When A Man Loves A Man





「は?」

岩城は、目の前にいる人物の言葉に、

思わずそう言ったまま絶句した。

某TV局の阿部プロデューサー。

呼び出されてやってきた料亭の座敷で、

月曜日夜9時からのドラマ出演の依頼を受けた。

・・・条件付で。

「だから、俺と付き合えと言ってるんだ。」

岩城が無言でいることにいらついた彼は、

たたみ掛けるように言葉を続けた。

「いい話だろう?月9だぜ?主役じゃないが、重要な役だ。」

岩城は彼をまっすぐに見つめた。

「確かに、そうですが・・・。」

「が、なんだよ?」

「お断りします。」

唖然としている阿部に、岩城は視線を外さず重ねて答えた。

「そのお話、お断りさせていただきます。」

「・・・君は、馬鹿か?」

「ええ、そうですね。」

その顔をまじまじと見つめていた阿部は、

呆れたように溜息をついた。

「・・・なるほど。聞いていた通りだな。」

「・・・・・。」

「・・・プロデューサー、知ってるな?」

阿部が口にした名は同じTV局のプロデューサーで、

阿部とともに双璧といわれている人物だった。

岩城が薄く笑った。

「ええ。」

「・・・奴を蹴ったのは後にも先にも君だけだぜ。

今度は俺かよ。まったくいい度胸だな。」

阿部は、聞こえるように舌打ちをすると杯の酒を呷った。

「香藤君への義理立てか?」

「いいえ。義理ではありません。」

「じゃあ、なんだって言うんだ?」

「愛、ですよ。」

正面から自分を見つめて答える岩城に、

阿部のほうが顔を赤らめた。

「なんだよ、それ。まるでハーレクインだな。」

「事実ですから。」

「呆れたな。そんな答えが返ってくるとは思ってもみなかったよ。

特定の恋人としか寝ない主義なんだな。」

「香藤は恋人ではありません。」

「ああ?じゃ、なんなんだよ?」

「俺たちは、夫婦ですから。」

あっさりと答える岩城に、阿部が笑い出した。

「参ったな・・浮気は有り得ないってのは、そういうことか。」

「ええ。仕事を得るために香藤を裏切ることなど、

俺にはありえません。」

阿部は、目をそらさず見返す岩城を、

感嘆の思いで見つめていた。

「当たり前のことですよ。香藤にとっても、俺にとっても。」

「当たり前、か・・月9より亭主が大事とはねえ・・・。」

「はい。」

岩城の返事に、阿部がくすくすと笑いを漏らした。

「奴の言ってた通りだな。

君はキャリアより香藤君を選ぶぞって言われたんだ。」

「はい。」

「・・・もし、それで干されたらどうするつもりなんだ?」

意地悪く片眉を上げて見つめてくる阿部に、

岩城は顔色一つ変えずに答えた。

「構いません。」

岩城の言葉に、今度は阿部が絶句した。

二人は、無言のまましばらく見つめ合っていた。

火花が散りそうなその沈黙に、

阿部の方が耐え切れなくなって口を開いた。

「他の男に抱かれるくらいなら、干されたほうがいいってのか?」

いくらか、怒気の混じったその声に岩城は静かに答えた。

「はい・・俺は、香藤以外の男に抱かれるなんて、真っ平です。」

「そんなに、香藤君が好きか?」

「ええ。俺は香藤を愛しています。」

「・・・うらやましいね。貞操観念がしっかりした女房でさ。」

「貞操観念ね・・・。」

岩城は視線をようやく阿部から外すと、少し首をかしげた。

再び視線を戻すと、彼が内心ドキッとするような微笑を浮かべた。

「それももちろんですが、他の男は生理的に受け付けません。

気持ちが悪いだけです。」

阿部が、天井を向いて嘆息した。

「ああ、もう、わかったよ。」

帰り際、岩城とすれ違いざま阿部が囁いた。

「一回も謝らなかったな。

それだけでも君が香藤君に本気だって分かるよ。」

そう言って車に乗り込んだ阿部を見送った岩城を、

離れて待っていたマネージャーの清水が、

心配げに見つめていた。

「岩城さん。」

「ああ、清水さん。事務所まで行ってもらえますか?

社長に話しておかないといけないことがありますので。」

「ひょっとして、阿部さんは・・・。」

ちょっと暗い顔で頷く岩城を見て、清水は話の中身を察した。

「困りましたね・・・。」

「すみません、清水さん。またご迷惑をおかけすると思います。」

「いえ、岩城さんの所為ではありませんから。」

「それから、このことは香藤には言わないでください。」

「ええ。わかりました。」







岩城が髪を伸ばし始めた。役作りのためだという。

「まあ、それでも最初のうちは付け毛が必要だと思うけどな。」

そう言って、顔にかかりはじめた前髪を軽く引っ張った。

その仕草が、色っぽくて香藤は思わず唾を飲み込んだ。

「ど、どんな役?」

「ん〜。まあ、ある業界ものって言うか・・・。」

言いよどむ岩城に、香藤が少し眉をひそめた。

かなり気にはなったが、

あまりしつこく尋ねると怒られることが目に見えていた

ので、香藤はそれ以上追求するのをやめた。

撮影が近くなれば言ってくれるだろうから。

「いつから、撮るの?」

「来月末からだ。俺の撮りは、もう少し後からだけどね。」

「そんなに先なの?」

「ああ。脚本家が原作者と共同で書いてるんだそうだ。

変なものを作りたくないって、

気合入れて書いてるって言ってたな。」

「ふ〜ん・・・ねぇ、髪どこまで伸ばすの?」

「肩を超えるくらい。」

「へぇ・・・。」

そりゃあとんでもなく色っぽいだろうなと、

想像を逞しくしていた香藤に、岩城の鋭い視線が刺さった。

「お前、今、いやらしい想像しただろ?」

「へっ?そ、そんなことないよ!」

「嘘つけ。」

「・・・まあ、ちょっと・・・シーツに広がる黒髪っていいなって・・・。」

「ほら、みろ。」

「へへっ。」






香藤のオフの日。

岩城のいない間にたまっていた洗濯や掃除を片付けていく。

掃除機を片手に岩城の部屋へ入る。

そこで、香藤はカバーのかけられた数冊の本を見つけ、

何気なく手に取った。

「げげっ?!」

それは漫画で、開いたページが、ちょうどベッドシーンで・・・。

「なにこれっ!男同士?えっ、ちょっ・・・なに?!」

慌てて本のカバーを外す。

「ラストワルツ?これって、ボーイズラブって奴?なんでっ?

なんでこんなの、岩城さん持ってんのっ?なんでっ?!」

カバーがかけられていたのは全てそのシリーズだった。

香藤の頭の上に、巨大なクエスチョンマークがたなびく。

「なんでぇ〜・・?」




「ただいま。」

「岩城さん!これ、なに?!」

お帰りも言わず、香藤が手にした漫画を岩城に突きつけた。

むっとした顔で見つめ返してくる岩城に、

香藤がしまった、という顔をして口ごもった。

「ごめん。お帰りなさい。」

上目遣いに顔色を伺う香藤に、

岩城がくすっと笑って差し出された本を手に取った。

「これは、今度やるドラマの原作だよ。」

そういいながら靴を脱ぎリビングへ入ってソファに座った。

その岩城を追いかけて、香藤が隣に座り込む。

「やっぱり?!そうだと思った。」

「やっぱりって、なんでだ?」

「だって、この'岩城京介’って、名前だけじゃなくて、

見た目まんま、岩城さんじゃん!

俺、こんなのあるの知らなかったよ!」

香藤のその言葉に、岩城はふっと笑った。

「ああ、俺もだ。」

「・・・この役、やんの?」

そう言って呆然と見つめてくる香藤の頬に、

岩城はそっと手を触れた。

「どうした?」

「やだ。俺。」

「なにが?」

「なにがって・・・。」

岩城の肩に顔を埋め、

身じろぎ一つしなくなった香藤の背を、

宥めるように軽く叩いた。

「どうした?」

「俺、心配だよ。岩城さん、忘れた?

俺たちだって、そういうのがきっかけだったんだよ?」

「馬鹿。だからって、これの共演者と俺がそうなるわけないだろ。」

「でも、この鷹秋って、誰やんの?」

「新人だそうだ。まだ会ってない。」

「じゃ、他の奴は?」

岩城が口にした3人の名は、

それぞれ見た目もかなり二枚目の若手の俳優たちだった。

「うわぁ・・・それ、余計に心配・・・。」

岩城は、少し呆れ顔で香藤を見返した。

「だってさ!みんな、かっこいい奴ばっかじゃん!そんな中に、

岩城さんいたら・・・。」

「考えすぎだ。俳優がみんなゲイなわけないだろ。」

「違うよ!そうじゃなくても、岩城さんは特別なの!

俺だって、そうじゃないのに、岩城さんを好きになったんだよ?」

「あ〜あ〜あ〜、またそれか?」

「当たり前でしょ!」

話を終わらせようと立ち上がり、

キッチンへ向かう岩城を香藤が追いかけながら、

言い募った。

「岩城さんは、自分のこと全然分かってないよ!

岩城さんの色っぽさってね、

男に興味のない奴までその気にさせちゃうくらいなんだよ?

何でわかんないの?!」

「俺には、そんなものはないって言ってるだろ?!」

「そんなこと言ったって、危ない目にあってるんでしょ?!」

「いい加減にしろよ、香藤!」

「ああ、もう!」

岩城の肩に手をかけ無理矢理引き寄せると、

香藤は有無を言わさず唇を重ねた。

「・・・んんっ・・・。」

甘い息が鼻から抜け、それは香藤の中心に震えを呼ぶ。

岩城が息苦しさを訴えるまで、

彼の唇とその口腔内を存分に犯した。

ようやく開放された岩城は、

香藤の肩に上気した頬を当てて高ぶる息を整えている。

「キスだけで、こうなっちゃうんだよ。だから心配なんだよ。」

「馬鹿か、お前は。」

乱れる息遣いのまま、岩城は香藤の顔を睨んだ。

「なんで?」

「・・・俺が、他の誰かとこんなキスをするとでも思ってるのか?」

香藤が、「あ」という顔で岩城を見つめ返す。

「お前以外を、俺は、かっこいいなんて思わない。

お前だから、俺は・・・。」

岩城の言葉の途中から、香藤は蕩けそうな笑顔を浮かべた。

その顔を見て岩城が口ごもり、頬を染めて俯いてしまった。

「ねえ、俺だから、なに?ねえ?」

肩に顔を埋めてしまった岩城を、香藤は抱え込んで急かした。

「ねぇ。岩城さんてば。」

「・・・いいよ、もう・・・。」

「良くないよ。ちゃんと言ってよ。」

岩城が羞恥を押し殺すように、小さな声で囁いた。

「・・・お前だから、キスだけで感じるんだ・・言わすか、普通・・・。」

「うん。ごめん。」

岩城を抱え込んだ香藤の腕が、

そろそろと着ているものを脱がし始める。

「ソファでいい?」

肩に埋めていた顔を上げて、岩城は香藤を見つめた。

顔の輪郭を覆うように伸びた岩城の漆黒の髪が揺れ、

香藤を誘っている。

「綺麗だね、岩城さん。」

「・・・なに言ってんだ・・・。」

頬を染めて岩城が香藤の首に腕を廻した。

「・・・やっぱ心配だなぁ・・・。」






「・・・う〜ん・・・。」

テレビ局の控え室で、

ドラマ収録の合間に香藤がテレビを見ながら唸っていた。

「岩城さん、かっこ良すぎ・・・。」

岩城が出演する「男が男を愛する時」の、

製作発表記者会見が行われていた。

エクステンションで伸ばした肩を超える髪に、

アルマーニを着込んだ岩城。

すでにどこからどう見ても、'カリスマ岩城京介'である。

その岩城を、他の3人の共演者たちが、

引き気味にして眺めていた。

岩城の漂わせる色気と、

醸し出す雰囲気に圧倒されているのが分かる。

主役を演じる新人だけが、臆することなく岩城の隣に立っていた。

どこから見つけてきたのか、かなりの美貌である。

その彼が、時折隣の岩城を見上げ話しかける。

岩城も、にこやかにそれに返事を返していた。

「くっそっ・・・。」

香藤が、それを見ながら無意識に文句を口走った。

司会者が若手の3人にもっと近寄るように声をかけ、


'新川'が、顔を赤らめて返事を返した。

『いやあ、岩城さんに見惚れちゃって。』

'剣崎'もそれに重ねた。

『岩城さんと、共演なんてすっごい嬉しいですよ。』

『俺もです。夢みたいですね。』

'石井'が言った言葉に、他の3人が頷いた。

岩城を中心に、男たちが固まって立つ。

新川だけが、岩城より少し長身で、

他の3人は少し低い。

見惚れるようなその5人の姿に記者席から、溜息が漏れる。

デビューの感想を聞かれた、'鷹秋'が、

隣に立つ岩城を振り仰いで頬を染めた。

『デビューが、岩城さんと共演で本当に、光栄です。

ご迷惑をおかけしないように、

頑張りたいと思います。

実は、今、ドキドキしてるんです。

岩城さんて、すごい綺麗で、かっこいいし。

嬉しくて、足が震えてます。』

その言葉に、岩城がゆっくりと微笑んで彼の頭に手を置いた。

「い、岩城さんっ!やめてよっ!」

香藤が、テレビに向かって叫んだ。

画面の中から、新川の声が聞こえた。

『おい、そう思ってるのは、お前だけじゃないんだぞ。

岩城さん、俺の頭も撫でてよ。』

そう言って、鷹秋とは反対側の岩城の隣に移動する新川に、

どっと記者席から笑いが漏れた。

剣崎と石井までが、岩城に詰め寄る。

爆笑の中、岩城が笑いながら3人の頭をそれぞれ撫でてやっている。

『しょうがないな。』

『だってさあ。』

新川が、頭に手をやって嬉しそうに岩城を見返した。

「こいつらっ・・・。」

香藤の猜疑心を思い切り煽って、

記者会見は和やかなうちに終わった。






「これさあ、ワンクールで全部やるの?」

香藤が、ソファで原作本のページをめくりながら聞いた。

「いや、途中までだ。ラストワルツまで。」

岩城が、香藤の隣に腰を下ろした。

「ふ〜ん。じゃあ、もうパート2やるって決まってるんだ。早いね。」

「端折りたくないんだろ。

なるべく原作どおりに作るって脚本の先生が言ってたから。」

そう言いながら、

両手で前髪をかきあげる岩城を見つめていた香藤は、

思わず溜息をついた。

「なんだ?」

「・・・。」

無言でいる香藤の少し眉をひそめた顔を見て、

岩城が小首をかしげた。

・・・この仕草が可愛いんだって、

自分で分かってないんだろうなぁ・・・。

そう、思いながら香藤は口を開いた。

「・・・ベッドシーン、あるよね、鷹秋と。」

「ああ。ある。」

「・・・あ〜あ・・・。」

包み込むような微笑を浮かべて、

岩城はソファの背に脱力する香藤の肩に腕を廻した。

「心配するな、芝居だ。」

「でもさぁ・・・。」

「俺が、抱かれるわけじゃないし。」

「それはそうだけどさぁ・・・。」

岩城の腰に腕を廻して、

俯いたままの香藤を見つめている岩城の眉間が、

徐々によってくる。

それを見つけて香藤が、もう一度溜息をついた。

「・・・怒んないでよ。」

「別に、怒ってはいない。」

「うそ。眉間にしわよってる。」

そう言って、香藤は岩城の眉間に指を当てた。

「・・・仕事なんだから、仕方がないだろう?」

「まあ、ね。それは、分かってるんだけど。なんか・・・。」

「・・・香藤・・・。」

岩城の声に混じる真剣な色に、

香藤は思わずなにを言われるのかと身構えた。

「俺も、お前のベッドシーンは嫌な気分になるんだ。

でも、仕事だと割り切るしかない。

だから・・」

思いもよらない、岩城のその言葉に香藤の顔が緩んだ。

その、あからさまに正直な顔に岩城のほうが照れて黙り込んだ。

「うん。ごめんね、岩城さん。俺、我慢するから。」

「香藤・・・。」






ドラマ「男が男を愛する時」。

岩城の役は、主役ではないが重要な役柄だった。

カリスマといわれるNo1ホスト、'岩城京介'。

誰もが憧れ、彼を超えたいと望む。

主人公、鷹秋亮を拾いホストとして育て上げた人物。

そして、その鷹秋が後々トラウマに陥るような傷を彼の心に残し、

彼を捨てる。

再会後、高すぎるプライドゆえに、

鷹秋に対する愛を伝えられず苦悩し、

また鷹秋を愛する新川を排除しようとするが、それも出来ない。

男のプライド、嫉妬、その狭間で揺れるジレンマ。

'岩城'自身も、鷹秋と新川との

かかわりあいの中で、より人として成熟していく。

難しい役柄であるために、岩城に依頼があった。

名前が同じだというだけでなく、

彼以外にはこれは出来ない、

彼がやらなければ映像化はしない。

原作者のたっての希望だった。

「最初から、決まってたんですね。俺が断っても。」

「まあ、ね。」

そういわれて、阿部があごを掻いた。

「ま、オーケーしてくれたら、めっけものって感じだったな。」

黙って岩城は、阿部を見つめていた。

その顔に、阿部が苦笑して軽く頭を下げた。

「悪かったよ。勘弁してくれ。」

「ええ。分かりました。」

岩城が、やっと笑顔を向けた。

それに内心溜息をつきながら阿部は、仕事の顔で言った。

「これは、岩城君じゃないと出来ないから。

俺も、余計なことはもう言わない。頼むよ。

若手に仕事を教えてやってくれよ。」




岩城の出番は、第4話目、鷹秋の回想シーンから始まる。

実際、新川や鷹秋、他の出演者だけの撮影のときに比べ、

岩城がやってきた日から現場の空気が変わった。

締まる、とでも言えばいいのだろうか。

なにより、役や仕事に対する姿勢が違う。

誰よりも早くセットに入り、

自分の出番でないときもスタジオの隅で撮影を見守る。

台本の全てが頭に入っている。

誰に対しても陰日向のないその謙虚さ。気配り。

さりげない優しさ。

そして、撮影に入ったときの、'岩城'の激烈なまでの色気。

台詞がまるで台詞に聞こえない。

そこにいるのは、'カリスマ岩城'そのもの。

「・・・すっげぇな、岩城さん。」

「ああ・・・。」

こそこそと、剣崎と石井が囁きあっている。

「・・・お前ら、何でいるんだ?出番、まだだろ?」

新川がスタジオの隅にいる二人に近寄った。

「だってよ、岩城さんの演技、見たいじゃん。」

「しょうがねぇ奴ら。ま、気持ち分かるけどさ。」

「だろ?見ない手はないぜ。おまけに、今日は・・・。」

剣崎が言った、今日。

鷹秋と'岩城'のベッドシーンの撮影がある。

'岩城'が鷹秋を捨てる直前、

仕事での女の抱き方を教えてやると、鷹秋を抱く。

後々鷹秋のトラウマとなる大事なシーン。

「撮り、午後からだろ?」

「ああ。あいつ、大丈夫だと思うか?」

「さあ、わかんねぇな。

俺たちだって男とベッドシーンなんてやったことないのに、

新人がいきなり受け側ってのはなぁ。」

「お前とやったときは、途中までだったしな。」

新川が頷いた。

「あん時は、どうってことないシーンだろうよ。

裸で抱き合ったけど、それだけだったからな。」

「岩城さんとは、マジやるんだろ?」

「なんか、こっちのほうがビビっちまう感じ。」

3人がそういうのも無理はなかった。

新人がいきなり男相手に女役をしなくてはならない。

しかも相手は岩城である。

「でもさ、俺、岩城さんなら、いいかも。」

剣崎の言葉に、石井と新川が顔を見合わせた。

「それは、芝居でってことか?」

新川の言葉に、剣崎が笑った。

「どっちでも。お前らもだろ?」

その言葉に、

二人は否定することなくセットの中の岩城に目を向けた。

「岩城さんはさ、私生活で香藤さんとやってんだから、

どうってことないんだろうな。」

剣崎が溜息をついた。

「お前、なんか羨ましそうじゃん。」

「お前らもだろうが。」

「不思議だよな。」

新川が溜息をつきながらそう呟いた。

「俺、そういう趣味じゃないんだけどな。

あの人は、なんかそう思わせる。」

「・・・ああ。」

剣崎も石井も、頷いて顔を見合わせた。




「お疲れ様でした。」

控え室に向かう廊下で、新川が岩城に声をかけた。

「ああ、お疲れ様。」

岩城の、穏やかな笑顔を新川は眩しげに見返した。

「なんか、俺、びっくりしちゃいました。」

「なにが?」

「あの、ベッドシーン。」

「ああ・・・。」

岩城がさっと顔を赤らめ、新川から視線を外した。

本当にやっているのかと、

撮影スタッフや見ていた新川たちに思わせるような、

鷹秋をリードする岩城の演技。

「あれは、彼がうまいんだよ。俺じゃないさ。」

「そうですかぁ?」

「受ける側が、照れないで声を出してくれないと、

そうは見えないだろう?」

「まあ、そうですけどね。」

頬を染めた岩城の顔に、新川は見惚れていた。

「あの、岩城さん。」

「ん?」

「あの・・。」

「岩城さん。」

新川の後ろから、鷹秋が声をかけた。

内心、舌打ちをして新川は振り返った。

「お疲れ様。」

「あの、ありがとうございました。色々教えていただいて・・・。」

「中々、色っぽくてよかったよ。

'岩城'が後々まで忘れられなくなるんだから、

そうじゃないとね。」

「うわ、なんか、そう言ってもらえると嬉しいです。」

二人の、自分には入れないような会話に新川が、

妙ないらつきを憶えて口を挟んだ。

「新人のわりに、やるじゃん。」

その少し険のある言い方に、岩城が笑った。

「こらこら、もう、焼餅かい?役にシンクロしてるな。」

「えっ?!いや、俺は!」

新川が、岩城の思い違いを正そうと声を上げた。

「でも、悪いことじゃない。

新川は、'岩城'に嫉妬心があるんだから。」

そう言って微笑む岩城の言葉に、鷹秋が新川を見上げた。

はにかんだ顔を向けられて、新川がうろたえた。

「そ、そうですかね。」

「そうだよ。これから、二人は恋人同士になるんだから。」

「そうですね。」

鷹秋が、そう言って笑顔を向けた。

・・・勘弁してくれよ・・・。

新川が内心そう呟きながら、仕方なく頷いた。






「ただいま。」

岩城が、小さな声で呟いて真っ暗な玄関ホールを見回した。

手を伸ばし、灯りを点ける。

「香藤は、まだなのか・・。」

ベッドシーンを取り終え、帰ってきた岩城の胸に、

何かつっかえる物がある。

・・・自分が、攻める側でも嫌なもんだな・・・。

俳優という夢を適えたというのに、

ラブシーンを嫌がってちゃ話にならない、

と自嘲しながら寝室へ入った。

・・・相手が、男だからか・・・。

香藤以外の男と、仕事ででも肌を合わせることへの不快感。

それを抱えたまま、岩城は服のままベッドへ転がった。




眠れないまま朝を向かえ、

岩城はリビングへ降りペットボトルの水を口にした。

胸の閊えがまだ降りない。

「ただいま。」

気分の悪さに思考が捕らえられてその場に立ち尽くしていた岩城は、

その声に驚いて振り返った。

「か、香藤!・・お帰り。」

「なんか、考え事してたでしょ?」

「・・・ああ。」

香藤が、岩城の腕を引っ張りソファに座らせた。

「寝てないね?」

香藤のその言葉に、岩城はほっと安堵の溜息を漏らした。

「なんで、わかる?」

「当たり前でしょ?俺に、岩城さんのことが分からないわけないよ。」

微笑む香藤に、岩城もようやく顔を綻ばせた。

「・・・そうだな。」

「何があったの?言って?」

「・・・うん。」

岩城が、黙り込んだ。

その顔を見ていた香藤は、

言いたくなくて、黙った顔ではないことに気づいて、

辛抱強く待った。

口を引き結んでいた岩城は、決心したように息をついて顔を上げた。

「香藤。」

「うん。」

「抱いてくれ。」

「はぁっ?!」

香藤が思いもよらない言葉に、岩城の顔を覗き込んだ。

「あ、あの、岩城さん?」

「・・・いやなのか?」

岩城の少し気遣わしげな、傷ついたような顔に香藤の箍が外れた。

「いやなわけないでしょ!」



押さえ込んだ勢いに反して、

香藤はこの上なく優しい愛撫で岩城の全身を包んでいた。

声を漏らすまいとして、

噛みしめていた岩城の唇が自然と緩んでいく。

自分のものとは思えないほどの上擦る声と、喘ぎ。

「・・・んんっ・・あっ・・くっ・・・」

香藤が本気で愛していることが伝わってくる、優しい指と、唇。

「愛してる」と囁き続ける香藤の声が、

加えられる愛撫と共に岩城の胸に染み込んでいく。

それと同時に、胸に閊えていた塊が霧散していった。

白い肌のそこかしこに紅い痕が、散りばめられていた。

岩城に確認することは怠らなかったが、

裸にはならないと聞いて香藤は盛大に痕を残した。

「へへっ。痕つけても怒られないから、嬉しいな。」

「・・・馬鹿・・・。」

香藤の指が岩城の茎を捉え軽く爪を立てるように、

いきり立つその裏側を下から撫で上げ先端を握りこんだ。

「・・・あっ・・あぁっ・・・」

軽く扱いただけで滲み出す先走りを掬い取った指が、

蕾に滑り込んでくる。

「・・・んぁうっ・・・ぁあっ・・・」

片足を膝で押さえ、腰が浮き上がるのを引き止める。

自由の利く岩城の片方の足先がソファを踏みしめて音を立てた。

岩城の乱れる様を見ながら胸の突起に舌を這わせ、

幾本もの指で中を探る。

・・・そして、その指が的確に核心を捕らえた。

「・・・ひっぁっ・・・!」

思わず息を詰めた岩城を見下ろして微笑み、

その場所を円を描くように擦り攻めた。

「・・・あっはぁっ・・あっ・・・あぁんっ・・・」

頭を左右に振って快感をやり過ごす。

長く伸ばした髪が、ソファにばら撒かれ音を立てる。

もう少しで高みに上り詰めようとしたその時、

香藤が不意に片足を肩に抱え茎を咥え込んだ。

「・・・やっ・・ああっ・・・」

上半身がのたうち、堰を切ったように声が漏れた。

香藤の髪に差しこんだ岩城の両手が押し付けるように、動く。

火のついた腰の奥が疼き、香藤を求めていた。

「・・・かと・・・」

「うん。わかったよ。」

「・・・あぁああっ・・・!」

迸ったものを飲み下した香藤が、

指を引抜き体を起こして岩城の両膝を押し広げた。

茎の先端から溢れ出し、

腿の奥まで伝い濡らしているその場所を、

香藤が見つめている。

羞恥に眩みそうになった岩城が、耐え切れずに口を開いた。

「・・・何を、見てるんだ・・・。」

「え?」

「・・・見るなよ。そんなところ・・・」

「いまだに恥ずかしいわけ?」

「・・・馬鹿・・・。」

香藤が、ゆっくりと岩城の中へ腰を沈めた。

十分に解れ潤っていたそこは、

たいした抵抗もなく香藤を受け入れた。

押し広げられるにつれて、

背筋を痺れるような快感が這い上っていく。

「・・・ぁはあぁ・・・んぅ・・・あぁ・・・」

納めきった香藤が腕をまわして抱きしめた。

「・・・すっごい・・・きつ・・・」

香藤の力強い、腕。

心まで一緒に抱きしめられる。

「・・・香藤・・・。」

「愛してる。」

そう、耳元で囁かれ香藤の熱い息が項にかかった途端、

岩城が身体をぞくりと震わせた。

香藤が微笑み、最初は啄ばむように、

徐々に深く唇を捉え舌を絡ませ貪る。

岩城は体中で香藤にしがみ付き、それに応えた。

「ごめん、岩城さん。俺、余裕ないかも・・・。」

岩城の中で、香藤がより熱くなってくる。

それにつられるように、

体の奥から湧き上がってきた強い疼きが、

岩城を引き摺りまわした。

「・・・かとっ・・・もう・・・」

「・・・動くよ、岩城さん・・・」

岩城の熱い声に香藤は頷くと、

知り尽くした敏感な場所を突き上げてきた。

「・・・ひっぃっ・・・」

頭の中が弾けるような快感に捉えられ、掠れた悲鳴がもれる。

「・・・はぁあっ!・・うぅっ・・・あんっ!・・・」

絶え間ない香藤の律動に、肩をすぼめて仰け反り、

声を上げ続ける岩城を、香藤は嬉しげに見つめていた。

「・・・香藤っ!・・あぁっ・・・か・・かとっ!・・・」

岩城の茎は体の間で擦られて果てていた。

その場所を繰り返し攻め続けられ、

うねるように波が押し寄せ高みに攫われ、

岩城の意識が飛びかける。

「・・・もっ・・もうっ・・・」

「もう少し、待って。」

「・・・たのむっ・・からっ・・・」

苦しげな岩城の顔を見て、

香藤が岩城の腰を抱えなおし、一気に最奥まで突き上げた。

「・・・んぁああっ・・・!・・・」

「愛してる。岩城さんだけだよ・・・。」



「・・・お前、休まなくて大丈夫か、徹夜明けで。」

「うん、岩城さんに抱いてって言われて、

拒否できるわけないじゃない。

する気もないけどさっ。」

ソファの上に重なって抱き合ったまま、

二人は啄ばむようなキスの合間に会話を交わしていた。

「シャワー浴びる?」

「ああ。」



「で、さあ、なにが気になってたの?」

「ああ、・・うん。」

着替えて二人で軽い食事を取った後、香藤が口を開いた。

「・・・昨日、ベッドシーンを撮ったんだ・・・。」

ぐっ、と咽そうになった香藤は、慌ててコーヒーを飲み込んだ。

「それでっ?」

「・・・お前以外の男と肌を合わせたのが、嫌で・・・。」

「へっ・・?!」

「・・・役者なのに、こんなんじゃ、だめだと思うんだが・・・。」

「・・・・・。」

「・・・でも・・なんか胸が閊えてて、

気分が悪くて・・・お前に偉そうなことを言ったくせに・・。」

俯いたまま途切れ途切れに、

精一杯伝えようとする岩城の小さな声に、

香藤の顔が蕩けそうに崩れた。

「岩城さん。」

香藤の声に、はっと顔を上げた岩城は、

自分を見つめる優しい熱い瞳に頬を染めた。

「ありがと。俺、すっごい嬉しい。」

「べ、べつに、俺は・・・。」

香藤が、テーブルを回り込み岩城に抱きついた。

「嬉しいよ。ほんとに嬉しい。」

そう言って、項に唇を当ててくる香藤に岩城の体から力が抜ける。

「岩城さん、今日は?」

「・・・午後からだ。」

「そ、俺、オフだから、いい?」

「・・・ああ。」

両腕に抱え上げられた岩城は、

肩に頬を当てながら香藤を見上げた。

「でも、程々にしてくれ。仕事にならなくなる。」

「わかってるって。」





撮影は佳境に入った。

ラストワルツ・フレーズ6から7。

酔っ払った石井を介抱する鷹秋。

別のスタジオで、

'岩城'とマンションに押しかけてきた剣崎とのやり取り。

剣崎への、自分とだぶる嫌悪感を抱えたまま、

鷹秋の帰りを待つ'岩城'。

石井への嫉妬と剣崎への不快感を鷹秋にぶつける'岩城'の、

その理不尽さに鷹秋が泣きながら叫ぶ。

そして、フレーズ8。

複雑な、それでも抑えた静かな声で、

シャツに腕を通しながらの'岩城'の台詞。

ベッドの上で、震える鷹秋にゆっくりと近付き、抱きしめる。

「かわいい、かわいい、俺の鷹秋―・・・。」

鷹秋の、泣きながらの驚きの顔がアップになる。

「俺は、そんなお前がずっと疎ましかった。」

そう言って、ぞっとするほどの真顔で鷹秋を見つめる。



「すっげぇ・・・。」

スタジオの片隅で、

その岩城を見つめながらスタッフたちが、

思わず唾を飲み込んだ。



鷹秋が叫ぶ言葉に、

'岩城'は内面の葛藤を隠しつつプライドをかなぐり捨て一時、

激昂する。

鷹秋への想いを瞳にだけ表して、静かな言葉でドアを閉める。

「・・・―お前が来なければ・・・これで終わりだ。」

・・・―終わりに・・・する―・・・



オーケーの声がかかり、

スタジオ内にスタッフの一斉にほーっと吐いた息が響いた。

黙って、セットから出てくる二人を、全員が固まって見ていた。

「岩城さん、かっこいい・・・。」

新川が、思わず声をかける。

その声に、岩城は肩を竦めて笑った。

セットにいる岩城とはまるで別人のようなその笑顔に、

ようやくその場の空気が和んだ。





ざわざわとするスタジオの中。

新川と剣崎のシーンのセット直しのため、

1時間ばかり間が開いていたが、

誰一人としてスタジオから出て行くものがいない。

岩城が撮影に参加して以来、

誰もが彼を見習うようになったためだ。

今も、スタジオの隅で、

岩城はコーヒーを片手に台本に目を通している。

普段の岩城は穏やかで至って話しかけやすいのだが、

今回の役柄が彼の周囲に張り詰めたものを漂わせていた。

共演者たちが遠巻きに、

声をかけようかどうしようかと迷っていたとき、

突然スタジオの扉が開いた。

「失礼しま〜す!」

香藤の元気な声が響いた。

「お邪魔しま〜す!」

辺りに声をかけて、隅にいる岩城を見つけにっこりと笑った。

「へへっ。来ちゃった。」

岩城が仕方がないな、と苦笑して香藤を見上げた。

首を少し傾けながら、香藤は岩城を見つめた。

「なんだ?」

「うん。かっこいいなあと思って。岩城さん、そのスーツ、自前?」

「ああ。」

'岩城'の着るスーツは、

全てアルマーニのものだという設定のため、

衣装係が苦労していたのを知って、

自分のスーツを時折持参する。

「なんか、見たことあると思った。」

「自前なんですか?」

ようやく、話しかけるきっかけを掴んだ新川が、

近寄りながら声をかけた。

「うん。岩城さんのスーツ、ほとんどアルマーニだからね。」

香藤が岩城が口を開く前に代わりに答えた。

「あ、そうなんですか。凄いですね。」

新川がそう言って香藤に笑いかけた。

「すみません、挨拶が遅くなって。」

「いいよ。気にしないで。」

香藤が、にっこりと笑って新川を見返し、周りを見回して囁いた。

「なんか、妙な雰囲気なんだけど。」

「あ、岩城さんに話しかけたいんだけど、出来ないんですよ。」

その言葉に、香藤が首をかしげた。

「へえ、岩城さんて、話しかけやすいと思うけどな。」

そう言って岩城を振り返って見つめた。

「俺にはわからん。」

「そう?まあ、今回の役がカリスマだからね。

岩城さん、役にのめっちゃうから。」

香藤の言葉に、岩城が肩をすくめた。



「俺たち、香藤さんに会ってみたかったんですよ。」

「え〜、なんで?」

椅子を持ち寄り、岩城と香藤を、

鷹秋、新川、剣崎、石井が取り囲んでいた。

「だって、この岩城さんの恋人ですからね。

どんな人なのかなって。」

「なるほどね〜。ドラマがドラマだし、ラブシーンもあるしね〜。

私生活だぶるしね〜。」

苦笑いをする岩城を香藤が笑って見つめた。

「岩城さん、かっこいいでしょ?」

香藤が4人を見回した。

「ええ!ほんとに!」

口々にそういう中で、新川がぼそっと呟いた。

「・・・かっこいいし、可愛いですよね。」

振り返る他の3人を見もせず、新川は香藤を見つめていた。

「分かってるじゃん。」

「ええ、まあ・・・。」

新川が、挑戦的な視線で香藤を見つめ返した。

その真顔を見つめていた香藤の頬に、

不敵な笑みが浮かんだ。

新川に対して口を開こうとした香藤を、

岩城が腕を掴んで引き止めた。

「なに?」

「やめろ。」

岩城が、心持ち頬を赤らめて睨んでいた。

その顔をじっと見つめていた香藤は、ふっと笑って頷いた。

「分かったよ、岩城さん。

焼餅焼きすぎだっていうんでしょ?」

「分かってるんなら、やめろ。

共演者にいちいち嫉妬してどうする。」

「は〜い。」

子供のような返事をして、

香藤はにこやかな顔を新川に向けると、肩をすくめて見せた。

「悪い。俺、すぐ焼餅焼いちまうんだ。」

「いやあ、いいっすよ。」

新川もそう言って目をそらした。

「仲がいいって証拠ですよね。」

鷹秋がそう言って笑った。

石井と剣崎もその言葉に乗りようやくその場が和んだ。






ドラマは、第一回の放送をむかえた。

好調な滑り出しだったその視聴率が、

岩城の登場する第4回目から跳ね上がった。

誰もが、それを当然のことと驚きもしなかった。

それ以来、高視聴率が続き岩城の登場しない回も、

それを保っている。

出演者たちの評判もそれに連れて上がっていき、

他の媒体への出演も増えていった。

好調な視聴率のお陰で、現場の雰囲気も高まる。

勢い、出演者たちの関係もより良いものを作ろうと、

集まっては話が弾んでいく。



「お前さ、ホストだったんだって?」

新川の控え室に固まって、

石井、剣崎、鷹秋が休憩をとっていた。

「ええ、そうです。」

石井の言葉に、笑顔で鷹秋が返事を返した。

「道理で、客あしらいのシーンなんか手馴れてると思った。」

「ほんと。新人ぽくなかったしなぁ、最初から。」

「ずうずうしいってことですか、それ?」

鷹秋が少し顔を曇らせたのに、

新川が慰めるように鷹秋の頭に手を置いた。

「いいんじゃねえの、それくらいのほうが。」

「ありがとうございます。」

和やかに話が進み、剣崎が鷹秋を不思議そうな顔で見つめた。

「それにしてもさ、岩城さんとのベッドシーン、よく出来たな。」

「あ、ええ。」

鷹秋が、意味ありげにくすっと笑った。

「なんだよ?」

そう言った新川を振り返りながら、鷹秋は声を潜めた。

「実は、初めてなんでどうしたらいいのか分からなくて。

男に抱かれたことなんてないから。」

「そりゃそうだ。で?」

「岩城さんに、全部教えてもらいました。」

「ははっ!」

剣崎と石井が、顔を見合わせて笑った。

「そりゃあ、岩城さんは香藤さんのを見てるからな。」

剣崎のその言葉に、新川が少し眉を上げた。

「この前、香藤さんが来たとき、思ったんだけどさ。」

石井が溜息混じりに言い始めた。

「あの二人の間に入るのって、難しいぜ。」

「まあ、な。俺もそう思った。

ま、憧れは持ってていいと思うけど。」

剣崎と鷹秋も、それに同調する。

「憧れだけですめばいいけどな。」

新川が、ボソッと零した。

その言葉に、3人が押し黙って彼を見つめた。

言い様のない空気の中、静かに剣崎が口を開いた。

「やめとけよ。香藤さんと張り合おうってのか。」

「別に、俺は岩城さんに抱かれたいとは思ってねぇよ。」

「は?」

今度こそ、3人は固い顔で新川を見つめた。

「おい、それ、やばいんじゃない?」

「考えらんないこと言うね、お前。」

「なんで?お前らこそ、

岩城さんの可愛さわからねぇなんて、おかしいぜ。」

新川がそう言って、3人を見回した。

「あの色っぽさ、すごいだろ。」

「そりゃそうだけどさ。

だからって、そんな風に見たことねぇよ。」

「ま、いいけどね。俺としてはライバルが減るから。」

新川の不敵、ともいえる顔に3人は顔を見合わせた。







「香藤さん、ちょっといいですか?」

スタジオに見学に来ていた香藤に、新川が声をかけた。

「うん、いいよ。」

二人は、スタッフたちから離れ、

並んでスタジオの隅の壁に背をもたせ掛けて、

双方ポケットに手を突っ込んだまましばらく、黙っていた。

「・・・で?」

香藤が前を見つめたまま口を開いた。

新川も、香藤を見ることもなく前方の岩城を見つめている。

「俺、岩城さんが好きです。」

「ああ、そうだと思ってた。」

香藤のその言葉に、新川がようやく隣に立つ香藤に顔を向けた。

「わかりますか?」

「そういう奴のこと、すぐわかるよ。

慣れてるって言っちゃなんだけど、他にも一杯いるから。」

「ただ好きってわけじゃないですよ、俺。」

「ああ。」

怒りもせず、静かに返事を返す香藤に、

少なからず驚いて新川はその顔を見つめた。

「岩城さんてさ、そういう趣味じゃない男にさえ、

そういう気を起こさせるからね。」

「え?」

「結構、ヤバイ目にあってるんだ。」

溜息をつく新川に、香藤はにやっと笑いかけた。

「・・・まあ、そうしたのは俺だけど。」

「・・・香藤さん、受けじゃなかったんだ。」

くすくす笑いをそのままに、香藤は新川を見つめた。

「俺たちの場合、どっちもありだな。」

「えっ?!」

ぎょっとして振り返る新川に、

香藤は再びくすくすと笑い始めた。

「ま、ほとんどの場合、俺が岩城さんを抱いてるけど。」

「は・・・。」

「俺は、岩城さんの色気にやられたわけじゃない。

出会った時、岩城さんはああじゃなかったよ。」

新川が黙り込んだまま香藤を見返していた。

「最初は、岩城さんて結構きつい人でさ。

お互い、嫌いだって言ってたんだ。」

「え、嫌い・・・?」

「そう。俺はなにかっこつけてんだと思ってたし、

岩城さんは岩城さんで俺のこと生意気な奴って。」

思い出したように、香藤は顔をほころばせた。

「でもさ、気がついたら好きになってた。」

「共演がきっかけじゃなく?」

「ああ、その前からだな。」

「そのあと、同棲始めたんでしょ?」

「そう。俺が押しかけた。

でも、まだその時は岩城さんは、

俺を受け入れてはいなかったよ。」

「え・・・?」

香藤は、少し眉を上げて新川を見た。

「俺も、岩城さんも、男に興味があったわけじゃないからね。

特に岩城さんは、頑ななところがあったから。」

香藤はそう言って、離れたところにいる岩城を見つめた。

心配げな顔を向けている岩城に、

香藤は安心させるように微笑んで頷いた。

岩城も、その顔を見てほっと息をついているのが、

新川にもわかった。

「俺を受け入れてくれるまで・・時間、かかったよ。」

「そう、なんですか・・・。」

「色んなこと、あったしね。

俺を受け入れて全てを預けてくれてからかな、

ああなっちゃったの。」

「はは・・・。」

「参っちゃうよね、色っぽすぎてさ。」

片目を瞑って見せる香藤に、新川がようやく笑みを見せた。

「お陰で、困ってます。」

「だよな・・なんか、さあ、複雑なんだよね。

ひけらかしたい様な、隠しておきたいような、さ。」

そう言って、嘆息する香藤に新川が声を上げて笑った。

「なに言ってんですか?自分のせいなのに?」

「そうなんだけどさ。俺たち、俳優じゃん?

人前に出なきゃいけない仕事なのにさ。

すっげえ、ジレンマ。」

二人が、顔を見合わせて爆笑する。

遠くで二人を見つめ気をもんでいた岩城が、

ようやく落ち着いた様子で椅子に深く腰を沈めた。

「時間、か・・・。」

「ん?」

新川の呟きに、香藤が顔を上げた。

その真剣な表情に香藤が黙った。

「それを、俺、知りませんでした。

岩城さんて、ずっとああなんだと思ってましたよ。」

「まあ、ね。俺たち、長いから。」

「・・・香藤さんだから、なんですね。」

香藤が、顔中を笑いに崩して新川を見つめた。

「嬉しいね、その台詞。」

・・・参ったなあ・・・。

新川はその陽のあたるような笑顔を見ながら、一人ごちた。

「俺、香藤さんのこと好きになりそうですよ。」

「お〜い、勘弁してくれよ〜!」

「違いますよ!そういう意味じゃなく。」

「あ、そ。なら、いいや。」

「香藤さん。」

新川の呼びかけに、香藤が頷く。

「憧れって、持ってちゃいけませんかね。」

「憧れだけにしといてくれよ。それ以上は、駄目だ。」

くすっと新川が笑い、肩を竦め溜息をつく。

「俺、まだこの世界にいたいですから。」

「よく、わかってるな。いい子だ。」

「当たり前ですよ。

お二人のポジションぐらい知ってます。

敵に回したらえらいことになるでしょ?」

「ためしに、回してみるか?」

「勘弁してくださいよ!」

新川の悲鳴を聞きながら香藤は明るい笑い声を上げ、

岩城に向かって歩き始めた。

その彼を、新川が追いかけた。

「お前たち、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」

岩城が、小首を傾げて二人を見上げた。

「ねぇ、香藤さん・・・この岩城さんて・・・。」

「な?凶悪だろ?」

こそこそと内緒話をする二人に、岩城の視線が刺さる。

「なんでもないよ!」

「香藤、なんなんだ、一体?」

「綺麗だねって言ってただけだよ。」

香藤のその言葉に、岩城の頬が真っ赤に染まった。

「馬鹿っ!なに言ってんだ!」

その顔に、香藤と新川が顔を見合わせる。

「・・・やっぱ、岩城さんて・・・。」







撮影は終盤を迎えた。

フレーズ10。最終回。

嫉妬を押し隠した'岩城'の言葉を鷹秋に確認に行く新川。

事情を聞いた鷹秋が、石井を伴い剣崎に会いに行く。

その剣崎を伴い、鷹秋は'岩城'の下へ。

そして、ラストシーン。

新川と'岩城'の静かな応酬。

鷹秋を介しての、奇妙な、

お互いをようやく理解しあえたような親近感。

にこっと、新川が笑う。

「あんたを目指したところで真似は真似でしかないから、

そんな勝ち目のないバカはしません。」

それを聞いていた'岩城'の、自嘲気味の唇の端だけの笑み。

「・・・・・俺のしてた事はあいつの思い通り、

お前を成長させただけみたいだな。

 結局俺達はあいつの手の上で踊ってるだけなのかもな

 ・・・さ、行くぞ。」

'岩城'が、新川の背をポンと叩いて歩き出す。

「そうかもしれませんね。」

新川が顔をほころばせて答え、並んで店の中へ消える。




「お疲れ様でしたぁ〜!」

「お疲れ様!」

スタッフからそれぞれが花束を受け取り、挨拶を交わす。

「岩城さん、ありがとうございました。」

人垣の真ん中で新川が、深々と頭を下げた。

「いや、こちらこそ。」

穏やかな微笑でそれをうけた岩城を、

誰もが眩しげに見つめていた。

「打ち上げ、行きます?」

剣崎が、岩城に声をかけた。

「ああ、いや・・・。」

「駄目でしょ〜?香藤さんが心配しますよ。」

新川がそう言って岩城の顔を覗き込んだ。

「帰ったほうがいいですって。」

「いいのかな・・・。」

スタッフを見回す岩城に、誰も文句を言うものがいない。

鷹秋がくすくすと笑い出し、みながそれに釣られた。

「ほら、岩城さん。みんな帰ったほうがいいって。」

「それとも、香藤さん、呼んじゃう?」

「あ!それいいかも!」

鷹秋の提案に、みなが賛同する。

新川に促されて、岩城は携帯を手に取った。




「お疲れ様〜!」

連絡を受けた香藤が、元気な声を上げて店に入ってきた。

「お〜!ご登場だぞ!」

「香藤さん!こっち、こっち!」

座敷に座る新川が手招きをして、

岩城の隣を指差し香藤がそこへ滑り込んだ。

「ねぇ〜、いつから香藤さんと仲良くなったの?」

剣崎が新川を突いた。

「ま、ちょっとね。」

香藤が、ニコニコしながら答える。

「お前、いくつだっけ?」

香藤が新川を振り返った。

「え、俺ですか?23ですけど。」

「23かぁ〜。俺が岩城さんと共演したのが、

22のときだったんだよな。」

「へぇ〜!じゃ、そのときに岩城さんと〜・・ですか?」

「微妙な言いかたすんね?」

香藤が剣崎に苦笑を向けた。

「すいません。」

剣崎が肩をすくめて頭を掻くのを見て香藤が、笑顔を浮かべた。

「ま、いいけどね。そのとおりだから。」

「香藤、それ以上喋るな。」

黙って聞いていた岩城が、堪りかねて口を挟んだ。

「お前、恥ずかしすぎる。」

「なんで?俺たちその後すぐ同棲したじゃん。」

「同棲とか言うな!」

「へっへぇ〜、ごめ〜ん。じゃあ、同居。」

「ん・・まあ、それならいい・・。」



「お前さあ、」

香藤が、新川に視線を向けた。

呼びかけられた新川は、

香藤の笑顔に釣られるように笑って返事をする。

「若いのに、人見る目、あるよな。」

含みのあるその言葉の裏にある意味を、

新川がしっかりと掴んで香藤に頷いた。

「ありがとうございます。」

「ま、その内、見つかるさ。」

「ええ。だといいんですけどね。」

小首をかしげてその会話を聞いていた岩城が、

最後の香藤の言葉にはっとして新川を見つめた。

香藤がその岩城を横から見つめ、

視線を感じて岩城は香藤を振り返った。

「大丈夫。こいつは馬鹿じゃないよ、岩城さん。」

「・・・ああ。」




「このドラマって、結構考えさせられたよね。」

「ああ。」

香藤がなにやらしみじみと呟いた。岩城も静かに返事を返す。

新川や剣崎、鷹秋たちはその二人を黙って見つめていた。

「男同士って、どっちかが依存する関係じゃないから、

結構きついこともあるよね。」

「そうだな。」

「職場が一緒だと、余計だね。」

「ああ。」

「岩城さんは、どう?きつい?」

「いや。きついと思ったことはない。お前は?」

「ないね・・遣り甲斐はあるよ。」

「そうか?」

「うん。岩城さんに相応しい男であるために、

俺、がんばってんだもん。」

「俺もだ・・・でも・・・。」

岩城が言いよどんで口を閉ざした。

香藤が、隣を振り返ると少し頬が上気した岩城の顔があった。

「どしたの?」

「・・・どうも、最近、俺はお前に依存してるような気がする。」

岩城のその言葉に、香藤がくすくすと笑い出した。

「何で笑う?」

「あのね、岩城さん。

俺、岩城さんの心のど真ん中にいるんだよ。」

「そうだな・・・。」

「それに、それは依存て言わないよ。

俺のこと、頼りにしてくれてるって事でしょ?」

「ああ、そうだ。」

「とっくにね。

岩城さんは俺がいないと生きていけないって、知ってるからね。」

「馬鹿、こんなとこで言うな。」

赤かった岩城の頬が、ますます真っ赤になる。

その岩城の、伸びた髪を撫でて香藤が微笑んだ。

「愛してるよ、岩城さん。

何があっても、俺が岩城さんを守るから、安心して。」

「ああ、それは信じてる。」

「え〜っ・・・。」

コホン、と新川の咳払いが聞こえ、

岩城がはっと周りを見回した。

いつの間にか話し声が途絶え、

皆が香藤と岩城の会話に耳を向けていたことが明らかで、

岩城が赤い顔で身をすくませて俯いた。

「ラブラブっすねぇ〜・・・。」

剣崎が溜息とともに零した。

「そうだよ。ずーっとね。」

「色んなことを乗り越えてきたから、この二人は。」

新川が誰に言うともなく口を開いた。

「誰も、邪魔出来ないくらいの強い絆なんだよ。」

「まあね。年々、強くなるね。何でだろうね、岩城さん。」

「さあ・・・でも、気付くたびに好きになってるな。」

香藤は口にしかけたビールを吹き出しそうになって、

岩城を振り返った。

「・・・岩城さん、酔ってるでしょ?」

「そうでもない。」

「いんや、酔ってるよ。

でないと人前で、そんなこと言わないもん。

もう、呑んじゃだめ。」

そう言って、岩城の前のグラスを取り上げた。

酔って上気した頬と、どこか焦点の合わない潤んだ瞳で、

見返してくる岩城の顔を見て、

香藤は顔をしかめた。

少し頤を上向かせて、

ほっと息を吐いた岩城の匂い立つような色香に、

周囲がうろたえている。

「岩城さん、大丈夫?」

「・・・うん・・・。」

返事をしながら、岩城は香藤の肩に頬を乗せた。

「大丈夫じゃなさそうだなぁ・・・。」

帰ろうかと香藤が続けようとしたとき、

岩城が香藤の首に腕を回してその膝の上に身体を滑らせた。

とろんとした瞳で香藤を見つめ微笑むと、

その頬に軽く唇を触れた。

そのまま、止めるまもなく唇を滑らせ、

香藤の耳タブを軽く噛んだ。

「ちょっ、岩城さん!ほら、酔ってるじゃん、だめだよ!」

「酔ってなんかない。なにが、だめなんだ?」

そういいながら、首に回した片手を下におろした。

「ちょっ・・ここじゃダメだってば、岩城さん!」

「・・・何でだ・・?・・いつもお前からしたがるじゃないか・・・。」

「そういうことじゃなくて!」

香藤が慌てて、股間に触れる岩城の腕を掴んだ。

背中に冷や汗が流れる。

その香藤の慌てぶりに、岩城がくすくすと笑い出した。

周囲の目など、気にもせずに岩城は香藤に抱きついて、

肩を揺らして笑っている。

それを目の前で見せ付けられている新川たちは、

思わず喉を鳴らして岩城から慌てて目をそらした。

「・・・なんか、お前の言ったこと、やっとわかったかも・・・。」

「・・・遅ぇよ。」

剣崎の囁く言葉に、新川が吐き捨てるように答えた。

香藤は笑い続ける岩城を、ため息をついて抱えていた。

そのうち、岩城が笑うのをやめ、身じろぎをした。

「どした、岩城さん?」

「・・・うん・・眠い・・・。」

岩城はそのままずるずると、身体を伸ばし、香藤を見上げた。

「・・・かと・・いつも俺がしてるから・・・たまには、

膝、貸せ・・・いいだろ?・・」

「え?・・・うん、いいよ。」

香藤の返事を聞いて、にっこりと笑うと、

岩城は香藤のほうを向いて香藤の胡坐に頭を乗せた。

腕を上げて香藤の腰を両腕で、抱えるようにして、

もぞもぞと頭の位置を頻りに替え、

香藤の股間に鼻先がつくような場所で、

ようやっと落ち着いたのか、

あっという間に、岩城の寝息が聞こえた。

「・・・ひえぇ・・・」

どこからか、誰かが漏らした感嘆の声が聞こえた。

「・・・可愛い・・・。」

鷹秋が岩城を見つめながら呟いた。

その言葉に、香藤が笑った。

「でしょ?」

「はい・・・とっても年上とは思えない・・・。」

「だろ?俺たちより十以上、上なんだぜ?

信じらんないだろ?」

新川が嘆息しながら、囁いた。

「岩城さんは、俺のだからね。狙っても駄目だよ〜。」

香藤がそう言って、

笑いながら目の前にいる3人と周囲に視線を向けた。

「と、とんでもない・・・!」

何人もが、ぶんぶんと手を振って答え、岩城から視線を外した。

が、気付くといつの間にかまた二人を見つめていた。

頬と目元を染め、スースーと寝息を立てて、

香藤の膝で身体を丸めるように眠る岩城を。

その岩城を、この上なく優しい微笑を浮かべて、

見つめている香藤を。

こんなに無防備な岩城を、

初めて見た阿部は片頬に苦笑を刻んでいた。

「・・・なるほどねぇ・・・。」

阿部の呟きは思いのほかあたりに響いた。

周囲の注目を集めてしまった阿部は、慌てて言葉を繋いだ。

「いや、さ、おしどり夫婦って言われてるじゃない?

なんか、わかるなって、さ。」

その言葉に、香藤が微笑んで答えた。

「お陰さまで〜。でも、困るんですよねぇ。

この人、自分がどれだけ可愛いかわかってなくって。」

「ホンとですよね。」

新川がしみじみと言った。

「犠牲者だらけですよ、ここ。香藤さん、どうします?」

「さあね。どうしますって言われても、どうにもなんないよ。」

そういいながら、グラスのビールを飲み干した香藤は、

にっこりと微笑んだ。

「帰るね。」

「あ、は〜い。」

眠ってしまった岩城をどうするんだろうと、

周囲が心配をして二人を眺めていた。

その全員の度肝を抜くように、

香藤が、岩城を起こさぬようにしながら、軽々と抱き上げた。

「・・・うわっ!・・・」

その誰かが上げた声に、岩城がうっすらと瞳を開けた。

「帰ろうね、岩城さん。」

「・・・ん・・・。」

岩城の腕が、甘えるように香藤の首に絡んだ。

「じゃ、ね。お疲れ様でした。」

ざわつく店内を尻目に、

涼しげな顔で岩城を抱えたまま去っていった香藤を、

全員が口を開けて呆然と見送った。

「・・・お姫様抱っこかよぉ〜・・・」

「・・・余裕だったよなぁ〜、しかも・・・。」

「・・・あれ出来ないと、岩城さんの相手になれないってか・・・。」

「・・・あ〜あ・・・。」

そこかしこで、感嘆の声が上がる。

その中で、憮然として酒を煽っている男が、いた・・・。




・・・くっそぉ・・・香藤さんにゃ、かなわねぇよなぁ・・・。




・・・まったく・・・惜しいことした・・・。




・・・なんとかなんねぇかな・・・なんねぇよなぁ・・・。






             〜終〜




           2005年2月6日






   


本棚へ 阿部さん・・・ごめん・・・