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     尋ねきてみよ・・・   壱





・・・・・時は平安・・・・・。





今宵も月明かりの中、男が一人、灯りを持たずゆったりと歩んでいく。

左手に、瓶子(へいし)を提げている。

それを顔の近くまで持ち上げ、にっこりと笑う。

「気に入ってくれるかな・・・。」

その場だけ、陽のさすような笑顔。

男の名を、香藤洋二という。

醍醐(だいご)天皇の子、克明(かつあきら)親王の皇子(みこ)

今は臣下に下り武士となっている。

朝廷より三位(さんみ)の位に叙せられ、

平安京内裏清涼殿の警護、右兵衛督(うひょうえのかみ)の任につく。

世に名高い楽師。

懐に、いつも竜笛(りゅうてき)手挟(たばさ)んでいる。




一条、戻り橋の袂まで来ると香藤は橋に向かって話しかけた。

「岩城さんは、いるかな?」

微笑む香藤に、陰々とした(いら)えがある。

『・・・はい、居られまする。』

「そうか、ありがとう。」

『・・・恐れ入りまする。』

橋からの声に笑い声で答える。

「ご苦労様。」







「おいでなされませ。」

「うん。」

出迎えた女に、にっこりと笑う。

勝手知ったるように廊下を進み、奥へ入る。

この家の主が、中庭に面した廊下の柱に背を預けて座っている。

その風情に、香藤はうっとりと見とれた。

白い狩衣(かりぎぬ)と紫の単と指貫(さしぬき)を着けている。

漆黒の髪と、切れ長の黒曜石の瞳。

通った鼻筋。

紅を引いたような官能的な唇。

透き通るような白い肌。

冴え冴えとした美貌。

白い光を浴び、月を仰ぎ見たまま口を開く。

「香藤、来たのか。」

「うまい酒が手に入ったんだ。」

「ああ。一条の鬼から聞いた。」

そう言って、香藤に涼しげな視線を向ける。

・・・岩城京介。

鬼さえその使役と為す、当代随一の陰陽師(おんみょうじ)

その肩に、都の運命を担う。

内裏(だいり)の女たちの憧憬の的。

「鬼が、恐縮していたぞ。」

「なんで?」

「人に、ねぎらいなど言われたことがないと。」

「なんだ、そんなこと。」

そう言って、香藤はからからと笑う。

その笑顔に、岩城の頬にも明るい笑みが浮かぶ。

岩城の頬に皮肉以外の笑みを浮かばせることができる、唯一人の男。

岩城とは違う、その精悍な男ぶりに岩城の頬に朱が上る。

「今日は、泊まっていくよ。」

「・・・お前はどうしてそう、即物的なんだ。」

「?」

首をかしげている香藤に、岩城が溜息をついた。

「都一の楽師のくせに。」

「いいじゃない。それとも、帰っていい?」

「・・・馬鹿。」

頬に朱が浮かんだままの岩城を見て香藤が手を取る。

引き寄せられるまま、岩城はその胸に身体を預けた。

「・・・可愛い・・岩城さん・・・とても俺より年上とは思えないよね。」

むくり、と岩城が身体を起こし香藤を押しやり背を向ける。

「悪かったな、年上で。」

「もう、すぐそうやって拗ねる。」

「知らん。」

そこへ、出迎えた女が膳を掲げて現れた。

「いけませんね、三位(さんみ)殿。怒らせては・・・。」

「ああ、佐和さん。別に怒らせるつもりはないよ。」

佐和、と呼ばれた女。

岩城の遣う式神である。

「京介様は三位殿のこととなると、(わらわ)のようにおなりなさる。」

「うるさい。」

「ほっほ。殿上人がこの姿をご覧になったら、さぞ驚かれましょう。」

柳眉を逆立てる岩城にそう言って、佐和は席を立った。

気まずい沈黙。

香藤が機嫌を取るように杯を差し出す。

「岩城さん、飲もうよ。」

ちらり、と顔をめぐらせる岩城に香藤がにっこりと微笑む。

「ねえ、岩城さん。こっち向いてよ。悪かったからさ。」

「・・・お前は、本当は俺が年上なのが嫌なんじゃないのか?」

「嫌じゃないよ。年なんて関係ないもの。

そんなこと気にしてたら、岩城さんのこと好きにならないよ。」

「・・・本当か?」

「ほんとだよ。年も、性別も関係ないよ。」

岩城が、やっと向き直り再び香藤の胸にもたれ掛かる。

「年を気にしたのは俺のほうだよ。」

「なぜ?」

振り仰いだ香藤の顔に、微かな不安を見て取る。

「岩城さんのこと、前から知ってたしさ。

その人が、俺なんかを本当に好きになってくれるのかなって。」

「なにを言ってる・・・」

「だって、さ。頼りにならないんじゃないかって。

若輩者
(じゃくはいもの)
って思われて、

相手にされないんじゃないのかなって、さ。」

「・・・香藤。」

岩城が、腕を伸ばして香藤の首に巻きつけ、唇を重ねた。

「俺はお前だから好きになったんだ。

でなけりゃあの時、お前を受け入れたりなどしない。」

「そうだね。」

あの時・・・。

数年前、都に異変があり、香藤が帝の命で陰陽寮に岩城を訪ねた。

それが最初の出会い。

双方ともに、名とその持つ異能だけは以前から知っていた。

香藤の一目惚れだった。

うわさには聞いていた美貌。

明晰な頭脳。

現れた怨霊を浄化した卓抜した力。

騒動が終わったとき、香藤は岩城の屋敷を訪れその胸のうちを岩城にぶつけた。

そのまっすぐな想いに、岩城はたじろいだ。

拒否したのにも関わらず連日のようにやってくる香藤を、

いつしか岩城は待ち望むようになった。

岩城の、冷たいその貌の下にある脆さに気づいた、たった一人の男。

その力のために畏れられ孤独の中にいる岩城を、

陽の光のような笑顔で癒した。

気がつけば、岩城は香藤を愛していた。

それを告げたときの、自分の胸の高揚を今も憶えている。

そして、初めてその腕に抱かれたときの震えるような幸福も。

まるで、初心(うぶ)な小娘のような自分。

化け物と対峙(たいじ)して、恐怖など感じたことがなかった。

その自分が、香藤の愛撫に嬌声を上げることに(おのの)いた。

抱きしめられ、香藤を身の内に迎え入れたときの衝撃。

その後にやってきた快感。

すべてが、初めてのことだった。

「可愛い。」

そんな言葉さえ、初めて言われた。

・・・身体は慣れても、この言葉には(いま)だに慣れない。

羞恥に頬が熱くなる。




「香藤。」

「うん。」

「俺が、好きか・・・?」

「うん。愛してる。」

香藤の手が、岩城の烏帽子(えぼし)を取り髪をおろす。

黒髪がその白い貌を縁取り、えもいわれぬ色香を漂わす。

香藤が大事そうに、岩城の後頭部に手を添えて横たえる。

「俺には、岩城さんだけだよ。愛してる。」

「・・・おい、ここでか・・・?」

「だめ?」

だめかと問いながらすでに片手が狩衣を肌蹴(はだけ)ている。

単の胸元から手を差し入れ岩城の胸を弄る。

「・・・あ・・・」

香藤の求めはいつもこうだ。場所も時刻も関係なし。しかも、際限がない。

「落ち着きのない・・・。」

「俺のせいだけじゃないよ。半分以上、岩城さんのせいだよ。」

「・・・自分の性欲・・・俺のせいにするな・・・」

香藤が岩城の着ている衣を剥ぎ取りながら笑った。

「最近の岩城さんて、とんでもなく色っぽいんだもん。俺止まんないよ。」

「・・・馬鹿・・・。」

「岩城さんだって、嫌がってないじゃない。」

かっと頬を染めて岩城が顔を背けた。

「可愛い・・。」

「可愛いとか、言うな!」

「だって、恥らってる岩城さんて可愛いんだもん。」

香藤がそう言って口付けてくる。

岩城は唇を開いてそれを迎え入れる。

「とても、都一の陰陽師(おんみょうじ)とは思えないよね。」

「うるさい。」

「俺以外の男の前で、そんな顔しないでよ。危ないから。」

「お前以上に危ない男なんかいるものか。」

香藤が顔中に笑みを咲かせた。

「・・・香藤・・・」

岩城がその笑顔に釣られるように笑った。

「・・・早く、来い・・・」







内裏の廊下を岩城が進む。

御簾内(みすうち)から、女たちがその姿にさんざめく。

『・・・ま。お珍しい・・・。』

確かに、この時刻、岩城がこのようなところを歩くことは珍しいことだった。

たいてい陰陽寮に引きこもり、外へでるのは帰宅のときだけといっていい。

『・・・相変わらず、お美しいこと・・・。』

『・・・およしなされませ。聞こえますことよ・・・。』

『・・・はしたない。あのような男・・・。』

『・・・どうせ、あちらこちらの女子を泣かせているのでしょう・・・。』

その声が耳に届いている岩城は、内心苦笑していた。

『・・・啼かされているのは俺のほうなんだがな・・・』

「ほ。これはお珍しい。岩城殿。」

「これは、忠見(ただみ)殿。」

壬生忠見(みぶのただみ)

天賦の才を持つ歌人である。岩城とは、どういうわけか馬が合う。

「どちらへ?」

「ええ、ちょっと。」

「・・・なるほど。この先は左大臣の居所ですな。」

忠見が、鋭い視線を岩城に送る。

「後で、教えてくだされ。言える範囲でよい。」

「物好きな。」

「お互い様。」

目元だけで笑い、岩城と忠見が行き違う。






「お呼びにより、まかり越しました。」

「おお、。京介、呼びつけてすまぬ。」

「お話とは?」

左大臣、藤原実頼(ふじわらのさねより)

先帝の皇女を母に持つ。歌人としても名高い。

「すまぬが、もう一人来る。しばし待ってくれぬか?」

「は。」

遅れて、一人、男が入ってきた。

「これは。」

「おお。京介殿。」

「お久しゅう。頼光殿。」

源頼光。岩城とは一条戻り橋を挟んでのお隣さんである。

「・・・見事じゃの。」

左大臣が並んで座る二人を呆れたように眺めた。

「私にはその気はないが、それでもそうして並んでいると見惚れるな。」

「左大臣殿。お戯れを。」

頼光が、顔をしかめる。

「なんの、実に美しい。絵のようじゃわえ。」

岩城よりは線は太いが、頼光もまた図抜けた美貌の持ち主である。

「ま、戯言(ざれごと)はこのくらいにしよう。京介、」

「は。」

左大臣のからかいなど耳に入らぬような顔をして座っていた岩城は、

何事もなかったかのように左大臣を見返した。

「話は頼光からじゃ。これは、おことの領分のようなのでな、来てもろうた。」

先ほどとは打って変わった真剣な面持ちで岩城を見つめる左大臣の言葉に、

岩城は頼光を振り返った。

「実はな、京介殿・・・。」

昨夜、頼光の部下である渡辺綱(わたなべのつな)が、

頼光宅を訪れる途中で鬼に出会い、

すんでのところでその鬼の腕を切り落とし難を逃れたこと。

綱がその腕を持ったまま来訪した途端、高熱を発し倒れたこと。

その腕が今、頼光の自宅にあること。

「このままでは、綱が死んでしまう。」

「すぐに参りましょう。手遅れにならぬうちに。」






「綱は、離れに居る。」

「はい。腕は?」

「共に、ある。」

(しとね)()せっている綱の顔を見つめていた岩城は、

床の間にある包みに目をやった。

「これ、でござりますね。」

「うむ。なんぞ、感じるか?」

「ええ。」

その包みから、禍々(まがまが)しい妖気が漂っている。

部屋に臭気が篭っているが頼光や綱には感じぬらしい。

「どのような鬼でござりました?」

「美女であったな・・・」

「綱よ。戦いながらそんなことを思っていたのか、呆れるな。」

「いえ、まあ・・・。」

「鬼は、この腕を必ず取り返しに来るでしょう。

綱殿、七日の間ここから出てはなりませぬぞ。」

「はは、この有様では出るに出られませぬよ。」

「誰が来ても、扉をお開けになりませぬよう。」

岩城が立ち上がり、なにやらぶつぶつと唱えながら、

部屋の四方に護符を貼り付けていく。

「熱は、これで下がりましょう。」

「離れの周りを囲んだほうが、良いか?」

「いえ・・・。」

岩城が静かな声で答えた。

「無駄でござりましょう、頼光殿。」

「無駄、とな?」

「はい。無駄な犠牲者を出す必要はござりますまい。」






「くくく・・・。」

「笑うな、酒呑(しゅてん)!」

茨木童子(いばらきどうじ)が、

牙を剥いて笑い続けている酒呑童子に食ってかかる。

「お主ともあろうものが、油断したものよの。」

「やかましいわ!」

油断、どころではない。

大江山の酒呑童子の片腕として名をはせている鬼が、

人に腕を切り落とされるとは恥以外の何物でもない。

「そんなに、渡辺綱というのは手ごわい男か?」

「・・・。」

まさか、渡辺綱に見惚れたなどと言えるものではない。

茨木は腕を取り返すこともあったが、ただ綱に会いたいという思いが募っていた。

「・・・あの男、必ず俺のものにしてみせる・・・。」







離れの床の間に安置してある腕が、ごとり、と三方から床へ落ちる。

それが蠢き、巻かれた布から這い出てくる。


・・・かりり・・・かりり・・・かりり・・・


爪を立てて、床を這いずっていく・・・。

褥に横たわる、綱を目掛けて。

「・・・ん・・・?」

かすかな物音に目を開けた綱は、ふ、と己の脇にある腕に気付いた。

「なに?!」

腕が、褥に這い上がろうとしていた。

飛び起きた綱が、それを掴んだ。

はたして、抵抗をするかと思われた腕が掴まれた途端に、ぴたりと動かなくなった。

綱はその腕をしげしげと眺めた。

滑らかな皮膚の、白い腕。

長い、綺麗な指。

爪の長さだけが、鬼の腕だと主張している。

「・・・美しかったな・・・。」

とっさに振るった太刀が腕を切り落とすその直前に、垣間見た顔を思い浮かべた。

「・・・まあ、鬼は、鬼か・・・。」

綱は、その腕に布を巻きなおし三方へ戻した。

「・・・奪い返しに来るか・・・」

その腕を眺めていた綱の目の前で、再び腕が三方から落ちた。

布を這い出し、綱に近寄ろうとする。

その動きは、憎しみによるものと思えず綱は不審の面持ちで見つめていた。

腕が、床についた綱の手に触れた。そのまま、それを握り締めようとする。

「・・・なんだ・・・?」

したいようにさせていた綱が、いよいよ不審に満ちた顔でその腕を見つめた。

腕は、綱の手を掴むとそのまま動かなくなった。

その握る指先は、

まるでそっと手を繋いでいるといったほどの力で綱の指に絡んでいる。

「・・・俺が、憎くはないのか?」






「いかがされました?」

綱から話があるとの連絡を受け、再び岩城は頼光の屋敷を訪れた。

離れに通された岩城が見たのは、綱の手に指を絡ませた鬼の腕だった。

「これはまた・・・。」

岩城が片頬で笑った。

「笑い事ではござらんぞ、京介殿。」

頼光が苦い顔をした。

如何(いか)なるわけです?」

岩城が綱に問うた。

綱の説明によれば、

何度引き剥がし三方に乗せようが同じように這い出し、指に絡んでくる。

「どうにもならぬのでそのままにしてあるのだが、いったい何なのだろうか。」

「左様・・・」

岩城が、そう言ったきり黙りこんだ。

なまじ美貌なだけにその真顔には凄みがあった。







『・・・瀧夜叉(たきやしゃ)()るか・・・?』

岩城が、静かに呼びかける。

その声に、答えるかのように下げられた御簾の端が揺れる。

『・・・あの腕、誰のものか。』

『・・・茨木でござりまする・・・』

『ほう・・・あの、茨木か・・・』

顔見知り、といってよい鬼の顔を思い浮かべる。

「確かに、美人には違いない・・・。」

そう口に出してかすかに笑う岩城をいぶかしむ気配がした。

「大江山の動きは?」

『・・・いまだ何も・・・』

「ふん・・・。」

そこへ、佐和が静かに膳を持って現れた。

二人分の杯と酒の肴が乗っている。

「・・・おんや・・・」

佐和が気配に気を向ける。

「お珍しい、瀧夜叉殿。」

『・・・こなた、まだいたのか・・・』

「失礼な。」

「よさぬか。まったく、お前たちの仲が悪いのは今に始まったことではないが。」

『・・・来客でもおありか・・・』

「ああ。」

「決まって居ろうが。無粋な問いをするでない。」

『・・・ふん・・話に聞くおのこにござりまするか・・・』

言い募ろうとする佐和を止める岩城に、瀧夜叉がたたみかける。

『・・・お(たわむ)れが過ぎまするな・・なにゆえに、

あのような「人」に執着なされまするか・・・』

「瀧夜叉殿!無礼であろう!」

「よさぬか。」

『・・・しかも、おことが抱かれておるなど・・・』

その言葉に、岩城が苦笑を浮かべた。

「瀧夜叉殿!」

「よい。事実だ。」

『・・・おことを我が物にしたいと思うものの、嫉妬を煽ってどうなさる・・・』

岩城は佐和が怒りに震えるのを、

(なだ)
めるように(うなづ)いてそのまま黙る。

『・・・たかが人ごときにおことをいい様にされて、

怒っておるものがたんとおりまするぞ・・・』

「たかが、人ごとき、か・・・」

『・・・おことの本性、かの者は知っておいでか・・・』

「・・・・・」

その言葉に、岩城の眉が寄せられる。

『・・・どのような人であるのかは存じませぬが・・・』

「・・・ならば、会うてみるか」

『・・・ようござりまする・・おことに相応(ふさわ)しいか否か・・・

見極めてごろうじましょう・・・』

その声が終わるか否か、一陣の風が吹き込み、

岩城の前に一人の女が座っていた。

「・・・相変わらず、お美しゅうござりまするな・・・」

「その言葉、そのまま返そう。」

「・・・ほっほ・・・ますます、母者に似ておいでじゃ・・・」

自分を無視して岩城に向かう瀧夜叉に、佐和が口を開きかけた。

「・・・目汚しじゃわえ・・・」

先手を打った瀧夜叉を睨みつける佐和に岩城が片手を上げる。

「来たぞ。」

佐和が怒りに顔を歪ませ、無言で立ち上がった。




「あ、お客様・・・?」

通された香藤が瀧夜叉を見て、ぽかんと口を開いた。

『・・・このものは、まこと、人でござりまするか・・・』

『・・・そうだが・・・』

『・・・この気は、とてもそうとは思えませぬな・・・』

岩城と瀧夜叉がかわす会話は香藤には聞こえてはいない。

その香藤の顔を岩城が笑いながら見返した。

「やはり、お前も男だな。」

「いや、その・・・」

頭をかく香藤に、瀧夜叉が手をつく。

「・・・瀧夜叉と申しまする・・・」

「あ、失礼しました。香藤洋二です。」

「ほ。」

驚いて顔を上げ振り返る瀧夜叉に岩城は頷いた。

「・・・これは、これは、三位殿とは存じませず、ご無礼を・・・。」

瀧夜叉はそう言って、膝に手を置き香藤を見つめた。

「・・・私、人ではござりませぬ・・・」

岩城がふ、と口元に笑いを浮かべる。

香藤は、その言葉に驚きもせずにっこりと笑った。

驚いたのは瀧夜叉のほうだった。

陽光のようなその笑顔に、まるで邪気がない。

「ええ、わかります。ここに来るようになってから、慣れました。」

「これは・・・」

瀧夜叉がさも嬉しそうに笑った。

ニコニコとしながら見返してくる香藤に、瀧夜叉のほうが少し気遅れしている。

それを岩城が面白そうに眺めていた。

「・・・おことは、京介殿を・・・」

「はい。愛しておりますよ。」

きっぱりという香藤に、瀧夜叉のほうが少し照れた。

「・・・このお方が、どのような方であっても・・・」

「はい。」

「・・・気にはならぬ、と・・・」

「はい。」

「・・・ふん・・・」

瀧夜叉は岩城を振り返った。

涼しい顔をして杯を空け、瓶子を取り上げる。

香藤がそれを見て岩城から瓶子を受け取った。

注いでやりながら岩城の顔を見つめる。

「・・・なんだ?」

「うん。どのような方って言われてもさ・・・どのような方なのかな、と思って。」

「俺が、か・・・。」

「うん。」

香藤の視線に、岩城の眉が曇る。

「・・・そのことは、いずれ・・・」

「わかった。岩城さんが、話してくれる気になったらでいいよ。」

「・・・推測は、ついておいでのようじゃ・・・」

瀧夜叉のその言葉に、岩城がびくりと身体を震わせた。

香藤は、いたずらが見つかった子供のような顔をして笑い声を上げた。

「参ったなぁ・・・人の心が読めるんですか?」

「・・・香藤・・・」

岩城を振り返った香藤はその怯えたような顔に驚き、思わずその肩に手を廻した。

「どうしたの?」

「・・・お前・・・」

震える唇が、その先を言えず閉じられる。

香藤はこの上なく優しい顔をして岩城を見つめた。

「岩城さんが、何であろうと俺はかまわない。

言ったでしょ?俺には、岩城さんだけだよって。」

岩城が香藤の肩に顔を伏せた。

瀧夜叉は黙ってその姿を見つめていた。

『・・・なんと、まあ・・・このようなお姿は初めて見る・・・』

二人をおいて、廊下へ出た瀧夜叉は睨む佐和を見た。

『・・・統領が懸想(けそう)なさるのも、無理はないの・・・』

その声に、佐和がようやく笑みを見せた。

『・・・で、あろうが・・・遅いわ・・・』

『・・・あの、気・・・見事じゃわえ・・・』

瀧夜叉が顔を綻ばせた。

いつもはいがみ合う二人が顔を見合わせ頷く。

『・・・さすが、天帝が誕生を寿(ことほ)ぎ楽を奏でさせただけのことはある・・・』

『・・・いかがじゃ・・・』

『・・・おお・・・われらが統領のお相手には相応(ふさわ)しかろう・・・』

『・・・うむ・・・』

『・・・統領のほうが、御息所(みやすどころ)であることが、ちとな・・・』

佐和が破顔した。瀧夜叉もそれを見てころころと笑った。

『・・・致し方もない・・・』

『・・・三位殿ではの・・・』







「なにをしている、茨木。」

「なにがだ?」

「腕は取り返しに行かぬのか?」

酒呑のきつい声に茨木はびくっと身体を震わせた。

「・・・そんなに、あの男が怖いか?」

「違う!」

「ならば、何故?」

残った左手が指貫を握り締めた。

・・・今の今まで、その失くした右手が綱の温もりを伝えていた。

無言でいる茨城を見つめていた酒呑は、舌打ちをして(きびす)を返した。







再び、都に異変が起きた。

鬼共が夜陰をついて、忍び歩きをするものを襲った。

女の下へ通う公達(きんだち)

春をひさぐ女。

相手を選ぶことなく、次から次へと犠牲者がでる。

四日ほどの間に無残に殺されたものその数、20有余名。

「京介、これは如何(いか)なるわけじゃ?」

左大臣が岩城を呼びつけ、いらいらと室内を歩き回る。

「綱殿の一件に関することかと・・・。」

「それは分かっておる!一体、どこの鬼じゃ?」

「大江山。」

「またか!前回の折、そなたに勝てなんだのを忘れたようじゃの。」

「は・・・。」

左大臣が扇を岩城に指しつけた。

「殺さずにいてくれとそなたの進言があったゆえそうせなんだが、此度は聞かぬぞ。」

「はい。」

「だれを、向かわせる?」

「では、頼光殿を。」

「ま、そうであろうな。あの者以外、鬼には勝てぬて。」

「は・・・。」

開いていた扇を音を立てて閉じると、左大臣は岩城の前に膝を折った。

「そなたに任せる。鬼に限らぬ。害をなす物の怪(もののけ)どもを根絶やしにせよ。」

岩城は、無言のまま手をついた。







「根絶やしか・・・。」

ポツリと岩城が零した。

自嘲の笑みが頬に浮かぶ。

「・・・ならば、俺も・・・」

「京介様。」

佐和が(とが)める声に眉をしかめた。

「なぜだ?!俺は・・・」

『・・・統領・・・』

その時、一条の鬼の声がした。

「なんだ?!」

珍しく、激昂したままの声で応える。

『・・・君のお出ででござる・・・』

はっとして口を閉ざした岩城の顔を、佐和が見つめていた。

ゆっくりと息を吐き、乱れた息を整える。

「ご不安なれば、お聞きなされませ。」

「それが出来れば・・・。」

「何を惑われます。あの方なれば・・・。」




香藤と、岩城が佐和の用意した肴を間に酒を飲んでいる。

無言、である。

岩城が口を開かない。

顔を心持ち伏せ杯を重ねる。

時折、眉を寄せ酒を(あお)る。

その岩城を、香藤は小首をかしげながら見つめていた。

岩城が嘆息したとき、おもむろに香藤が口を開いた。

「何、悩んでるの?」

ぎくりとして顔をあげた岩城は心配げな香藤の顔を見て、再び俯きかけた。

間にある膳を脇に寄せ、香藤は岩城の肩を掴んだ。

「俺には、言えないこと?」

「ち、違・・・」

香藤の腕が岩城を抱え込んだ。ゆっくりとその手が背中をなでる。

「なら、なんで?言って?」

「・・・香藤・・・」

『・・・俺は・・・』

「なに?」

岩城の顔に怯えを見た香藤の手が、

そっと岩城の(おとがい)に添え上を向かせた。

「何が、不安なの?この前のときもそうだったけど。

そんな怯えた顔、見たことない。」

「・・・香藤・・・」

岩城が、瞳を閉じたまま言った。

「・・・抱いてくれ・・・」




「・・・ひぃっ!・・・」

香藤の腕の中で、岩城は彼の背に爪を立てて仰け反り、上り詰めた。

香藤の腰を挟みつけていた、岩城の震えていた両腿が弛緩(しかん)して伸び、

岩城の中で果てた香藤はそのまま彼を抱きしめて彼の唇を塞ぎ、貪っていた。

「・・・ん・・・んぅ・・・」

香藤の首に腕を絡めて、岩城は、それを夢中で受けた。

岩城からようやく離れた香藤は、横たわる岩城の隣へ座り彼を見下ろした。

乱れた黒髪。

汗ばんだ全身を波打たせるように、荒い息をしている引き締まった身体。

滑らかな、触れると吸い付いてくる、ほくろ一つない白い皮膚。

上気した目元と、潤んだ瞳。

濡れた唇。

香藤は、その姿に呆然と見とれていた。

「・・・なんだ?」

岩城が、香藤の呆けたような顔を見上げて、笑った。

「・・・うん・・・綺麗だと思って・・・。」

「何を言ってるんだ。」

岩城が、頬を染めて起き上がり、香藤に背中を向けた。

その、肩に香藤は手をかけ少し引き寄せた。

「香藤?」

不審げに首をひねる岩城を無視して、香藤はその彼の背に唇を這わせた。

岩城が、一瞬息を詰める。

「・・・愛してる・・・」

香藤が囁き、岩城の背筋に沿って舐めおろした。

「・・・あ・・・ん・・・」

胸を反らせ熱い息を漏す岩城を、

香藤はうしろから彼を抱きしめ前に手を伸ばした。

握りこまれた茎が、見る見るうちに熱を持ち、硬さを増してくる。

「・・・あぁんっ・・・ああっ・・・」

前に倒れそうになる岩城を片腕で自分の胸に引き寄せ、

茎を揉みしだく指に力を込める。

「・・・あぁあっ・・・」

香藤の手の中で果て吐き出された精を指で掬い取り、

そのままの姿勢で岩城の蕾にその指を潜り込ませた。

「・・・あぁっ・・あうっ・・・」

香藤の肩に頭を乗せ、仰け反る岩城の唇を、

繰り返し熱い口付けで塞ぎ、離すたびに囁いた。

「・・・愛してる、岩城さん。愛してる。・・・」

「・・・はあっ・・・ああっ・・・香藤・・・」

香藤の指が、蠢くのにあわせ岩城の腰が揺れ、浮き上がる。

「・・・あっ・・・そこ・・・ああっ・・・」

指が核心に触れたとたんに岩城の体がびくっと跳ね、伸び上がるように反った。

「・・・ああっ!・・・んぁあっ・・・」

片腕をあげて、香藤の髪をかき回すようにして、

身悶える岩城を彼は切ない顔で見つめていた。

香藤が差し込んだ指を捻るように抉り、そのまま岩城は高みに達しかける。

「・・・かとっ!・・・香藤ぉ!・・・もう・・・!・・・」



「ごめん。」

「いや、いい。」

香藤の胸にもたれて、岩城は肩で息をしていた。

「俺が抱いてくれって言ったんだ。気にするな。」

「朝まで、寝かさないよ?いい?」

「ああ、いい。」

「でも、ちょっと優しくね・・・。」




融けるような、痺れた疼きが香藤のゆっくりとした動きに合わせて、

岩城の腰の奥から全身に拡がっていた。

薔薇色に染まり、閉じられた瞼が震え、薄く開いた

唇から熱く甘い声が漏れ、溢れる唾液が頬を濡らす。

香藤は、その顔を見下ろしながら、上体を起こし片手をついて動いていた。

もう、片方の手が岩城の肌を優しく愛撫していく。

両足が香藤の腰に絡み、その爪先までが赤く染まる。

「・・・んん・・・あぁ・・・あん・・・んんっ・・・」

岩城の舌が唇を舐め、薄く目を開いて香藤を見上げた。

「・・・参いっちゃうな・・・」

香藤がその顔に堪らず彼を抱きすくめ、その唇を強く吸い上げた。

「・・・ん・・・あ・・・んんぁ・・・」

抱きしめたまま、香藤は優しく律動を繰り返していた。。

「・・・いい・・・か・・とう・・・」

穏やかな行為にもかかわらず、

岩城は全身が蕩けるような高みに持ち上げられていく。

岩城が香藤の背中に回した手に力を込め、

熱い息を吐いて仰け反り、いきかけていることが香藤に伝わる。

「・・・きて・・・」

うっとりとした声が漏れ、香藤の背筋をぞくりとさせた。

ようやく、香藤は岩城の腰を抱え込み、徐々に動きを早めた。

「・・・あぁあっ・・・ああぅっ・・・」

駆け上がり、のたうっていた岩城の体が、

指の先まで硬直し、引きつるような息を吐いて果てた。




「で、何が不安なの?」

「・・え・・」

「だから、なんなの?」

香藤に肩を抱かれた岩城はその胸に顔を伏せた。

「・・・いずれ、話す。待ってくれ・・・」

「いいけど。自分ひとりで、思いつめないでよ。」

香藤を仰ぎ見た岩城を、優しい笑みで見つめた。

「へこむと大変なんだから、岩城さんて。」

「そんな・・・」

岩城が頬を染めるのを香藤が笑って抱きしめた。

「口きかなくなるじゃない。

俺、困るんだからさ。悩むのもいいけど、程々にしてよ。」







「酒呑は、どこだ?」

茨木が、餓鬼(がき)に問うた。

「さて、都へ行くと・・・」

「なに?!」

ぎりぎりと額に青筋が立ち、睨みつけられた餓鬼が震え上がる。

「・・・あやつ・・・」

ぎりっとかみ締めた唇から、血が伝わる。

茨木は(きびす)を返すと飛ぶようにその場を後にした。







「開けてたもれ。」

ほとほとと、板戸を叩く声がする。

褥に起き上がり、じっと耳を澄ませる綱の目がすっと細められる。

「・・・綱殿・・・」

それは綱の養母の声だった。

綱は急な来訪に眉をひそめた。

迎え入れようと腰を上げかけ、

岩城の「絶対に誰も入れるな」という言葉を思い出した。

「申し訳ありません、母上。

事情があって今日いっぱいは、誰も家の中にあげることができないのです。」

すると母の声は悲しそうに震えた。

「お前は何と親不孝者よ。こうして私が長い旅をして訪ねて来たというのに。

私はそんな風にお前を育てた覚えはないぞ。」

そうまで言われた綱は、指に絡んだ鬼の腕を懐に入れ、戸を開けた。

「うはは・・・」

突然の突風が室内に吹き荒れた。

養母と思ったものは、

家の中に入ると、たちまち数名の鬼を伴った酒呑童子の姿に変わった。

「待っていた!」

綱は太刀を取ると自ら庭へ飛び出し、太刀を抜き放ち呼ばわった。

その声に呼応して頼光の部下たち、

綱と共に四天王と呼ばれる3人の武士、

彼らに従って数十名の武士が物陰から現れた。

「なんと?!」

酒呑が喚いた。

「いつの間に?!」

「・・・気付かなんだのは、俺のせいだ。」

「岩城京介!」

酒呑が牙を剥いて岩城を睨みつけた。

「また、己か・・・」

「・・・茨木はどうした?」

「はっ!あんな腑抜け、知らぬわ!」

酒呑の吐く息が、綱に掛かった。

病み上がりの綱には、毒に等しい。眩暈が襲う。

酒呑が太刀を振り下ろし、かろうじて綱がそれを受け止める。

「綱!」

「手を出すな!」

綱が叫びざま、渾身の力で酒呑を振り払う。

「どうする?」

綱の言葉が終わらないうちに、脇から鬼が長刀を振りかざし、襲い掛かった。

綱は、それをかわしざま、鬼の長刀を払いのけると、真横に()ぎ払った。

血飛沫をさけ、綱は正面にいる鬼に走りより、

袈裟懸(けさが)けにすると、返す刀でもう一匹を斬り捨てた。

居並ぶ鬼たちの、そそけ立った顔を見回し、

薄笑いを浮かべながらその刃に流れる血を舐める。

綱の精悍な顔が、返り血を浴び凄絶な凄みを帯びていた。

「・・・ふふふ・・・どうする?」

「己・・・」

岩城が、指を組み呪文を唱え続けていた。

それが、鬼たちの騒力を弱めている。

酒呑が、綱に向かうと見せてくるりと向きを変え岩城に突進した。

岩城さえいなければ、人など物の数ではない。

「させるか!」

ぎぃんっ、と刃鳴りがして突然人影が現れ、

岩城をその背にかばい酒呑の太刀を一閃で撥ね返した。

「うおっ?!」

酒呑が、ありえない声を上げた。

男の気が酒呑の力をねじ伏せている。

岩城の呪文が絶えているにもかかわらず、

この男の気が鬼たちを地に押し倒した。

「香藤!」

「もう、大丈夫だからね!俺の背から離れないでよ!」

そう言って太刀を正眼に構える。

酒呑が息を呑んで見つめた。

「・・・香藤?・・」

「そ、俺、香藤洋二。」

「な・・・に・・・?」

酒呑がじりじりと後ろへ下がる。

手薄の場所を探して巡らせた視界の端で、

息をつきふらついた綱に向けて太刀を振り下ろした。

「ぎゃあああっ!」

その太刀を受け止めたのは、綱ではなかった。

背中に太刀を受け、茨木は獣のような咆哮をあげ、左手で綱にしがみ付いた。

「茨木?!」

うろたえた酒呑を、頼光の部下たちが仕留めるのにさほど手は掛からなかった。




頼光が、四天王をつれ大江山へ向かった。

岩城は頼光の屋敷からそれを援護する。

頭目と、その片腕を失った鬼たちは唯の烏合の衆と化し、

その夜のうちに全滅した。




「岩城殿。茨木は助かりましょうか?」

「ご心配なく。」

綱が、離れに横たわる茨木を見つめていた。

「腕を、綱殿。」

「あ。」

言われた綱は、懐から茨木の右腕を取り出した。

受け取った岩城は褥の中へその腕を入れた。

「自分で付けろ、茨木。」

「まったく、冷たい統領じゃ。」

茨木が、苦笑した。

「統領?」

香藤が、不審げに首をかしげる。

むくりと起き上がった茨木が、かえって不振そうに香藤を見つめた。

「知らぬとは、不思議じゃ。こなた、統領の想い人ではないのか?」

「・・・茨木・・・」

岩城の静かな声に、茨木が黙り込む。

「腕が繋がっているな。」

綱がそう言って茨木の右手を掴んだ。

「・・・うむ・・・俺は、こういうものだ。」

「美しいな。」







茨木と綱を離れに残し、香藤は岩城の屋敷へ戻った。

「よく、わかったな。」

「今日のこと?」

香藤が中庭を眺めながら応える。

「佐和さんが教えてくれた。」

「そうか・・・」

岩城がそう言って口を閉ざした。

香藤は、しばらくその顔を見つめていたが、ふと笑うと岩城の頬に手を触れた。

「・・・気にしなくていいよ。俺は岩城さんが何者でもかまわないから。」

「香藤、俺は・・・、」

「言いたい?」

そう問われて、再び口を閉ざす。

「・・・怖い・・・」

「何が?」

「・・・嫌われるのが・・・」

「そんなこと、あるわけないでしょ。」

香藤はそう言って岩城を抱き寄せた。

「もうね、俺、岩城さんのことで早々驚かないよ。

今までだって、散々驚かされてきたんだから。今更だね。」

「・・・香藤・・・」







宮中で、大江山の酒呑童子を倒した、

頼光と岩城、そして香藤に対し帝からの褒賞が下賜された。

盛大に宴が催され、岩城は香藤と並んで座った。

その宴の途中で、どこへいくとも言わず香藤の姿が消えた。







『・・・結局、戻ってはこなかったな・・・』

『・・・やはり俺が疎ましくなったか・・・』

『・・・俺はどうすればいい・・香藤・・・』

物思いに沈む岩城の思考を中断させるように、

一揺れして牛車(ぎっしゃ)が止まった。

『・・・ん?・・・』

瞳を上げた岩城は、自宅門の前に荷車が止まっているのを見た。

その脇に、男が一人立って中を見ている。

『・・・あの男、香藤の乳兄弟・・・確か、小野塚といった・・・。』

「・・・統領・・・」

「ああ、もう、良い。」

岩城は牛車から降りると、

声をかけてきた従者の式神もろとも牛車を片付け、

荷車の脇に立つ小野塚に近づいた。

岩城に気づいた彼が、中へ呼ばわった。

「お帰りになられましたよ!」

小野塚の脇に立ち止まった岩城に、

門の中から二人の男と出てきた香藤が明るい声をかけた。

「お帰り、岩城さん。」

それを合図のようにして小野塚が二人の男を従えて踵を返した。

「あ、岩城様。」

小野塚が振り向き、深々と(こうべ)をたれる。

「若様のこと、よろしゅうお願い申し上げます。・・・では。」

「ああ、ご苦労さま。みなによろしくね。」

呆然と見送る岩城に、香藤は屈託のない笑顔を向けた。

「どうしたの?早く入りなよ。」

「・・・なんだ、あれは?」

「ああ、俺さ、引っ越してきちゃった。」

「なにっ?!」

香藤が照れて頭をかきながら言葉を続けた。

「だってさ、岩城さんを守ろうと思ったら、これが一番でしょ?」

「お前・・・!」

頭を抱える岩城の肩を抱えて門を入る。

「どうしてもっと早くこうしなかったのかなって、思うよ。」

なんだかんだと言い訳をする香藤の声が耳に届く。

が、その時、岩城の脳裏に浮かんでいたのは、

翌日の内裏で起こるだろう騒動のことだった。







案の定、翌日出仕した岩城を出迎えたのは、(かしま)しいほどの質問の嵐だった。







              2005年1月3日






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