CONJUGAL LOVE 3




それから何週間かして岩城の元に、CMのオファーが入った。

「化粧品?」

「ああ、そうだ。」

「へぇ・・・。」

夕食のテーブルで、二人はお互いの予定を伝え合っていた。

「どんなコマーシャルなの?」

「さぁ・・・まだ打ち合わせしてないからな。」

「そっか。」

「胸から上だけらしいがな。」

香藤は、それを聞いてあからさまにほっとした顔をした。

「そなんだ。ポスターも?」

「ああ、そうらしい。」

そう答えながら、岩城はその香藤の嬉しそうな顔に、苦笑を浮かべた。

「なに?俺の顔に、なんかついてる?」

「お前、全身じゃなくて、良かったって思ってるだろ?」

香藤が声を上げて笑った。

「まぁね!でも、岩城さんの抜群のスタイルが出ないっての、

ちょっと寂しいかも。複雑ってとこだね。」

「まったく・・・。」




何度かの打ち合わせを経て、岩城はCMの撮影に出かけた。

午前中に、サロンに寄りフェイシャルマッサージを受けた。

その後、店長は撮影スタジオに同行する。

「すみません、店長。お世話かけます。」

「とんでもない!これは私の義務だと思ってますから。

それに、岩城様の肌がちゃんと綺麗に写らなかったら、

私の責任ですからね。」

「そんな・・・そんなこと、ないですよ。」




撮影スタジオでは、○○堂からも営業マンが駆けつけてきていた。

「こんにちは、岩城さん。」

岩城はにこやかな顔で挨拶をする彼を、

心持ち首をかしげて挨拶を返した。

「以前に、サロンでお会いしました。」

「ああ、あの時の。それは失礼しました。」

男は笑って首を振り、名刺を差し出した。

「うちの商品を使って頂いて、ありがとうございます。」

「いえ、本当に俺の肌に合っていますので。田辺さん。」

田辺と名を呼ばれた営業マンは、

岩城を眩しげに見つめながら言葉を継いだ。

「実はあの時、ちょうどあの商品を

CMしようか、って企画が持ち上がっていたんです。

うちの作っている中では、格上の商品なんですが、

いかんせんちょっとお高めで。

ま、無香料無添加で、生きた物なので冷蔵保存が必要ですし。

で、僕が岩城さんが使って下さってるって話をしたら、

CMに反対してた上の者が大乗り気になって。」

そこまで話して、田辺が楽しそうに笑った。

「役員連中が、今日、来たがってうるさかったですよ。」

屈託のない笑顔に、岩城だけではなく同行してきた

マネージャーの清水と、サロンの店長もが、

つられて笑顔になった。

「なんだか、香藤さんに似た感じがしますね、あの方。」

清水が、田辺が邪魔にならないように、

隅に引っ込むのを見ながら、岩城にこっそりと囁いた。

「そうですか?・・・ああ、明るいとことか、そうかもしれないですね。」

スタッフに声をかけられ、岩城は準備のために

用意された椅子に腰掛けた。

店長が岩城の肌をチェックし、

ローションを染み込ませたコットンではたいた。

「午前中にケアしましたから、ほんとに綺麗な肌ですよ。」

「ありがとうございます。」

椅子に座ってスチールを撮り、CMの撮影に入った。

静かで、熱気の篭もった撮影が、滞りなく終わった。




「放映、明日からだよね?」

香藤が食後、ソファで岩城を後ろから抱えながら、訊ねた。

「ああ、そうだ。」

「どんなかなぁ。すっごく楽しみ。」

「そうか?」

岩城はそれを聞きながら、ひそかに溜息をついた。

CMが流れたあと、香藤の騒ぐ様子が目に浮ぶようだった。

「ポスター、貰えないの?」

「・・・欲しいのか?」

「当然だよ。岩城さんのは、全部欲しいよ。

俺が一番の岩城さんのファンなんだから。」

軽く溜息交じりで肩をすくめて、岩城は頷いた。




翌日、香藤は岩城のCMを仕事から帰ってきた自宅で目にした。

岩城はまだ帰っておらず、食事を取った後ソファに陣取った。

放映は、夜九時台のその化粧品会社がスポンサーをしている、

ドラマの合間だった。

ドラマの方にはまったく興味を示さず、その間、香藤は席を立ち、

トイレにいったり、飲み物を用意したり、録画の準備をしたりしていた。

いよいよCMタイムとなって、香藤は身を乗り出してテレビを見つめた。

いきなり、岩城の背中、肩甲骨から上が映った。

真紅のバックの中の、輝くように白い肌と、

綺麗なラインの肩の後ろ姿の岩城。

カメラがゆっくりとその周囲を回りこんでいく。

そして、横顔が写り、香藤はソファから転げ落ちた。

ディップなのだろうか、撫で付けてある髪のせいで、

形の良い岩城の頭部が露わになっている。

瞳を閉じて、前髪を上げた岩城。何のメイクもしていない、素肌。

そのまま、カメラは移動し続け、岩城の正面のアップで、

それは止まった。

そして、男性の声でコピーが流れた。


『愛されることに、馴れてしまってはいませんか』

『岩城京介、三六歳、既婚。』

『夫、香藤洋二、三一歳。』

『○○堂のkプログラム・・・絹肌。』

『その人の存在を、あたりまえだと思っては、いませんか』


「う・・・わっ・・・」

思わず、香藤は声を上げた。

なんということはない、とてつもなく静かなCM。

その癖、そのインパクトは凄まじかった。

CMが終わった後も、香藤は呆然としたまま、テレビを見つめていた。



「あのコピー、よくOKしたね?」

「え?」

その日、帰って来て香藤の手料理で夕食を済ませて、

二人はソファで寛いでいた。

香藤がいつものように岩城を後ろから抱え込み、

その肩に顎を乗せたまま口を開いた。

「CMのコピー。夫、香藤洋二って。」

「ああ。」

岩城が、わかったというように頷いた。

「事実だろ?」

「そりゃそうだけどさ。」

香藤は静かなその横顔を見ながら、溜息をついた。

「お前が、溜息つくことはないだろ?」

「でもさ、世間は岩城さんが妻って、思っちゃうよ?」

「・・・まぁ、そうだろうな。」

「いいわけ?」

岩城は、香藤の肩に後頭部を乗せて、凭れかかった。

「俺達は、お互いが夫であり、妻でもある。違うか?」

「違わないね。」

「それに・・・。」

岩城が言葉を切った。その顔を、

香藤は首をかしげるように覗き込んだ。

「それに?」

仄かに、頬の染まった顔で、岩城は香藤の視線から顔を背けた。

「俺がベッドの中で女役なのは、事実だからな。」

緩んだ顔で、香藤は岩城の肩を強く抱きこんだ。

「そうだね。岩城さんが俺を抱いてくれるのって、特別な時だもんね。」

そう言ってから、気付いたように香藤は声を上げて笑った。

「馬鹿なゲームで、一回あったね。

あのときの岩城さんって、けっこう牡だったけど、

でもマリアだったよね。」

「馬鹿。」

「そういえば、佐和さんのレストラン行った時。

あの時の岩城さん、すっごい男前だったね。」

そう言って香藤はくすくすと笑った。

岩城は、赤い顔で苦笑して、香藤の頭を逆手で軽くはたいた。

「それにしても、ポスターの岩城さん、すんごい綺麗だよね。」

「そうか?・・・お前、あんまり騒がないんだな。」

くすっと笑い返して、香藤は岩城の頬にキスを落とした。

「なに?騒がないから、物足りない?」

「ちっ・・・違う!そうじゃない!」

「綺麗過ぎて、騒ぐの通り越しちゃった。

俺も、いい加減三十超えたしさぁ。落ち着かないとね。」

「・・・そう、だな。」

「いつまでも、子供じゃないよ、俺も。」

香藤の笑顔に、岩城は笑顔を返した。

それでも、岩城の心に一抹の寂しさが、無くはなかった。




岩城が起用されたその化粧品のCMは、

貼られたポスターは軒並み盗まれ、商品は飛ぶように売れた。

扱っている店が続々と品切れとなり、

製造元も生産が追いつかないほどだった。

「良かった、先に貰っといて。」

香藤は、自室の壁にパネルに入れてそのポスターを飾った。

「いいねぇ、この言葉の響き。」

「なにが?」

「岩城京介、三六歳、既婚。夫、香藤洋二、三一歳。」

「あ?」

「既婚って、いい響きじゃない?」

香藤が嬉しそうにそのポスターを見ながら、一人で悦に入っていた。

「そうだよね。お互いに努力は必要だよ、夫婦だからこそ。

ねぇ、岩城さん?」

「あ、ああ、そうだな。」

「岩城さんは、すんごい努力してくれてるもんね。

俺も、がんばらないと。」

「お前だって、してるじゃないか。」

「そ?当然だよ。岩城さんを守る為なら、俺、

なんだってやっちゃうもんね。」

ふ、と岩城が柔らかい微笑を浮かべた。

香藤は思わず腕を伸ばして、岩城を胸に抱きこんだ。

黙って、二人はしばらくお互いの温もりを感じあっていた。

「ねぇ、岩城さん?」

「ん?」

仕事先で、香藤は皆からさんざん質問攻めにあっていた。

共演中の女優達やスタッフが、岩城が使っているあの化粧品を

買いたい、とか、二人の立場について、とか。

「やっぱり、夫ってのがやばかったみたいだね。

みんな、知りたかったらしいよ。」

笑ってそういう香藤に、岩城は苦笑して聞いていた。

「男連中なんて、あからさまに聞いて来るしさァ。」

その内容は聞かなくても予想がついて、

岩城はますます溜息をついた。

「お前、答えてないだろうな?」

「なにを?」

「なにをって、だから・・・」

「うん。」

香藤はにやにやと笑いながら、頷いた。

「ちっとも。岩城さんがどれだけ色っぽいか、とか、

肌が吸い付くみたいに綺麗だ、とか、全然言ってないよ。」

「馬鹿!言ってるだろうが!」

岩城は香藤の腕からすり抜けると、

脳天に拳を振り下ろして香藤の部屋を出て行った。

「イタッ!ちょ、ちょっと!怒らなくてもいいじゃん!」

「うるさいっ!」

廊下へ消えた岩城の、声だけが聞こえてきた。




「あ、岩城さん、この度はありがとうございます。」

翌月、岩城が帰り仕度を終えてサロンのロビーに姿を現すと、

○○堂の営業マンの田辺が待っていた。

「ああ、こんにちは。こちらこそ。」

深々と頭を下げる彼にお辞儀を返して、岩城はにっこりと微笑んだ。

「大変な反響なんですよ。生産が追いつかなくて、困ってます。」

「そうなんですか?じゃ、俺の分もないかもしれないですね。」

「いえ、いえ!それは大丈夫です。

岩城さんの分は、死守しましたから。」

田辺が笑って頷き、受付係が銀のトレイをカウンターへ置いた。

「ああ、ありがとうございます。助かった。」

笑顔を返してくる岩城を、彼は眩しげに見つめた。

「岩城さんは、このあとは?」

「収録があるので、テレビ局に向かいます。」

「じゃ、お送りします。」

田辺がにっこりと頷いた。

「え・・・でも。」

遠慮する岩城に、店長が口添えをして

結局押し切られるような格好で、岩城はそれを承知した。

助手席のドアを開ける彼に、

岩城は少し微笑んで後部ドアを自ら開けた。

少々がっかりした顔で、田辺は運転席に回った。

「申し訳ありません。甘えてしまって。」

「とんでもない!うちの方が岩城さんのお陰で、

業績伸ばしましたからね。これくらいのこと、当然です。

どちらまでお送りしましょうか?」

「あ、お台場へお願いします。」




田辺が視線をちらり、とバックミラーに向けた。

「あのCMも、ポスターもすごい反響なんですよ。」

「そうなんですか?」

「ええ。」

田辺が笑いながら、頷いた。

「うちの女子社員、ポスターが欲しくて広報部へ押しかけたりして。」

「はは・・・。」

岩城が、困ったような照れたような笑顔を浮かべた。

「そういえば、岩城さんもポスター・・・。」

「ええ。」

頷いて岩城は、思い出したように頬を染めた。

その顔を、田辺はミラー越しに見ていた。

ゴクリと喉が鳴りそうになるのを、岩城の言葉が押しとどめた。

「香藤が、欲しいってうるさくて。」

「あ、香藤さんが。それは、そうでしょうね。」

冷水をぶっ掛けられたように、田辺は肩を竦めた。

「仲、いいですよね、お二人は。」

「まぁ、そうですね。」

岩城は、至極普通に頷いた。

田辺がそれを見ながら秘かに溜息をついた。




「もう、来てるかなァ・・・。」

香藤がテレビ局の控え室で、一人ごちた。

「どなたですか?」

金子がコーヒーを手渡しながら、聞いた。

「岩城さんだよ。今日、ここで仕事だって言ってたんだ。

時間があったら、お茶しようよって、言っといたんだけど。」

「ああ、あの番組ですね。それなら、

もうすぐ来られるんじゃないですか?

岩城さん、時間に正確な方ですからね。」

「やっぱり、金子さんもそう思う?俺、ちょっと迎えに行ってくる。」

「しょうがないですねぇ。まだ、時間ありますからどうぞ。」

金子が笑いながら、出て行く香藤を見送った。

関係者用の駐車場へ向かった香藤は、角を曲がろうとして、

両足に根が生えたように立ち止まった。

前方から一台の車が向かってくる。

その後ろに座っているのは、間違えようもなく、岩城だった。

運転している男にはまったく見覚えがなく、

香藤はとっさに姿を隠した。

「誰だ、あれ・・・。」

車が止まる音がした。

こっそりと角から顔を出して香藤はそれを見た。

運転席の男が、中で岩城に声をかけて車から降り、

後部のドアを開けた。

「ありがとうございました。助かりました。」

「いえ、とんでもない!これくらいのこと。」

会話が聞こえて、香藤は顔をしかめた。

「また、お会いできたら嬉しいです。

どうぞ、今後もよろしくお願いします。」

「いや、こちらこそ。」

岩城が、にっこりと笑った。

男が、本気でそれに見惚れているのがわかるような顔で、

岩城を見つめていた。

男が名残惜しそうに車に乗り込み、走り去った。それを見送って、

香藤は堪らずに陰から飛び出した。

「岩城さん!」

驚いて振り返り、岩城は走りよってきた香藤に、顔を綻ばせた。

「香藤、よくわかったな。」

「今、見に来てみたんだ。それより、岩城さん!あの男、何?!」

香藤は岩城の腕を掴むと、声を上げた。

「ああ、○○堂の営業マンだよ。」

「は?なんで、その営業マンが岩城さんを送ってくるわけ?!」

「え・・・。」

はた、と気付いて、岩城は口篭った。

「なんか、隠し事してるね、俺に?」

「い、いや、べ、別に。」

香藤は、少し恐い顔で岩城を見つめた。

「嘘つき。」

「嘘・・・って。」

「岩城さん、岩城さんが俺に隠し事が出来ると思う?」

じっと見つめられて、岩城は気まずそうに天を仰いだ。

溜息をつくと、まっすぐに香藤を見つめた。

「わかった、話すから待ってくれ。ここでは無理だ。」

「いいよ。うちへ帰ってからね。」




「・・・は?」

香藤が、ハト豆の顔を岩城に向けた。

「エステ?」

「そうだ。」

後から抱え込まれた格好で、岩城は香藤に促されて、話し始めた。

「そこに、あのCMのローションとか、売ってるんだ。

あの営業マン、田辺さんと言うんだが、そのサロンで会ったんだ。」

香藤はぽかん、として岩城を見つめていた。

「それ、なんで俺に隠してるわけ?」

「それっ・・・て?」

くすり、と香藤は笑った。

「エステ行ってるってこと。隠すようなことじゃないじゃん。」

「いや・・・まぁ、そうなんだが・・・。」

「岩城さん。」

香藤が後から岩城の顔を覗き込んだ。

「俺のためだけど、それを恩着せがましく思われないか、

とでも思ったわけ?」

「・・・。」

岩城が無言でいるのを、香藤は柔らかい微笑で見つめた。

「それとも、ひょっとして、まだ年とか気にしてる?」

口を開きかけて、また閉じる岩城に、

香藤はその抱きしめる腕に力を入れた。

「馬鹿だなァ、そんなこと俺が思うとでも思ってんの?

嬉しいよ、俺?」

「香藤・・・。」

「幾つになったって、岩城さんはきっと綺麗だよ。

それに俺だってさ、エステ行くもん。仕事上、必要なことじゃん?」

「・・・そっか。」

香藤もまた、AV男優だった頃から手入れに行っていた、

と聞かされて岩城は、ほっと息をついた。

「今度さ、岩城さんが行ってるとこへ、連れてってよ。

一緒のほうがいいや。」

「なんでだ?」

小首をかしげた岩城に、香藤は抱きこむ腕に力を入れた。

「同じとこの方が、いいじゃない。」

「う・・・ん。」

「やなの?」

岩城はそう聞かれて、視線を彷徨わせた。

香藤はこつん、と岩城の頭に額を当てた。

「恥ずかしいんだ?」

「そっ・・・うるさい。」

香藤は蕩けそうな笑顔を浮かべて、岩城の頬にキスを落とした。

「岩城さん、メチャクチャ正直になったよね。」

「・・・なんだ、それは?」

「顔に出るようになったってこと。俺には、全部わかるよ。」




「こんにちは。」

サロンのロビーに、明るい声が響いた。

受付係が、ドアを開けて入ってくる二人連れに驚いて、

声をかけるのを忘れて見つめていた。

「いらっしゃいませ、岩城様。」

店長がにこやかに迎えた。

「すみません、我がままを言って。」

岩城がそう言って、後ろを振り返った。

「こいつが、どうしてもって言うので。」

「いえ、いえ、ようこそお越しくださいました、香藤様。」

「よろしくお願いします。」

香藤が店長に、にっこりと微笑んだ。

「凄いねぇ、ここ。」

カウンセリングを受け、コースを決めて香藤は

ロビーで待つ岩城の元へ戻ってきた。

「至れり尽くせりって感じ。

もっと早く岩城さんに聞いとけば良かったなァ。」

「そうか?気に入ったみたいだな。」

「うん。」

にっこりと笑った香藤の顔が、

ガラスの扉の向こうの人影に気付いて、不敵なものに変わった。

「こんにちは。」

入ってきた田辺は、ロビーのソファに座る二人に驚いて立ち止まった。

「こんにちは。」

香藤は不敵な笑みを浮かべたまま、

岩城が田辺に挨拶をするのを横目で見ていた。

「はじめまして。香藤です。」

香藤は立ち上がると、田辺に深々と頭を下げた。

「この度は、うちの岩城がお世話になりました。」

「いえ!とんでもない!こちらこそ、お陰様で。」

岩城は、香藤が口にした言葉に目を瞠って、見上げていた。

「どしたの?」

「い、いや、なんでもない。」

その視線に気付いた香藤が、

首を傾げて聞くと、岩城は慌てて首を振った。

田辺が、並んで座る二人に溜息をついた。

CMのコピーを、岩城が何の抵抗もなくOKしたことを

いぶかしむ声もあったが、実際に二人を目にすると、

その理由がわかる気がした。

岩城の表情が、まるで違っている。

一人の時には、わからなかったこと。

夫・香藤洋二、が事実その通りなのだと、岩城の顔が言っていた。

「お待たせしました。」

田辺が口を開こうとした時、店長がファイルを持って奥から現れ、

香藤の前に座った。次回からのコースの説明をし、

香藤はにっこりと笑って頷いた。

「それでは、ご予約を入れておきます。」

「お願いします。」

香藤が岩城を促して立ち上がった。

華やかな笑顔を浮かべて、サロンを後にする

二人の背を田辺が黙って見送った。

「・・・あ〜あ・・・。」

「あら、田辺さん、どうしたの?」

店長が香藤の名が入ったファイルを棚に差し込みながら聞いた。

「いえ、なんでもないです。」

「はは〜ん・・・。」

店長の意味ありげな顔に、田辺は気付かれたかと、嘆息した。

「入り込めないわよ、やめときなさい。」

「わかってます。」



「嬉しそうだね?岩城さん。」

駐車場で、運転席に座ってシートベルトを締める岩城を見ながら、

香藤が訊ねた。

岩城はキーを差し込みながら首を傾げて笑った。

「ん?そうか?」

「うん。」

岩城はハンドルに手をかけると、

キーを差し込みながら少し、頬を赤くした。

「ま、ちょっとな。」

「なにさ?言えないこと?」

微笑んだまま、岩城は首を振った。

香藤が不服そうに頬を膨らませている。

それを横目で見て岩城は、くすくすと笑い出した。

「お前、わざと言っただろう?」

「何をさ?」

「うちの岩城。」

はは、と香藤が笑い声を上げた。

「ま、釘刺したってとこだね。でも、事実だし。」

「ああ、まぁな。」

「可愛いなァ、岩城さん。それが嬉しかったんだ?」

香藤の満面の笑みに、岩城の頬が染まった。

「帰ったら、ベッドへ行くよ?」

「・・・またか・・・。」

少し呆れ顔で、岩城はキーを回した。

「当り前でしょ?それとも、ここで押し倒されたい?」

「やれ、やれ。」

嬉しげな岩城の溜息が狭い車内に響いた。



「あのさ、あの男には、近寄っちゃだめだからね?」

玄関のドアを開けるなり、香藤が口を開いた。

「は?」

「やっぱ、気付いてないんだ。

あいつの岩城さんを見る目、普通じゃないよ。」

「・・・また始まったな。」

言葉とは裏腹に、岩城の頬が緩んでいる。

「また、じゃないって!岩城さんは鈍感すぎるよ!」

「ど、鈍感だと?失礼なやつだな!」

岩城は抱き寄せられた香藤の腕から出ようと、もがいた。

香藤はそうはさせまいと、一層腕に力をこめて抱きしめた。

「いい加減に気付いてよ。」

「何にだ?」

「あ〜あ・・・。」

不思議そうに聞き返す岩城に、香藤は盛大に嘆息した。

「死ぬまで、こういう気苦労って、続くんだろうなァ・・・。」

「・・・お前でも、気苦労なんてするのか?」

「うわ・・・どっちが失礼?」

香藤の憮然とした顔に、岩城は声を上げて笑った。

「お互い様だな。」

嬉しそうに笑う岩城を、香藤は微笑んで見つめていた。

「あんまり、心配させないでよ。」

「悪かった。」

「悪かったって顔じゃないね。嬉しそうだよ。」

そう言われて、岩城は頬を染めた。

「CMのこと、俺が怒らなかったの、寂しかったんだ?」

「そっ・・・そんなこと・・・。」

「あるんでしょ?」

岩城は気不味そうな顔で、香藤を見返した。

「・・・まぁ、少しは、な。」

「嬉しいよ、岩城さん。でもさ、」

「なんだ?」

「そんなこと言ったら、俺、調子に乗っちゃうよ?」

クスリ、と岩城が笑った。

「乗ればいいだろう。」

ん?、と、岩城は眉を上げて香藤を見返した。

そ?、と、香藤は頷いて両手を差し出した。

その手を掴んだ岩城を引き寄せると、香藤は額にキスを落とした。

「寝かせないから、覚悟しててよ。」

「そんなの、いつものことだろ。」

顔を見合わせて、二人は笑った。

「ほら、ほら、早く!」

二階への階段を、香藤は岩城の後から急き立てるようにして昇った。

「まったく、しょうがない奴だな。」

そう答える岩城の顔は、華が咲いたように綻んでいた。




〜終〜






2006年3月14日
本棚へ BACK