Storm in a tea cup 5










茶室から戻ってきた岩城と香藤は、雅彦に呼びつけられた。

苦々しい顔をして座る雅彦に、

岩城は首を傾げながら香藤の隣に座った。

「・・・あのな、京介。」

「はい?」

「お前達、神聖な茶室で一体なにをやってるんだ。」

「・・・え?」

そう言われて、岩城ははっとして彼を見返し、

項まで真っ赤にして俯いた。

「あ・・・ごめんなさい、俺が・・・。」

「片方だけが悪いんじゃないだろう。」

言いかけた香藤に、むっつりとして、雅彦が腕を組んだ。

岩城は赤い顔に苦笑を浮かべ、雅彦を見上げた。

「呆れたもんだな。あれだけ落ち込んでおいて。」

淫靡な熱をまだ保ったように、瞳が濡れ、

襟元から匂い立つような艶を浮かべている。

その岩城を見て、雅彦は嘆息を吐いた。

「お前、そんなに節操のない男だったのか。」

「節操って・・・。」

「茶室がどういう場所かも忘れるくらいなんだ。

言われても仕方ないんじゃないのか?」

苦虫を噛み潰したような顔でそう言われて、

岩城は顔を顰めて俯いた。

「まったく・・・。」

「ごめん、兄さん。」

「喧嘩したと思ったら、お前の勘違い、

で、仲直りしたと思ったら、すぐこれだ。」

「だって・・・。」

口を尖らせた岩城を、雅彦はまじまじと見返した。

「そういう顔は、初めて見るな。」

「そういう顔って?」

香藤が首を傾げ、雅彦は少し顔を歪めた。

「拗ねた顔、って言えばいいのか。

俺は、見たことがないな。」

「そうなんですか?」

「俺には、甘えたことがないってことだな、つまりは。」

「そ、そんなことないよ。」

岩城が、雅彦を見返した。

剥れたような顔をする雅彦を、香藤は見つめた。

「そういう顔が出来る相手なんだろう、香藤君は。」

岩城は隣に座る香藤を見上げた。

微笑を浮かべる香藤に、岩城は少し微笑んで頷きあった。

「・・・とにかく、京介。」

睨むように見つめる雅彦に、岩城は姿勢を正した。

「あのだな・・・一度嫁いだら、そこが自分の家になるんだ。

安易に実家に逃げ帰ってくればいいと思うな。」

「あ・・・うん・・・。」

岩城は、驚いて雅彦を見返した。

「今度、そういうことがあったら、無いほうがいいに決まってるが。」

「ごめんなさい。」

香藤が答えて、雅彦は頷いた。

「香藤君にちゃんと確認しろ。」

「はい・・・。」

俯いて答える岩城の肩を、香藤がそっと抱きこんだ。

その二人を見ながら、雅彦は疲れたように首を振った。

「まったく、もう中年になろうっていう弟に、

なんでこんな説教しなきゃならないんだろうな。」

恨めしげに上目で見る岩城に、雅彦は笑った。

「結局、お前にみんなが振り回されただけってことだ。」

「そんなこと・・・振り回したなんて、

人聞きの悪い事、言わなくても。」

「違うのか?」

その言い合いに、香藤はにっこりと笑った。

「それだけ、岩城さんが魅力的だってことですよ。」

「魅力的ねぇ・・・。」

首を傾げた雅彦は、そのまま肩を竦めた。

「ラウールに謝っておけよ。」

そう言って立ち上がり、雅彦は障子を開けて振り返った。

「その着物、着替えて来い。

みんなで食事に行く。」

「・・・着替えないと駄目かな。」

そういう岩城に、雅彦は目を眇ませた。

「襟、汗染みがついてる。

みっともないだろうが。」

はっとして視線を揺らす岩城を尻目に、雅彦は障子を閉めた。






「ねぇ、岩城さん。

せっかく日本にいるんだから、ちょっと出かけない?」

翌日、香藤が朝食を終え、皆がいる前で岩城に言った。

「ちょっと、って、どこへ行く気なんだ?」

「うーん・・・久が原の方。」

「あ・・・うん・・・。」

岩城は少し気不味げに、義母に視線を送って頷いた。

「あら、まだ行ってなかったの?」

義母が驚いて岩城を見つめた。

「駄目じゃないの、まさか、戻ってきてることも言ってないの?」

「うん、なんとなく、電話かけそびれて。」

義母が大仰に溜息をついた。

「それは、私に遠慮してるの?」

「そうじゃないけど。」

「京介、」

強い声に顔を上げた岩城に、義母が頷いた。

「行ってらっしゃい、いいわね?」

「・・・はい。ありがとう。」

「馬鹿ね。礼なんて言うことじゃないでしょ。」

香藤が、そのやり取りに、黙ったまま微笑んでいた。






「すまん、香藤。」

私室に戻って、岩城は香藤を見上げた。

「なにが?」

不思議そうに見返す香藤に、岩城は少し口を閉ざした。

「久が原のこと。」

「・・・遠慮、してたんでしょ?」

にっこりと笑う香藤に、岩城は小さく頷いた。

「やっぱり、ちょっと、言い出し辛くて。」

「そうだと思った。

でもね、岩城さん。」

「こっちのお義母さんも、そんなこと気にしてないと思うよ。」

「うん、そうみたいだな。」

さっきの義母の顔を思い出しながら、

岩城は小首を傾げて香藤を見返した。

「俺の気にしすぎなんだろうとは、思うんだけど。」

「わかるよ。

岩城さん優しいから。」

「そんなことない。

義母さんができた人だから・・・。」

頬を染めて首を振る岩城に、

香藤は笑ってその背を撫でた。

「俺も行くよ。

岩城さんの二人のお母さんに、ちゃんと挨拶しないとね。」






「お帰りなさい。」

閑静な住宅街にある、古い日本家屋。

その玄関の引き戸を開け、

香藤の後ろに立つ、チャーリーとラウールにも笑いかけ、

岩城の母、吉永節子はゆったりと微笑んだ。

黒髪をアップにして、梔子色の唐格子の着物を着た彼女は、

とても六十代半ばとは思えない。

岩城に良く似た目元に、チャーリーとラウールが顔を見合わせた。

「マダムはお母様似なんですね。」

「そうか?」

「はい。」

頷くラウールに岩城が首を傾げ、チャーリーが代わりに答えた。

「美人ってのは、遺伝するんだね。」

「な、なに言ってんだ、チャーリー。」

焦って母に視線を向ける岩城に、

節子はその目元に皺を寄せた。

「この年になって、美人て言われるのはお世辞でも、とても嬉しいわ。

ありがとう。」

「お世辞じゃありません。」

ラウールが真顔で首を振り、

その光景を、香藤は微笑みながら見ていた。






チャーリー、ラウール、香藤が座敷で茶を飲み、

岩城と節子が縁側で並んで座っているのを眺めていた。

「ああしていると、やっぱりよく似てますよね。」

「顔もだけど、雰囲気が似てるんだね。」

チャーリーとラウールの会話に、香藤はくすくすと笑い出した。

「ほんわかした感じのとことかね。」

「いやぁ、あれは天然って言ったほうが、当たってるな。」

チャーリーがそう言って、三人は思わず顔を見合わせて笑った。

その時、節子の楽しそうな笑い声が聞こえた。

「あっちも、盛り上がってるみたいだね。」




「笑い事じゃないよ、母さん。」

ころころと笑い転げる母に、岩城は頬を膨らませた。

「だって、」

雅彦に叱られた話をした岩城に、

節子は、一旦口を開いてまた吹き出した。

憮然とする岩城に、節子は小首を傾げるようにして彼を見つめた。

「大変ね、あなたの傍にいる人達は。」

「どうして?」

「あなたの我儘に、付き合わされてるじゃないの。」

我儘、と言われて、岩城はむっとして母を見返した。

「香藤さんに、話も聞かないで飛び出したのでしょ?」

「そうだけど・・・。」

「何も考えないで、出てきたんだから、

我儘と言われても仕方ないわね。」

「何も、って?」

きょとんとする岩城に、節子は肩を竦めた。

「ラウールさんのこと。」

「・・・え?」

「彼があなたの傍にいることに、慣れすぎてはいない?」

はっとして顔を上げた岩城に、母は微笑んだ。

「彼にだって、都合があるだろうし。

彼女だっているんじゃないの?」

「あ・・・えっと・・・。」

ばつが悪そうな顔をする岩城に、節子は頷いた。

「彼女に電話とか、してるの見た?」

「・・・見てない。」

「出来なかったのね、きっと。」

俯いて、黙りこんだ岩城の肩を、節子がそっと撫でた。

「ちゃんと謝りなさい。」

「うん。」

岩城は顔を上げて、節子を見つめると、溜息をついた。

「俺、我儘だよね。」

「そうね。でもね。」

「でも?」

節子はふんわりと笑って、岩城を見つめた。

「昔のあなたよりは、ずっと幸せそうだわ。」

目を見開く岩城に、節子が小首を傾げるようにした。

「私のことを知ってから、あなた、変わってしまって、

とても心配だったの。

それまでは、明るかったのに。

私のことを、とても悲しい目で見るようになったでしょ?

それで、気付いたの。」

「・・・ごめん。」

「あら、」

節子は、安心させるように笑って首を振った。

「謝ることじゃないでしょう?」

「母さん、俺・・・。」

「あなたが大人になってから、

伝えるつもりだったのに、先に知ってしまって。

まだ子供だったあなたが、

なんだか無理矢理大人になってしまったような気がしてたの。」

「そうかな。」

「奥様も言ってらしたのよ。

急に我儘を言わなくなって、心配だって。」

「え・・・?」

「私のことを知ったみたいです、

とは言えなかったから、私も困ったんだけど。」

「そうだったんだ・・・知らなかった。」

節子はじっと岩城を見つめた。

昔の、冷たい印象が跡形もなく消えた岩城に、節子は目を細めた。

「香藤さんのお陰ね。

とても表情が豊かになったわ。」

「・・・俺、そんなに無表情だったかな?」

「そうよ。」

あっさりと肯定されて、岩城は苦笑を浮かべた。

「仮面を被ってるみたいだった。

私のせいだと思って、ちょっと辛かった。」

「母さん!」

岩城が声を上げ、

その声に含まれた哀しさに気付いて、香藤が立ち上がった。

「どうしたの?」

「なんでもないんだ、香藤。」

「ごめんなさい、大丈夫よ。」

「あのね、母さん。

母さんのせいじゃないから。」

香藤は黙って岩城の隣に座った。

岩城がまっすぐに母を見つめ、口を開いた。

「俺が捻くれてただけだから。

母さんには感謝してるんだ。」

「そう、なの?」

「当たり前だよ。産んでくれてありがとう。」

にっこりと笑う岩城に、母は唇を震わせた。

香藤が満面の笑みで、それに続いた。

「そうですよ。

でなかったら、俺は岩城さんに出会えなかった。

感謝してます。」

眦に滲む涙を押さえて、節子は俯いた。

彼女を両脇から挟むようにして、

岩城と香藤は座り嗚咽を洩らす節子を慰めた。

その光景を、チャーリーとラウールは、

顔を見合わせ、微笑んで見つめていた。






「いい加減、もう来なくていいぞ。

こういう理由なら、尚更来るな。」

空港のラウンジで、雅彦が言った。

「わかってるよ、兄さん。」

苦笑しながら答えて、岩城は隣に座る香藤に視線を向けた。

見送った雅彦は、疲れたように息を吐いた。

「でも、仲が良いんだからいいじゃないですか。」

隣に立つ冬美がそう言って、笑った。

「仲が良すぎるのも、問題だろう。」








パリのアパルトマンに戻った二人は、

リビングでお茶を飲んでいた。

「本当に、すまなかったな、香藤。」

「いいよぉ、俺も悪いし。」

「ラウールにも、申し訳なかったし。」

眉を寄せる岩城に、香藤は首を振った。

「大丈夫だよ、ラウールは怒ってなんかいないから。」

当のラウールは、この日、休暇を取っていた。

「でも、ラウールの彼女は怒ってるかもしれないな。」

「うーん、どうだろう。」

そう言いながら、そっと岩城を抱き寄せ、

ふと、上を見上げた香藤は、そこにあるロフトが、

倉庫代りになっている事を思い出した。

「ねぇ、岩城さん。」

「なんだ?」

「あのロフトさ、お茶室に出来るかな?」

「・・・なんでだ?」

岩城が小首を傾げて見上げた。

「そしたらさ、」

香藤がにやり、と笑って、岩城は不審気にその顔を見返した。

「うちでも、お茶室でえっち出来るよ。」

「ばっ・・・馬鹿ッ!」

リビングに、香藤が頭を張られる音が響いた。

「懲りてないのか、お前は!」

「いったいな〜、もう・・・。」




     弓




     終わり



   2007年12月23日
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