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     尋ねきてみよ・・・   弐







「おや、岩城殿」

「これは、忠見(ただみ)殿。」

壬生忠見が、廊下を行く岩城を呼び止めた。

「この前の一件、ご苦労様でした。」

「あれは頼光殿のお手柄ですよ。」

「なんの。」

忠見がそう言いながら扇で岩城の肩を軽くたたいた。

その扇で口元を隠しながら(ささや)く。

「知りませんでしたよ。三位(さんみ)殿とのこと。」

その言葉に、岩城が苦笑する。

「ようやく、騒ぎが収まりましたな。」

「ええ、まあ。」





岩城の屋敷に、香藤が転がり込んだことが発覚した日。

朝廷内は天地がひっくり返ったような騒ぎとなった。

今の今まで浮いた噂一つなく、誰もがその人となりを知りたがっていた。

その美貌に、女たちだけでなく、懸想(けそう)する公達(きんだち)も多かった。

どんな誘いにも(なび)くことなく、親しいものがいるともきいた事がなく、

孤高を保っていると思われていた岩城京介。

それが、いつのまにやら香藤洋二と出来ていた。

しかも、同居するなどという暴挙に出た。

一体、いつの間に。

騒々しいまま日が過ぎ、陰陽寮に閉じこもっていた岩城の元に、

左大臣からの呼び出し。

「京介。どういうわけじゃ?」

「は。」

岩城が言いよどむ。

そこへ、香藤が現れる。

「三位殿?」

左大臣が、驚き振り仰ぐ。

「左大臣殿。彼を責めるつもりですか?」

「とんでもござらん!」

香藤洋二。彼は、帝の年上の甥である。

左大臣はその礼をとって応対する。

「私が訊ねたのは、ただ、どういうことかと。」

香藤はそれを聞くと、にっこりと微笑んで岩城の隣に座った。

そこへ、近習(きんじゅう)があわてて飛び込んできた。

「お(かみ)のお呼びにござります。

岩城殿にお話があると仰せでござります。」




「下がりゃ。」

御簾(みす)の中から、静かな声が聞こえる。

左大臣が、はっと頭を下げ岩城と香藤以外のものがすべて出て行くと、

ようやく帝が口を開いた。

「洋二殿。」

「はい。」

香藤は常と変わらない態度で応える。

帝が直接に声をかけるなど本来、有得ないことである。

が、身内であることと香藤の人柄を帝は慕っていた。

「共住まいとは、大胆なことを。」

「申し訳ありません。」

言葉とは裏腹に、明るく答える香藤に御簾のうちから笑いが漏れる。

「京介。」

「は。」

岩城が両手をつく。

「おことは、身が内じゃ、これからはそのつもりでおってくりゃれ。」

「は。」

御息所(みやすどころ)と、呼ばねばならぬの。」

帝の笑いを含んだ声に、香藤が破顔して後ろに座る岩城を振り返った。

両手をついたままの岩城の項までが紅を浮かべている。

「身は、そのつもりでおるゆえ。」

「は。」

岩城は顔を上げられぬまま、返事を返した。

帝が、二人を認めた。

岩城を「御息所」と呼ぶと。

それを境に、騒動はあっという間に収束した。





収束はしたが、問題は残った。

かねてより、岩城に懸想していたものたちの嫉妬を煽りそれを根深くしたこと。

相手が、帝と血縁の香藤であることで諦めるものが大半であったが、

そうでないものもいるわけで・・・。

しかも、日が経つにつれて今まであまり表に出てこようとしなかった岩城が、

香藤の「御息所」であるために帝に呼ばれ、

香藤の楽披露のときなどに列席するようになり、

その凛とした美貌と、

隠しようのない妖艶さなど目にする機会が増えたことが、

余計にそれを諦めきれないものに変えてしまった。

宮坂敬吾という人物がそれで。

しかも、彼に岩城への思慕を煽ったのは、香藤である。

彼は香藤の友人ともいえる部下であった・・・。




「どひゃっ?!」

剣の道場の隅で、着替えるため単を脱いだ香藤の体に、

その場にいた全員がなんとも言えない声を上げた。

それは、どよめきともいえるものだった。

男たちが顔を赤らめ香藤から視線を背けた。

逞しい引き締まった上半身に、点々と散らばる紅色の痕。

その背中は、もっと凄まじかった。

紅の花びらの中に、派手に走る幾筋もの爪痕。

・・・それは、前の晩の情事の凄まじさを物語っていた。

「三位殿・・・凄いですね。」

気の置けない仲間が呆れ果てた声をかけた。

「ああ、これ?」

香藤は、けろっとして笑顔を向ける。

「岩城さんが、離してくれなくてさ。」

「背中、痛そう・・・。」

「うん。ま、痛かったけど、俺には嬉しい痛みだからね。」

香藤は渡された稽古着に袖を通しながら言った。

「背中に爪痕の残らないような、そんな愛し方はしないよ、俺。」

「ひゃあ!」

「岩城さんが感じてくれた証拠だからさ。

それに接吻の痕も、爪痕も所有の証でしょ。

この人は俺のものってさ。

俺は岩城さんのものだから、いいの。」

「ご馳走様です。」

「どういたしまして。」

胸焼けのしそうな香藤の言葉に、全員が顔を赤くする。

その中で、一人だけ、苦い顔の男がいた。

「岩城殿はそんなに激しいのか?」

「あ?」

香藤がその声に振り返った。

皆が聞きたくて、でも遠慮していた質問にその場が静まりかえる。

「お前、なに聞いてんだよ?」

宮坂が、にやりと笑って言い返した。

「別に、今更隠さなくてもいいだろ。」

「まあ、ね。多分、みんな想像もつかないだろうけど。」

「そうでもねえぞ。あの岩城殿に乱れられちゃあ、堪んないよな。」

嫌な顔を向ける香藤を意に介さず宮坂が続けた。

「普段は、取り澄ましててそんな風には見えないけどな。」

「そうか?」

香藤が何かを思い出すように、首を傾げていた。

「でも、最近、前より凄くなってきてんな・・なんかあんのかな・・。」

「三位殿、それって自慢にしか聞こえませんよ。」

「へ?」

「いかに自分が凄いかってしか聞こえないぜ。」

宮坂がそう言って肘打ちをする。

「へっへ〜んだ。羨ましいだろ?」

「ばっ・・・!誰が!」





左大臣主催の宴の席で宮坂が、岩城に口を滑らせた。

香藤と知り合った頃に、共に遊郭へ出かけたこと。

祭りの最中であったため、趣向の凝らされたもてなし方だったこと。

まあ、つまりは乱交という奴。

宮坂としては、香藤の乱行を暴いて、

岩城の気を自分に向けさせるつもりだったのだろうが、

それはまったくの逆効果にしかならなかった。

岩城の心の中など知る由もなく、宮坂は面白おかしく話を続ける。

「いや、参りましたよ、本当に。あいつ、もてますからねえ。」

「・・・それは、いつごろのお話ですか・・・?」




「よろしんですか、お邪魔して?」

「ええ、お聞きしたいこともありますので。」

香藤は帝の命で、伊勢へ出かけていた。

神宮の斎王は帝の妹君であり、

その元へ化粧料を届けるための警護の任についていた。

岩城が宮坂を伴って自宅門をくぐった。

「お帰りなさい。」

「香藤?!お前、何でいる?!」

玄関へ迎えに出た香藤に、宮坂が慌てふためいた。

「なんでって、帰ってきちゃいけないのかよ?お前のほうこそ、何しに来たんだ?」

香藤がそう言いながら岩城の手を取ろうとした。それを、岩城が振り払い

無言で中へ入っていく。

「ちょ、ちょっと、岩城さん?!」

「宮坂殿に、来てもらっては困るんだろう、お前は?」

「はあ?!なにそれ?!」

呆然と岩城を見送った香藤は、宮坂を振り返って睨みつけた。

「お前、何を言ったんだ?!」

「別に、遊郭へいった話をしただけだが?」

「げっ?!」

頭を抱えた香藤は宮坂をその場に残し駆け出した。




岩城の自室の前で、香藤がその扉を叩きまくる。

「岩城さん!開けて!」

中からの応えがない。

「岩城さん!話を聞いてよ!」

しばらくして気配がし、板戸が薄く開く。

「・・・扉、壊す気か?」

岩城が、うっすらと涙をにじませた瞳で睨んでいる。

「開けてくれなきゃ、そうなるね。」

香藤が扉に手をかけて全開にすると、岩城は部屋の中ほどまで後ずさった。

くるりと香藤に背を向けると、押し黙る。

「浮気じゃないよ、あれは。信じてよ!」

「・・・嘘をつくな!もう、俺とそうなった後だったんだろ!」

「それは!・・・そうだけど、でも、岩城さん、まだ冷たかったし。

俺、迷ってた頃だったし。」

「何を迷う?!」

「だって・・・あの岩城さんが俺のこと、ほんとに受け入れてくれてるのかなって・・・。」

「・・・馬鹿・・・!」

「俺、辛かったし・・・ぱあっと遊んで一時でも辛さ忘れられればって・・・」

香藤はじっと岩城の震える肩を見つめていた。

顔をしかめて、そして、堪らなくなってその肩に抱きついた。

「ごめんなさい!」

岩城の手が廻された腕に触れた。

ぼろぼろと涙が零れ落ちる。

「・・・昔の事を持ち出してとやかく攻めるのは大人気ないってわかってる。

金で解決するそんなところの相手にどうこう言うのがおかしいのもわかってる。

でも・・・!」

「岩城さ・・」

「でも、いやなんだ!俺は・・・」

「ごめん!」

泣き咽ぶ岩城を後ろから抱きしめていた香藤は、岩城の前に回りこんだ。

「ごめんなさい。でも、あれっきり行ってない。信じて。」

香藤の手がゆっくりと岩城の烏帽子を取り、髷をおろす。

「愛してる、岩城さん。俺には、岩城さんだけだから。」

「お前、そんなことで俺をごまかす気か?!」

「違うよ。俺の本気を伝えたいだけ。」

「馬鹿にするな・・・!」

言い募る岩城の唇を香藤は無理矢理塞いだ。

深い、深い口付け。岩城の呼吸を奪うかのように彼の唇を貪る。

「・・・はっ・・・」

岩城が息苦しさに香藤の胸を叩いた。

名残惜しげに離れた唇から零れた唾液が岩城の頬へ伝わった。

それを香藤が舐め取る。

岩城の頬に朱が上り、恨めしげに潤んだ瞳で香藤を見返す。

「香藤・・・」

香藤が、岩城を抱き上げ床へ横たえた。

再び、唇を重ねようとした香藤の目の端に、

庭に佇み呆然と見つめる宮坂がいた。

『お前が岩城さんによからぬ気持ちを持ってることぐらい、知ってるんだ。

岩城さんは俺だけのもんだってこと、見せてやる!』

香藤の手が岩城の狩衣を取り去り、単を剥がす。

「・・・あっ・・・」



「・・・ああっ!・・・」

岩城の胸に着きそうなくらいに彼の両足を押さえて、

香藤は岩城を思い切り突き上げていた。

「・・・愛してるっ・・・岩城さんっ・・・」

「・・・ああっ!・・・あっ!・・・はっ!・・・」

「岩城さんだけだよ!」

岩城が両手を頭の上に上げ、脱ぎ散らかした衣を握り締め、

香藤の激しい律動を受けていた。

その動きに、岩城の腰がシンクロする。

「岩城さん、力抜いて・・・」

「・・・そっ・・・そんなこと・・・あんっ・・・あぁっ!・・」

「じゃあ、仕方がないね・・・」

「・・・あぁっあっ・・・かとっ!・・・まっ・・・まって・・」

「やだよっ」

「・・・きつい・・・まって・・・くれ・・・」

「俺の方が、限界だって・・・!」

「・・・ああっ!・・・いやだ・・・まだ・・・ああっ・・・」

「どしたの?」

「・・・もっと・・・欲しい・・・」

「煽んないでよぉ・・・!」

「・・・ああっ・・・か・・・と・・・!」

「もぉ〜・・・どうなっても知らないよっ」

「・・・ああっ・・・あうっ・・・あぁあっ・・・!」



「・・・もう・・・」

「なに?」

「・・・やめ・・・て・・・くれ・・・」

「まだ、だめだよ。」

「・・・かと・・・!・・・あっ・・・ああっ・・・!」

「俺・・・幸せだよ、岩城さん・・・」

「・・・たのむから・・・あっ・・・も・・・」

「どうなってもいいんでしょ?」

「・・・もっと・・・ゆっ・・・くり・・・」

「無理だよ、それは・・岩城さんが悪い。」

「・・・な・・・なんで・・・」

「乱れた岩城さんて、余計に綺麗だ。」

「・・・ばっ・・・ばかっ・・・ああっ・・・」

「本当のことだもん。もっと、乱れさせてあげたくなる。」

「・・・もう・・・狂い・・・そう・・・だ・・・」

「いいよ、狂ってよ・・・見たいよ・・・」

「・・・あぁあっ!・・・かとォ・・・!」






宮坂が、腑抜けたように夜道を歩いていた。

見せ付けられた岩城の姿。

いつも取り澄ましたような岩城が見せたあられもない姿に、

宮坂の思考が麻痺したようになっていた。

真っ白い肌が熱に浮かされ、火照り桜色に染まっていた。

香藤の動きのまま、貪欲にそれを求めうごめく細腰。

流麗な眉が快感に寄せられ、濡れた唇から絶え間なく漏れる甘い嬌声。

これ以上ないくらいに、妖艶な狂態で香藤にすがり付いていた。

香藤の背に爪を立て最後に上げた、岩城のかすれた悲鳴がまだ耳に残る。

「・・・夢に見そう・・・」

『・・・夢ではなく、本当に自分のものにしたいとは思わぬか・・・』

突然、宮坂の耳に声が届いた。

「何者だ?!」

太刀に手をかけ、辺りを見回し叫ぶ。

暗闇の中から、再び声が響く。

『・・・欲しいのだろう、奴が・・・』

「出でよ!」

ゆらゆらと、前方の闇が動き、その姿を現した。

男が一人、立っていた。一見修験者の形をしている。

鋭い眼光に、宮坂は視線を縫いとめられ指一本動かせなくなっていた。

「己、何物だ?!」

男が、にたり、と笑った。

「あの男を、独り占めしたいと思わぬか・・・?」

「な・・・に・・・」

「素直になったらどうだ・・・?」

「・・・く・・・」

宮坂の心に渦巻いていたものがはっきりと形を取り始めた。

「欲しいのだろう・・・?」

男の声が、頭の中にガンガンと響く。

「あの姿を、(おの)が下で見たいと思わぬか・・・?」

「・・・う・・・」

宮坂の顔が引き歪んだ。

「俺は・・・」

「あの見事な身体を、(おのれ)の物にしたくはないか・・・?」

宮坂の思考を、見てしまった岩城の身悶える様が占領していく。

「己の下で、啼かせてみたくはないか・・・?」

宮坂は男の哄笑を聞いた。

「おぬしも男であろう。欲しいものは奪え・・・!」

「黙れ!黙れ!黙れ!」

頭の中で響く声に抗って宮坂は叫んだ。

そのまま、宮坂は意識を失い地に崩れ落ちた。






「あいつ、最近おかしくないか?」

道場で、ひそひそと男たちが宮坂を遠巻きにしている。

「ああ。あれ以来だ。」

三日前、宮坂が、大路で倒れているのが見つかった。

幸い、怪我もなく単に酔っ払っただけだろうということで、お咎めもなかった。

「なんか、無口な宮坂って気味悪いな。」

その声を耳にして香藤は宮坂を見つめていた。

香藤にしてみれば、宮坂の落ち込みには心当たりがありすぎる。

少し申し訳ない気持ちがわいて、稽古が終わった後香藤は宮坂を誘った。

「呑みに行かぬか?」

宮坂は香藤の声に振り返りもせず、歩き出した。

「おい、宮坂。」

「うるさい。」

宮坂が背を向けたまま答えた。

「お前とはそんな気にならん。」

その背が、香藤を拒絶していた。




香藤が、宮坂の変貌に首をひねっていた頃、岩城の屋敷に来客があった。

「久しぶりだな・・・。」

突然庭に現れた修験者(しゅげんじゃ)に、岩城が一瞬顔を曇らせた。

それを面白がるように、笑う。

岩城の冷たい顔に怯むこともなく男は言葉を続ける。

「男が出来たそうな。」

そう言いながら近寄ってくる男に、岩城が初めて口を開いた。

「何ぞ、御用か?」

ぴたりと足を止め、しげしげと岩城を見つめる。

「たいした色香だ。昔よりもなお。よほど可愛がってもらっているようだな。」

じろり、と睨む岩城に男はなおも言葉を重ねた。

「澄ました顔がますますそそるな。」

「そんなことを言いに、お出でになられたのか?」

「いや・・・」

男は岩城を見つめると、口元を歪ませた。

「お前を、俺のものにするために・・・」

「馬鹿なことを・・・」

「お前が誰かのものにならなければ、おとなしく引っ込んでもいたがな。」

「馬鹿なことを・・・」

再び同じ言葉を口にした岩城に、男は黙り込んだ。

じっと岩城を見つめている目に、剣呑(けんのん)な光が宿る。

「ふ・・・ん。まあ、いい。」

ふと目をそらし背を向けた。

立ち去る直前、男は口を開いた。

「あの男より、俺のほうがお前に相応しい。今に、分かる。」

岩城はその背に、吐き捨てるように言った。

「何を馬鹿なことを・・・」

くくく、と笑い声を上げて男は姿を消した。






「どうしたの?」

帰ってくるなり抱きついてきた岩城に香藤が面食らっていた。

こんな風に、自ら求めてくるなどかつてなかったことだ。

胸に顔を埋めている岩城の項が震えていることに気づいた香藤は、

肩を掴んで顔を上げさせた。

瞳が怯え、揺れている。

「何があったの?」

香藤の心配げな顔に岩城の、秀麗な顔が歪んだ。

「あのさ、何度も言うけど一人で悩んでないで。

何があったのか言ってくれないと、俺余計なこと考えちゃうから。」

「・・・香藤・・・」

香藤が溜息をついた。それに岩城がびくりと身体を震わせる。

「何が、怖いの?」

香藤は岩城の頬を両手で挟んだ。

「俺に、自分の本性を話す以外にどんな怖いことがあるって言うのさ?」

その言葉に岩城の寄せられていた眉が開いた。

「そう、だったな・・・」

そう。香藤は岩城が誰であろうと笑って受け止めた。

己の出自を話したとき香藤はいつものように笑っていた。

「なんだ、そんなこと。」

そう言って・・・。



「今日、来客があった。」

岩城が、香藤の腕の中で情事の余韻を引きずった声のまま、口を開いた。

「ん?誰?」

「・・・・」

岩城が躊躇したことを察して、香藤が身体を反転させて岩城の顔を見つめた。

岩城はそれを下から見上げ、嘆息した。

「・・・菊地克哉・・・」

「えっ?!」

その名は香藤の耳にも入っていた。岩城と同じほどの力を持つ陰陽師。

数年前、岩城と力比べを行い敗れた。

その後、左大臣の失脚を狙った男に加担したことが発覚し播磨に流されていた。

「なんで?!」

岩城は、苦痛の表情を浮かべ唇を噛んだ。

「岩城さん・・・まさか・・・」

「俺を自分のものにすると・・・」

香藤が絶句した。

彼が押し黙ったことに耐えられず岩城はその首にすがりついた。

香藤は岩城を抱きこみ、安心させるようにその背をなでた。

「大丈夫。そんなことはさせない。」

「香藤・・・」

「相手が誰であろうと、俺は岩城さんを守るよ。」




褥の中にいる二人を見つめる目があった。

冷え冷えとした、まるで凍りつくような視線。

岩城を自由にしている男への嫉妬と、羨望。

その男を縛り付ける岩城の痴態への怒り。

全身に纏わりつくかのようなその視線を、岩城は感知していた。



「こら・・・。」

香藤が笑って、自分の鎖骨に唇を当てる岩城を叱った。

「自分は、痕つけるなって言うくせに。」

岩城は、クスッと笑いながらいくつもの痕を香藤の体に残していく。

香藤の背中に自分がつけた爪痕にさえ、口付けて舌を這わせる。

自分自身は、一つの痕もない綺麗なままの姿で。

・・・それは、恐ろしいほどに傲慢な行為だった。

「・・・あっ・・・」

香藤の手が、自分に重なり首筋に唇を這わせている岩城の茎を捉えた。

岩城を抱えて体を入れ替えると、

捉えられただけで熱い息を漏らす岩城を見詰めた。

香藤が動くにつれて一切の羞恥を捨てて声を上げ、体を震わせる。

その変化を、香藤は飽くことなく見詰め続けていた。

「綺麗だよ、岩城さん。凄っごい、綺麗・・・。」

彼の中に自身を納めそう囁く香藤を、岩城は潤んだ瞳を開いて見詰め返した。



漂っている邪な気が呻く。


『・・・おのれ・・・香藤・・・』



その声を耳にしながら、岩城は両手を伸ばし香藤の肩にかけ引き寄せる。

「・・・堪んない・・・。」

その岩城を、香藤が抱きしめ唇を貪る。

岩城の両足が香藤の腰に絡みつく。

唇を重ねながら香藤が、微か、と言ってもいいほどの動き方をした。

じわり、と岩城の体の奥から快感が頭を擡げる。

「・・・ああ・・・」

顎を仰け反らす岩城を香藤は、優しい微笑を浮かべて見つめていた。

自分を見下ろし、焦らすような動きしかしない香藤に岩城は喘ぎ声で訴えた。

「・・・どうしてほしい?」

くすっと笑いながら聞く彼を、岩城は恨めしそうな顔で見上げ、

唇をかみ締めて、ついと顔を背けた。

「ふうん。なら、いいよ。」

香藤は、そう言うと抱え込んだ腕を外し、岩城の体にさえ触れようとしなくなった。

香藤が僅かな身じろぎをするだけで、岩城の全身を瘧のような震えが襲ってくる。

思わず、香藤の背に腕を回ししがみつく。

体が火照り、滑らかな肌が桜色に染まっている。

震える胸に汗が滲み出し寄り集まり伝い落ちる。

喉がひりつくような快感が波のようにうねり、岩城の熱に浮かされたような、

絶え間ない乱れた息使いだけが聞こえていた。

焦点の定まらない濡れた瞳からいつの間にか、涙が溢れ岩城の目尻を流れた。

「・・・あぁ・・・あ・・・」

彼の唇がその涙を拭い取る、その感覚にさえ声が漏れた。

「・・・お前・・・意地が悪いな・・・」

香藤が、喉を鳴らして笑った。

その顔を見上げていた岩城は耐え切れなくなって悔し紛れに、

腰に力を入れ香藤を締め付けた。

「やめなよ!岩城さんの方が辛くなるよ!」

「ああっ・・・くぅっ・・・!」

香藤の言葉通り、力を入れた途端に、

彼の全身を痺れるような甘い疼痛が駆け巡った。

「・・・香藤っ・・・!・・・」

「だから言ったでしょ・・・ねえ、岩城さん・・。」

彼の切なげな顔を見て岩城はその首に腕を回した。

一度目を閉じ、羞恥を捨てる。

「・・・もっとほしい・・・来てくれ・・・。」

香藤が幸せそうな顔で、ようやく岩城の体に腕を回した。

「極上だよ、その顔・・・。」



あたり憚らぬ岩城の痴態に邪気が叫んだ。

『そんなにその男がいいか・・!』



その言葉に応えるように、岩城の両腿が香藤の腰を捕らえた。

「・・・馬鹿・・・はやく・・・狂いそうだ・・・。」

「狂わせてあげる。」

そう言って香藤は知り尽くした岩城の核心を、自身で衝き上げた。

「・・・うぁあっ・・・」

いきなりのその衝撃に、岩城の体が弓なりに反り返った。

無意識にずり上がろうとする岩城の肩に腕を背中から掛けて押さえ、

もう片方の腕で腰を巻き込んだ。

「・・・あぁあっ・・・!」

かつてない激しい感覚に、岩城は夢中で香藤にしがみ付いた。

「・・・やめ・・・やめてく・・・はああっ!・・・」

言葉とは裏腹に身悶えて腰を擦り付けてくる岩城の唇を、

香藤が笑いながら捉えた。

塞がれた唇から抑えきれない声が漏れる。

「最高だよ、岩城さん。」

「・・・かとっ・・・はや・・・くっ・・・」

「うん。わかった。」

岩城を開放するべく香藤は動きを早めた。

ぐう、と岩城の腰が沈んだ。



『・・・お前は俺のものだ・・・!・・・』



うめくような男の声を掻き消すような、

聞いたこともないような掠れた声で悲鳴を上げた岩城の腕が、

香藤の背に爪を立てた。

「今日の岩城さんって、すごいね。なんかあった?」

「別に、何もない。」

そう言いながら、岩城は香藤の体につけた痕を指でなぞっていく。

「背中、大丈夫か?」

「うん。大丈夫。着替えるときにまた言われるね。」

香藤のその言葉に、岩城が、ふ、と笑った。

「俺は、別にいいけど。」

香藤はその岩城の笑いに気付かず岩城にのしかかった。

「いいよね?」

「・・・ああ。」






香藤が、当直でいない夜。

岩城は佐和を相手に酒を飲んでいた。

「私では、役不足でござりまするな。」

「何を言ってる。」

佐和のからかう声に、岩城が苦笑した。

そこへ、渡辺綱が庭から声をかける。

「見事な景色だ。」

「これは、綱殿。」

綱は笑いながら廊下に座った。

佐和が綱のための杯を取りに立ち、岩城の正面に綱が席を移した。

「それにしても、この庭は凄いな。」

色とりどりの花が咲き乱れている。

それを眺めやりながら綱が口を開いた。

「今夜は、三位殿は?」

「当直です。」

「あ、そうか。なら途中で会うかもしれん。」

「茨木ですか?」

「ああ。どうも最近妙な気配がすると夜回りをしている。」

岩城がその言葉に目を細めた。綱がそれを見咎めた。

「・・・統領も、か?」

岩城がその呼びかけに顔を赤らめる。

「よして下さい。」

「仕方があるまい。茨木がそう呼ぶのだ。」




他愛もない話をしていたその場に、突然風がたった。

それが収まったとき、庭に一人の男の姿があった。

「宮坂殿・・・?」

綱が不審げに眉を寄せた。

「・・・なんぞ、御用か?」

岩城の静かな声に、宮坂が答えた。

「あなたを頂きに参りました。」

「ほ。それはご愁傷様なことだ。」

綱が太刀を手に取り、代わりに応える。

「無駄ぞ。帰れ。お主の入り込む余地などない。」

「さあ、それはどうかな・・・」

宮坂の形相が変わる。

日頃の明るい顔は微塵もなく、そこにはある種狂った色が浮かんでいた。

岩城はそれを見ながら、その後ろにある顔を見ていた。

「綱殿・・・これは宮坂殿ではない。」

「操られておるようですな。」

「ええ。」

「殺さずにすめば良いが。ちと、難しいかもしれぬ。」





庭の真ん中で宮坂と綱が太刀を構え対峙している。

宮坂の腕も、綱に負けてはいない。

「生け捕りは不可能だろうな・・・。」

どちらかが倒れるだろう。

ぴくり、と宮坂の太刀が動いた。

綱がそれに無反応を決め込む。

誘いに乗らぬ、と気づき再び宮坂が静止し対峙する。

・・・と、その時どこからともなく竜笛の音が響いた。

剣気禅脱(けんきこだつ)。

邪悪なものを払うといわれている雅楽である。

ぐらり、と宮坂の体が揺らいだ。

意識を失い手から太刀が落ちそのまま地に伏す。

近寄ろうとした綱が、その身体から立ち上る黒い煙に立ち止まった。

煙が宮坂の身体から離れ渦を巻きだす。

竜笛の音が高まるにつれて空にも黒雲がわきあがり月を覆い隠した。

途端に、庭の端々に狐火が湧き、辺りを照らした。

雷鳴が轟く。

渦巻いていた煙が人型を取り、庭に降り立つ。

岩城は予想していたとおりの姿に、眉一つ動かさず見つめていた。

「・・・貴様、何物?」

綱の声に菊地は顔を向けもせず答えた。

「菊地克哉。」

「おお、お主が。聞いたことはある。」

雨が落ちてきた。

それは、瞬く間に土砂降りの態を成す。

岩城が綱に向かって手招きをした。

「風邪を引きますぞ。中へ。」

この状況を理解せぬような岩城の言葉に、菊地の眉が釣り上がった。

「佐和、宮坂殿を。」

佐和がくい、と手首を返した。

それに吊られるように宮坂の身体が宙に浮き、廊下へと横たわる。

「着替えさせぬといかぬな。」

「はい、私が。」

佐和が軽々と宮坂を抱え奥へ消えた。

「統領。この者、どうなされます?」

綱の言葉に菊地が目を見開いた。

「ほう、京介の本性、知っておるのか?」

「当然でしょう。」

綱が太刀を鞘へ収めた。

己の力など意に介さぬとばかりの綱の行動に、菊地の顔に怒りが浮かんだ。

その間にも、竜笛の音と雷鳴が鳴り響いていた。

「・・・京介・・・」

その声が耳に入っていないような涼しげな顔で、

岩城は竜笛の調べに聞き入っていた。

「見事な竜笛ですな。」

「ええ。」

「雨音と雷鳴が、なかなか良い合いの手になっておりまする。」

綱がそう言って笑う。

岩城の片頬にも笑みが浮かんだ。

完全に無視されている事に、菊地の怒りが頂点に達した。

左手を振りかざし、なにやら呪文を唱えだした。

その左手に、黒い塊が形を取り振り下ろされようとしたとき、

ひときわ明るい輝きと大きな雷鳴が鳴り響いた。

「ぐわっ?!!」

それは、狙ったかのように菊地の天を指した左手に落ちた。





「さぶっ!」

香藤が、(しとね)の中で喚いていた。

「仕方がないだろう。麻黄湯(まおうとう)だ、飲め。」

「はあ〜い。」

香藤はすっかり風邪を引いていた。

前夜の土砂降りの雨の中でずっと笛を吹いていたせいである。

「あのさあ、あの雷雨、一体何なの?」

「あれか・・・」

岩城が、枕元に座って香藤の額に冷たい手拭を当てながら答えた。

「神仙苑の龍神だ。」

「は?」

「お前を助けに来てくれたんだ。」

「なんで?!」

岩城はその頓狂な声に溜息をついた。

「お前、俺に自分が分かってないというが、お前も分かってないな。」

「へっ?!」

「・・・馬鹿・・・」

岩城はそう言って部屋を出て行く。

「ねえ、岩城さん!どこ行くの?!」

「片付けだ。お前は寝てろ。」





宮坂は夜のうちに自宅へ送り届けてある。

昨夜のことは憶えてはいないだろう。

・・・庭に横たわっていたはずの、黒焦げの死体は消えていた。

予想通りのことに、岩城は溜息をついた。





後、やらねばならぬことは一つ。

岩城は内裏へ出仕し、手に提げた瓶子の酒を神仙苑へ注ぎ込んだ。

『・・・美味じゃわえ・・・』

どこからか声が聞こえる。

『・・・此度(こたび)のこと、御礼を申しあぐる。』

からからと笑い声が響いた。

『・・・なんの、三位殿の日頃の厚意に報いたまで・・・』

岩城の頬に笑みが浮かんだ。

『・・・おこと、良い伴侶を選んだの・・・』

その言葉に、岩城が首を振った。

『・・・いえ、選ばれたのは私のほうです。』

岩城のその言葉に、さも嬉しそうな笑い声が上がった。

『・・・母御に聞かせてやりたいの。』

『・・・いずこかで、聞いておりましょう。』

『・・・三位殿に、宜しゅうな。』






岩城の屋敷の中庭に面した廊下で酒を酌み交わす4人がいた。

・・・正確には、3人と1匹、か・・・。

「なんだ、そんなこと。」

香藤が、相変わらずの台詞を言う。

龍神が助けてくれた理由が、

時折良い酒が手に入った折に、

苑へそれを注いでいたことだったと聞かされた香藤の、第一声。

「そんなことなんだな、お前には。」

「なんで?だって、そうでしょ?」

綱が吹き出しそうな顔で香藤を見つめた。

「さすが、天から愛でられたお方だ。」

茨木が脇でくすくすと笑っている。

「茨木には礼を言わねばならぬな。」

岩城の視線を照れくさげにうける茨木に香藤が頷く。

「ほんと、ありがとう。でも、びっくりしたよ。

夜回りしてたら突然腕つかまれてさ。

他の連中、腰抜かしてたもん。」

ひとしきり笑い、綱がまじまじと岩城を見つめた。

「此度のこと、そもそも統領の美貌が原因ですぞ。」

その言葉に岩城が苦笑を浮かべる。

「・・・まさに。」

茨木がそう重ねる。

「困ったなあ・・・」

香藤が岩城を見て頭を抱えた。

「何でお前が、困る?」

「また、こういうことがあるかもしれないでしょ?」

「統領をこうしたのは、三位殿でしょうが。」

綱がそう言って茨木の同意を求める。

「まさしく・・・」

「何、俺のせいなわけ?」

「そうだな。」

岩城の言葉に香藤が、顔をしかめた。

香藤がしみじみと溜息をつく。

「まったく、どっかに仕舞っておきたいよ。」

「・・・馬鹿・・・」







                     〜終〜





                   2005年1月6日







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