三人吉三巴白浪2





芝居は初日を迎え、岩城のお嬢吉三は

万雷の拍手でもって迎えられた。

その出来栄えは辛口で馴らした評論家をして、

「これぞ、お嬢吉三!」と言わしめた。



「凄いなあ、岩城さん。」

香藤が、仕事に向かう車の中で新聞を広げ目を通していた。



「・・・大川端の台詞。八百屋お七の拵えのどこから

どう見ても女にしか見えない姿で、

裾の乱れなど意に介さず、

すっぱりと杭に足を上げるその姿は

見惚れるばかりである。・・・

・・・大詰めの岩城の完璧な美しさは

筆舌に尽くしがたい。

あるだけの美辞麗句を並べても陳腐になりそうである。

離れ離れになった愛しいお坊吉三と

ようやく巡り逢えたうれしさ、

恩人である和尚吉三を救おうという凛とした決意の顔、

そして追っ手に捕らえられそうになり

縄から逃れようとする苦悶の表情。

紅い振袖で必死に立ち向かい

追っ手と戦う姿が艶かしい。

黙阿弥の意図したお嬢吉三の魅力というのは、

男であることをばらしても本当に男なのかと、

疑いたくなるような色香と妖艶さであり、

男だと分かっていながらなお、

引きずり込まれてしまいそうな魅惑と魔性である。

そうすることで半男半女物としての倒錯的な味が出る。

本来、正面を切って台詞を言うそのこと自体が

女形にはあるまじきことであり、

だからこそ真女形が演じる意味があり、

あの長台詞が見る物にとってのカタルシスになるのである。

今回の岩城京介のお嬢吉三は、

それを見事に具現化したものといえる。

歌舞伎の家に生まれていない岩城の中に、天性を見る。

これはある意味、歌舞伎の家に生まれた役者たちに対する

警告にも等しい。・・・」



「なんか・・・俺、置いてかれてるみたいな気がする・・・。」

そう言って、香藤は溜息をつく。

それを金子が、少し心配そうな顔で聞いていた。







「お帰り、香藤。」

帰ってきた香藤を岩城が出迎えた。

「ただいま、岩城さん。」

「お前、夕食まだだろ。」

「うん。岩城さんが作ってくれたの?」

「ああ。大したものじゃないけどな。」

香藤は、笑顔で答えてテーブルに皿を並べ

キッチンへ引き返した岩城を追いかけて、

後ろから抱きしめた。

「どうした?」

「ううん。ちょっとこうしてていい?」

「ああ。」

「ねえ、明日は一日居られるの?」

「いや、昼過ぎに出かける。」

「どこへ?!」

「劇場の近くの小料理屋で、飲み会だ。昼飯をかねて。」

「だれと?!」

驚いた香藤は岩城の肩を掴んで

自分のほうに体を向けさせた。

「座のみんなと、だ。」

「へえっ、なんで?」

「中日(なかび)に、息抜きと後半の引き締めのために

やるんだそうだ。」

「ええ〜っ・・・やだなあ・・・

久しぶりに二人だけでゆっくりしたかったのに・・・。」

「お前、明日は?」

「夕方、一本だけ。」

「そうか、すまん。」

申し訳なさそうに、

眉を寄せる岩城に香藤は慌てて首を振った。

「あ、俺の方こそ、ごめん。」

「早く食べろ。冷めちゃうぞ。」

「うん。」

夕食後、後片付けをしながら、

岩城は香藤の視線を全身に感じていた。

熱い、絡みつくような視線。

芝居が開けてから、香藤は岩城の体を慮って

控えてくれていた。

でも、渇望しているのは香藤だけではなく、

その視線を受けながら、

岩城は胸の鼓動を抑えきれずにいた。

濡れた手を拭き、岩城はテーブルにいる

香藤の後ろをすり抜けドアを開けた。

開け放したドアから出て行く寸前、岩城は小さな声で囁いた。

「・・・こいよ。」



「・・・いいの?」

後を追いかけてきた香藤が、

ベッドに岩城をそっと抱き下ろして気遣わしげな顔をした。

「ああ。」

香藤が肌を弄るだけで、岩城の息が上ってくる。

「すまない、香藤。」

「え?」

顔を上げて覗き込んできた香藤の頬を

岩城は両手で挟みこんだ。

「気を遣わせて・・・。」

「いいよ、そんなこと。」

「ありがとう・・・。」

岩城は挟んだ香藤の頬を引き寄せ自ら唇を開いた。

一頻り香藤の口内を貪ると熱い息を吐いた。

「なんか、今日の岩城さんって・・・」

「馬鹿・・・俺だって、我慢してるんだ。」

「欲しい?」

目尻を下げて、わざと聞いてくる香藤を横目で睨んで

岩城は起き上がり、服を脱ぎ捨て、

陶然としてその岩城を見つめる香藤の視線を避けるように、

擦寄りその胸に顔を埋めた。

「ねえ、岩城さん。言って・・・?」

「・・・お前が欲しい・・・。」

蕩けそうに緩んだ香藤の顔に、ぷっと岩城が吹き出した。

「笑わないでよ。」

「悪かった・・・早く、こい・・・。」



「・・・あぁ・・・香藤・・・」

ほぼ、半月ぶりの、抱擁。

岩城の体は一緒に暮らした年月の間に、

香藤によって熟れ軽く肌に指を滑らせるだけで

香藤を欲し熱く火照る。

体をくねらせ擦り付けてくる岩城を、

香藤は優しい眼差しで見下ろしていた。

「・・・かと・・・」

潤んだ瞳で見上げる岩城の唇に、

ゆっくりと口付け舌を絡ませる。

「・・・あ・・・んん・・・」

熱い息を漏らし、それを受ける岩城の

知り尽くした肌に指を這わせ、

彼の感じる場所に愛撫を繰り返した。

「・・・あっ・・・あぁ・・・」

思わず、唇を離し仰け反る岩城を愛おしげに抱き、

半月の間を埋めるようにその全身に唇と指を這わせた。

岩城が瞳を開けるたびに、部屋の違う場所が目に写る。

自分が今、どの方向を向いているのか、

岩城の意識にはなかった。

香藤の手が岩城の腰を引き上げ、

四つん這いになった彼の双丘を押し広げ

その陰に舌を這わせた。

ゆっくりと、彼の蕾へ舌が届く。

「・・・んんっ・・・んっ・・・あはっ・・・」

その愛撫に、蕾から潤いが溢れ腿を伝った。

枕を抱き顔を真っ赤に染めて、

岩城が首を振り身を攀じる。

「・・・あっ・・・あんっ・・・んんっ・・・」

内腿を伝う雫を残らず舐め取り、

潜り込ませていた指を引き抜くと、

体を起こし香藤は自身を彼の蕾に沈めた。

「・・・ああっ・・・!」

岩城が、シーツを握り締め仰け反った。

久しぶりに香藤を受け入れた肉壁が

彼をより取り込もうと香藤に纏わりつき、蠢いた。

岩城の蕾が香藤が出入りする淫らな濡れた音を立てる。

それは恥ずかしさよりも岩城の欲情を煽った。

「・・・あっ・・んぅっ・・・かと・・・」

香藤は手を前に伸ばし、岩城の茎を捉えた。

「・・・ひっ・・・」

熱くそそり立つ茎は既に先走りを滲ませていた。

突き上げられ前を揉みしだかれ襲ってくる強烈な快感に、

岩城は腰を揺すり身悶えた。

緩んだ口元から唾液が溢れ、

顎を伝い抱え込んだ枕に落ちる。

「・・・あぁあっ・・・」

香藤の手の中で、岩城が強かに弾けた。

その快感が彼の体の奥を余計に燃えさせ、

岩城の意識が一点に集中する。

「・・・もっと・・・きて・・・」

香藤はふっと笑うと岩城の腰を両手で抱え、動き始めた。

「・・・ああっあっ・・・あっはぅっ・・・」

知り尽くした岩城のその肉壁を縦横に攻める。

時に、強く、時に、優しく。

まるでその度に違う声を上げる岩城を、楽しむように。

香藤が彼の中のその場所を突き上げてこないことに、

岩城が首をねじり香藤を振り返った。

「・・・ねえ・・・か・・と・・・ねぇ・・・」

焦れて切なげな顔で声を上げる岩城を、

香藤は優しげに見つめた。

いつの間にか岩城が無意識に口走るようになった、

その口調。

以前、岩城に話したら真っ赤になってそっぽを向いた。

「俺をそんな風にしたのはお前だろ?!」

そう言ってすねて怒った真っ赤な顔を香藤は思い出し、

顔をほころばせた。

「・・・可愛いよ、岩城さん・・・。」

「・・・はや・・くっ・・・」

香藤は自身を引き抜くと岩城を上向かせ、

両膝を掴んで大きく開かせた。

岩城は、荒い息遣いで肩を上下させ彼を見上げていた。

全身が汗ばみ、黒髪を張り付かせた上気した顔。濡れた唇。

頬を伝う唾液の跡。欲情し、熱を帯び潤んだ瞳。

さっきまで香藤を咥えこみ、

今、彼を求め雫を溢れさせ蠢く蕾。

これ以上ないくらいに淫らなその姿を、

香藤は感嘆の思いで見つめていた。

「・・・綺麗だ・・・」

岩城が、取らされているその姿勢の恥ずかしさに

耐え切れなくなって、顔を背けた。

「・・・言ってよ・・・」

岩城は熱い息を吐いて、香藤の切ない顔を見返した。

「・・・はやく・・・いれて・・・」

満足げに微笑むと、

香藤は再びゆっくりと彼の中へ自身を埋めた。

跳ね上がる岩城の腰を抱えて押さえ込み、

香藤は存分に貫いた。

「・・・ああっ・・・あぅんっ・・ううっ・・・」

絶え間ない香藤の動きに、四肢を彼に絡め、

それを受ける岩城のリズムが合ってくる。

それでも香藤はまだ彼に、それを与えようとしなかった。

岩城の目尻にぷつりと涙が滲んだ。

「・・・あっぁっあんっ・・ああっんっあっ・・・」

岩城が彼の背に爪を立てて、

堪えられずに掠れた声を振り絞るように、訴えた。

「・・・ね・・ぇ・・・・」

「欲しい?」

顔を上げて自分を覗き込んだ香藤に、

岩城は言葉を発することも出来ず夢中で頷いた。

「うふふ・・・。」

香藤が両手を双丘に掛け腰を落とし、

強く岩城の核心を突き上げた。

「・・・ひ・・ぃっ・・・!・・・」

その感じる場所を今度は繰り返し責め続けられ、

岩城は香藤の腕の中でのた打ち回った。

香藤が、岩城の口元に唾液が溢れてくるたびに、

頬に舌を這わせ唇を貪っていた。

「・・・も・・やめ・・・」

言葉とは裏腹に、岩城は腰を揺すり香藤に擦り付けてくる。

「・・・ひっ・・・はぅっ・・・ひぃ・・・」

岩城の顔が青ざめ、

上げる声がくぐもった掠れた声に変わっていく。

半開きのまま声を上げる岩城の唇に口付けをすると

香藤は彼の腰を抱えなおし、その場所を自身で深く抉った。

「・・・ぐっ・・・」

途端に岩城の喉が鳴り、

声を上げることも出来ず縋りついて仰け反る彼を、

香藤は容赦なくえぐり続けた。

「・・・う・・・うぅっ・・・んぅっ・・・」

息も出来なくらいに繰り返し襲ってくる強い波に、

岩城はきつく眉を寄せ顔を背けるようにして耐えていた。

涙が溢れ、目尻を伝う。

朦朧としたまま突き上げられるその唇の隙間から

苦しそうに吐く熱い息の合間に、啜り泣きが混じり始めた。

香藤が自分の限界を感じて、岩城を開放するべく力を込めた。

「・・・岩城さん!・・・も・・・最高!・・・」

「・・・んぅっ・・・くっ・・・!・・・」

脳が焼き切れるような衝撃が岩城の体を貫き、

その瞬間、彼の体が弓なりに反り返り硬直した。

体の間で擦られ、岩城の茎がたぎりそのまま果てて

下腹部を濡らし、香藤も岩城の肉壁に締め付けられ、

彼の中で果てた。

小刻みに痙攣していた岩城の体から徐々に力が抜け、

シーツの上に長々と伸びる。

香藤がその体を抱いて重なったまま

岩城を嬉しげに微笑んで、見つめた。

「ねェ、岩城さん。ひょっとして・・・達しちゃった?」

「・・・ああ・・・。」

荒い息をついていた岩城が恥ずかし気に顔を背けている。

うはっと、笑って香藤は岩城を抱きしめた。

「俺、すっごい嬉しい。久しぶりだったもんね。

とんでもなく乱れちゃって、俺、止まんなかったもん。」

「・・・馬鹿・・・。」

岩城の中から出て行こうとした香藤の腰を、

岩城が両腿で挟み込んだ。

「岩城さん?!」

「・・いい・・このままで・・」

「でもさ、このままじゃあ俺、また・・・。」

「いいんだ。俺がこうしていたいんだから・・・。」

岩城がそう囁いて香藤を見つめた。

その見つめ返してくる濡れた瞳に、

岩城の中にいる香藤が見事に反応する。

「くすっ・・・。」

「笑わないでってば!だから言ったじゃん・・・。」

最後の方は小さな呟きになって消える香藤の声に、

荒い息のまま岩城は吹き出し少し咽せた。

「大丈夫、岩城さん?」

「ああ。・・・お前、新聞読んで落ち込んでたろう。」

「へっ?」

「金子さんから、電話があった。」

「ええ〜っ!」

「そういうな。心配してくれてるんだ、感謝しないとな。」

「うん。・・・俺、そんなに落ち込んでるように見えたのかなあ。」

「俺に、置いていかれてるって?」

「あ・・う〜ん・・・ちょっとね。」

岩城は、そう言って肩に顔を埋めた

香藤の背中を撫でながら、間近にある彼の項に唇を当てた。

「・・・俺は、お前に相応しくなりたいと思ってるんだがな。」

「岩城さん?!」

「お前、いい役者になった。男としても。

だから、俺も頑張らないと。」

「う・・・。」

驚いて自分を上から見つめていた香藤の瞳から涙が零れ、

岩城の頬に落ちた。

「泣くな。」

「・・・うん。」

岩城は香藤の頬を指で拭って微笑んだ。

「泣いてる暇があったら、俺を啼かせてみたらどうだ。」

「うわっ・・それっ・・凄い殺し文句・・・どしちゃったの?」

「言ったろ。俺だっていつもは我慢してるんだ。」

さっき泣いた事が嘘のように

香藤は岩城の腰を抱え直しながら、顔中に笑顔を咲かせた。

「朝まで、いい?」

「嫌だって言ってもやるんだろ?」

「うん!愛してる、岩城さん。」

「ああ、俺もだ。」





劇場近くの小料理屋。

宴が進み幸之助と久堂が岩城を挟んで座っている。

「岩城さん、どうぞ。」

「ああ、すみません。」

幸之助が岩城に酌をしながら話を続ける。

「参っちゃった、岩城さん。俺、幹部から言われてるんだ。」

「何を?」

「ほら、あの劇評のせいでね・・・何とか岩城さんを

説得できないかって。」

「え?」

久堂が、横合いから口を挟む。

「うちらの大叔父さん知ってるでしょ?

子供がいなくて・・岩城さんを養子にしたいって。」

「ええっ?!そんな・・・。」

「そりゃあね、あんなお嬢見せられちゃあ、無理もないって。」

幸之助が楽しそうに笑った。

「女形たち、嫉妬してるもんね。

お嬢って難しいもの。それを難なくやってのけちゃって。」

「いや、俺は・・・。」

幸之助が、困って身をすくませる岩城を

頬を染めて見つめていた。

「でも、反感買ってるっていうんじゃないから、

不思議だよね、久ちゃん。」

「そりゃあ、人徳でしょ〜。」

岩城の芝居に対する真摯な態度を、

この芝居に出ている役者たちがことある毎に口にしていた。

それが反感を買うどころか、

役者たちにいい影響が出ていると

幹部たちが感じている、と久堂が説明した。

「でも、俺はそういう家に生まれたわけじゃないし。」

「いいんですって。今はそんなこと言ってる時代じゃない。」

「そう。岩城さんなら、基礎はしっかりしてるしね。

日舞も三味も小唄も出来るじゃない。」

幸之助が熱のある言い方で岩城に膝を進めた。

「大叔父さん、本気だよ。」

「いや・・困ったな・・・。」



「岩城さん、大丈夫?」

ふーっと息をついた岩城を幸之助が心配そうに覗き込んだ。

桜色に頬を上気させた岩城は

匂い立つような色香を漂わせている。

食い入るようにその岩城を見つめる幸之助に、

久堂が気遣わしげな顔を向けていた。

「ちょっと、飲みすぎたみたいです。」

「眠そうだもんね、岩城さん。」



「あれ?幸ちゃんと岩城さんは?」

用を済ませて戻ってきた久堂は、

二人の姿が見えないことにどきりとした。

「ああ。幸之助さんなら、岩城さんを家に送って帰るって。」

「えっ?!」

「岩城さん、ちょっと酔っちゃったみたいで。

今日は電車で来たって言ってたから。」

「電車?」

「ええ。マネージャーさんも休ませてあげたいからって。

ほんと、そういうとこ見習わないと・・・」

みなまで聞かず、久堂は慌てて玄関に向かった。

引き戸を開けた途端、

暖簾越しに入ってこようとした客とぶつかりそうになり、

とっさに体を引いた。

「うわっ、すみません!」

「いえ!こちらこそ!」

「香藤さん?!」

呼ばれて顔を向けた香藤は、

そこに引きつった顔で立ち尽くす久堂に驚いた。

香藤が口を開く前に、

久堂がその腕を掴んで表に引っ張り出した。

「香藤さん、車ですか?」

「ええ、あそこに。」

久堂は香藤の腕を掴んだまま小走りに車へ向かった。

「話は途中でします。俺の言うところへ向かって下さい。」



「はあ?!」

「多分、新橋の御茶屋にいると思います。

そこって、俺たち役者には昔からの馴染みの店で、

つまり内緒ごとに使うところで・・・。」

「内緒ごと・・・?」

香藤と久堂が乗り込み、

久堂から場所を聞いて金子が先を急いでいた。

「だから、その・・・いうなれば、ラブホテル代わりに・・・。」

「なんだって?!

そこに岩城さんを連れ込んだって言うのか?!」

香藤が、顔色を変えて叫んだ。

「あの野郎・・・!」

「香藤さん!お願いです。

気持ちはわかりますから、幸ちゃんを・・・。」

「そんなこと約束できない。

もしもの時は、俺、奴を殺すよ。」

「香藤さん・・・!」





「少し、休んでいきましょう、岩城さん。」

「すみません。」

座敷に通され水を貰って飲み干す岩城を、

幸之助は硬い表情で見つめていた。

「俺も、酔いを醒まさないといけないから。

まだ早いし横になっててください。起こしますから。」

「ええ。じゃあ、遠慮なく。」

岩城が座布団を枕にして体を横たえた。

しばらくして、寝息を立てはじめた岩城に

幸之助はにじり寄った。

酒に上気した頬と瞼。半開きの濡れたような唇。

じっと、その寝顔を陶酔したように見下ろし眺めた。

「綺麗だ・・・。」

幸之助は勝手知ったる様子で立ち上がり、

閉じられていた襖を開けた。

奥に、艶かしい生地の布団が敷かれている。

そっと岩城を抱き上げ、布団の上に寝かせ

着ているセーターを、そろそろと胸の上までたくし上げ

視線を下ろした。

「・・・!!・・・」

その胴や胸の白い滑らかな肌に、

紅色の情事の痕がそこかしこに散らばっていた。

誰がつけたのかなど知れたこと。

触れようとした手が、びくりと震えて止まった。

露わになった肌に冷気があたって、岩城が少し身じろいだ。

起きてしまったかと、どきりとする幸之助の耳に

岩城の甘えたような声が届いた。

「・・・ん・・・か・・と・・・」

幸之助の顔が、苦悶に歪んだ。

『・・・夢の中にさえ、香藤さんしかいないのか!・・・』

眉をきつく寄せて岩城の寝顔を見つめていた幸之助は、

ぎゅっと目を閉じ顔を背けた。


 


廊下に乱れた足音が響き、

タンッ!

と、障子が音を立てて開いた。

そこに幸之助の姿を見つけた香藤は、

怒鳴りつけようとしてはっと口を閉ざした。

幸之助は、座卓に顔を伏せ声を押し殺して泣いていた。

「幸ちゃん!」

久堂が飛びつくように幸之助の腕を掴んで揺さぶった。

「幸ちゃん、やっちまったのかい?!どうなのさ?!」

言い募る久堂の手を振り払い幸之助は彼に背を向けた。

「幸ちゃん?!」

香藤が、座卓を回り込み幸之助の正面に座り込んだ。

憤怒の表情を浮かべていた顔が、

今は穏やかな瞳で彼を見つめていた。

幸之助がゆっくりと顔を上げ、

泣き濡れたその顔を見て、香藤は溜息をついた。

「・・・出来・・なかった・・・俺には・・・。」

「ああ。わかる。」

「香藤さん!・・・勘弁・・・。」

正座した膝を握り締め、

首をたれる幸之助を香藤は見つめていた。

「いいよ。やってないなら・・・気持ちわかるし。」

「ほんとにっ?!」

「うん。なんか、俺、幸之助さん嫌いになれないなあ・・・。」

「香藤さん!ごめん、俺・・・。」

そう言ったきり、幸之助は畳へ突っ伏した。

「まあ、岩城さんが無防備なのもいけないしね。」

「香藤さん、俺からも、ごめんなさい。」

「なんで久ちゃんが謝るの?」

幸之助が顔を上げて久堂を振り返った。

「お前の気持ちに気付いてたのに、止められなかったから。」

しばらく沈黙が続きようやく幸之助が泣き止んだあと、

徐に香藤が口を開いた。

「あの人、ほんとに自覚ないんだよね。」

「そう、みたい、ですね。」

久堂が、遠慮がちに言った。

「惚れちゃう気持ち、わかるよ。

元々男に興味なかった俺が惚れたくらいだもん。」

「そうなの?!俺、てっきり・・・」

幸之助が驚いて目を見開いた。

「岩城さん、は・・・?」

「俺もだよ。」

からり、と襖が開いて岩城が顔を出した。

「うわっ!起きてたのっ?!」

頷いて岩城は香藤の隣に腰を下ろした。

「俺も、香藤だから惚れた。」

「ごめんなさい、岩城さん。俺・・・、」

「いいさ。未遂だったんだろ。」

岩城が思いのほか静かに口を開いた。

「色っぽいだとか、艶があるとか言われているけど

俺にはわからない。ただ言えることは、

俺にそういうものがあるとすればそれは、 

香藤が俺を変えたからだ。

こいつに俺は俺の全てを変えられた。

共に暮らす長い年月があって、今、俺はこうなってるんだ。」

「・・・思い上がってたな、俺・・・。」

ポツリ、と幸之助が零した。

「本当にごめんなさい。

俺ごときがどうにかしていい人じゃなかった。」

香藤がその言葉に微笑んだ。

岩城と顔を見あわせ頷きあう。

「わかってくれればいいよ。」

「彼が思いとどまったのは、お前のお陰らしい。」

岩城がそう言って香藤を見つめた。

「へっ?なんで?」

岩城は、くすっと笑ってセーターの裾を引っ張り上げた。

「これを、見たんだろ。」

久堂と幸之助は顔を真っ赤にして視線を逸らした。

「うっわっ!ごめん!」

香藤だけが、その点々と痕が散らばる岩城の肌を

見つめていた。

「いいさ、今回は。どうせ白塗りするんだ。」

「なんかうらやましいな、やっぱり。

相思相愛の相手がいるってのは・・・。」

幸之助の言葉に、岩城はゆっくりと微笑んだ。

「案外、傍にいるかもしれないよ。」





香藤がようやくオフを貰い、

岩城の舞台を見に来ることが出来たのは、

千秋楽だった。

幕が開き、序の大川端庚申塚の場が進み見せ場である

岩城の長台詞が近くなって、

香藤は自分のことのように緊張していた。

『・・相当、悩んでたもんなあ、岩城さん。評判は凄くいいけど。』



(おとせ) なんの怖いことがござりましょう、
       夜生業(よしょうばい)をいたしますれば、
       人魂なぞはたびたびゆえ怖いことはござりませぬ、
       ただ世の中に怖いのは、
   (このとき本釣鐘を打ち込む音)
       人が怖うござります。

(お嬢)  ほんにそうでござりますなあ。
   (と言いながらお嬢おとせの懐から財布を引き出す)

(おとせ) (びっくりして)や、こりゃ、この金を何となされます。

(お嬢)  何ともせぬ、もらうのさ。

(おとせ) えええ、そんならお前は。

(お嬢)  どろぼうさ。

(おとせ) え。

(お嬢)  ほんに人が怖いの。
   (と財布を引ったくる)

(おとせ) そればかりは。
   (とおとせが取りに掛かるのを振り払う。おとせ、
    うしろへたじたじとして思わず川へ落ちる。
    水の音、波煙ぱっと立つ)

(お嬢)  ああ川へ落ちたか。
   (と川を覗くように)
       やれ可哀そうなことをした。
   (と言いながら財布より百両包みを出し)
      思いがけねえこの百両、
   (とにったり思入れ、
    このとき後ろへ太郎右衛門うかがい出て)

(太郎)  その百両を。
   (と取りに掛かるのを突き廻し、
    金を財布へ入れ、懐へいれる。
     太郎右衛門また掛かる。
    このときお嬢吉三、太郎右衛門の差している
    庚申丸を鞘ごと引ったくり、
     太郎右衛門それをと寄るのを
    すらりと抜き振り廻す。
    太郎右衛門は白刃に恐れ上手へ逃げてはいる。
     時の鐘、お嬢吉三あとを見送って)

(お嬢)  はて臆病な奴等だな、
   (と駕籠の提灯で白刃を見て)
       むむ、道の用心ちょうど幸い。
   (庚申丸をさし空の朧月を見て、杭に足をかけ)
 
  月もおぼろに白魚(しらうお)のかがりも霞む春の空、
  冷てぇ風もほろ酔いに、心持よくうかうかと、
  浮かれがらすのただ一羽、ねぐらへ帰(けぇ)る川端で、
  棹の雫か濡手で粟、思いがけなく手に入(い)る百両、
    (懐の財布を出し、にったり思入れ、
     このとき上手にて、厄払いの声してお厄払いましょう、
      厄落とし厄落としと呼ばわる)
  ほんに今夜は節分か、西の海より川のなか
  落ちた夜鷹は厄落とし、豆沢山(まめだくさん)に一文の、
  銭(ぜに)と違って金包み、
  こいつぁ春から延喜(えんぎ)がいいわぇ。




『完璧じゃん、岩城さん!かっこいい〜!

裾からのぞいてる足が色ッペーッ!』


芝居は進み、観客の熱気が凄まじく高まっていく。

そこかしこで、岩城を誉めそやすじわが来ている。

屋号のない岩城に向けて「岩城屋っ!」と大向こうから

声さえかかった。



大詰、本郷火の見櫓の場。
和尚が捕まったと言う話しを聞き、お嬢は火の見櫓に登って太鼓を打つと、木戸が開かれて和尚が落ちのびてくる。そこへやってきた八百屋久兵衛に、お坊は安森家を再興するためにと「庚申丸」を、お嬢は十三郎のなくした百両を託す。降りしきる雪の中、縄や梯子、棒などを使い捕り手の派手なとんぼに、回り舞台の機構も活用したダイナミックな立回りの末にお嬢吉三が櫓に駆け上がって見得を切る。
クライマックスの捕り物の場面。お嬢の衣裳の赤と追手の黒、雪の白が相俟って溜息の出るような美しさだった。お嬢とお坊の別々の立ち回りがあり、回り舞台を使って展開していく。お坊の姿のよい立ち回りと、お嬢のまるで絵のような美しい立ち回りが、様式美の典型のようだった。
太鼓が打ち鳴らされて和尚吉三がお坊吉三とお嬢吉三に合流し、死を覚悟した三人が最後に決める見得の瞬間、舞台上がまばゆくフル照明となって三人揃った吉三たちは大勢の取り方に囲まれ自害してはてる。



客席が大歓声と拍手に包まれ幕が下りた。

再び、幕が上り役者たちが居並び、

その鳴り止まない大歓声に応える。

舞台下から香藤が両手一杯の花束を岩城に差し出し、

一斉にカメラのフラッシュがたかれ、

花を間に微笑みあう二人を捉えた。




「お疲れ様でしたあっ!」

楽屋の廊下を歩く、岩城に四方八方から声がかかる。

「お疲れ様でした。ありがとうございました。」

「岩城さん!」

香藤が、後ろから声をかけ走りよってきた。

「ああ、香藤。来てくれてありがとう。」

「凄い、感動した!稽古のときより!」

「当たり前だ。稽古の時より悪かったら話にならないだろ。」




幸之助の楽屋に、着替えた岩城と香藤がいた。

「今日が千秋楽なんて残念だよ、もう一回見たい!」

香藤が興奮気味に顔を上気させていた。

「多分、大丈夫だと思いますよ。」

「え?なんで?」

「再演しますよ、きっと。俺が請け負ってもいいね。」

「ほぉんとお?!」

「お疲れ様でしたあ。」

和やかに話をしているところに、久堂が入ってきた。

「今回は、岩城さんに感謝しないと。

芝居だけじゃなく、いろんな意味で。」

幸之助がそう言ってはにかんだ顔をした。

「え?俺は何もしてませんよ。」

きょとんとする岩城を、

幸之助と久堂が肩をすくめて見返した。

「・・・香藤さん。ほんとにこの人は・・・。」

「でしょ?幸之助さん。俺の苦労、わかってくれる?」

「ええ。わかりますとも。」

「なんなんだ?」

不審気に眉を寄せ香藤を見る岩城に

久堂と幸之助が思わず、といった笑い声を上げた。

「わかんなくていいよ、岩城さんは。」

香藤が不服げな顔の岩城を宥めるように肩に腕を回した。





「じゃ。」

「お疲れ様でした。」

駐車場へ歩きながら、

岩城はふと振り返り久堂と幸之助の背中を見やった。

「きっと、うまくいくよ。あの二人。」

「へっ?!」

香藤が岩城の言葉に驚いて、

仲良く歩いていく二人を見つめた。

「そうなの?」

「ああ。久堂さん、ずっと彼のこと想ってたんじゃないかな。」

「へえぇ・・。うまくいくといいね。」

「ああ。」

「俺たちみたいに。」

「そうだな。」

「岩城さん。明日、オフだよね。」

岩城はちろりと香藤を横目で見た。

子供が顔色を伺うような表情を浮かべている。

「・・・早く帰ろう。」

「うん!」

途端に満面に笑顔を浮かべる香藤を見て、

岩城は愛しげな明るい笑い声を上げた。





     〜これにて幕切〜




2004年1月5日
   弓





   
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