公使閣下の悋気応変   ― He hugged tamer ―








「お帰りなさい、吉永公使。」

「ああ、久しぶりだな。どうだ仕事は?」

「相変わらずですよ。」

吉永が、公用のため久しぶりに日本へ戻ってきた。

南東アジア第一課の事務室のドアを開けて入ってきた吉永を、

出迎えた官員が、後から入ってきた白石に声をかけた。

「よう、白石。お供か?」

「ええ、まあ。」

「公使、日本にはいつまで居られますか?」

「7日間だ。」

「今回は、長い方ですね。」

「そうだな。少しは、ゆっくりする間があるといいが。」

「・・・ありませんよ、そんな時間。」

白石が、溜息混じりに言った。

周囲の者達は吉永に対して、そんな言い方をする白石に驚いていた。

いまだかつて、あの吉永に対して、

そんな口のきき方をする者などあり得なかったからだ。

吉永が怒り出すのではないかと、白石と自分を交互に見つめる周囲に、

苦笑しながら吉永は白石を振り返った。

「そんなにあっさり言うな。余計、疲れる。」

「すみません。」

周囲が、再び吉永を驚きの目で見つめた。

怒るどころか、苦笑いでも笑って答える彼に、首を傾げるのもさえいた。

「・・・どうなってんだ・・・?」

「俺に聞かれたって、わからないよ。」

皆がこそこそと、二人を見ながら不審げに顔を見合わせた。






「白石、工業所有権情報センター、どういう具合なんだ?」

「ああ、結構、うまくいってますよ。」

タイに日本が供与している、

最先端の特許情報システムについての話をしはじめた官員が、

吉永が傍を離れた途端、声を潜めて白石に囁いた。

「おい、お前、どうやって吉永公使に気に入られたんだ?」

「・・・は?」

「は?、じゃないよ。あの気難しい公使が、なんだってお前にはああなんだ?」

「そうだよ。俺たちがあんなこと言ってみろ。

大変なことになるぞ。怒鳴りゃしないが、睨みつけられる。

怒鳴られるより、あの人の睨みはおっかないんだから。」

「・・・そう、なんですか?」

「そうなんですかって、お前、知らないのか?」

「知りませんよ。俺、仕事場より先に、プライベートで会ったから。」

「へ?」

その言葉に、はた、と白石を取り囲んだ彼らは気付いた。

「・・・そっか、お前の姉さんと・・・。」

「なんてこった。お前、義理の弟になるわけか。」

「・・・そうです。」

白石が、少し屈託のある顔で答えた。

それに、周囲は気付かず、勝手に納得して頷きあった。

「どうした、皆で顔つき合わせて。」

吉永が、戻ってきて皆が白石を取り囲んでいる光景に、首を傾げた。

「あ、いえ!特許センターの事を聞いていました。」

一人が、慌てて姿勢を正して答えた。

「ああ、あれか。」

「はい。いかがですか?」

「そう、だな・・・タイはアセアン諸国の中でも工業化が進んで、

知的財産の保護については他の牽引役を務めている国だからな。

このプロジェクトが、タイをインドシナ半島を含めた、

周辺地域のモデル国に高めるのに一役買ってる。

ただ、まだまだ人材育成は必要だな。」

そう言って、吉永は一度、口を閉じた。

顔を上げて、周囲を見回す。

その顔が、片眉を少し上げて口角が上がる笑い方になった。

「・・・向こうにとっても重要だが、

日本にとっても、事務処理や審査処理の効率化を図ってきた経験を、

生かす好機でもあるな。

日本の国際協力も、物的インフラ整備から知的協力へ転換していると、

対外的に見せることも出来る。」

その、ある意味皮肉な笑いに周囲が顔を引き攣らせた。

何か言いたげな彼らの顔に、吉永が口を開こうとしたとき、

事務室の扉が開いて外務報道官が顔を出した。

「誰かいるかい?」

「誰かって、誰です?」

「いや、さ・・・あれ?」

報道官が、吉永に気付いて目を見開いた。

「お帰りなさい、吉永公使。」

「ああ。どうした?」

「あの、実はですね・・・」

ある男優が、ドラマで外交官の役を演じることになり、

その準備として外交官に関して事前に知識を得たいので、

話を聞かせてくれないだろうかとの、連絡があった。

その対応を誰にさせようか、と迷っている、と報道官は溜息をついた。

「男優ね・・・ドラマのために、いちいち、話を聞きにくるって言うのか?」

「そうみたいですよ。」

「そんなことをする役者がいるのか、今時。」

「ええ、私も驚きましたがね、彼は、いつもそうやってるそうですよ。」

「ほう。」

吉永が、感心したように首を振った。

「くそ真面目なんだな。」

白石が、他から呼ばれ傍から離れた。

その後姿を追いながら、吉永が口を開いた。

「誰に対応させるんだ?」

「それが、今、誰もいなくて困ってるんです。私も、それ所じゃなくて。」

「・・・いつだ?」

「先方は、こちらに合わせるといってますが?」

「そうか・・・白石君!」

吉永が、少し顎を上げて白石を呼んだ。

「はい!」

「俺の予定は、どうなってる?空いてる時間はあるか?」

白石は苦笑しながら、話をしていた相手に片手を上げて、

吉永の傍へ戻ってきた。

「・・・あります。」

「ふ・・・ん。」

さっき、暇などないと言っていた白石の顔を、

横目で見ながら吉永は口元を歪めた。

「いつ、あいてる?」

「明後日、午後でしたら。」

「だ、そうだ・・・もう、いいぞ、白石君。」

頭を掻きながら戻っていく白石を、

吉永は内心笑いながら報道官に頷いた。

「宜しいんですか?」

「ああ、気にしなくていい。」

「では、連絡しておきます。場所は?」

「どこかのホテルの部屋を。ここへ呼ぶわけにはいかないだろう?」

「はい、申し訳ありません。公使に、このようなことを・・・。」

「かまわない。息抜きくらいにはなりそうだ。」






「本日は、ありがとうございます。」

清水、と名乗った女性が、吉永が泊まっているホテルに迎えに来た。

今日、会うことになっている男優のマネージャーだと自己紹介をした。

「白石君。悪いが、迎えに来てくれ。」

「はい、わかりました。」






「はじめまして、岩城京介と申します。」

「ああ、はじめまして。吉永です。」

ホテルの部屋で待っていた男優。

吉永と、ほぼ同じくらいの体格。年齢も、同年代のようだ。

スーツを着こんだ、その岩城の美貌に、吉永は、まず驚いた。

妙な色気さえある。

「よろしくお願いします。」

けして、なよなよとした態度ではないがその醸し出す艶に、

吉永はふ、と笑った。

「こちらこそ。」

清水が、促して二人は向かい合ってソファに座り、

お茶が届くまで当たり障りのない話を始めた。

吉永が、岩城の左手薬指の指輪に気付いて、首を傾げた。

『・・・この雰囲気の男が、結婚・・?・・・』

その吉永の視線に気付いた岩城が、す、と指輪に手を触れた。

「ああ、失礼。ご結婚されていらっしゃるんですね。」

吉永が、にこやかに笑い、岩城は言いにくそうに答えた。

「ええ・・・あの、吉永さんは、外国暮らしがお長いとか?」

「ええ、そうです・・・大変、申し訳ないんですが、

あまり、テレビを見ないので、あなたのことも・・・。」

「ああ、そうだったんですか・・・なるほど・・・。」

岩城が、じっと吉永を見つめた。

銀縁の眼鏡をかけてはいるが、その下の美貌は隠しようがない。

目元のほくろが色気を増しているようだ。

岩城は、内心ひょっとして、と思いながら、口を開いた。

「実は、私の結婚相手は、男性です。」

恥じるわけでもなくそう答えた、真っ直ぐな視線に、

吉永は納得したように微笑んだ。

「なるほど、それで納得しました。」

「わかりますか?」

「ええ。お相手は?」

「同じ、俳優です。香藤洋二といいます。」

吉永が、ソファの袖に肘をついて、

その手に頬を乗せながら目を見開いた。

「ほう、職場結婚ですか。大変でしょう、それは?」

「ええ、まあ、色々ありますね。」

「そういう相手が同じ職場だと、いいこともあるでしょうが、困ることもある。」

吉永の言葉に、岩城は黙って彼を見つめた。

その視線に、吉永が口角を上げて笑った。

「・・・あなたは、信用できる人だと思いますので、申し上げますが・・・。」

「ええ。」

「私の相手も、同じ職場にいます。男の部下ですがね。」

「・・・それは・・・。」

岩城が驚いて吉永を見つめた。

「私のほうは、年下の・・・まぁ、少し子供じみた亭主ってとこですか。」

吉永の立場としては、決して口にしてはいけないはずのことを、

初めて会った自分に話す吉永に、岩城のほうが恐縮した。

「ああ、わかります。うちも、そうですよ。」

そう言って、笑いあう二人を、

清水が離れて見ながら、くすくすと笑っていた。






お茶が届き、吉永と岩城は隣に座って、和やかに話を進めていた。

「外交官なんて、そんなに、格好のいいものじゃない。

駆けずり回ったり、汗まみれになったり、気疲れもするし、

憧れだけじゃ、やっていけない商売でね。」

「同じですよ、俳優も。」

「俺たちも、役者の部分がないと、やっていけないところがある。

本音を見せないで、にっこり笑って駆け引きしないといけないし。」

「ああ、なるほど。吉永さんは、公使ですよね。」

「そう。タイにね。」

「お若いですよね。

これは、俺の大使とか、公使職に対するイメージですが。」

「まぁ、ね・・・でも、この年と外見が邪魔なときの方が多いね。」

「そうですか。」

「まず、なめられる。」

岩城が、そう言って少し顔をしかめる吉永を、黙って見つめた。

「・・・その相手を、どう自分のテニトリーに持ってくるか、

そこが、演技の為所。」

吉永が、岩城を見つめ返して、笑った。

岩城はその笑顔を見て、頷いた。

「俺たちも、そうです。

ファンに対してどう見せるか、ってことに関しては。」

「お互いに、自分の仕事が好きらしい。」

「ええ。」






「失礼します。」

ドアがノックされ、白石が入ってきた。

ドアを閉めて振り返った白石は、岩城を見て、はっと立ち止まった。

「・・・うわぁ・・・。」

思わず零れた白石の声に、岩城が少し頬を染めて立ち上がった。

「はじめまして、岩城京介です。」

「こ、こちらこそ!白石です。」

白石の声が上ずっている。それに気付いて吉永が、片眉を上げた。

「智宏?」

「えっ・・・あ、はいっ!」

「もう、そんな時間か?」

「あ、ええ。お迎えに上がりました。」

「そうか。」

不機嫌な吉永の顔を、白石は首を傾げて見返した。

「・・・吉永さん、この方・・・。」

岩城が微笑んだ。

吉永は、白石を振り返ると、ふ、と口元だけで笑った。

「ええ、彼です。」

「そうですか。」

岩城の微笑みの意味がわからず、白石はただ、彼に見とれていた。

そこへ、ドアがノックされる音がした。

清水がドアを開けに行き、香藤が声をかけながら入ってきた。

「ありがと、清水さん・・・ごめん、岩城さん、ちょっと遅れた。」

「ああ、香藤。大丈夫だ。」

現れた、華やかな空気を身に纏った、体格のいい、美貌の男。

岩城とは対照的、といっていい精悍な風貌に、吉永が微笑んで頷いた。

「こちらが?」

「ええ、香藤です。」

「なるほど。」

吉永は、香藤を正面から見つめ、

香藤は、銀縁眼鏡の奥の瞳を見返した。

「はじめまして、香藤です。よろしく。」

「こちらこそ。吉永です。」

岩城より少し細身のスーツ姿。並んでいると、壮観な光景である。

「凄いなぁ・・・飛び切りの美人が二人。」

「ばっ、馬鹿っ!なに言ってんだ!」

岩城が頬を染めて吉永に頭をさげた。

「申し訳ありません。」

「いや、いいですよ。」

吉永が、笑って首を振った。

その吉永に、香藤は明るい笑顔を向けた。

「外交官に、あなたみたいな人がいるとは、思ってませんでした。」

「そうですか?」

「ええ。みんな、お爺さんばっかり、ってイメージがあったから。」

吉永が、それを聞いて吹き出した。

「ごめんなさい。失礼なこと言っちゃったかな。」

「いえ、構いませんよ。」

香藤が、吉永の後ろにいる白石に、笑いかけた。

「はじめまして、香藤です。」

「あ、白石です。はじめまして。」

白石が、目を見開いて二人を見ている。

香藤は少し首をかしげて吉永と白石を見ていた。

気付いたことがあって話しかけようとして、岩城を振り返った香藤は、

そこに心持ち眉をひそめた岩城の顔を見つけた。

「どうしたの?」

「いや、なんでもない。」

岩城は、首を振って答え、吉永と白石に向き直った。

「今日は、ありがとうございました。」

「いえ、こちらこそ。楽しかったですよ。」






「あの・・・公使?」

吉永の滞在するホテルの部屋へ戻ってきた。

岩城たちと別れ、車に乗り込む時から、吉永の様子がおかしい。

白石は夕食後、遠慮がちに声をかけた。

吉永は、眼鏡を外し上着を脱いで、

ソファーの背に掛けると、無言のままどさり、と座った。

「・・・公使?」

「・・・なんだ?」

ジロリ、と自分を見上げる吉永の額に青筋が立っているような気がして、

白石はゴクリ、と唾を飲み込んだ。

「・・・どうしたんです?」

「別に。」

「別にって、顔じゃないですよ。」

嘆息して、白石は吉永の隣に座った。

すると、入れ替わるように吉永が立ち上がって歩き出した。

「・・・風呂へ入って、寝る。」

「公使!」

「肩書きで呼ぶな。」

振り返った吉永の顔が、完全にむくれた顔なのに気付いて、

白石は顔をしかめた。

「・・・なにが気に入らないんですか?」

そういう白石に、吉永が片眉を上げた。

「お前は・・・ああいうのが好みなのか?」

「はっ?!」

言い捨てて、吉永はバスルームへ消えた。




シャワーを浴びていた吉永は、ドアの開く音に気付いた。

不審に思い、シャワーを止めた吉永の目の前のシャワーカーテンが、

引き開けられた。

「・・・智宏っ?!」

裸でそこにいる白石に驚いて声を上げる吉永を尻目に、

白石は黙って中へ入ると吉永を抱きこんだ。

「なっ・・・なにすっ・・・!」

抵抗する吉永の唇を、白石は口付けて塞いだ。

「・・・んっ・・・んぅ・・・」

突っ張っていた吉永の腕が、口付けが深くなるのにつれて、

白石の首に絡みついた。

「・・・智宏・・・これで、ごまかすつもりか?」

「違いますよ!誤解です!」

「なにが、誤解だ?見惚れてたくせに。」

「だから!そうじゃないですってば!」

睨みつける、息の上がった上気した顔に、白石の下半身が反応する。

それに気付いた吉永が、その腕から逃れようともがいた。

「やめろっ!」

「いやです、やめません。」

抱きしめる白石の腕に力が入る。

身動きが出来ず、吉永は口をゆがめて白石を睨んだ。

「・・・お前・・・可愛くないぞ。」

「なんとでも言ってください。」




強引に白石はベッドへ吉永を抱えて運んだ。

つかんできたタオルで横たわる吉永の身体を拭く白石を、

吉永はずっと無言で睨んでいた。

その視線に、内心苦笑しながら白石は口を開いた。

「孝司は、あまりドラマとかを見ないでしょう?

だから、知らないと思いますけど・・・」

「なにをだ?」

白石が名を呼んだことに気づいて、

あからさまに表情の変わる吉永に、白石は微笑んだ。

「あの人たち。岩城京介と、香藤洋二です。」

「あの二人が、どうかしたのか?」

「やっぱり、知らないんですね・・・あの二人は、凄いんですよ。

超有名、って言ってもいいくらいに。」

「そうなのか?」

吉永が、ゆっくりと起き上がった。

「そうです。取材とか、アポとるの大変なんだそうですよ。」

白石は、真ん前に座って吉永の頭にタオルを乗せ、

彼の髪を両手でかしかしと拭きながら答えた。

「そうなのか?」

「ええ。それに、人柄も、二人とも文句のつけようがないって。

だから、大っぴらに夫婦だって公言してても、誰も何も言わないんです。」

髪を拭かれながら、吉永は腕を組んで、

鋭い質問をしてきた岩城を思い出して言った。

「ふぅ〜ん・・・人柄は、確かに良かったな・・・俺も、話してて楽しかった。

しっかり、自分のスタンスを持ってるとも感じたしな。」

「演技派って、言われてて、凄い役者なんですよ、岩城さんて。

香藤さんもですけど。」

「そうか。」

「だから、孝司と会ってるのが彼だって知らなかったから、驚いたんです。」

白石は、タオルを床に放ると吉永を見つめた。

「誤解ですから。」

「・・・わかった。」

にこっと笑って、白石は吉永の腕を掴んで引き寄せた。




「・・・んっあぁっ・・・」

吉永を抱え込んで、白石が突き上げている。

いつもより性急な動きに、吉永が悲鳴を上げた。

「・・・ひっ・・・ともっ・・・あっはっあぁっ・・・」

叩きつけるような白石に、

振り飛ばされないように彼の首に腕を絡み付けて、

吉永はそれを受けていた。

「・・・智宏っ・・・智宏っ・・いいっ・・・」

「・・・孝司・・・っ・・・」

「・・・ぁあぁっ・・・」

喘いでいた吉永が、絶え絶えの息で口を開いた。

「・・・智宏・・・俺以外を・・・見るな・・・」

白石の瞳が、ぎょっと見開かれた。

ぴたりと動きが止まり、吉永を抱え込んだまま、

白石はその顔を覗き込んだ。

「・・・孝・・・」

肩で息をしながら、吉永は白石の頬を両手で挟んで引き寄せた。

貪るように、お互いの唇を喰み、息を奪い合った。

唇を離し、吉永が、ふっと笑った。

「・・・俺は・・・お前の色に・・・染まったか・・・?」 

掠れた声で喘ぎながら問う吉永の言葉とその口付けに、

彼の中にいる白石が余計に煽られ膨張した。

「・・・んっ・・・智宏っ・・・きついっ・・・」

「あっ・・・ごめん!」

「・・・謝らなくていい・・・早く・・・」

白石が吉永の腰を抱え直した。

その先を期待するあからさまな吉永の顔に、白石の喉が鳴った。

ぎりぎりまで引き出すと、白石は思い切り吉永に自分をぶつけた。

「・・・ひぃいっ・・・智宏っ・・・まっ・・・待て・・・」

「ごめん!無理!」

「・・・んあぁっ・・・ああぁっ・・・」

叩きつけるような白石の突き上げ。吉永の目尻に愉悦の涙が流れた。

「・・・んぁあぅっ・・・と・・・智宏っ・・・ともっ・・・」

「・・・孝司っ・・・」

「・・・うぅっ・・・くぅっ・・・」

白石は、吉永を腕に包んで頬に唇を落とした。

「・・・ごめん・・・」

「・・・いい。」

謝る白石に、掠れた声で吉永が溜息のように答えた。

自分を抱えて髪を撫でる白石に、吉永がニンマリと笑った。

「・・・来いよ・・・」

「・・・いいの?俺、止まらなくなるよ。」

吉永が目を細めて白石を見返した。

その顔に煽られながら、白石は吉永を抱きしめた。

「壊すかもしれない・・・。」

「ああ・・・かまわない・・・。」







「ねぇ、岩城さん?」

先に、風呂へ入ってベッドに横たわる岩城の隣に潜り込みながら、

香藤は岩城の顔を覗き込んだ。

「・・・なんだ?」

「なにか、あった?」

「なにかって、なんだ?」

岩城が、何事もないかのような顔で、答えた。

「・・・あの、吉永って人と話してて、何かあったのかと思ってさ。」

「なんでだ?」

「帰ってきてから、不機嫌だからさ。

気付いてないと思うけど、ず〜っと眉間に皺寄ってるよ。」

「別に。そんなことない。」

岩城のにべもない返事に、

香藤は内心、苦笑しながら岩城を見つめた。

「・・・岩城さんて、前に比べたら信じられないくらい正直に、

俺に自分を出してくれるようになったよね。」

「どういう意味だ、それは?」

岩城が、別の眉のひそめ方をした。

「だってさ、口じゃ、別にって言ってるけど、

別にじゃないって、顔には出てるから。」

岩城は香藤の言葉に驚いて、彼を見つめた。

「俺、凄く嬉しいよ。

でもさ、口に出して言ってくれると、もっと嬉しいんだけどな。」

「・・・香藤・・・。」

岩城は、じっと香藤の顔を見つめた。

香藤はその瞳を、真っ直ぐに見つめ返した。

いつもの、香藤の、嘘のない眼差し。

言いかけて頬が染まる岩城を、香藤は黙って待っていた。

「・・・お前・・・。」

「ん?」

「・・・吉永さんのこと・・・。」

岩城が、言いにくそうにそれだけ言った。

香藤の見開いていた目が、思い切り綻んで、ぷっ、と噴出した。

枕に顔を伏せて笑う香藤に、岩城は起き上がって声を上げた。

「何がおかしい?!」

「・・・ああ、ごめん、ごめん。おかしくて笑ったんじゃないよ。」

真っ赤に上気した岩城を、香藤は仰向けになって抱き寄せた。

岩城が香藤の胸の上で、まだ怒っている。

「なんで、笑う?」

「ねぇ、岩城さん。俺が、吉永さんに見惚れたと思ったんでしょ?」

「・・・ち、違っ・・・」

「嘘ばっかり。顔、真っ赤だよ。」

そう言って、香藤は岩城を思い切り抱きしめた。

「か、香藤・・・俺は・・・。」

「嬉しいよ。岩城さんの焼餅。」

「・・・違うのか?」

岩城は、香藤の胸に顔を伏せたまま、口を開いた。

「まぁ、確かに、美人だけどさ。

俺が愛してるのは岩城さんだけだよ・・・ん?」

香藤が、まるで諭すように岩城に頷いた。

その顔を見上げながら、岩城は恥ずかしそうに微笑んだ。

「・・・すまん。」

「いいよ。岩城さんに、焼きもち焼かれるの、俺、凄い嬉しいよ。

滅多にないじゃない、そんなの?

・・・いつも、俺ばっかり、嫉妬しててさ。」

「なに言ってる・・・俺だって、嫉妬くらいするぞ。」

「うん。ありがと。」




「・・・かとっ・・・」

香藤の膝の上で支えられながら腰を揺すっていた岩城が、

仰け反って名を呼びはじめた。

「・・・もっ・・・もうっ・・・」

悲鳴を上げ、腰を擦り付けて顔を左右に振った。

「・・・うん。」

香藤は岩城を抱えると、ベッドへ横たえた。

「・・・あっ・・・あぁっ・・・」

その弾みで、香藤が岩城のより奥へ突き当たった。

「・・・はぅぅっ・・・」

「・・・岩城さんっ・・・」

岩城の両手が、香藤の双丘を掴み込み引き寄せる。

「・・・んんぅっ・・・香藤っ・・・」

突き上げる香藤の動きに、岩城は思い切り両脚を身体にひきつけた。

「・・・もっ・・・」

「・・・もっと?」

香藤の声に、岩城は夢中で頷く。

香藤はにこっと笑うと、岩城の唇を塞いだ。

岩城の腕が、香藤の首に巻きつく。

「あげるよ、岩城さんの欲しいだけ、俺の全部を上げる。」

「・・・あぁぁっ・・・かっ・・・香藤ォっ・・・」

「愛してるっ、岩城さん・・・」

「・・・んぁあっ・・・あっあぁっ・・・」

自分の奥へ思い切り吐き出した香藤を、岩城は愛しげに抱きしめた。

「・・・香藤・・・」

「ん、なに?」

「・・・お前が好きだ・・・。」

肩で息をしながら、岩城が囁いた。

「嬉しいよ。もっと言って。」

香藤が目尻を下げて、岩城の唇を啄ばむようにキスを繰り返した。

「・・・ああ・・・好きだ、香藤。」

「うん、俺も大好き。」

寄り添って余韻に浸っていた香藤が、

ふと気付いたように胸の中の岩城を見下ろした。

「・・・ねぇ、岩城さん。」

「・・・ん?」

「あの、白石さんて人、ひょっとして・・・?」

「ああ、吉永さんの夫だそうだ。」

「やっぱりね。」

「わかるか?」

岩城が香藤を見上げて、微笑んだ。

「わかるよ、それくらい、俺だって。」








「日本を発つ最後に、酒でも呑むか?」

吉永が、仕事帰りに白石に声をかけた。

「いいですよ。この近くの店、知ってますから。」

「そうか、じゃ、そこへ行こうか?」

「ただし、居酒屋ですよ。」

「かまわん。」

居酒屋、といってもチェーン店ではなく、

比較的静かで落ち着いた店だった。

暖簾を分けて入った二人は、カウンターに座る二人に気付いた。

「・・・あ・・・?」

「こんばんは。岩城さん、この前は、どうも。」

そこにいたのは、岩城と香藤。吉永は笑顔で岩城に近寄った。

「デートですか?」

「ええ。吉永さんも?」

「明日、タイへ戻るもので。」

「そうですか・・・あの、」

岩城が言いにくそうに、言葉を切った。

吉永が、気付いてそれに言葉を続けた。

「何か、聞きたいことでも?この前、聞き逃したことがあるとか?」

「ええ、まぁ・・・でも、折角のデートに・・・。」

「それなら、あなたもでしょう?」

吉永が、微笑んで白石を振り返った。

「智宏、すまないが香藤さんのお相手を頼む。」

「わかりました。」

白石が、そう言って笑った。

「すまん、香藤。」

「いいよ、岩城さん。気にしないで・・・よろしく、白石さん。」

「こちらこそ!」




岩城が、いくつかの質問を吉永に尋ねた。

仕事の話をしながら、時折、少し離れた席にいる、香藤に視線を向ける。

ふ、と見ると吉永も同じように、話をしながら白石を見ていた。

お互いに、それに気付いて、どちらからともなく笑いあった。

「・・・あいつ、ほんとに子供っぽいところがあって。」

岩城が、ぽつっと零した。吉永も、それに頷く。

「・・・我儘だしな。人の言うことを、聞かない。困ったもんだ。」

くすっと、二人が笑った。

「ちょっと、甘やかすと、付け上がらないか?」

「ええ、調子に乗りますね。」

吉永が、少し声を潜めて岩城に囁いた。

「ちょっと、いい顔したら、暴走しやがる。死にそうになるぞ。」

「・・・はは・・・。」

その言葉に、岩城は苦笑して頷いた。

「人の身体のこと、考えてないんじゃないかと思うことがある。」

「・・・ええ・・・まぁ、そうですね・・・。」

「・・・自分が、若いからって、まったく・・・堪ったもんじゃない。」

「・・・・ハァ・・・・」

思わず、二人から溜息が漏れた。

「なんだか、子供じみた亭主の愚痴になってきたな。」

吉永がそう言って笑った。

岩城も、その言葉に頷きながらくすくすと笑いを零した。




香藤と白石は、ほとんど初対面なのにも関わらず、

あっという間に意気投合していた。

話す内容は、お互いの相手のこと。

白石の話す吉永のことを聞いていた香藤は、くすり、と笑った。

「尻に敷かれてるの?」

「・・・ええ、まぁ・・・」

「そう・・・俺もなんだよね・・・。」

白石は、香藤の言葉に同志を得たように口を開いた。

「自分じゃそうじゃないって言うけど、気、強いんです。」

「うん・・・同じ・・・。」

「プライド、滅茶苦茶高いし。すぐ、拗ねるし。」

「・・・なんだか、他人事じゃないよ、それ。」

香藤が白石の背中を叩きながら、苦笑した。

「年上ぶるくせに、子供っぽいってわかってないんです、あの人。」

「ああ、そうだね。それ、わかるよ。」

「俺のこと、我儘って言うけど・・・」

言いかけた白石の言葉に、香藤は頷いた。

「そうなんだよね。結構自分もそうなのにさ。」

「頑固だし。」

香藤が、ぷっと吹き出した。

「悪く言えばね。」

ええ、と白石が笑顔で頷いた。

「上司、なんだよね?」

「ええ、そうです。はるか上の上官ですよ。でも、それだけじゃなくて。」

「って言うと?」

白石が、少し自嘲気味の溜息をついた。

「仕事の上でも、はるか上です。能力が。」

香藤はその言葉に、真剣な顔で答えた。

「・・・それは、俺も感じてるよ。」

「え?」

「岩城さんて、凄い役者だよ。

俺、岩城さんが出てるの、全部録画して見てるんだけどさ。

時々、落ち込む。同じ役者として、なんか・・・。」

「香藤さんが?」

「ああ・・・比べることはないとは思うんだけど、つい、ね。」

そう言って、笑う香藤に白石は、無性に親近感を覚えた。

そのまま、話は二人の惚気に突入した。

「きつそうだね、彼。」

「ええ・・・でも、可愛いんです。そう言うと、怒るけど・・・。」

「うん。岩城さんも、可愛いんだよね、年上とは思えないくらい。」

「自覚してないですけど。」

「してないねぇ、何でだろう。」

二人で顔を見合わせて、照れくさそうに笑った。

会話がすすむうちに、妙な方向へ流れた。

「・・・好きなんですよね・・・離してくれなくて・・・。」

「・・・あ、ははっ・・・」

白石の溜息交じりの言葉に、香藤は苦笑した。

「・・・俺、ほんとに尻に敷かれてますよ。

向こうは、そうじゃないって言うでしょうけど。」

「俺も、しっかり敷かれてるよ。」

二人で、思わず口を閉ざした。

香藤がその沈黙に、ぷっと吹き出しながら言った。

「・・・なんかさ、強い妻を持った夫の気苦労話になってないか?」

「なってますね。」

顔を見合わせて、爆笑していた二人は、後ろからいきなり殴られた。

「いてっ?!」

「あ、痛っ?!」

「また、馬鹿な話をしてるな、香藤?」

「そんなこと、ないよ!」

「お前もだ、智宏。」

「し、してませんよ!」

あせりまくる香藤と白石に、

岩城と吉永がそれぞれの隣に座りながら、わかってるぞ、と頷いた。

「智宏、誰が強い妻なんだ?」

「ち、違いますって!」

「何が違う?」

「香藤、いつも言ってるだろ、俺を女に例えるなって。忘れたのか?」

「いや、だからさ、お互い、美人に出会えてよかったねって、話で。」

香藤のその言葉に、岩城は眉を寄せて睨んだ。

「・・・違うだろ。」

「え?・・・いや、その・・・。」

言いよどむ香藤を、岩城は黙って見つめた。

「・・・ごめん。」

「まったく・・・。」

4人の会話を聞いていた店の親父が、小皿を出しながら笑った。

「惚気話でしたよ、お二人のは。」

「ああ、親父っさん!ありがと!」

香藤が諸手を挙げて岩城を振り返り、顔中に笑顔を咲かせた。

「ほら!言ったでしょ?!」

「・・・ば、馬鹿っ!・・・こんなとこでなに言ってんだ!」

後ろからぷっと吹き出す声が聞こえ、

気付くと周囲の客が笑うのを堪えているのがわかった。

「・・・智宏、お前いい加減にしろ。」

「香藤、お前、なんて恥ずかしい奴・・・。」

岩城と吉永が、顔をしかめた。

「だってさ、岩城さん・・・。」

「だってじゃない!」

「・・・何を言ってたんだ、智宏?」

「あ・・・あの・・・すみません。」

「別に謝れとは言ってない。」

「いえ、あの・・・。」

香藤が、吉永に笑顔を向けた。

「白石さんは、吉永さんにベタ惚れなんだって。」

「香藤さん?!」

その言葉に、吉永の瞳が見開かれ、そのまま、白石に視線を移した。

少し頬を染めて苦笑いをする白石を見て、吉永の頬が薄く染まった。

「・・・馬鹿・・・。」

「はい、あの・・・。」

「・・・こんなとこでする話か、馬鹿。」

「すみません・・・。」

「白石さんは、吉永さんが大好きなんだって。」

香藤が笑いながら茶々を入れる。

「香藤さん!勘弁してくださいよ!」

「だって、ほんとのことでしょ?」

真っ赤な顔を白石がカウンターに伏せた。

「香藤、よしてやれよ。」

「どうして?俺だって、岩城さんのこと、大好きだよ?」

「だ、だから!それをやめろって言うんだ!」

伏せたままの白石の頭に、吉永が片手を置いた。

驚いて、顔を巡らせて白石は吉永を見つめた。

ポンポンと白石の頭を叩き、吉永が微笑んだ。

その笑みを見ながら、岩城と香藤の顔にも笑みが浮かんだ。

周囲の客たちが、くすぐったそうな顔や、

苦笑で4人を見ているのに気付いた香藤が、岩城を振り返った。

「・・・ねぇ、岩城さん。」

「なんだ?」

「俺たちって、ひょっとして、暑苦しい?」

「・・・ひょっとしなくても、だろ?」

吉永が、ぽつり、と言った。

「暑苦しいと言われるのは、結構、幸せなことなんじゃないか?」

「吉永さん。」

岩城が気遣わしげに言った。

「ああ、申し訳ない。」

「いつか・・・。」

吉永が岩城のその短い言葉に、ふ、と笑った。

「そう、いつかね・・・。」





    〜終〜





     弓




   2005年7月2日
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