Crazy Little Thing Called Love 14









「事件があったんだって?ラウールに聞いたよ。」

金子が、昼食後、

寛いでいた中庭のカフェにラウールと現れて、

チャーリーの隣に座った。

「ああ、それね。」

説明を聞いて、金子が笑った。

「それは、可哀想だったね。

チャーリー達も、大変だったんじゃないのかい?」

「大変っていうか、マダムって、怒ると怖いんだって、

初めてわかった。」

ラウールがそう答えると、

チャーリーと金子が吹き出した。

その視線の先のテーブルで、

岩城と香藤が、仲良くお茶を飲んでいた。

いつもの、辺り憚らないいちゃつきぶりに、

金子は思わず笑い出した。

「香藤さんの我儘、ずっと許してたんだ。

ほんとは、強い人だからね、岩城さんは。

香藤さんはそれわかってて、泣き虫だのなんだの言うけど。」

「昔から?」

チャーリーが首をかしげ、金子は頷いた。

「岩城さんは、茶道の天才なんだよ。

それを、香藤さんと暮らすために捨てたんだ、実にあっさりとね。」

「ああ・・・。」

チャーリーが、思い出したように頷いた。

「そうなんだ?」

ラウールは目を見開いて金子を見返した。

「ラウールは知らないよね。

彼、日本でも1、2を争う武家茶道の家の生まれなんだよ。

お兄さんが跡を継いで、その補佐をしてたんだ。」

「天才なんだ、マダム?」

「そう。

あの2人、天才は天才を知る、ってので理解しあったんだ、最初。」

「へぇ〜・・・。」

ラウールが、岩城に視線を向けてまじまじと見つめた。

「凄いな、それは。ヨージのために、全部捨てたんだ。」

金子がそれを聞いて、頷いた。

「ああいう姿見ると、香藤さんのために生きてるように、

感じるかもしれないけど。」

「そうじゃないんだな。」

チャーリーが、そう答えて金子がにっこりと笑い、

3人は岩城を振り返った。

「馬鹿、こんな状態でビーチになんて行けるか。」

「なんでさ〜?」

周囲に聞こえないように、岩城は声を潜めた。

「身体中に痕がついてる。

水着なんて着られるわけないだろう?」

「あ。そっか・・・。」

香藤が首を捻って考え込んだ。






「へへへ・・・。」

「変な笑い方をするな。」

岩城の水着姿を、香藤は腕を組んで眺めていた。

均整の取れた、

ホテルのエステでも手入れを怠らない身体に、

申しわけ程度に張り付いた黒いハイレグの水着。

その上に、白いパーカーを着ているのは、香藤の希望だ。

「だってさ〜・・・エロいんだもん、岩城さん。」

「なに言ってんだ。」

「ほら、パーカーのジッパー、上げて。」

「わかった、わかった。」

言われたとおりにしながら、

岩城はブルーの、

トランクスタイプの水着を着た香藤を振り返った。

バイオリニストとは思えないほどの、

逞しい筋肉のついたその身体に、

岩城は少しの間見惚れていた。

「なに?」

「いや、別に。」

「なに、気になるじゃん?」

香藤が岩城に近付き、顔を覗き込んだ。

ほんのりと笑って岩城は香藤を見返した。

「ほら、行くぞ。」






すらりと伸びた足を惜しげもなく曝して、

岩城はホテルからビーチに向かった。

その後姿を、ラウールが目を丸くして見ていた。

「驚いた・・・。」

「どうしたんだ?」

二人の後ろを付いて歩くチャーリーと金子が、ラウールを振り返った。

「すごい・・・なんて言うか・・・。」

ラウールは、言い難そうに言葉を切った。

チャーリーが片方の口角を上げて、肩を竦めた。

「ヨウジも、罪なことをするよな。

フェロモン撒き散らして歩いてるようなもんだ、あのキョウスケは。」

「そうだね。」

金子が同意して笑った。

「世間の迷惑って奴だよ。

すごい綺麗な脚で、驚いた。

はじめて見た、あんな綺麗な男の脚。

間違いなく男性の身体なのに、なんか違う。」

ラウールが感に堪えないと、首を振った。

「雇い主の女房に見惚れるボディガードって、まずいよな。」

チャーリーが面白げにラウールを揶揄すると、

彼は肩をすくめた。

「仕方ないだろ、あれは。

男なんだけど、男の身体じゃないね。

見られる、愛されるための、身体なんだな。」

「それに男が反応しちまうのは、あたりまえだってことだ。」

チャーリーがそう言って、笑った。

「ま、わかるけどね。男を惑わすんだ、キョウスケは。」

「パリに来てから、ますます磨きがかかってるね。」

金子がそう言うと、チャーリーが肩を竦めた。

「もう何年も知ってるけど、

だんだん滴るような色気が出て来て、

見ててハラハラするよ。」






「まったく・・・。」

「ん?なに、岩城さん?」

真っ白い砂のプライベートビーチを、

周囲のそわそわとした視線を浴びながら、

岩城と香藤は歩いていた。

その先を、ホテルの従業員数人が、

デッキチェアーを2つ持って進んでいく。

ビーチの中央にパラソルが立てられ、

チェアーが用意されるのを待ちながら、岩城は笑った。

「どうしてもビーチに来たかったんだな。」

「うん。でもなんで?」

香藤の不思議そうな顔に、

岩城はパーカーを肌蹴て自分の胸を、指でトントン、と叩いた。

「まるっきり、痕をつけなかっただろう、この2、3日。」

香藤が破顔して頷いた。

用意ができたことを告げる従業員の、

赤らんだ顔に苦笑しながら、香藤は岩城を促した。

その全身を眺めて、香藤は肩を竦めた。

「痕ついてないのに、エロいってどういうこと?」

「あのな・・・。」

呆れて岩城は、デッキチェアーに腰を下ろした。

「日焼けするね、岩城さん。」

「ああ、頼む。」

日焼け止めクリームのチューブを香藤に投げて、

岩城はパーカーを脱ぐと、背を椅子にもたせ掛けた。

胸から腰、胃から鳩尾にかけてが、

異様なほど扇情的なラインを描いている。

その身体を曝すように、

横になる岩城の片側の乳首の脇に、消えない痣があった。

それに気づいて、香藤が苦笑した。

「どうした?」

「うん。ごめんね、これ。」

香藤がその痣を指で撫でた。

その仕草に周囲の男たちが、ざわめいた。

「ああ、気にするな。」

その2人に、近付く男がいた。

「見せ付けてくれるね。」

香藤が、ゆっくりと顔を上げて男を見た。

「そういう痕って、男のエゴ丸出しだね。

これ見よがしに、所有権見せびらかしてる。

付けられた方は、それわかってるのかな?」

明らかに嫉妬めいた顔で、男は香藤を見つめていた。

香藤が立ち上がりかけるのを、岩城がその腕を掴んで抑えた。

「それがどうした?」

香藤が口を開くよりも前に、

岩城はゆったりと腕を頭の後に組んで、男を見上げた。

「え?」

男は、岩城の挑むような視線にたじろいだ。

「俺は洋二のものだ。それが一体どうしたんだ?」

デッキチェアーの背もたれに片腕をかけて、

岩城はその手に頬杖をついて男を見上げた。

腰を少し捻り、横たわる岩城からは、

えもいわれぬ色香が漂っていた。

けぶるように目を細めて見返す岩城を、

男はそそけだった顔で見つめた。

香藤でさえ唾を飲み込むようなその顔に、

男は何も言えずにつっ立っていた。

す、と岩城の指がその痕に延びた。

「所有の証に決まっているだろう?

それ以外のどんな意味がある?」

岩城の黒い瞳が、翠色に光ったような気がして、

男はぶるっと身体を震わせると、

その場をすごすごと去っていった。

「・・・おっかないの、岩城さん。」

「どこがだ?」

さも心外だというように、岩城は口を尖らせた。






パラソルの下でクリームを塗ってもらいながら、

岩城は自分の身体を見下ろした。

ふ、と、そのほとんど痕の消えた真っ白い肌を見て、

小さく溜息をつく岩城に、香藤が気づいた。

「どしたの?」

「なんでもない。」

香藤は、その少しばかり沈んだ顔に、

肌に手を滑らせながら顔を寄せた。

「なんでもないって顔じゃないよね。なに?」

「いや・・・」

苦笑しながら岩城は言いよどみ、諦めたように口を開いた。

「なんだか、痕のついてない身体を、久しぶりだと思っただけだ。」

香藤が手の動きを止めて、岩城を見つめた。

「それって・・・」

にへら、と笑う香藤の顔に、岩城は思わず吹き出した。

「この9年間、お前が日本にいないあいだ以外は、

ずっと身体中に痕があったからな。

一緒に暮らすようになってからは、一日も消えたことがない。」

笑顔のまま、岩城は香藤の頬に手を当てた。

「物足りない、どうもそんな感じだな。

お前に抱かれてるのに、痕がないって・・・うわっ」

いきなり抱きしめられて、岩城は驚いて思わず声を上げた。

「なんだ、どうしたんだ?」

「嬉しいよ、岩城さん。」

香藤の手が、優しく岩城の髪を撫でた。

「痕がなくて寂しい?」

「少しな。」

「そっか。」

蕩けそうな顔で、岩城を見つめると、

香藤はその肌にキスを落とした。

「あっ・・・んっ・・・」

岩城の甘い声が上がり、香藤が顔を上げると、

鎖骨の上に、赤い痕がくっきりと残っていた。

ざわ、と周囲がざわめくのを尻目に、

香藤は笑いながら岩城の肌に、クリームを延ばした。

「バカ・・・。」

頬を染めて、岩城は香藤の頭を軽くはたいた。

「何するんだ、まったく。」

「いいじゃない。これで、寂しくないでしょ?」

岩城はその痕に、そっと手を触れると、ふわりと笑った。

その笑顔に、周囲がまたさんざめく。

岩城の脚を取ってクリームを塗り始めながら、

香藤は膝にキスをし、

それがだんだんと上に這い登っていく。

腿の外側を、つつ・・・と、香藤の舌が滑る。

それを、周囲の視線が追いかけた。

「・・・んふ・・・」

岩城が背もたれにくい、

と背中を擦り付けるようにして、息を漏らした。

「やめろ、馬鹿・・・。」

「嘘ばっかり。」

香藤が笑って岩城の股間に目を向けた。

ふっくらと膨らんだそこに、

岩城は慌ててパーカーをかき寄せた。

バサバサと音を立てて、袖を通し、岩城は香藤を睨んだ。

「やめろ、これ以上は駄目だ。」

「ここでは、でしょ?」

香藤はクリームのチューブを放り出すと、立ち上がった。

「ほら、岩城さん。」

そう言って香藤が片手を差し出した。

躊躇したのはほんの僅かで、岩城はその手を掴んだ。

引っ張りあげて、香藤は岩城の額にキスをすると、

肩を引き寄せて両腕に彼を抱き上げた。

「来たばっかりじゃないか、しょうがない奴だな。

ビーチに行きたいって言ってたくせに。」

香藤の首に腕を絡めて、岩城はくすくすと笑った。

「そうだけどさ。俺もそれどころじゃなくなっちゃった。」

白い歯を見せて香藤が笑い、岩城を抱えたまま、

香藤はビーチを横切っていった。

チャーリーとラウールが、

残した荷物を拾い上げ、苦笑しながら後に続いた。

抵抗もせずに、岩城は香藤の肩に頭を乗せて微笑んだ。

その2人を、周囲は呆然として見送っていた。








「おはようございます。」

岩城が、花屋のドアを開けて入ってきた。

藍錆色の、亀甲木立の着物姿の岩城に、マルコが微笑んだ。

「お帰りなさい、マダム。」

「ただいま。」

「どうでした、旅行は?」

「楽しかったよ、とても。」

岩城が、にっこりと笑って頷いた。

「あれ?今日は、ヨージは?」

「もう、練習に出掛けたよ。」

マルコにそう答えて、岩城はガラスケースの中を覗き込んだ。

「今日は、何にしますか?」

「そうだな・・・。」

岩城は、静かなクラシックが流れる店内を、ゆっくりと見回した。

そこへ、顔見知りの店員が、トレイを持って現れた。

「いかが?」

ふわり、と岩城は笑って頷いた。

その顔に見惚れながら、

店員がカウンターの脇に設えられたテーブルに岩城を誘った。

カップを手に、

マルコや店員と話しをする岩城に気づいた客達が、

さわさわと囁きあっていた。

BGMが変わり、バイオリンの音が流れた。

「あ・・・。」

岩城が顔を上げ、耳を済ませて微笑んだ。

「どうしたの?」

「うん、これ、洋二だ。」

「へぇ、なんて曲なんだろう?」

「知らない。」

そう答える岩城に、マルコが思わず吹き出した。

「曲名は知らないけど、わかるんですね?」

「うん、わかるよ。」

「なんで?」

「Bien, parce que c'est mon mari .(だって、うちの旦那だから)」

岩城は、小首をかしげるように、にっこりと笑った。

その言葉に、マルコと店員が笑いながら肩を竦めた。

「確かに、それ以外の理由なんてないね。」

「うん。」

顔見知りの婦人客が、少し微笑んで溜息をついた。

マルコがそれに気づいて促すと、彼女は岩城を見つめた。

「申し訳ない言葉だけど・・・これで子供ができるなら、

最高なのにって思ってしまったのよ。」

マルコや周囲が、岩城を気遣いながら、

ちょっと複雑そうな顔で客を見つめた。

岩城は、くすっと笑うと、周囲に頷きながら、彼女を見つめた。

「洋二は手がかかるし、第一俺が子供の世話にかまけてたら、

やきもち焼いて、拗ねて、駄々こねて大変だよ。

手のかかる子供は、洋二1人で間に合ってる。

だから、産めなくていいと思ってるんだ。」

いっそ晴れやかな顔でそう言う岩城に、

マルコはほっとしながら、言った。

「そんなに、手がかかるんだ?」

「もの凄くね。

外見が華やかだし、明るいからそうは思わないだろうけど、

繊細なんだよ、とても。

だからこそ、バイオリニストとしてやっていけるんだけどね。」

「我儘、なんですね。」

岩城は、微笑むと首を振った。

「我儘だとは思ったことは、一度もないんだ。

それが洋二の仕事だから。

俺は、あいつがいい演奏をする、その為に一緒にいるんだ。」

皆が、ぽかんとして岩城を見つめた。

「・・・参ったな・・・。」

マルコがそう言って、呆れたように腰に手を当てるのを、

岩城が不思議そうに見返した。

「盛大に惚気てくれましたね?」

「え?」

きょとん、とする岩城に、店中が笑いに包まれた。

「呆れた、って言っていいですか?」

「なんで?」

マルコが、大げさに額に手をあてて、天井を仰いだ。

「わかってないんですねぇ。

まったく、さすがマダムというか、なんと言うか。

ヨージは、幸せ者だ。」

まるで気づいていない岩城に、

マルコ達は顔を見合わせくすぐったそうに微笑んだ。




「どうもありがとう。」

「これから、ヨージのところへ行くんでしょう?」

「これを部屋に飾ってからね。」

「幸せ者の旦那によろしく言ってください。」

「ああ、伝えるよ。」

大きな真紅の薔薇の花束を抱えて、

岩城はにっこりと微笑んだ。






    終




    弓




 2006年9月16日
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