風鈴 「暑いねぇ・・・岩城さん・・・」 香藤が、ソファから今にもずり落ちそうな格好をして、 へたばっていた。 「そうだな。」 「やめてよぉ、そんな涼しい顔して、 そうだな、なんて言うの!」 隣で文庫本を読んでいた岩城が、 くすっと笑って言い返した。 「心頭滅却すれば火もまた涼し、って言うだろ。」 「・・・勘弁してよ。」 香藤は、顔をしかめて片手を振った。 「でもさぁ、俺たち、 去年はもっと暑いとこにいたんだよね。」 むくり、と起き上がって香藤は岩城の顔を覗き込んだ。 「岩城さん、ばてちゃって・・・」 そう言って笑い出した香藤を、岩城はいやな顔で見返した。 「お前、今・・・。」 「うん、思い出し笑い。ごめん・・・。」 何を香藤が思い出したのか簡単に推測がついて、 岩城は苦笑いを浮かべた。 「まったく・・・。」 「・・・ご、ごめん、だってさ・・・岩城さん色っぽくって・・・。」 「うるさいな!お前、俺に無茶やらかしただろ!」 ペチン、と手にした本で香藤の頭を叩いて、 岩城はキッチンへ向かった。 「ごめ〜〜ん!」 香藤は慌てて岩城を追いかけた。 2人で、食事の仕度を始める。 「でもさ、京都の人って、 あの暑さ、どうやって我慢してんのかな・・・。」 「我慢じゃないだろ。」 「今は、エアコンがあるけどさ、 昔の人とか、どうしてたんだろうね?」 「・・・京都の人たちってのは、工夫を重ねて、 暑さを凌いできたんだ。 例えば町家ってのは、間口が狭くて、奥に長いだろ?」 「うん、うなぎの寝床みたいなんだよね?」 「そう。あれは、風を通しにくいが、 わずかに入って来た風を生かして、涼を呼ぶ仕掛けになってる。 通り庭とか坪庭とか、な。」 「へぇ、上手くできてるんだ・・・岩城さん、どっちがいい?」 香藤が、素麺と冷麦の束を掲げていた。 「そうだな。お前は?」 「えっとね・・・冷麦・・・あ、ねぇ、薬味、どうする?」 「じゃあ、冷麦にしよう。薬味は、大葉と、茗荷があったぞ。」 「了解。あ、葱もある・・・家、だけじゃないよね、暑さしのぎって。」 「ああ・・・色んな工夫をしてるな。風を見せるってこともある。」 「・・・へ?」 「簾戸や簾、暖簾、庭に植えられた棕櫚の葉、 全部、微かな風を逃すことなく、ゆらゆらとゆれて、 そこに風が吹いていることを知らせる。 揺れることで、涼しさを感じさせるんだ。」 「そっか、揺れてると風が吹いてるって感じるんだ。」 「うん・・・香藤、おつゆ、濃い目がいいか?」 「あ、ちょっと濃い目。」 「わかった・・・打ち水、とかもそうだな。」 「風が吹いて、空気が冷やされるわけだね。」 そう言って、大根を下ろす手を止めて、香藤が腕を組んだ。 「・・・なんかさ、」 「うん?」 「さっきの、心頭滅却すればって、ほんとかも?」 岩城が、声を上げて笑った。 「はい、お土産。」 香藤が、リビングへ入ってくるなり、 そう言って岩城の前に片手を差し出した。 「どうしたんだ?」 「うん、風流って奴?」 笑ってそういう香藤から、岩城はその風鈴を受け取った。 窓に下げて、入ってくる風に揺らぐのを、 ソファに座ってテーブルを挟んで座る岩城と、2人で眺めた。 ・・・・・リ・・・ン・・・・・チリ・・・リン・・・・・ 「・・・なんかさぁ、この音って、ほんとに涼しい気分になるから、 不思議だよね。」 「ああ・・・。」 「これってさ、ちゃんと風に当てなきゃだめだよね。」 岩城は、その言葉に小首をかしげて香藤を見た。 にこっと笑って、香藤は風鈴に目を向ける。 「この音を鳴らすのが、風鈴の本当の姿じゃない? オブジェみたいに飾ってたら、 それは風鈴として生きてないってことでしょ? 風鈴だって、やなんじゃない、それって。」 「本当に、生きてない、か・・・。」 「うん。エアコンの風もやだろうな・・・なんか、偽物って感じで。 やっぱり、本当の風に当たらないとね。」 岩城が、何かを思いついたように、ふ、と笑った。 「なに、岩城さん?」 「いや・・・今のお前の言葉で、風鈴を自分に擬えた。」 「・・・え?」 「お前という風に当たる、自分をね。 お前の言葉を借りれば、本物の風に当たって初めて、 俺は本当の姿で生きられるんだな。」 ぽかん、として岩城を見返していた香藤の顔が、 くしゃくしゃと崩れた。 「もぉ〜〜〜!なんで、そういうこと言うかな?!」 2人の間にあるテーブルをまたいで、香藤は岩城に飛びついた。 「おい!なにすんだ、暑苦しい!」 「なに言ってんの?!そんなこと言っといて!」 「そんなことって、なんなんだ?」 不思議そうに眉を寄せる岩城を、香藤は脱力して溜息をついた。 「・・・まったく、もう・・・。」 「どけ、香藤。ほんとに暑い。」 「夏なんだから、当り前でしょ?」 そう、言いながら、香藤は岩城の頬を両手で挟んだ。 「俺だって、岩城さんって風に当たって、 ほんとの自分でいられるんだよ。」 「・・・香藤・・・。」 岩城が、目を細めて香藤を見つめた。 「ずっとな。」 「うん、ずっと・・・。」 香藤の唇が、そっと、近付いた。 〜終〜 2005年8月6日 |
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