いましたよ。

今より、まっ茶色な髪をして、派手な服着て。

・・・その時の印象?

悪かったですねぇ・・・。

挨拶はちゃんとされたんですけど、生意気な奴って。

仕事を軽く考えてる、そんな、感じでした。

・・・後になって、全部、俺の誤解だってわかりましたけどね。

向こうも、俺の印象って、最悪だったと思いますよ。

とにかく、お互い嫌いだって、公言してましたからね。

会えば、挨拶くらいはしましたけど、

後は、ほとんど口もききませんでしたからね。」






「ええ・・・そうなんですよね。

それが、なぜって、言われるとね・・・。

ドラマの共演(編者注:ドラマ「春を抱いていた」)が決まって、

久しぶりに会って、話をしてみたら、

俺が持っていた印象と、ずいぶん違ってて。

身に着けているものは、相変わらずでしたけど。

ちゃらちゃらしてるわけじゃなくて、

案外、真剣に仕事をしてるんだな、ってわかった。

・・・そう、本当の香藤は俺が思っていたのとは、正反対の男でしたよ。

・・・俺の誤解でした。

すべて、ね。

香藤のほうも、俺の印象が変わったんでしょう。

それはいいんですけど。

誤解が解けたのは、いいんですけどね。

それが、どうしていきなりの告白になるのかが、

わからなかったですね。

告白された直後はね。

・・・ええ、3ヶ月間、「好きだ」って、言われ続けました。

いえ、プライベートでは、会ってませんでしたよ。

俺が避けてましたから。

でも、香藤は本気で言ってるんだってことは、伝わってきました。

それが、本当に真剣なんだってのは、

撮影がもう、終わるって頃にわかって・・・。

・・・え?

あの、キスですか?

あれはねぇ・・・。

・・・内緒にしておきますよ。」






「一緒に暮らし始めてからですね、

俺が、本当に香藤を見始めたのは。

そうすると、いろいろ自分の誤解がわかってきて。

根が真面目だってのは、わかってましたけど、

何事にも真正面からぶつかって行くんだって、わかって。

呆れるくらい、真っ直ぐな奴でしたね。

俺に対してもね。

まるで、誤魔化しがない。

ドラマの撮影中も、ずっと好きだって言われ続けていましたけど、

一緒に暮らし始めたら、もっと、凄かった。

今でも、それは変わってませんね。

こっちは、慣れなくて、

いまだに恥ずかしいんですけどね。」






「どんな、男か、ですか?

・・・あのまま、ですよ。

裏表がない。

・・・無さ過ぎるかもしれませんね。

いつも明るくて。

いつも、ポジティブで。

・・・俺は、そうじゃないので、助かってます。

元気をもらってる、と言うか。

・・・あんなに、優しい男もいませんね。

俺のほうが、守られてる。

・・・気づくと、あいつが俺を後から抱きしめてくれてる。

そんな感じですね・・・。」





「・・・俺は、自分を偽って生きていたから・・・。

香藤は、嘘をつかない。

それは、俺にだけじゃなくて・・・。

あいつは、自分にも嘘をつかない。

・・・香藤に出会ってから、俺も知らなかった自分自身に、

気づかされることが多くて。

俺はこんな人間だったのか、って、驚いたりしますよ。

え?

ああ・・・その・・・。

・・・まぁ、独占欲って言うのかな・・・。

自分で、びっくりしますよ。

結構、嫉妬深いところがあるってわかって。

知り合う前は、そんなこと、思ったこともなかったんですが・・・。」






「そう・・・。

香藤を失ったら・・・。

前に、共演したドラマの中で(編者注:ドラマ「インサイドレポート」)、

香藤が役の上で、病死するシーンが、

あったんですが・・・。

・・・恐くてね。

あれが現実になったら、俺はどうなるのかな・・・。

・・・考えたくないですね、そんな、恐ろしいことは。

・・・うん・・・生きていけないでしょうね・・・。」





「・・・ええ・・・。

誰よりも・・・いや、違いますね。

俺が愛しているのは、たった一人、

香藤だけです。」






―――岩城京介。

彼は普段、滅多にプライバシーを表には出さない。

このインタビューも、文字で読めばよどみないようだが、

彼は、じっと考え、慎重に言葉を選び、時に、はにかみながら質問に答えた。

その姿は、我々が知っている彼とはまるで違っていた。

彼の妻、あるいは、夫である、俳優・香藤洋二氏が、

ことあるごとに、のろけ、

岩城の周囲に神経を尖らせるわけが、この日、ようやくわかった―――








金子がTV局のラウンジに入った時、

そこには異様な空気が流れていた。

いつもは、人の話し声で騒がしいくらいのその場所が、

シーンと静まり返っていた。

その中に、時折、鼻を啜る声がする。

金子は、ドアを開けたまま眉をひそめて見回した。

ラウンジの片隅のテーブルに、香藤がいた。

口元を両手で押さえ、香藤は泣いていた。

時折、抑え切れない嗚咽が漏れる。

「・・・香藤さん・・・?」

慌てて駆け寄った金子に、香藤は声を出せず片手を上げた。

「・・・ごめん・・・。」

理由を尋ねようとして、金子はテーブルの上の雑誌に気づいた。

その開いたページの写真の岩城に、金子は香藤の涙のわけを理解した。

「・・・顔、洗ってくる・・・。」

香藤がそれだけ搾り出すように言うと、立ち上がった。

周囲が、出て行く香藤を見送り、

彼の姿が見えなくなると、ようやく空気が動いた。







「この後、インタビューだよね。」

戻ってきた香藤が、申し訳なさそうに尋ねた。

「ええ・・・香藤さん、」

「うん。写真、無理だね、ごめんね、金子さん。」

「いいです。わけを話して、別撮りにしてもらいますよ。」

「大丈夫かな?」

「大丈夫ですよ。向こうだって、この雑誌のことはご存知でしょうし。」

目を腫らした香藤に、安心させるように、金子が微笑んで頷いた。

「・・・参ったよ。」

「そうですね。珍しいですよね、岩城さんがこんなにお話されるの。」

「うん。びっくりした。」

香藤がそう言って、雑誌をめくり始めた。

岩城の、写真の数々。

組んだ手を、唇にあて、考えを巡らせる顔。

はにかんで、薄っすらと頬を染めた顔。

ふたたび、潤みかけた目を、香藤が擦った。

「勘弁して欲しいよ、この顔。

嬉しいけど・・・堪んない。

こんなとこで読むんじゃなかった。」








「ふぅ・・・。」

香藤は、玄関を開け扉に背をつけた。

金子に送ってもらい、灯った家の明かりを見上げたとき、

思い出したように香藤の瞳が、潤み始めた。

玄関に入ると、力が抜けたように、

ずるずると扉に背をつけたまま、玄関に座り込んだ。

立てた両膝を抱えて、香藤は涙を耐えていた。

「香藤っ?!」

岩城の叫び声が、玄関ホールに響いた。

「どうしたっ?!」

両腕を差し出し、転げるように、岩城は香藤の脇へ膝をついて、

涙の止まらない香藤の身体を、その腕に抱え込んだ。

「何があった?!一体・・・」

香藤が、岩城の身体に腕を回した。

嗚咽のあいだに、息をついて声が漏れた。

「・・・岩城さんのせいだよ・・・。」

「・・・俺?」

岩城は、香藤のバッグから覗く、雑誌に気づいた。

「・・・香藤・・・。」

「もう・・・勘弁して・・・。」

香藤が岩城を見上げた。

染み入るような微笑を浮かべて、岩城は香藤の頬を両手で拭った。

「・・・いつも、お前に泣かされてるからな。たまには、いいだろ?」

そう言って、岩城は香藤の額に唇をあてた。

「やめてよぉ〜・・・俺、持たないよ、死んじゃう。」

「大丈夫だ。死ぬ時は、一緒だろ?」

「・・・また、そういうこと、言う・・・。」

岩城の胸に顔を伏せて、

香藤はその身体を思い切り抱きしめた。





抱えるように、寝室に岩城を運んだ。

ベッドの上に横たえると、岩城は微笑んで香藤を見上げ、

そっと、涙の後の残る香藤の頬に指を滑らせた。

「・・・愛してる・・香藤・・お前だけだ・・・。」

香藤の唇が震えた。

「岩城さん・・俺も、愛してる。」





突き上げながら、香藤は強く、激しく、

想いの丈をぶつけるように、岩城の唇と舌を吸い上げ続けた。

何度も角度を変え、

香藤の唇が離れるそのほんの少しの隙間に、

岩城の嬌声が漏れ、塞がれているときには、

声が鼻に抜け、熱い息が漏れた。

「・・・んっ・・・はっ・・・」

寄せられた眉が、岩城の官能を香藤に伝える。

香藤の背に縋りつく、岩城の腕。

腰に巻きつく、その脚。

熱を持ち、香り立つ肌。

香藤を逃すまいと、奥へと巻き込む柔壁。

香藤の名を呼び、誘ってやまない、唇。

たぶん、何人もの男たちが熱望しているであろう、

その身体のすべてを、

たった一人、

自由に出来る自分に、

香藤の心が、震えた。

「・・・はぁんんっ・・・」

岩城の声が、幽かに裏返る。

その声を上げさせているのは、自分なのだと、

岩城に伝えるように、

香藤は深く、彼を抉った。

「・・・んぁっぅんっ・・・」

ぷつ、と、岩城の固く閉じられた、瞼に、

愉悦の涙が、浮かび、

眦を流れた。

「・・・香藤・・・ォ・・・」

仰け反り、名を呼ぶ腕の中の存在に、

愛しさが湧き上がる。

「岩城さん・・・。」

「・・・もう・・・。」

震えるその身体の中に、

自分を刻み付けるように、

香藤は熱を放った。






「ねぇ・・・。」

「・・・ん?」

香藤が、岩城を胸に抱えた。

「・・・ありがと。」

「なにが?」

岩城は香藤を見上げて、首を傾げた。

「嬉しかったよ。ちょっと、人前で泣いちゃって、恥ずかしかったけど。」

「・・・人前でって?」

香藤は、少し肩をすくめて笑った。

「うん。ラウンジで読んだからさ。」

香藤のその言葉に、岩城が苦笑した。

「・・・なんで、そんなとこで。」

「だって、まさかああいうこと、岩城さんが答えてるって、思わなくてさ。

・・・ほとんどのページ、仕事の話だったじゃん。」

ふふ、と岩城が笑った。

「・・・いつも、言葉に出来なくて、すまん。」

「いいよ。もう、そんなこと。俺、最高に幸せ。」

岩城を抱きこむ腕に、力をこめて、

香藤はその唇を塞いだ。

「でもさ、ああいうの、これっきりにしてね。」

「なんでだ?」

「これからは、俺に直接言って。出ないと、俺、また人前で泣いちゃうよ。」

「わかった。」

くすっと、岩城は香藤の腕の中で笑った。

『・・・全然、寡黙じゃないじゃん・・・。』

香藤が、その顔を見ながら、

声には出さず、嘆息した。






         〜終〜




        2005年8月9日
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