なごり雪





ベッドサイドの灯りの中に、

浮かび上がる、雪のような白い肌。

見おろす俺を、誘う。

その肌が、色を帯びる・・・俺の手で・・・。




・・・まだ、雪は降っているだろうか・・・。







「ねえ、岩城さん、今日、俺のほうが早く終わると思うからさ。」

朝、テーブルにつきながら香藤が、話しかけた。

「先に、車で待ち合わせの場所に行ってるね。」

「お前、別に外でなくたって・・・せっかく今日は

二人とも早く帰れるのに・・・。」

「いいじゃん!たまにはデートしようよ!ねえ、お願い!」

香藤はそう言って、ぱんっと胸の前で両手を合わせた。

その、香藤のお伺いを立てるような顔に、

岩城はふっっと笑って、香藤の手を自分の両手で挟んだ。

「わかったよ。そうだな、たまにはいいか。」

「やった〜っ!岩城さんと久しぶりのデートだ!

なに着て行こうかな?!」

飛び上がって喜ぶ香藤に、岩城が笑いながら釘を刺した。

「嬉しいからって、仕事、疎かにするなよ。」

「もお〜、わかってるよぉ!

いいじゃん、ちょっとくらい浮かれたって。嬉しいんだから!」

軽い膨れ面をして見せる香藤を見つめる岩城の頬にも、

嬉しそうな微笑が浮かんだ。



「ありがとう、金子さん。」

「どうしますか?送りましょうか、香藤さん?」

「いいよ、俺、自分の車で行くから。ありがとう!」

仕事を終え、先に戻ってきた香藤は

クローゼットの扉を全開にして、あれこれと服を物色し始めた。

「どうしようかなぁ、なに着ていこう・・・。」

香藤はクローゼットを前に、決めかねて床に座り込んだ。

「う〜〜ん・・・。」

腕を組み、真剣な眼差しで目の前の大量の服を睨む。

「岩城さん、きっと、スーツだよね・・・今朝、スーツ着てたもんね・・・。」

しばらく首をかしげて思案していた香藤は、

意を決したように一つ頷いて立ち上がった。



「お疲れ様でした、岩城さん。早く、着替えてきてください。」

「すみません、清水さん。変なこと頼んでしまって。」

「とんでもない、構いませんよ。」

「じゃ、すぐ着替えてきますから。」

岩城は、急いで玄関へ駆け込んだ。

「香藤はラフな服なんだろうな・・・。」

そう一人ごちながら、スーツを脱いだ。

「・・・そういえば・・・。」

気がついて、ふと顔が綻んだ。

「せっかく、香藤が誘ってくれたんだ・・・行く店もあいつの好みの店だろうし。」

車で待っていた清水は、現れた岩城を見て驚き、思わず声を上げた。

「まあ、岩城さん、よくお似合いですよ!」

「そうですか?ちょっと、派手じゃないかな。」

「そんなことないですよ。きっと、香藤さん、驚かれますよ。」

照れくさそうに笑ったその顔を、清水は眩しげに見返した。

「ありがとうございました、清水さん。気をつけて帰ってくださいね。」

「ええ、それじゃ、岩城さん、明日朝9時にお迎えに上がりますから。」

車が走り去り、岩城は待ち合わせの場所へ急いだ。



待ち合わせの場所に近付き、

岩城は周囲に視線を走らせて、少し不審げに眉を寄せた。

・・・おかしいな。先に待ってるといったのに・・・

・・・香藤は時間には、きちんとしているから・・・

そう思って顔をめぐらせた岩城は、

同じようにその場で、

待ち合わせをしているのだろう人々の視線に気付いた。

自分に向けられるそれと、左右を眺めているような仕草の、

こちらに背を向けているコート姿の男への。

その髪の色に気付き、まさか、と思ったその姿が振り向いて、

二人はお互いを認めて唖然とした顔を見合わせた。

その二人を、周囲が遠巻きにしてこそこそと囁き交わしている。

「お前、そのスーツとコート・・・。」

「うん、岩城さんが見立ててくれた奴だよ。

岩城さんこそ、そのブルゾンとホワイトデニム・・・。」

「ああ、お前が買ってきてくれた奴だ。」

二人顔を見合わせて、同時に笑った。

「ここまで、気が合うって、俺たち・・・。」

「ああ、本当だな。」

「なんか、嬉しいよ、岩城さん。」

香藤が、そういいながら岩城の肩に腕を回した。

「今更だけど、ほんとに愛し合ってんだね、俺たち。」



「食事は、どこにいくんだ?」

「うん、てんぷら屋さん。」

「天麩羅?お前、この辺の天麩羅屋って・・・。」

「大丈夫。絶対にそう言うと思って、リーズナブルなとこ、探したんだ。」

通りに面したビルの中にあるその天麩羅屋の前に立ち、

岩城はしばし立ち止まった。

「どう?」

香藤が心配そうに顔を覗き込む。

「なかなか、いい雰囲気だな。」

「よかった、気に入ってくれて。」

・・・俺のために、一生懸命、探してくれたんだろうな・・・

岩城は、香藤を振り返って嬉しそうに微笑んだ。

「いらっしゃいませ。どうぞ、コートをこちらに。」

余計なインテリアを一切省いた、

凛とした落ち着いた雰囲気の店内。

白木のカウンターのある、いかにも自分好みの内装に、

岩城の頬に自然と笑みが浮かんだ。

入ってきたラフな姿の岩城に、先客が眉をひそめた。

が、その顔を見て、そして後ろのスーツ姿の男に気付いた客たちの、

寄せられていた眉が一斉に開いた。そして、その口も。

皆がぽかんとして、新客の二人を見つめていたが、

思わず口が開いたのは、香藤も同じだった。

ブルゾンを脱いで女将に手渡した岩城を振り返り、

香藤は呆然としていた。

「い、岩城さん、それ、なに・・・?」

「それ?どれのことだ?」

「いや、だから、それ・・・。」

黒のインナー。ぴったりとしたそれが岩城のボディラインを露にし、

セクシーさを強調していた。

「なんで、そんなの着てんの?」

「なんでって、今頃気付いたのか?

これも、お前が買ってきてくれたんだろうが。」

「そ、それはそうなんだけどさ。」

むっとした顔で見返す岩城に、慌てて手を振り、香藤が笑顔を向けた。

「ち、違うんだよ。カッコいいなって思っただけ。」

「そうか。」

「さ、どうぞ、こちらへ。」

会話の切れ目を待っていたように、

女将が二人をカウンターへ導いた。

椅子に座りながら、岩城がベストの襟元に覗くスカーフが、

いかにも香藤らしい洒脱さのスーツ姿を見上げた。

「お前も、似合ってるぞ。」

「そりゃあ、見立てた人が、いいからね。」

香藤が、そう言って岩城に片目を瞑って見せた。

「馬鹿・・・。」

頬を染めて香藤を見返す岩城に、他の客が見惚れていた。

お茶を口にしながら、香藤は岩城の背を眺め、

視線をそのまま下におろすと溜息をついた。

・・・岩城さん、腰、ヤバすぎ・・・

「お酒は、飲まないからね。」

「ああ、お前、車だろ?」

「岩城さんは、飲んでいいよ。」

そういう香藤に、岩城は首を振って微笑んだ。

「いいよ、俺だけ飲むわけにはいかないさ。」

「遠慮しなくていいのに。」

「遠慮じゃない。酒は家に帰ってからでも、構わないから。」

「そう?」

小さな声で交わされる二人の会話を、

他の客や女将と店の主人が微笑みながら聞いていた。

TVや雑誌で目にし、耳にして、とうに知ってはいた二人の関係。

実際に目の前で見る二人の醸し出す雰囲気や、

その暖かさに誰もが微笑ましさを感じていた。

・・・岩城の色っぽさ、香藤の清々しさも。

その周囲の視線に気付かず、

二人は楽しげに他愛のない会話を交わしながら、

目の前で揚げられるてんぷらに舌鼓を打った。

「どうぞ。これは、山葵の天麩羅です。」

店主がそういいながら二人の前に、供した。

「わさびっ?!」

二人が示し合わせたように、声を上げた。

それを嬉しそうに見返しながら、店主が説明をした。

「ええ。岩手産の山葵です。」

「ひぇ〜、俺、山葵のてんぷらって初めてだ。」

「俺もだよ。」

「岩城さん、これ、食べてみて。」

香藤が、そう声をかけた。振り向いた岩城の前に、

穂先に抹茶塩のついたアスパラガスの天麩羅が差し出されていた。

岩城は何の躊躇もなくそれを銜え、

さくっといい音がして岩城の口にそれが半分齧り取られた。

その何気ない岩城の仕草を喜びながら、

香藤は残りを自分の口に放り込んだ。

途端に、二人の後ろがさざめき、香藤がくすっと笑いを零した。

「どう、岩城さん?」

「ああ、うまいな。」

岩城は、客たちの視線に気付いた風もなく香藤に笑いかけた。

まるで、花のような笑顔で。

客たちの頬を赤く染めさせて、二人は店を出た。



食事を終え、店の前の通りを経て広い通りを歩きはじめた。

「うまかったな。」

「ほんと?よかった、岩城さんが喜んでくれて。」

「ああ、ありがとう、香藤。」

岩城が片手をポケットに入れて、ゆったりと歩く。

香藤の腕がごく自然に肩に回されて、寄り添って歩く二人を、

すれ違う通行人が頬を染め振り返っていく。

歩きながら香藤がコートのポケットに入れたままの右手で、

岩城の右手をそっと掴んだ。

「おい、香藤。」

「いいじゃない。」

「この格好は、変じゃないか?」

岩城の右手が香藤のコートの中に差し入れられたその姿は、

確かに見るものには少し妙な具合に映る。

「今さらでしょ?俺たち、夫婦なの!変じゃないよ。

それにさ、デートなんだから、気にしない。」

「それは、そうだけどな・・・。」

そのまま、他愛のない話を交わしながら歩いた。

時折、ウィンドウを覗き、ディスプレイされた商品を冷やかし、

微笑みあい、今にも唇が触れ合いそうに寄り添うその姿からは、

見る者の頬を熱くさせるほどの暖かさが撒き散らされている。

二人の歩くその先は、通行人が道を譲るように開いていった。

髪が少し伸びた、香藤の姿。

岩城は、それを悟られないように足元から彼の顔まで見上げた。

久しぶりに見る香藤のスーツ姿。

頼もしささえ漂う精悍な美貌。背中に感じる逞しい腕。

耳に心地よい香藤の声。

自分だけが知っているその笑顔に岩城の心が熱くなる。

この男は俺だけのものだと・・・。

香藤もまた、岩城に見惚れていた。

外ではあまり見られないラフな、

自分の選んだ服を着込んだ岩城。

年齢が逆転したかのような、可愛らしさ。

すれ違う男たちの視線が、明らかに岩城に向けられているのを、

香藤は嬉しいような、悔しいような、複雑な心境でやり過ごした。

・・・本人が気付いてないのが、救いだよね・・・そう、思いながら。



大きな交差点に差し掛かった頃、ふと、香藤が空を仰いだ。

「・・・あ、岩城さん、雪だよ!」

「ああ、やっぱり降り出したな。」

「寒くない?」

「いや、まだ大丈夫だ。」

信号で立ち止まった香藤は、コートをいったん脱ぎ、

岩城と自分の肩にそれをかけ直した。

「おい・・・。」

「寒いでしょ?」

「でもな・・・。」

「まったく。岩城さん、気にしすぎだって。」

香藤のコートと腕にくるまれて、岩城が真っ赤な顔をしている。

その二人を、信号待ちの人々が、くすくすと笑って見つめていた。

「・・・ほら、笑われてるだろ・・・。」

岩城が、小さな声で香藤に囁いた。

「いいじゃん。微笑ましいって思ってるんだよ。」

「いや、香藤、やっぱりこれは・・・。」

「岩城さん、風邪引くのと、恥ずかしいの我慢するのと、どっち取るの?」

そう言われて返事に困った岩城に、香藤が微笑んだ。

「少しは、慣れようよ。」

「馬鹿・・・そんなこと・・・。」

「はい、歩く。」

有無を言わさず、香藤がコートの中で岩城の肩を抱いて歩き出した。

久しぶりのデート。

その高揚が少し大胆さを与えたか、

岩城はコートの下で香藤の腰に腕を回して、

その懐に包まれたまま歩いた。

しばらくすると、雪が少し強めに降り始めた。

「ねぇ、岩城さん、そろそろ帰ろうか?」

「・・・そうだな。お前、車だしな。」

「うん。」

「なんなら、俺が運転しようか?」

「このくらいなら、大丈夫。ありがと。」






閑かな朝だった。

ゆっくりと目を開いた香藤は、

岩城を起こさないようにベッドから出ると、

音を立てないようにそろそろとカーテンを開いた。

瞳に、真っ白な世界が飛び込んできた。

「・・・積もったのか・・・。」

眠っているとばかり思っていた岩城の声がした。

「うん、少しね。でも、すぐ融けそうだよ。」

「・・・そうか・・・閑かだから・・・。」

「わかる?」

「・・・ああ・・・なごり雪だな・・・。」

岩城は、カーテンの隙間から差し込む光の中の香藤を、

ベッドの中から眩しげに見あげた。

逞しいみっしりとした筋肉のついた背中。

厚い胸板。

鍛え上げられたその身体をみて、

自分の身体を毛布の中に見下ろした。

けして、貧弱とはいわない、それなりに筋肉のついた身体。

だが、岩城は白い肌に香藤が撒き散らした

紅い花びらの散るその身体に、溜息をついた。

「また余計なこと考えたでしょ?」

香藤が、そういいながら岩城の隣にもぐりこみ、両腕に抱きしめた。

「・・・どうしてわかる?」

「あのねぇ、わかるに決まってるでしょ?

・・・もう・・・気にしないの、わかった?」

「うん・・・香藤、俺・・・夕べ・・・。」

「ああ、うん。岩城さん、気絶しちゃったんだよ。」

香藤のその言葉に、岩城は香藤の胸に真っ赤になった顔を埋めた。

「・・・すまん。」

「いいよ。俺、ちゃんと岩城さんの中でいかせて貰ったから。」

「・・・馬鹿・・・。」

「へへっ・・・凄かったね、夕べの岩城さん。」

「・・・うるさい・・・恥ずかしいから、やめろ。」

香藤の口を塞ごうとする岩城の手をとって、香藤はくすくすと笑った。

「昨日、リラックスできたんだね、デートのお陰で。だから・・・。」

「うるさいって言ってるだろ!」

「俺ね、岩城さんのあの姿を見るたびに、思うんだ。」

叱りつけようとして顔を上げた岩城は、、

開きかけた口を閉ざし、

思いのほか幸せそうな香藤の顔を見つめた。

その岩城を香藤は見返しながら微笑んだ。

「俺だけなんだよね。俺だから、なんだよね。嬉しいよ。」

「お前以外に、誰がいるんだ。」

「うん。わかってる・・・それにしても夕べは、特別すごかったかも・・・。」

恥ずかしそうに顔をしかめ、

再び香藤の口を押さえようとした岩城の腕を押さえ込んで、

香藤はその頬といわず、額といわず顔中にキスの雨を降らせた。

「・・・ば・・・馬鹿・・・。」

「可愛い・・・岩城さん・・。」

「だから・・・同じことを言わせるな。」

「だって仕方ないじゃん。可愛いんだもん。」

香藤が蕩けた顔で岩城を見下ろし、

その顔に岩城の頬がいっそう赤く染まった。

「愛してる、岩城さん。」

「俺もだ、香藤・・・。」

「またデートしようね。」

「ああ。そうだな・・・。」


その日、一日、岩城は気を抜くと、

へたり込みそうになる身体を、騙し騙し仕事をこなした。

休憩の間、控え室で、倒れ込むように椅子に沈み、深く嘆息した。


・・・外でのデートも、考えものだな・・・。




果たして、その後、二人がデートをしたのか、

しなかったのかは、定かではない。


    その2へ


               〜終〜



             2005年3月16日
                 弓


   
本棚へ