尋ねきてみよ・・・   番外編 壱








未だ朝ぼらけの中、大路の真ん中で殿上人の遺体が発見された。

それは、実に無残な有様であった。

体が四つに引き裂かれて、散らばっていたという。

出仕する途中でそれを見つけたものが、

大内裏に駆け込み、大騒ぎとなった。

これで、三人目である。

だが、悪いことに、今回殺されていたのが、

左大臣の末娘の通い婿であったために、

事は余計に大きくなった。

内裏の警護を担う衛門府(えもんふ)へすぐさま連絡が飛び、

右兵衛府の責任者である右兵衛督(うひょうえのかみ)が呼び出された。

「大変な騒ぎになったね。」

「三位殿!大変どころではござらん!」

左大臣が、飄々とした態度の右兵衛督に、噛み付くように叫んだ。

この右兵衛督、名を香藤洋二、という。

帝の年上の甥である。

醍醐天皇の皇子、克明親王の子であったが、

臣下に降り、内裏の警護の任についている。

朝廷より、三位の位に叙せられているため、そう呼ばれる。

生来、天真爛漫、といった風がある。

生れ落ちたとき、美妙なる音色が都中に響き、

誕生した邸の真上の天に七色の光がたなびいた。

そのため、天に愛でられし人といわれ、

成長するにつれて、楽に対する異能を発揮していた。

龍笛をいつも懐に入れている。

「婿殿であられたそうな。」

香藤が、下座に座り込んだ。

「三位殿、こちらにお座りくだされ。」

「いいよ、ここで。」

面倒くさそうにそういう香藤に、

左大臣、藤原実頼は諦めたように嘆息した。

「見てきたよ。」

軽い調子で口を開く香藤に、左大臣が絶句する。

「あれは、人の仕業じゃないね。」

「と、仰いますと?!」

「四肢が、刃物で切られてるんじゃなくて、

物凄い力で引き千切られてる。

到底、人に出来ることじゃないよ。」

「で、では・・・?」

「・・・魔物の仕業だね。

前の二人は見ていないけど、どうやら怪しい。」

左大臣が、息を吸い込んだ。香藤の顔も、引き締まっていた。

「・・・失礼致します。」

近習が、廊下に膝をついていた。

「三位殿、御上のお呼びでござりまする。」




「左大臣殿、陰陽寮に行ってくるよ。」

「は・・・御上が?」

帝に呼ばれ、戻ってきた香藤は立ったまま、左大臣に声をかけた。

「左大臣殿、岩城京介という男を知ってるかい?」

「はい、陰陽寮の中でも、随一のものでござりまする。

三位殿は、ご存知ござりませぬか?」

「名前は聞いているけど、会ったことはない。」

「左様でござりますか。」

少し、視線を落として考え込む香藤を、

左大臣は不安そうに見上げていた。

「どんな、男かな?」

「・・・は・・・(いささ)か、無愛想かと・・・力は、間違いござらんが、

人物はといえば・・・。」

「ふぅ〜ん・・・。」






「お邪魔します。」

香藤が、陰陽寮の玄関前で、案内を請うた。

現れた男に名乗ると、男は頷いて上がれ、という。

「え?」

「どうぞ、お待ちしておりました。」

「ちょっと、待ってよ。俺は・・・。」

「岩城殿より、承っておりまする。」

首をかしげながら、男の後を突いて歩く香藤に、

男は薄笑いを浮かべた。

『・・・なんか、やな感じだよ・・・岩城って人もこんななのかな・・・。』



岩城の自室に通された香藤は、文机に向かう背中を眺めた。

後ろ向きのまま、案内役を労い、

香藤だけになるとようやく、膝をまわして香藤を見上げた。

『・・・うわっ・・・。』

危うく出そうになった声を、なんとか押し止める。

振り返った岩城を、香藤は呆然として見つめた。

白い、狩衣。若草色の単と指貫を身につけている。

狩衣の白とそう違わぬ肌の白さ、

切れ上がった眦に、黒曜石を思わせる瞳。

優美に通った鼻筋、まるで紅でも引いたような、唇。

烏帽子の下の、その美貌に、香藤はうっとりと見惚れていた。

岩城はといえば、そんな賛美の視線など慣れたもので、

表情をくずさぬまま香藤を見上げていた。

一種、冷たいとも言える態度だったろう。

が、岩城は内心で驚き、香藤を見つめていた。

香藤洋二の名は耳にはしていた。

天帝が、その楽の才を愛で、誕生を寿いだこと。

その楽才が幼少の頃から発揮され、

今、若くして楽聖といわれていること。

名は聞いていても、会ったことはなく、

今、その本人を目の前にして、

彼の発する陽の気が岩城の中へ染み込んできていた。

まるで、岩城の中にある、陰の気を包に込むように。

「・・・あの・・・。」

「・・・失礼。どうぞ、こちらへ・・・。」

岩城が立ち上がり、下座へ席を移した。

香藤は上座へ移動しながらも、視線を岩城から外せなかった。

「俺が来ること、お解かりでしたか?」

「はい。」

香藤が、溜息をついてじっと岩城を見つめた。

「御上から、あなたの領分だと云われて、来ました。」

「そのようですね。」

「・・・つまり、あれは人の仕業でない、ということですね?」

「はい。」

余計な言葉を言わず、頷いた岩城を見返して、香藤は嘆息した。

「何の、仕業ですか?」

「さて、それは探ってみなければ、解りませぬ。」

「では、お願いします。」

と言いながら岩城の顔を見た香藤は、

そこに薄っすらとした笑みがあるのに気付いて、首を傾げた。

「・・・もう、お解かりなのでは?」

「ほ・・・。」

岩城は驚いて香藤を見返した。

顔色を読まれることなど、かつて無かったことだ。

「鋭くて、おいでですね。」

「いえ、何となく・・・。」

香藤は、にっこりと笑った。

その顔を見ながら岩城は心の中で一人ごちた。

『・・・なんとまぁ、邪気の無い・・・。』

「これから、どうされますか?」

「どうもしません。今宵、出掛けるだけですよ。」

軽い調子で答える岩城に香藤は目を見開いて、尋ねた。

「危険ですよ?」

「承知の上。」





日が落ちかける頃、岩城の邸を香藤は訪れた。

閉じられた扉の前で、案内を請おうとした途端、

扉が内側へ勝手に開いた。

驚きはしたものの、中へ入り玄関へついた香藤を岩城が出迎えた。

「行きますか?」

「行きますよ。」

そう言って、香藤は腰に手挟んだ太刀を叩いた。

岩城がくすりと笑い、その顔に香藤は微笑を返した。

ドキドキしながら。

『・・・笑うと、別人になるな、この人・・・。』

「たぶん、太刀は必要ありませんよ。」

「なんで?」

「人では、無いので・・・。」

「でも、何かの役には立つでしょ?」

それには答えず、岩城は上がり框へ降りた。

するとどこからか女が現れ、岩城の足元へ(くつ)を置いた。

「佐和、出かけてくる。」

「はい、お気を付けられませ。」

佐和、と呼ばれた女は香藤に会釈をすると、すっ、と目の前で消えた。

「えっ?!」

目を、瞬かせている香藤に岩城が答えながら歩き出した。

「式神です。お気になさらずに。」

「ああ、そうなの。」




「で、正体は何なの?」

「・・・女です。」

「女、ね。」

暗闇を狐火が、先導する。それを、

香藤が気にもせずに岩城に話しかけた。

「どこへ、行くの?」

言葉遣いが、平素のままになっている香藤を、

岩城が面白げに眺めながら、答える。

「さて、取りあえずは南へ下ります。」

「その後は?」

「あちらが、現れるのを待つだけですよ。」

そう言って、朱雀大路に入り南に向かって歩み続けた。

「岩城さん、当てがあるみたいな気がするけど。」

くすり、と岩城が笑った。その笑いに、

香藤はほっとして言葉を続けた。

「誰か、わかってるんでしょう?」

「・・・なぜ、そう思われますか?」

「解らないけど、何となく・・・。」

くすくすと笑う岩城の声がする。

香藤はそれを聞きながら、

噂に聞く岩城の姿とのあまりの違いに驚いていた。

『・・・血が通ってないみたいに言ってたけど、

違うじゃない・・笑うと、可愛い・・・。』

岩城もまた、思っていた。

『・・・御上の甥ごというから、

お高くとまっているのかと思えば・・・なんと、温かい気・・・。』

「最初の、犠牲者は、九条の辻、だったよね。」

「・・・ええ、次は、八条。」

「内裏に近付いてる・・・。」

岩城は、香藤を振り返り、頷いた。

「そのとおりです。」

「・・・なるほどね。」

香藤が、そう呟いて黙り込んだ。

「この前は、六条大路の辻でしたから・・・。」

岩城も、そう言って口を閉ざした。

しばらく、無言で二人は肩を並べて歩いた。

五条の辻を通り越し、六条へ近付いたとき、

「・・・ねぇ、岩城さん・・・。」

香藤が、少し堅い声で呼びかけた。

岩城がその声に含まれているものを察して、驚いた。

「お解かりになるようですね。」

「いや・・こんなことは初めてだよ。

なんだか、盆の窪辺りがチクチクするよ。」

そう言って香藤が、首の後ろを摩った。

そうしている間にも、二人の前方の闇がかたちをとり始めていた。

闇の一部が、より濃くなりゆらゆらと蠢く。

前に浮かんでいた狐火が、

小刻みに震えながら岩城の傍へ寄ってきた。

「大丈夫だ。」

その狐火に、岩城が小声で囁いた。

「こちらへ。」

岩城が香藤の腕を掴んで、軒下の闇へ身を寄せた。

「でも・・・。」

「今宵は、見極めるだけです。お声をお出しになりませぬよう。」

「出したら、どうなるの?」

子供のような疑問を口にする香藤を、

岩城は少し呆れて見つめた。

「死にたいですか?」

「やだ。」

なにやら、印を切って岩城が唇に交差した指を当てた。

すっ、と、二人を包む空気が変わった気がして香藤は辺りを見回した。

岩城を振り返ると、彼は黙って頷いた。

闇の一部が渦巻いていたかと思うと、

それが上下に伸び、ゆっくりと女の形に変わった。

地から浮いて前へ進んでくる。

『・・・あなや・・・背は何処辺・・・』

ふらふらと、蹌踉として前を進む女を、香藤は呆然として見送った。

か細い声が耳につき、腐臭が鼻を突いた。

そのまま、内裏へ向かっていき、岩城と香藤は、それを追った。

女の姿が、五条大路の角で、消えた。

「もう、いいですよ。」

「うわっ、良かった。俺、黙ってるの、苦手なんだよ。」

ぷっ、と岩城が吹き出した。

まるで花のようなその笑顔を香藤は眩しげに見返した。

「・・・ねぇ、岩城さん。」

「なんですか?」

「もっと、笑えばいいのに。」

「は?!」

「だって、笑うと、もっと綺麗だよ。」

「な、なにを・・・。」

その場の状況を忘れたような香藤の言葉に、岩城がうろたえた。

「そ、そんな場合では・・・。」

「あ、そうだね、ごめん・・・あの、さっきの人・・・。」

香藤が、言いよどんだ。見覚えがある。

それも、記憶が間違いでなければ、

厄介な相手だ。

「ご存知ですね?」

「ええ・・・亡くなったとは、知らなかった・・・。」

歩くように促されて、香藤は朱雀大路を北へ向かって歩き出した。





「なぜ、あの人は、その・・・。」

「人を、殺めたか、ですか?」

岩城の邸の、中庭に面した縁側に二人はいた。

「・・・香、ですね。」

「香?」

殺された三人、全てに共通した点。

それは、たった一つ、同じ香を使っていたこと。

しかも、その香は、御上が使っているものと同じものだった。

「その香に引かれて、女は現れ、相手が違うと解って・・・。」

「うわぁ・・とばっちりで殺されたってこと?」

「まあ、そうです。」

香藤はそれを聞いて、顔を歪めた。

「可哀想に。」

「元はと言えば、あの方ですから。」

岩城の言葉に、香藤は顔を上げた。

その声の中に、怒りが混じっていた。

「三位殿、御上にお伝え願いたいことがあります。」

「はい。」

「この先、余計な犠牲者を出さないために、

ご協力をお願いしたい、と。」

「解りました。」

「それと・・・。」






大内裏に出仕し清涼殿へ向かう途中、香藤の耳に、届いた声。

殿上人が今度の事件の話しをする中で、

出てきた岩城の名に、耳をそばだてた。

「此度のこと、岩城殿が動いておるそうな。」

「ほう、陰陽寮のな。」

「あの御仁、何を考えて居るやら、わからん。」

「あの美貌も、人とは思えぬわい。」

「親御が、化生(けしょう)のものともきくぞ。」

「これ、滅多なことを言うまいぞ。聞こえたら、何をされるやら。」

「化け物よ、あれは・・・。」

『・・・ひでぇこと言うな。何も知らないで・・・。』

むっ、としてその声のほうに歩き始め、

彼らが香藤の姿に礼をとった。

その彼らを、ジロリ、と睨んで香藤が行きすぎようとした。

と、立ち止まって振り返る。

「あまり、人のことはとやかく言わないことです。聞き苦しい。」

そういい捨てて、相手の呼び止める声を無視して歩き始めた香藤は、

自分の心に問いかけた。

『・・・俺、あの人の悪口が、許せなかった・・・?・・・』





香藤が再び訪れたとき、

岩城は中庭に面した廊下に単を(まと)っただけの姿で座っていた。

濃紫の単が、白い雪のような肌を引き立てている。

「ど、どうし・・・。」

驚いて見つめる香藤を、片眉を上げて見上げた。

「頼んだものは?」

「あ、これに。」

差し出された懐紙の包みを受け取り、

懐から取り出した、藁で出来た人型の中へ、

小さく折りたたんで埋め込んだ。

「仕度をしてきます。」

そう言って、裾を裁いて立ち上がった。

その拍子に覗いた脚に、香藤の胸が跳ねた。

『・・・男の脚なのに・・俺、なんで時めいてんだ・・・?』



「行きますか。」

岩城が、狩衣と指貫を身に着けて現れた。

「うん。」

香藤は返事を返しながら、

岩城が着替えに奥へ入っている間に、

佐和が言った言葉を思い返していた。

『・・・京介様が、あのような姿を、

他の方の前で晒したことなど、ござりませぬ。

京介様がこと、宜しゅう、お願いいたしまする・・・。』

「どうしました?」

真剣な佐和の顔を思い出して考え込んだような香藤に、

岩城が首を傾げた。

「・・・あ、べ、別に・・・岩城さん?!」

「なにか?」

「その、香・・・。」

岩城が、ふ、と顔をほころばせた。

「ええ。狩衣に、香を焚き染めていました。」

「それで、単姿だったんだ。」

「ええ、まぁ・・・。」



朱雀大路を、南に下る。

前を行く狐火を見ながら、香藤が口を開いた。

「岩城さん、家族は?」

「・・・おりません。」

「そうなの・・あの、さ。」

「はい?」

「その言葉遣い、止めてくれないかな?」

岩城が、隣を行く香藤を振り返った。

香藤は、その岩城の少し困った顔に、微笑みかけた。

「俺のほうが、年下だし・・・やなんだよね、なんか。」

「・・・わかった。」

岩城が、溜息をつきながら頷いた。

「聞いていたとおりだな。」

「なにが?」

香藤が、いきなり言葉遣いを変えた岩城に、くすっと笑った。

「よく言えば、ざっくばらん、悪く言えば・・・」

「遠慮が無い?」

「そうだ。」

岩城が、声を上げて笑った。

その横顔を見ながら香藤は思っていた。

『・・・俺、本気なのかな・・・。』

「そろそろ、だな・・・。」

岩城の顔が引き締まった。

朱雀大路と四条大路の交わる地点にさしかかり、

香藤の鼻に臭いがとどいた。

「香藤、軒先へ退いていろ。」

「わかった。」

「しゃべるなよ。」

香藤の背に、声をかけ、振り返った香藤に頷いた。

頷き返して、太刀の鯉口に指をかけたまま、

香藤は建物の壁に添った。

闇が凝り、女の姿をとる。

途端に、岩城を認めて、女が叫んだ。

「・・・あなや!・・背子!・・・」

今にも、泣き出しそうな顔の女に、岩城が両手を広げた。

その袖の中に女が飛びつき、ほろほろと涙をこぼした。

取りすがっていた女が、徐々に、

まるで融けるように、岩城の中へ沈んでいった。

『・・・ひぇぇっ・・・。』

香藤は、自分の口を思わず塞いで、声が漏れるのを防いだ。

岩城は、何事もなかったかのように、

狩衣の前を軽くはたくと、香藤を手招きした。

「もう、いいぞ。」

「ねぇ、どうなったの?!」

「どうもせん。捕りこんだだけだ。」

「ど、どこに?!」

岩城は、笑って懐から藁の人型を取り出した。

「女の目には、俺の姿はあの男に見えていただろうよ。

そのために、髪を貰ったんだ。」

「あ、あの男って・・・。」

そう言って絶句する香藤を、岩城はにやりと笑って見返した。

「成仏できるの、あの人?」

香藤の言葉に、岩城がむすっとした顔で振り返る。

「・・・お前、誰に向かって言ってる・・・」

「あ・・ごめんなさい・・・。」

素直に頭を下げた香藤は、岩城の真顔に顔を引き締めた。

「・・・ほんとに怒ってる?」

「お前にじゃない。」

しばらく歩き、岩城の邸近くになって、

ようやくそれまで無言でいた岩城が口を開いた。

「明日、出仕したら伝えてくれ。」

「うん・・・って、誰に?」

「あの男だ。」

「またそういう言い方する・・・。」

香藤の抗議めいた言葉を無視して、岩城は続けた。

「今度、遊ぶときは気をつけろと。

一時の遊びの相手に、言質(げんち)を与えるな、と。」

「・・・わかった。」

「女が、哀れだ。」

「うん。そうだね。」






翌日、香藤はその岩城の言葉を、そのまま伝えた。

伝えられた方は、はらはらと、涙をこぼされたそうな・・・。

女をその中へ包み込んだ人型は、

護摩の火とともに天へ上った。






その夜。

閉ざされた岩城の邸の門の前に立ち、

香藤は大きく肩で息をついた。

一瞬の逡巡の後、扉を叩こうとして上げた手が、触れる寸前、

・・・ギギッ・・・

と音を立てて内側へ開いた。

香藤の顔が、嬉しそうに綻んだ。

もう一度、今度は覚悟の溜息をついて、

香藤は中へ向かって歩き出した。








                  〜続〜



                 2005年4月9日




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