White Christmas 2008



☆ ☆ ☆



「・・・泣きそうな空模様だな」

レンジローバーのドアを無造作に閉めて、岩城は空を仰いだ。

「えっ、なに?」

ニキが後部座席から降りるのに手を貸していた香藤は、

岩城の言葉を聞き逃して振り返った。



「いや、空がな」

「うん?」

「なんだか、雨になりそうな感じだろう」

「そうだね」

少し笑って、香藤は肩をすくめた。

「この時期のロンドンなんて、こんなもんじゃない?」

「コンナモンって、なあに?」

精一杯に背伸びをして、ニキが大人の会話に割り込んだ。

「くもり空だから、雨が降るかなって思ったんだよ」

岩城は笑いながら、ニキのダッフル・コートの前を留めた。



「寒くないか、ニキ?」

「ううん、ぜーんぜんへいき!」

無邪気な笑顔で、ニキは岩城が差し出した手をしっかりと握った。

そのまま自然に、もう一方の手を香藤に向けて伸ばす。

「あのね、あのね!」

息子とおそろいのコートを着込んだ香藤が、

笑ってその手を取った。

「うん、何?」

「おばあちゃんのおうちではね、

くりすますになると、ゆきがいっぱい・・・」

そこまで言いかけて、ニキははっと息を呑んだ。

きゅっと唇を噛んで、困ったように香藤を仰ぎ見る。

「・・・えっと、ニキ、それさ・・・」

ほんの少しだけ気まずそうに、香藤は頭をかいた。



―――子供特有の、動物的な勘のよさとでも言うのか。

誰が咎めたわけでも、それとなく匂わせたわけでもないのに。

ニキは岩城の前では、自分の母親の話をしない。

いつの間にかしなくなった、というべきか。

うっかりその話題になってしまうと、慌てたように口を閉ざす。

申し訳なさそうに、少し傷ついたような瞳で岩城を見上げながら。

その幼い気遣いが、ふとした拍子に香藤の胸をつく。



「オーストリアの、どの辺なんだ?」

ゆったりと歩き出しながら、岩城がニキに微笑みかけた。

「え・・・と?」

もじもじと視線を泳がせるニキの様子に、香藤が苦笑した。

岩城はそれに気づかないふりで、言葉を継いだ。

「ニキのムッターのお母さん、なんだろう?」

「う、ん」

「・・・岩城さん、あの」

何か言おうとした香藤に、岩城は素早く首を振ってみせた。

『いいから』

『でも』

黙ったまま、目線で交わされる会話。

「雪がいっぱい降るなら、山のほうなんだろうな」

「うん、しょう」

ためらいがちに頷くニキの頭を、岩城は軽く撫でた。

「寒いのかな?」

「さむくないよ。ゆきがいっぱいふって、みんなすきーをするの」

「ニキは、スキーができるのか」

岩城の言葉に、ニキはやっと白い歯を見せた。

「うん! みんなできょうそうしゅるとね、

ぼく、いちばんはやいんだよ!」

「そうか、すごいな」

嬉しそうなニキに、岩城が微笑み返す。

子供の手のひらを握り直して、香藤はほっと吐息をついた。



「そこの角を曲がると、ハロッズが見えるから・・・」

道筋を説明する言葉は、岩城の問いに遮られた。

「そういえば、香藤はスキーできるのか?」

「俺? いや、俺はあんまり・・・」

きまり悪そうに、香藤は首を振った。

「ほら、俺はもともと、ウォータースポーツ系だからさ」

「だでぃー、すきーしないの?」

きれいな緑色の瞳が、信じられないと言わんばかりに丸くなった。

「できないの?」

「うっ・・・だ、だから、俺はね!」

「じゃあ、ニキに教えてもらわないといけないな」

香藤の弁明を封じるように、岩城がにこりと笑った。

「きゃははー!」

「今度、三人でスキーに行こう」

「うん!」

躍り上がりそうな勢いで、ニキはぶんぶんと頷いた。



「岩城さんは、滑れるわけー?」

わずかに拗ねて頬を膨らませ、香藤が聞いた。

その頬に触れながら、岩城はとびっきりの笑顔を返す。

「誰に聞いてるんだ。俺は、新潟の生まれだぞ?」

「あ・・・っ」

「こっちの警察のトレーニングでは、スキー講習もあったしな」

「そ、そうなんだ」

バツが悪そうに相槌を打つ香藤に、岩城は笑いかけた。

「まあいい。年が明けたら、スキー旅行でも計画しよう」

「うん、そうだね」



「あ、ゆき!!」

大声を上げて、ニキが走り出した。

「おい、ニキ!」

人混みをかきわけて、慌てて香藤が後を追った。

「ごめん岩城さん、俺、ちょっと先に行くから!」

「いいから、目を離すなよ」

ニキの背中を追いながら、岩城も足を早めた。

「ゆきだよ、ほら、だでぃー!」

スキップしながら、ニキが空に両手をかざした。

「わーい!」

ひらひら、ちらほらと、風花が舞い落ちる。

ロンドンの街には珍しい、今日はホワイト・クリスマス。

「こら、ニキってば!」

「こっちこっち、だでぃー!」

雪にはしゃぐ子供と、それを追いかける若きF1チャンピオン。

二人の姿を眺めて、岩城はそっと微笑した。





おわり



☆ ☆ ☆



ましゅまろんどん
2008年12月25日
ロンドンにて
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言わずと知れた(笑)、
拙作「捻れたサーキット」の、
「Much Ado About Nothing」の番外編です(笑)
ニキが、可愛いよ〜(笑)
ましゅまろんどんさんが、「ゆすらうめ雑想記」に載せていたのを、
強奪しました(爆)
どうも、ありがとうございました(笑)