菊 テレビから、流れてくるアナウンサーの声に、岩城さんがふ、と動きを止めた。 『ここ、新潟では、「かきのもと」を食べるという習慣があるんです。 「かきのもと」というのは、食用菊のことなんですね〜。 新潟市民なら、この赤紫の「かきのもと」を食べないと、 秋が来たという感じがしないんですよ!』 そう話しながら、アナウンサーが、 一面赤紫色が広がる畑の真ん中で、 設えられたテーブルの上の、その菊の花を紹介している。 それを見ている岩城さんの顔。 最初、嬉しそうで。 でも、そのうち瞳が揺れだした。 泣きそう、っていうのとは少し違うけど。 故郷、って、岩城さんにとっては、もの凄く大事なんだ。 俺は千葉で生まれたから、故郷って感覚があんまりない。 遠くないしね、家から。 でも、新潟は遠いよね〜・・・。 岩城さんは、映画とテレビドラマで、 ほとんど休む暇もない状態が続いてて。 俺は、やっとこの前アメリカから帰ってきたとこ。 帰るときは、一緒に新潟へ帰りたいんだよね。 十代で故郷を出て、一人、東京へ来た岩城さん。 どんなに辛かったか、 どんなに寂しかったか、 俺にはわかる。 でも、それを押し隠して、 多分、自分でも気づいてなかったんじゃないかな。 寂しいって思ってるなんて。 突っ張ってたんだろうし。 家族が、誰も自分のことをわかってくれないって、 怒ってたんだろうしね。 東京で、 一人で、友達もいなくて。 役者になりたくて出てきたのに。 上手くいかなくて、AV始めて。 夢を持ってても、それだけじゃ食っていけないから・・・。 恥ずかしいとか、言ってられなかったんだろうしね。 その内、仕事に慣れて。 順調に行けば行くほど、夢からは離れていって、 それとは裏腹に、人気はどんどん上がっていって。 俺があの業界に入ったときは、 もう、岩城さんはトップだったからね。 でも、本人はそれで悩んでたんだね。 相談や、愚痴を言う相手もいなくて。 新潟に帰るなんて、絶対出来なかったわけだし。 その分、故郷に対する気持ちが、 人一倍強くなったりしたのかもしれない・・・。 アナウンサーが、画面の中で、「かきのもと」の料理を紹介してる。 「おひたし?」 「ああ、そうだ。」 岩城さんが、テレビを見つめたまま、返事をした。 「ふ〜ん。」 『・・・茹でるときは、たっぷりのお湯に少し酢を入れて下さい。 菜箸で数回かき混ぜながらさっと茹でて、 ざるに空けて冷水にさらしましょう。 手で搾らないで、ざるで水気を切る程度にしてくださいね。』 「簡単だね。」 「そうか?」 そう言って振り返った顔が、嬉しそうだった。 ・・・なんか、期待されちゃってるね。 「これを食べないと、秋が来た気がしないんだ。」 「あ、さっき、そう言ってたね、テレビ。」 「うん。俺は大人になってからは、食べてないんだが。」 「えっ?!うそっ?!」 「ほんとだ。」 驚いて見つめる俺に、岩城さんは少し寂しそうに笑った。 「しょうがないだろ。家に帰れたのは、つい最近なんだから。」 「え?でも、何回も帰ってるじゃない?」 「そうだけどな。これは時期が短いんだ。 年に10日くらいしかないんだよ。」 「そうなんだ?今だけってこと?」 こくり、と頷いて、岩城さんはまた、テレビに視線を戻した。 画面いっぱいの赤紫色。 岩城さんにとって、ノスタルジアの象徴なのかもしれないね。 きっと、毎年、今ごろになるとお母さんが作って、 食卓に上ってたんだ。 岩城さんにとっての、唯一の悔い。 新潟を思うとき、真っ先にそれが浮かぶんだろう。 お母さんに、申し訳ないって。 ・・・でもね、岩城さん。 俺が言っちゃいけないかもしれないけど、 お母さんは今、岩城さんが幸せで、凄く喜んでくれてると思うよ? 少しだけ陰のある、岩城さんの横顔。 家族にはとてつもなく優しい人だから。 今でも気にしてるんだ。 「岩城さん、お風呂入ろう?」 そのコーナーが終わって、俺はそう声をかけた。 岩城さんは、気づいたように瞬きをして、俺の顔を見た。 にこっと目元で笑って、俺に手を差し出した。 ・・・うん、気持ち、切り替えようね。 湯船で、岩城さんを後ろから抱きしめて。 なんか、今日は、そういう気分にならないね。 ・・・勃っちゃいるけど。 岩城さんも、俺に凭れかかって、 ちょっと、落ち込み加減みたい。 二人で、黙ったまま、 じーっと、お互いの肌を確認してるかんじ。 お湯の中だから、温かいのは当たり前なんだけど。 でも、それ以外の温もりが、伝わってる。 「岩城さん、そろそろ上がる?」 「うん。」 身体拭いてる岩城さんの動きが、すごくゆっくりで。 バスタオル掴んで、俺が拭き出したら、 岩城さんは、ちょっと笑った。 自分が使ってたタオル、脇に置いちゃって。 そうそう。 甘えちゃってよ、たまには。 「子ども扱い、って怒らないんだ?」 俺がそう言って笑ったら、岩城さんはにやって笑い返した。 「怒って欲しいのか?」 「やだね。」 もう・・・。 わかって言ってんだから、やんなっちゃうよ。 ま、いいけど。 「俺って、さぁ・・・。」 「うん?」 しゃがんで、片足首掴んで、足上げさせて、 両足拭いて立ち上がった。 「尻に敷かれてるよね、ほんと。」 「そう言う割に、嬉しそうだな。」 「うん。嬉しいよ。」 俺にそう言う岩城さんも、嬉しそうじゃん。 「お前もまだ、濡れてるぞ。」 くすくす笑いしながら、 岩城さんは俺が肩に掛けてたタオル取り上げて、 俺の髪を拭きだした。 「お互いに髪拭き合いっこしてるのって、なんか、楽しいね。」 「なに言ってんだ、子供みたいに。」 「あ、やっぱり、言った。」 ふわって笑って岩城さんは、俺の唇を軽〜く、指でなぞった。 ふ〜ん・・・それって、OKってことだよね〜。 バスタオル、洗濯機に放り込んで、岩城さんを抱き上げた。 抵抗、なし。 無言で、俺の胸に頬当てて。 もうね、こういうとこ、堪んないんだ。 ・・・だから、暴走しそうになるんだよね。 「いつまで経っても、初心いんだ。」 「は?」 「あ、ごめん、独り言。」 バカ、って顔して笑った。 ・・・かきのもと、だったっけ・・・。 後で、調べてみよ。 「香藤っ?!」 夕食を作ってたら、いきなり岩城さんの声がした。 「うわ!出迎えなくて、ごめん。全然、気付かなかったよ。」 「そんなことはいい。」 岩城さんが、ちょっとはしゃぎ気味で俺を見つめてる。 まぁね。 理由はわかる。 ダイニングテーブルの上に、 かきのもとが詰まった箱が置いてあるもんね。 「これ、どうしたんだ?」 「通販したんだ。今はネットで買い物できる時代なんだよ?」 「あ、そうか。」 嬉しそうに目を細めながら、岩城さんはその花を掌の上に乗せた。 花びらが、細く、剣のほうに尖った、赤紫色の菊。 「岩城さんの故郷の色なんだね、これ。」 「うん。ありがとう、香藤。」 故郷っていいよね。 岩城さんに、こんな嬉しそうな顔させちゃうんだ。 俺、こんな顔したことあったかな、実家のことで。 「いっぱいあるから、何日か続くよ。 飽きた、なんて言わないでよね。」 「ああ、言わないよ。」 岩城さんがそう言って笑った。 「着替えておいでよ。すぐ、夕食だよ。」 「わかった。」 テーブルに皿を置いて、キッチンに戻ろうとしたら、 後ろから岩城さんが抱きついてきた。 「ありがとう。」 嬉しそうな、ほんとに嬉しそうな声に、俺のほうが嬉しくて。 振り返って、岩城さんを抱きしめ返した。 「じゃ、後で、ご褒美ちょうだい?」 そう言って、チュって唇を吸った。 岩城さんは、くすりと笑って頷いた。 「ああ、お前の好きなだけ、やる。」 ・・・ふふふ。 シーツの替え、必要かな・・・。 終 弓 2006年10月10日 |
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