Rhapsody in Jade 4








ロンドン、ヒースロー空港の入国ゲートの前で、

香藤は、靴の爪先で床をトントンと叩きながら、

落ち着かなげに前を見つめている。

隣に金子が立ち、それを半分呆れながら眺めていた。

180を超える香藤の後ろに、

香藤よりも10センチは背が高いだろう二人の、

屈強な男がいた。

ダークアイに、ブルネットの髪の男。

どこか笑顔を浮かべているような表情で、

香藤の後ろに控えている。

彼とは対照的な、金髪に蒼い瞳の男。

心持ち沈んだ顔で、白い毛皮のコートを腕にかけている。

香藤は、黒い毛皮のコートのポケットに突っ込んだ手を出して、

時計を見たり、

また、ポケットに手を入れてみたりと、一時もじっとしていない。

いらいらとする彼を、金子がたしなめた。

「大丈夫ですよ、香藤さん。遅れるってアナウンスもないですし、

時間通りに到着しますから。」

「わかってるけどさ、一緒になって初めて、

岩城さんがこっちに来てくれるんだよ?心配なんだよ。」

「心配なのはわかりますけど、

岩城さんは子供じゃないんですから。」

金子が、笑いながら言った。

「そうだけどさ。」

その香藤たちに、撮影用のカメラが向けられていた。

別件で来ていたマスコミにつかまり、

交渉の末、撮影を許可した香藤は、

誰を迎えにきたのか聞かれ、

「待ってればわかるよ。」

とだけ、笑って答えた。

周囲の客たちの中からも、香藤の姿にざわつく声がしていた。




「あ、香藤さん、いらっしゃいましたよ。」

インタビューに答えていて、出口を見ていなかった香藤に、

金子が声をかけた。

「ごめん、インタビューはまた後で!」

香藤は、カメラに向かってそう言うと、

振り返って待ち望んだその姿を探した。

カートに、トランクを一つだけ積んで、岩城が歩いてくる。

香藤の姿を見つけると、岩城はほっとしたように笑った。

「岩城さん!」

その声に、ブルネットの男がすっと動いて、

岩城の押すカートに、手を添えた。

「お運びします。」

「あ、ありがとう。」

「岩城さん!」

「香藤!」

香藤が駆け寄り、両腕に岩城を抱きこんだ。

「うわぁ、岩城さんだ!岩城さんだ!」

「元気そうだな。」

「うん。岩城さん、顔見せて。」

香藤が岩城の頬を両手で挟んで、蕩けるような顔をした。

「か、香藤!ちょっ・・・待てっ・・」

キスをしようとする香藤に、

岩城が慌てて香藤の身体を押し戻した。

「人前で、やめろ!」

「なんでっ?!やっと、会えたのに!」

「恥ずかしいから、やめろって!」

「もう、岩城さんてば!」

金子や、二人の男たちをほったらかす二人の姿を、

カメラがしっかりと映していた。

周囲から、声が聞こえる。

『・・・あれが、ヨウジ・カトウの恋人なんだ。』

『たしか・・・キョウスケ・イワキって言ったな。』

『・・・美人じゃないか・・・。』

インタビュアーも、それをマイクに向かって喋っていた。

その光景に気付いて、岩城が顔をしかめた。

「香藤、なんでカメラがあるんだ?」

「ああ、たまたま、つかまっちゃってさ。

岩城さん、欧米じゃ日本より有名なんだよ。

俺のパートナーだからさ。」

岩城が、額に手をあてて嘆息した。

「岩城さん、お久しぶりです。」

金子がようやく口を挟む隙間を見つけて、声をかけた。

「ああ、金子さん、お久しぶりです。」

「お疲れでしょう?行きましょうか?」

「ええ・・・香藤、」

「うん?」

「・・・彼らは?」

岩城が、後ろに控える二人を見て、不審げに眉をひそめた。

香藤は、ああ、と頷いて二人を振り返った。

岩城のトランクを持っている男が、

ニコニコとして軽く頭を下げた。

「二人は、俺のボディガードをしてくれてるんだよ。

トランクを持ってるのが、チャーリー。

それから、コートを持ってるのが、キース。」

「ああ、そうなのか。」

香藤は、顔中に笑顔を咲かして、

岩城の背に手を添えて二人に頷いた。

「彼が、岩城さんだよ。よろしくね。」

「よろしくお願いします。」

チャーリーが出す手を、岩城は握り返しながら微笑んだ。

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

手を差し出した岩城を、キースは呆然として見ていた。

「?」

小首を傾げる岩城に、

キースは慌てて手を差し出して握った。

「岩城です。よろしくお願いします。」

「いえ、こちらこそ・・・えっと、なんてお呼びすれば・・・?」

キースのその言葉に、香藤は笑った。

「なんだろう?俺は、岩城さんて呼んでるけど、

それ、こっちじゃおかしいしね。」

「なんでもいいさ。」

岩城は笑って頷いた。

「岩城さん、これ着てよ。」

香藤がキースからコートを受け取って岩城に差し出した。

「今日、凄く寒いんだよ。

その薄いコートじゃ、外でたら風邪引いちゃうからさ。

多分、コートは着てくるとは思ったけど、

持って来てよかったよ。」

「・・・お前、これ・・・。」

その、真っ白な毛皮のコートに、

岩城が驚いて香藤を見つめた。

「うん、買っといた。」

「買っといたって、こんな、高いもの・・・。」

「ま、気にしないで。」

岩城が、少し溜息をついて、

香藤の着せ掛けるコートに腕を通した。

「・・・お前なぁ・・・。」

「なに?色違いのペアだよ。いや?」

「嫌とか、そういう問題じゃない。」

「すっごく、似合うよ!」

岩城の溜息を聞きながら、チャーリーが笑顔を向けた。

「お車を、回してきます。」

チャーリーがトランクを持って歩き出した。

その後ろについて歩きながら、

香藤は岩城の肩に腕を回して、引き寄せた。

「ああ、もう、嬉しいよ!ほんとに、岩城さんだ!」

「・・・馬鹿・・・。」




「お前っ・・こんなとこに、泊まってるのか?!」

「へ?なんで?おかしい?」

車が滑り込んだのは、ホテル・クラリッジス。

見るからに由緒あるそのたたずまいと、

豪奢な内装に、岩城が呆然としていた。

「でも、俺がロンドンじゃ、

ずっとここに泊まってるって知ってるじゃない。」

「・・・そ、それはそうだけど・・・

こんなとんでもないところだなんて・・・」

「うん・・・まあ・・・」

岩城が呆れたように、再び額に手をあてた。

「そんな顔しないでよ。」

「・・・まったく・・・。」




「じゃ、お願い、チャーリー。」

エレベータを降りると、

そこはワンフロアを占めるドアだけがあった。

その前まで来て、香藤がカギを渡した。

それを見ていた岩城が、小首をかしげて香藤を振り返った。

「あのね、何かないか、先に入って確認してくれるんだよ。」

「ああ、そうなのか。」

香藤と岩城、それに金子を残し、チャーリーが部屋へ入った。

キースは、彼らに背を向けて廊下に視線を走らせる。

しばらくして、内側からノックの音がしてドアが開いた。

「どうぞ、異常ありません。」




ホテルの部屋に通された岩城は、

部屋中を見回して香藤を振り返った。

「お前な・・・。」

「贅沢?」

「じゃないとでも思うのか?いい加減にしろ。」

「う〜ん・・・。」

しっかり者の岩城には考えられない豪華さ。

リビングのソファに、岩城は腰を下ろして溜息をついた。

「それより、お茶でも飲まない?」

岩城の冷たい視線に、香藤は言いかけた言葉を飲み込んだ。

「・・・ま、いい。喉が渇いたしな。」

「ちょうど、アフタヌーンティーの時間だよ、岩城さん。」

「ああ、そうか。」

「ちょっと、興味ある?」

「そうだな、紅茶と緑茶の違いはあるが。」

チャーリーが、ちょっと眉を上げて岩城を見た。

香藤が、その顔に気付いて代わりに答えた。

「岩城さん、茶道の先生なんだよ。」

「ジャパニーズティーセレモニー?」

「そう。」

香藤が自分のことのように嬉しそうに笑った。




「岩城さん、なんか、聞きたい曲ある?」

お茶が届き、香藤がバイオリンを持ち出してきた。

「そうだな。折角ロンドンにいるからな、エルガーの・・・」

「岩城さんの好きな曲、ね。」

そう言って香藤はバイオリンを構え、

気付いたようにキースに向かって、

肩をすくめて謝った。

「ごめんね、キース。」

「いえ、お気になさらずに。エルガーは好きですから。」

満面の笑みのチャーリーとは対照的な、

ほとんど無表情のまま、

キースは答えた。

岩城が、その香藤の言葉に首を傾げて見返した。

「キースは、スコットランド人なんだよ。

チャーリーは、イングランド人なの。」

香藤の言葉に、岩城は困った顔でキースを見つめた。

「いえ、本当に、気にしないでください。」

キースが岩城に頷き返した。




香藤が引き始めたのは、エルガーの「愛の挨拶」。

作曲したエルガーと、

その年上の妻との関係を髣髴とさせるような、

タイトルどおり、優しさに溢れた曲。

岩城は、聞きながらキースの顔を、

気遣わしげにちらちらと見ていた。

「威風堂々は?」

香藤の言葉に、岩城は少し微笑んだ。

「・・・いいのかな?」

岩城の言葉が、自分を指していることに気づいたキースが、

頭を垂れるように頷いた。




何曲か弾き、香藤がソファに座りお茶を始めた。

金子と、チャーリーとキースが、

その二人を遠巻きしにして座り、眺めている。

「金子さん、彼、本当に美人だね。」

ニコニコと笑ってそういうチャーリーに、

金子は笑いながら頷いた。

「そうでしょう?香藤さん、メロメロですからね。」

「それに、人柄もいいし。」

「ええ、ほんとにそうですよ。」

キースは、じっと岩城を見つめていた。

が、その無表情な顔からは、何も感じられない。

チャーリーが、キースのその視線に気付いて、からかった。

「お前、そういう趣味だっけ?」

「・・・いや・・・。」

「だよな。」

静かなキースの返事に、チャーリーが納得して笑った。

「でも、彼なら俺、かまわないかも。」

「チャーリー、香藤さんに殺されるよ。」

金子が、噴出しながら答えた。




金子や、チャーリー、キースが、二人を残しリビングを出た。

岩城は香藤の肩に頭をもたせ掛けて溜息をついた。

「気にしなくていいよ、ほんとに。」

「・・・香藤?」

驚いて、岩城は香藤を見上げた。

「キースのこと、気にしてたでしょ?」

「ああ。失礼なことをしたんじゃないか?」

「大丈夫。キースはあんまり表情が変わらないから・・彼、

ハイランダーなんだよ。」

「ハイランダー?」

「スコットランド北部出身の人たちのことだよ。

誇り高くて、勇猛果敢。

でも、だからって粗野じゃないんだ。芸術的感性も鋭いよ。

表面は寡黙だけど、内面は熱いものを持ってる。

俺は彼を信頼してるんだ。

キースが傍にいると、凄く安心なんだよ。」

香藤の言葉に、岩城は微笑んだ。

「だから、気にしなくていいよ。初対面の岩城さんには、

わかりにくいと思うけど、キースはほんとに気にしてないから。」

「わかった。」

そう言って頷く岩城を、香藤は抱え込んだ。

「ねぇ、他の男の話をするのは、もうやめようよ。」

「・・・香藤・・・。」

「久しぶりなんだよ、俺たち、会うの。」

「・・・真昼間に・・・」

「なに言ってんの。岩城さんだって、身体、熱いじゃない。」

岩城は、恥ずかしげに微笑んで香藤の首に腕を回した。




「・・・んっ・・・」

クィーンサイズのベッドの上で、

岩城が白いシーツにまみれるようにして、

仰け反っている。

「・・・はぅんっ・・・か・・・香藤ォ・・・」

「岩城さんっ・・・」

その姿に、香藤が煽られ、岩城の腰を抱え込んだ。

「・・・あぁっ・・・はんぅっ・・・」

突き上げる香藤の背に、岩城の両腕が絡みついた。

会えなかった時間を埋めるように、

お互いを貪るように何度も求め合った。

「・・・いいっ・・・香藤っ・・・もっとっ・・・」

二人で暮らした年月は、岩城を変えた。

最初の頃、ベッドの中でさえ羞恥心の塊のようだった岩城が、

香藤を求めて声を上げ、悩ましげに腰を揺らめかす。

その媚態に、今は香藤が煽られている。

「・・・岩城さんっ・・・もう、堪んないよ・・・」

「・・・あはっ・・・いっ・・・んっ・・・」

得ている快感を隠すことなく、香藤に伝える岩城の柔壁。

纏わりついてくるその壁を、香藤は容赦なく抉った。

「・・・はぁあっ・・・いくッ・・・んぁぁっ・・・香藤ォッ・・・」




クラリッジスの、

香藤の使うフロアの中に、金子やチャーリーや、

キースたちの部屋がある。

廊下で隔てられたその部屋から出たキースは、

翌日の打ち合わせのため、

香藤の部屋へ向かった。

表のドアをノックし、中に入る。

声をかけ、返事のないことに首を傾げかけて、

はっ、と目を見開いた。

・・・その耳に、岩城の嬌声が届いた。

「・・・あっ・・・あぅんっ・・・んんぅっ・・・」

絶え間ない、岩城の声。

時折、その声がくぐもる。

明らかに、唇を塞がれて漏れている声だとわかる。

「・・・んっ・・・んふっ・・・あっはっ・・・」

声だけで、

岩城の乱れる様が浮かんできそうなほどの、喘ぎ声。

キースの足が、その場に縫いとめられたように、

動けなくなった。

「・・・香藤ォッ・・・もっとっ・・・いぃっ・・・」

「・・・岩城さんっ・・・綺麗っ、すっごくっ・・・」

切迫した声がして、一際高い悲鳴が聞こえた。

「・・・もうっ・・・んあっぁあっ・・・」

じりじりと、後ろへ下がり、

キースは逃げるように廊下へ走り出た。

じっとりと、汗をかいている自分に気付いて、

キースは天を仰いだ。







「岩城さん、着物、持ってきてたっけ?」

「ああ、あるぞ。」

岩城が、小首をかしげて香藤を見返した。

「パーティーがあるんだよ。岩城さん、着物着てよ。」

「パーティー、ねぇ・・・。」

少し、いやそうな顔をする岩城に、

香藤は申し訳なさそうに

その肩に手を置いた。

「・・・ごめん、どうしても行かなきゃいけないからさ。

それに、パートナーが必要なんだよ。

それが、当り前なんだ、こっちのパーティーって。」

「いいのか、男で?」

「なに言ってんの?!

俺のパートナーって、岩城さんじゃん!」

ストレートな香藤の言葉に、岩城の頬が染まった。

その顔に、チャーリーが思わず口笛を吹きかけた。

「失礼。」

「いいよ、チャーリー。可愛いでしょ?」

香藤が笑いながら、岩城の髪を撫でた。

「ほんとに!ヨウジが惚れるのも、無理はないな。

俺も、惚れちゃいそうだよ!」

「あっはっは!ダメだよォ〜!」

「わかってるよ!」

笑いながら言い合う二人を尻目に、

岩城は顔をしかめていた。

その岩城を、キースがじっと見つめる。

視線を感じて顔を巡らせたときには、

キースは別の方を向いていた。






パーティー会場で、

岩城は音楽関係者たちに取り囲まれた。

日頃、香藤が当たり憚らず惚気たために、

彼らの岩城への好奇心を

膨れ上がらせていた。

「ああ、もう!俺の岩城さんなんだから!」

「けちなこと、言うなよ!

お前、散々、俺たちに吹き込んどいて!」

「だってさ!」

香藤が半ば岩城を抱きかかえながら、

周りとやいのやいのと、騒いでいる。

「ちょっとくらい、話したっていいだろ?!」

「・・・香藤。」

岩城が堪りかねて、香藤の腕の中で身じろいだ。

「なに?!」

「・・・いい加減、抱きつくのはやめろ。」

「だって・・・!」

香藤が心配するのも、無理はなかった。

三つ紋の 鮮やかな菖蒲色のお召に、白の半襟。

白い羽織紐のついた薄色の羽織。

銀鼠の角帯を十文字に結び、白足袋に、

お召しと同じ菖蒲色の鼻緒の雪駄。

恐ろしいほどに、色気のあるその岩城の立ち姿。

写真でしか彼を見たことがなかった、香藤の仕事仲間たち。

本人を目の前にして、喉を鳴らすものが数知れず。

「心配だもん!

こいつら、美人となると、すぐちょっかい出すから!」

「・・・あのなぁ・・・」

呆れて、岩城が溜息をついた。

その二人の後ろから、くすくすと笑う声がした。

「サイモン?!来てたの?!」

「ああ、まあね。」

「はじめまして。」

香藤が一番信頼している、指揮者、サイモンが

にこやかに岩城に手を差し出した。

「あなたのことは、ヨウジから、よく聞かされてるよ。」

両手で、岩城の手を握りながら、サイモンは笑っていた。

「・・・あ、はじめまして。

こいつ、何を言ってるんですか?」

「色んなことをね。

どんなに、綺麗で、可愛くて、色っぽいかって。」

「・・・あ・・はは・・・」

岩城が苦笑いをしながら、サイモンの手を握り返した。

「申し訳ありません。」

「いいやぁ。でも、ちっとも大げさじゃなかったね。

本人は、話よりもっと凄い。」

「でしょ?!」

岩城を両腕に抱えたまま、香藤はサイモンに笑顔を向けた。

「ああ、だから、皆が大騒ぎするんだよ。」

「そんなこと、言ったってさ。」

香藤が口を尖らせた。

「ヨウジ、いい加減彼から、離れろよ!」

「やだね!」

周囲の抗議の声を無視して、

香藤は岩城をますます腕に抱きこんだ。

その腕を引き剥がすように、仲間が香藤の腕に手をかける。

岩城は、困り果てて、苦笑を浮かべるばかりだった。

じゃれ合うようなその騒ぎを、

壁際でキースが沈んだ顔で見つめていた。




「ごめん、岩城さん、先に帰っててくれる?」

「どうした?」

香藤が、顔をしかめて岩城に囁いた。

「うん。次の打ち合わせ。サイモンと。」

「ああ、そうか。」

「キースに送ってくれるように、言ったから。」

「わかった。」

岩城は、微笑んで頷いた。

「30分くらいで、終わるからさ。」




「ありがとう、キース。」

「・・・いいえ・・・。」

ドアを後ろにして、キースが答えた。

リビングへ向う岩城を、キースは後からゆっくりと追った。

「・・・何か、お飲みになりますか?」

「いや、いいよ。」

岩城が前髪をかきあげ、

ふぅーっと、息を吐気ながらソファに座った。

その岩城を、キースはじっと見つめていた。

「ちょっと、飲みすぎたかな・・・。」

頬がほんのりと上気した岩城。

呟くようなその言葉に、キースが黙って、サイドテーブルから、

ミネラルウォーターをついで差し出した。

それを受け取ろうと、手を伸ばした岩城の腕を、

キースが掴んだ。

「キース?!」

ぐい、と引き寄せられて、

岩城はキースの腕の中へ、転がり込んだ。

グラスが床に落ち、水がはじけ飛ぶ。

「な・・・何をする?!」

「・・・黙って・・・。」

「やめろ!キース!」

逃れようと暴れる岩城ともみ合いになった。

その腕からようやく逃れ、

ソファから立ち上がる岩城の袖を、キースが掴んだ。

ビリビリッと、絹の裂ける音がして、

片袖が羽織もろとも肩口から裂ける。

岩城の腕を捕らえ、押さえつけ、キースは袷に手をかけた。

岩城の、恐怖に喘ぐ息がキースにかかった。

日頃の無表情な瞳からは、信じがたい、

キースの欲の浮かんだ顔。

顔を引き攣らせて、岩城が叫んだ。

「やめろ!いやだっ!・・・香藤っ!・・・香藤っ!!・・・」

ぴぃぃ・・・と、絹の裂ける音がして、

菖蒲色のお召が、帯まで裂けた。

露わになった岩城の胸。

真っ白い肌。

そこに、香藤が咲かせた紅い痕が転々と散らばる。

それを見たキースの顔が、歪んだ。

岩城の両腕をソファに縫いとめて、

キースがその胸に吸い付いた。

「いやだ!やめろ!」

その気持ち悪さに、岩城が身体を捩った。

必死で抵抗する身体の下で、帯が緩む。

香藤以外の男に触れられる。

それは、想像以上に吐き気を催すものだった。

「さわるな!やめてくれ!」

岩城の叫び声に重なるように、突然、

ドンッ!

と、何かがドアにあたる音がした。

・・・ドンッ!・・・ドンッ!

と、立て続けにドアが鳴り、キースが凍りついたように、

その瞳が見開かれドアに釘付けになった。

「岩城さんっ?!」

「香藤っ!」

ドアを叩く音がして、再び、ドンッ!と、ドアがゆらいだ。

「岩城さんっ?!無事なの?!」

「・・・まっ・・まさか?!」

岩城が、キースの腕から逃れ、そう叫んでドアに駆け寄った。

「やめろ、香藤!怪我をしたらどうする?!」

「そんな場合じゃないでしょっ?!」

「待て!今、開けるから!」

震える手で、ドアチェーンを外し、鍵を開けた。

バンッ、とドアが内側に開き、岩城は慌てて飛びのいた。

そこに、肩で荒い息をつく香藤がいた。

眉を寄せ、岩城を見つめる。

その香藤の目に映っていたのは、

羽織から襦袢まで袖を引き裂かれ、

帯が外れ、裂けたお召しの前がはだけ、

肌を晒した姿の、岩城だった。

「岩城さんっ!」

香藤が、岩城を両腕に抱え込んだ。

「ごめんっ!」

「・・・俺は、大丈夫だから・・・。」

「一人で帰すんじゃなかった・・・。」

「お前のせいじゃない。」

香藤を抱き返しながら、

岩城はその身体がぶるぶると震えているのに気付いた。

ゆっくりと背中をなで、肩や腕に撫でる手を滑らせた。

「・・・無茶をする・・・。」

呟くように言う、岩城の声に香藤が激昂した。

「当り前でしょ?!

岩城さんの悲鳴が聞こえて、ドアが閉まってて!」

「肩や、腕や、指を怪我したらどうする気だ?」

「そんなもの!」

キースは、じっと立ち尽くしたまま二人の会話を聞いていた。

こんな状況で、香藤の体のことしか考えていない、岩城。

自分の体のこと、

ひいては自分の未来を失くすことも厭わない、香藤。

数年来、

ボディガードとして香藤を身近に見てきたキースにとって、

その姿は信じがたいものだった。

『・・・あの才能を、失ってもいいって言うのか・・・。』

呆然とするキースを、香藤はようやく見つめた。

「・・・キース・・・。」

呼びかけられて、彼は、はっと我に返った。

口を開きかけ、黙って頭を下げ、部屋を出て行った。

その背を、チャーリーと金子が顔をしかめて見送った。






「キースから、辞表です。」

金子が、静かに告げた。

その言葉に、香藤は俯いたまま答えた。

「・・・うん。」

「すまない・・・。」

「どうして?!なんで岩城さんが、謝るの?!」

「・・・だって・・・」

岩城が、申し訳なさそうに眉を寄せる。

自分のせいで、キースは、と。

「違うよ、それは。」

香藤は、岩城を抱き寄せ、背中を撫でた。

「でも・・信頼してたんだろう?」

「だから、それとこれとは、違うって。」

「香藤・・・。」

「いくら信頼してたとしても、

岩城さんに手を出す奴は、例え誰であろうと、

俺は許さない。」

香藤はそう言って、

まだ何かを言おうとする岩城の唇をキスで塞いだ。

金子が、慌てて顔を伏せた。

「・・・んふっ・・・」

岩城の唇の隙間から、熱い声が漏れた。

「・・・いい?

岩城さんが気にすることなんて、何もないから。」

「・・・わかった・・・。」




「あ〜あ、もう、ここには泊まれないね。」

蝶番が、半分壊れて外れたドア。

その修理をしているのを、

横目で見ながら、香藤が溜息をついた。

チャーリーが、その後ろで苦笑している。

「・・・どこに、泊まります?」

「そうだなぁ・・・あ!サヴォイは?!」

「ばかっ!」

岩城が、香藤の頭を叩いた。

「いてっ!でもさぁ!」

2人の、言い合いを、

金子と、チャーリーが笑いながら見ていた。

「相変わらず、だね。」

「チャーリー、もう、慣れたでしょ?」

「まぁね。」

「なに、それ?!慣れたって?!」

香藤が聞き返したのを、金子とチャーリーが爆笑した。

文句を言おうとした香藤を、岩城が引き止めた。

「香藤、やめろ。」

「だってさ!」

「仕方ないだろ、言われても。」

「なんでさ?」

「言われたくなかったら、人前で、べたべたするな。」

「それは、無理・・・。」






ロンドン、ロイヤルアルバートホールのバックステージ。

リサイタルがもうすぐ始まる。

椅子に座る岩城の胸に、

床に膝をついて燕尾服姿の香藤が抱きついている。

かすかに、香藤の体が震え、

その彼を、岩城は黙って抱きしめていた。

無言で示される二人の想い。

張り詰めた緊張感の中で、

皆、ただ黙ってその二人を見つめていた。

「・・・ヨウジ・・・。」

スタッフが声をかける。

それに、頷いて香藤は岩城を見上げた。

黙って、岩城は微笑み、頷き返す。

二人、椅子から立ち上がり、香藤はバイオリンを抱えた。

岩城が、香藤の頬を両手で挟んで、そっと、キスをした。

「ありがと、岩城さん・・じゃ、行ってくる。」

「ああ。」

ステージに歩き出した香藤を、観客の歓声が包んだ。

それを、岩城は嬉しそうに袖から見つめた。




香藤が、バイオリンを構え右手を上げる。

目の端で、岩城の姿を捕らえた。

『・・・見ててね。』

かすかに、微笑を浮かべて、香藤は弓を弦に当てた。








        〜終〜




       2005年7月1日
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