The most unlikely Cinderella (2)




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「・・・なあ」

寝返りを打って、俺はベリンダに声をかけた。

「んー?」

夢中で読んでいた本から、妻がゆっくりと顔を上げる。

「・・・ゲイって、わかんないよなー」

「はあ?」

「なんで、男同士で愛とか、セックスとかいう発想になるんだ・・・?」

メガネをはずして、ベリンダが俺を覗き込んだ。

「・・・ディナーのときも、そう言ってたけど。よっぽど、気になるのね」

「うーん」

自分でもわかってるさ、こだわり過ぎだって。

でも、居心地の悪さは本当だ。

嫌悪感っていうより、戸惑いなんだと思う。

だから、困るんだ。

「キョウスケだから?」

宥めるようなベリンダの声に、俺はむっつりと頷いた。

そうだ、キョウスケがいけない。

どう考えても、キョウスケのせいだ。

「だって、俺の友人だったんだぜ・・・?」

―――ワールド・チャンプがゲイだってのは、まだいい。

衝撃だけど、別にそれで、俺が困るわけじゃないしな。

でも、何でよりによって、その相手がキョウスケなんだ?

なんであの二人が、くっつかなくちゃいけないんだ?

「理解不能だ・・・」

俺の呟きに、ベリンダは呆れてため息をついた。

「ハーヴィー、それ、人前では言わないでよ?」

「・・・ああ」

わかってるさ。

差別発言、ってわけだ・・・。






「だいたい、ねえ」

彼女は嘆息して、ベッドランプに腕を伸ばした。

カチリ、と小さな音。

ベッドルームが瞬時に暗転する。

「キョウスケの恋人が誰だろうと、彼は彼よ。

人格が変わるわけじゃないでしょう? 

なんで、友だちだった、って過去形になっちゃうの?」

穏やかな口調だが、ベリンダの指摘は的を得ていた。

「私は、キョウスケ好きよ? 誠実で仕事ができて、ハンサムで」

「おいおい」

俺はドキリとして、暗がりの中でベリンダの表情を探った。

くすりと笑って、彼女が俺の髪に触れた。

「あなたから見ても、キョウスケはいい男でしょう?」

「・・・そりゃ、まあな」

「なら、ヨウジ・カトウにとっても、魅力的であたりまえじゃない?」

「うーん」

そういう理屈なんだろうか。

「・・・でも俺は、惚れてないぞ・・・?」

眉をしかめて、俺は唸った。

「私も、よくわからないけど」

ベリンダは、俺を説得するのが楽しいみたいに笑った。

「誰かが誰かに恋するのに、理屈なんてないって考えたら?」

「・・・男同士でもか?」

「だから」

彼女は今度は、大げさに肩をすくめてみせた。

「ゲイでも、ヘテロでも。恋愛のプロセスは、一緒だと思うけど」

「・・・そんな、もんか?」

俺はふと、電話口のキョウスケの声を思い返した。

どう考えても、ベッドで恋人とじゃれあっているような気配だったが。

確かに彼の声には、恋愛の真っ只中にいる人間の、

浮き立つような喜びが感じられた。

聞いてるほうがくすぐったいくらい、幸せそうで―――。

「・・・そんな、もんかもな・・・」

納得したわけじゃ、なかったが。

ベリンダの言い分には、一理あった。






「ヨウジだって、ねえ?」

呟くように、彼女が言った。

「・・・あんな有名人がカミングアウトして、良いことなんてないでしょうに」

「確かになあ―――」

スポーツの世界で、同性愛は今でもタブーだ。

あからさまに嫌悪され疎外され、

まともなスポーツマンとして扱ってもらえなくなる。

ましてプロなら、ホモだオカマだって噂が立つだけで、

立ち直れないほどのダメージを受けるだろう。

いくらスーパースターのヨウジだって、例外じゃないはずだ。

ファンにもスポンサーにも、見限られて。

絶頂にある今のキャリアそのものを、失う可能性だってある―――。

「・・・勇気、あるよな」

俺は神妙に頷いた。

「それでも公表したんだから、よっぽど本気なのね」

本気、か。

「なるほどな・・・」

男と女なら、結婚しちまえばいいが。

男同士では、そうもいかないから・・・?

あれはチャンプなりの、けじめのつけ方ってわけか・・・?

―――覚悟、なのか。

「・・・そうかもな」

なんだか腑に落ちたら、急に眠くなって、俺は緩慢に答えた。

「寝ようか」

ベリンダの優しい声。

俺は頷いて、あっという間に眠りについた。






◇◆◇◆◇






その翌日。

俺は、チッピング・カムデンにあるヨウジ・カトウの自宅にいた。

建築されて300年は経ってるだろう、古いサッチド・コテージ。

もちろん、コッツウォルズ地方でも、今や貴重な伝統家屋だ。

小ぶりの物件だが、相当値が張るのは一目見てわかった。

文化財として保護が義務づけられてる上に、茅葺(かやぶき)の屋根だ。

この家を維持するのは、莫大な金がかかるだろう―――。

「すごいな、ここは」

リビングに案内されて、俺は思わずため息をついた。

「そうか?」

普段着姿のキョウスケが、穏やかに微笑する。

いつもと変わりない、男らしい美貌・・・だが。

身のこなしにそこはかとない、漠然とした艶を感じたのは気のせいだろうか。

「このソファひとつ、取ったって」

俺は感嘆して、そのアンティーク家具に腰かけた。

周囲の調度品も、落ち着いた雰囲気のいいものが並んでた。

さすが、チャンプの家、ってところか。

「買うのにも金がかかるが、手入れも大変だろう」

「ああ、そうかもな」

俺は何も、してないんだが。

そう言って、キョウスケは無造作にソファにどさりと座り込んだ。






そこに、ヨウジが紅茶を持って現れた。

にっこり笑って、キョウスケの隣りに座る。

機嫌のいいチャンプに、取材するほうは一安心だ。

こういうときは、仕事がはかどるのがわかるから。

いや、まあ、そうなんだけど。

―――なんて言ったら、いいのか。

正直、目のやり場に困るほどだった。

・・・まったく、こんな取材は初めてだ。






まるで見せつけるような、ヨウジの態度。

『こいつは俺のものだ』って、

全身でキョウスケの所有権を主張してる感じだった。

本気で、俺を警戒してるとは思わないんだけど。

でも、周囲を威嚇するような視線。

・・・誰にでも、こんな顔をしてるんだろうか。

ひょっとして、無意識に?

男のエゴ丸出しで、生々しい欲望を隠しもしない。

それは初めて見る、チャンプの顔だった。






とにかくヨウジは、キョウスケに触れていないと気がすまないらしかった。

腰を擦りつけるほど密着して、自然にキョウスケの肩に腕が回る。

何かというと、キョウスケの頬に、髪に、唇に指先が伸びる。

俺の質問に耳を傾けているときだって。

大きな手のひらが、ゆっくりとキョウスケの身体の線をなぞるんだ。

ものすごく官能的な、いやらしい手つきで。

これでもか、と言うくらいの執拗さで。

半分は無意識に、そして半分は、見せつけるために・・・だろうな。

・・・参ったね。

遊び人で、なんでも持ってるヨウジ・カトウ。

だから、誰にも、何にも執着しない。

俺たちジャーナリストは、そう思ってたんだが。

目の前にいる男は、まったくの別人だった。

手に入れた恋人に夢中で、片時も離れていたくないのが、よく分かる。

呆れたね、実際。






当のキョウスケは、というと。

チャンプの激しいスキンシップに、ときどき困ったような微笑こそ見せるが。

まるで嫌がってないのは、一目瞭然だった。

俺の視線を、まったく気にしないわけじゃないらしいが。

それよりも、ヨウジの愛撫に慣れてる―――馴らされてる、感じか。

腰を抱かれて、頬を引き寄せられて。

髪を撫でられて、腿を何度も摩られて。

それを拒むどころか、悦んでいるのがわかった。

きっと、恋人としてつき合うようになってから、今までずっと。

日々こんなふうに、濃密に愛されてるんだろう。

・・・いや、ただ、愛されるだけじゃなく。

チャンプ流の恋愛流儀を、教え込まれてるような雰囲気だったな。

いわば調教―――なのかも、しれない。

ぱっと見た印象は、チャンプの求愛に応えてるだけ、なんだけど。

よく観察してると、それだけじゃないのは明白だった。

―――キョウスケは確かに、ヨウジに惚れてる。

愛され、求められるのが嬉しくて、全身で応えてる。

・・・ホント、やってられないよ。






◇◆◇◆◇






「・・・で、チャンピオン」

メモから顔を上げて、俺は聞いた。

わき目でちらりと、レコーダーが回ってるのを確認する。

「キョウスケと一緒に暮らすようになって、いちばん変わったことは?」

「うーん、そうだねえ」

ちょっと天井を見上げて、ヨウジは唇を尖らせた。

子供のような、考える仕草。

隣りでそれを見ているキョウスケが、蕩けるような笑顔を見せる。

・・・はいはい。

自分の旦那に見惚れてるんだぜ、あのキョウスケが!

俺はひそかに、ため息をかみ殺した。

「まったく、なあ」

「え?」

「いや、こっちの話」

「・・・うーんとねえ」

腕を組んでいたヨウジが、視線を俺に向けた。

「月並みだけど。今までただのハウス(建築物)だったこのうちが、

ホーム(家庭)になったこと・・・かな」

「ああ、なるほど」

俺は頷いた。

結婚して、俺もまずそう思ったもんだ。

「オフでも、俺はけっこう仕事で出かけることが、あるんだけど。

帰って来ると、岩・・・京介が、おかえりって言ってくれるんだ。

こんな嬉しいことってないね。・・・ううん」

ヨウジは楽しそうに、キョウスケの腰を抱き寄せた。

「おい・・・」

「帰ってきて、京介が不在のときもあるけど。

それでもやっぱり、家があったかいんだ。・・・愛する人がいる場所って、

それだけで、幸せなんだね」

ヨウジは盛大にのろけて、キョウスケの額にこつん、と額をつけた。

「結婚って、こういうことなんだって―――」

甘い甘い、ヨウジの言葉。

俺は咳払いして、ちょっと視線をはずした。

「そういうとき、俺の家族ができたんだなあって、実感するよ」

「あのな、香藤」

小声で、キョウスケが混ぜっ返した。

「今までだって、アクセルやブレイクがいただろう」

「あのねえ」

呆れたように、ヨウジが笑った。

「確かにあいつらも、家族だけどさ。意味が違うよ。だいいち、さ・・・」

ヨウジの手がするりと、キョウスケのセーターの下にもぐり込む。

「こういうこと、できないじゃん―――」

「ばか」

キョウスケが苦笑して、身体を捩る。

頬を少し染めたまま、どこかしら嬉々として。

「・・・これがあの、キョウスケか・・・」

ふたりとも30を超えた、いい歳の大人だぜ?

傍若無人にじゃれつく二人に、俺は密かに天を仰いだ。






◇◆◇◆◇






「・・・えっと・・・」

なんとか無事に、取材を終えて。

俺はトイレを借りた後、リビングに戻ろうとしていた。

「ん?」

広々としたダイニングキッチンを通り過ぎようとして。

俺はそこから聞こえる声に、ふと足を止めた。

―――別に、悪気があったわけじゃなくて。

ドアが半ば開いていたから、挨拶をしようと思っただけだ。

「・・・んぅっ・・・か、かと・・・っ」

その途端、聞こえてきた濡れた声に、俺はぎょっとして立ち止まった。

もちろん、キョウスケの声だ。

・・・好奇心には、勝てずに。

俺はそろそろと、ドアの隙間に顔を寄せた。






明るいカントリー風キッチンの、オーヴンの前で。

ヨウジとキョウスケが、抱き合っていた。

オーブンに腰を預けるように立っているキョウスケ。

その彼を抱き寄せて、背中からジーンズの中に手を差し込んでいるヨウジ。

カタカタと、重ねた皿が小さな音を立てていた。

「岩城さん・・・」

ヨウジの声は、欲情に掠れていた。

さっきまで穏やかに取材に応じていたのと、同じ男とは思えないほど。

どうしようもなく、淫靡な声だった。

ぎらつく欲望を隠しもせずに、キョウスケの首筋に舌を這わせていた。

獲物を捕らえた牡の野獣のような―――そんな、生々しさ。

「んん・・・ふっ・・・やっ」

甘い官能に、耐え切れないというように。

キョウスケは小さく悲鳴をあげて、ヨウジに縋りついていた。

瞳は固く、閉じたまま。

黒い髪の毛が、はらはらと揺れる。

「・・・やめっ・・・ハ・・・ヴィーが、戻って・・・」

荒い息をつきながら、俺の名前を出す。

その艶っぽい響きに、俺は思わずドキリとした。

「もう、ちょっとだけ・・・」

そう言いながら、ヨウジの両手がキョウスケの全身を弄っていた。

腰を、尻を、背筋を。

明確な意図を持った指先が、緩急をつけて獲物を辿る。

・・・欲情を煽り立てる、巧みな愛撫。

ヨウジの膝が、キョウスケの太腿をこじ開ける。

「ぁあ・・・っ」

キョウスケは熱い息を漏らしながら、抱かれたままの上肢を仰け反らせた。






俺は瞬きもできずに、その光景を見ていた。

―――いや、本来、覗きの趣味はないんだが。

でも、キョウスケの変化には、愕然とした。

「誰だ、これは・・・?」

端正で男らしい美貌。

仕事のできる、頼もしい同業者。

俺の友人で、ライバルで―――。

「ん・・・んぁっ」

そのキョウスケが官能に乱れて、妖艶な表情を見せていた。

なまめかしい濡れた声。

チャンプの恋人としての、誰も見たことのない素顔。

きっと誰も見てはいけない、プライヴェートのキョウスケ。

・・・震える吐息すら、信じられないほど悩ましげに聞こえる―――。






「・・・めろっ・・・」

低く唸って、キョウスケがヨウジの抱擁から逃げ出した。

ぜえぜえと、肩で息をする。

「調子に乗りすぎだ、おまえ」

濡れた唇をぐい、と手の甲で拭って。

「まだ、来客中だろう」

たしなめる声は、甘く掠れていた。

先週、電話越しに聞いたのは、ちょうどこんな感じだったかもしれない。

「・・・だって岩城さん、色っぽいんだもん」

がっかりしたように、チャンプが呟いた。

指先を伸ばして、キョウスケの乱れた髪をくすぐる。

「・・・だから」

ほうっと深く息を吐いて、キョウスケが苦笑した。

「客を見送る間くらい、我慢しろ」

悄然としたチャンプを宥めるように、そう囁いて。

キョウスケが手早く、服装を整える。

「ほら、行くぞ」

「うん」

俺は慌てて、リビングに戻った。






◇◆◇◆◇






「参ったよなあ・・・」

ハンドルを握りながら、俺は独りごちた。

ロンドンに戻る、道すがら。

ヨウジとキョウスケのインタビューの内容を、脳内で反芻する。

いい記事が書ける、という手ごたえは充分あった。

たぶんチャンプもキョウスケも、その点は心配してないだろう。

少々傲慢な言い方だけど、信頼されてるのは、わかっていた。

「だけど・・・」

問題は、そこじゃなくて。

耳に残るキョウスケの嬌声を思い返しながら、俺はため息をついた。






『俺は、香藤の女だ』

何の衒いもなく、キョウスケはそう言ってのけた。

相当の覚悟がないと口にできないはずだが、

彼はそれを、実にさらりと認めた。

気負いも、捨て身の悲壮感もなく。

しごく当然のように、余裕の微笑さえ浮かべて。






本当のことだから、というのもあるだろうが。

もちろんすべて、ヨウジの社会的イメージを守るためなのだが。

「潔い、よな―――」

ある意味、とても男らしい。

俺はそう思わざるを得なかった。

それは、キョウスケの揺るぎない自信。

チャンプに愛されてるからじゃなくて、あれは、彼自身の矜持だ。

自分の生き方にプライドを持って初めて、ああいう態度が取れるんだと思う。

だから世間の思惑がどうあろうと、堂々と胸を張っていられるんだろう。

「いや・・・」

世間がどう思うかなんて、キョウスケには、どうでもいいことなんだろうな。

恥じることもなく、逆風に怯えることもなく。

ただ泰然と、信じた道を貫いて。

それはきっと、チャンプも同じ―――。






「カッコいいぞ、畜生・・・!」

俺は素直に、そう思った。

―――俺の偏見の中のゲイ像と、それはあまりにもかけ離れていたから。

「・・・やられたよなー」

すっかり、ノックアウトを食らった気分だった。

世間から見たら、チャンプを射止めた垂涎のシンデレラかもしれないが。

キョウスケはやっぱり、大した男だ。

男として毅然と美しく、恋人としては、どこかしら初々しく色っぽい。

ヨウジが惚れるのも、あたりまえだ。

「・・・あれ?」

そこまで考えて、俺ははたと首をかしげた。

「これって、昨夜・・・」

ベリンダが言ってたこと、そのままじゃないか。

「なんだか、なあ」

俺は大きく息をついて、ハンドルを握り直した。






キョウスケ・イワキはいい男だ。

その彼が選んだ人生のパートナーも、とびっきりのいい男だ。

キョウスケとヨウジ。

あの二人が本気で愛し合ってるのは、疑いようがない。

シンデレラは、王子様に見初められて幸福になったが。

キョウスケとヨウジは、お互いがお互いを見つけ出した、そんな感じだろう。

ゲイだとかヘテロだとか、そんな色分けが無意味なくらいの結びつき。

・・・そう思える自分を、俺は誉めてやりたいくらいだった。






The most unlikely Cinderella ―――もっともシンデレラから遠い男。

そんな記事のタイトルが浮かんで、俺はほくそ笑んだ。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



おわり



藤乃めい

2007年1月14日


後半は、なんだかすごく苦労しました・・・(笑)。

楽しんで読んでいただければ、とっても嬉しいです。
お宝部屋へ
BACK