尋ねきてみよ・・・   肆








霜月(十一月)に入ったばかりのある日。


手が届きそうなほど低く垂れ込めた厚い、灰色の雲。

今にも泣き出しそうであったその雲が、昼を過ぎて、ついに降りだした。

それは、止むことなく降り続け、夜半、勢いを増し雷雨となった。

瞬いた稲光と轟音に、人々は戦き、それが行き過ぎるのを祈った。

空が白みはじめ、雨が小降りになって、

漸く、町衆はその騒ぎに気付いた。

都の外れに立つ屋敷が、炎を上げ、焼け落ちていた。

雷によるもの、とされたその火災を始りとして、

その後、都に凶事が続いた。

誰とも知れぬ者による殺人と、度重なる雷雨。

その陰で、噂が都に流れた。

折りしも、天満宮において、菅公・菅原道真を祭る余香祭が行われていた。

町衆は、その凶事を、菅公が都に仇名すものと、囁いた。

その噂は、ついに帝の耳に届き、岩城にその問い合わせが届いた。

呼び出された岩城は、即座にそれを否定し、

内裏は一旦、安堵の息を吐いた。

その後、何事もなく日は過ぎ、

拭いきれぬ密やかな不安が漂ったまま、師走を迎えた。






「あ、おかえり。」

「ああ、ただいま。」

香藤が、内裏から戻ってきた岩城を、廊下で出向かえた。

単に袴で、
(たすき)をかけたその姿に、岩城は頬を緩めた。

「何をしてたんだ?」

「何って、大掃除だよ。」

「晦日だぞ、今日は。」

「広いからね、この屋敷。明日まで絶対かかるよ。」

そう言って、香藤は笑った。

奥から、佐和が両手で小さな
(ひつ)を抱えて現れ、

岩城に気付いて慌ててそれを廊下へ置き、頭を下げた。

「お帰りなされませ。」

「ああ、ご苦労だな。」

「いえいえ、」

にっこりと笑うと、佐和は立ち上がり、


(ひつ)を持って脇の部屋へ入った。






この日、師走晦日(今の1月下旬から3月上旬)、

岩城は宮中へと出仕し、年越し行事の準備に追われた。

一年の内で、最も行事の多いのが、

師走から元旦にかけてであるのは間違いなく、

陰陽寮は上の者から下の者まで、

猫の手も駆りたいほど忙しくなる。

ましてや、帝が最も信頼する岩城ともなると、

帝が直接関わる祭祀に必ず付き添わねばならず、

その準備もまた岩城の仕事となる。

明日、大晦日から元日にかけて、

その最高潮を向かえる行事は、

御魂祭(みたままつり)に始まり、追儺(ついな)を経て、

明けて元旦の
四方拝(しほうはい)まで、

岩城は内裏に詰めきりとなる。

その後の朝賀を終えて戻ってこられるかどうか、

怪しい限りでもあるが。

「手伝えなくて、すまん、香藤。」

「なに言ってんの。毎年のことでしょ。」

香藤が笑いながら、答える。

「お前だって、明日は内裏に詰めるんだろうに。」

「まぁね。だから、今日は家のことしとかないとと思ってさ。」

佐和が部屋から廊下へ出てきて、立ち止まった。

「殿、京介様、おぶう、入れまするゆえ、一休みなされませ。」

「あ、そうだね。岩城さん帰ってきたし。

また、出かけるんでしょ?」

「ああ、うん。」

廊下に座りこみ、香藤が
(たすき)を外した。

庭を眺めながら、岩城がふっと息をはいた。

「大丈夫?疲れてない?」

「ああ、そんなには。」

微笑んで答える岩城に、香藤がにっこりと頷いた。

「岩城さんが忙しくなったのって、俺のせいもあるよね。」

「そんなことはないが。なぜだ?」

「だって、俺の御息所だから。

前々から、お上が一番信頼してたけどさ。」

そう言って笑う香藤に、岩城は少し苦笑した。

「気にいられるのは良いけど、

こう忙しくなったんじゃ、俺が困るんだ。」

「お前が?」

「そうだよ!

だって、一緒にいられる時間、

師走に入ってから、すごく少ないんだよ?

岩城さんは、寂しくないの?」

「・・・い、いや・・・。」

「なに?」

「それは・・・。」

岩城が口篭り、香藤はその顔を覗きこんだ。

香藤の視線を避けるように、岩城は横を向いた。

その頬が染まっているのを見て、

香藤は岩城の肩を抱き寄せた。

「笑うな。」

「あはは、ごめん。」

岩城を抱きこんで、くつくつと笑う香藤に、

岩城がその胸の中から睨んだ。

「お前、わかってて聞いてるだろう?」

「うん。」

あっさりと頷いた香藤に、岩城は呆れて笑みを浮かべた。

そこへ、佐和が湯飲みを乗せた盆を持って現れ、

二人の脇へと置いた。

それを勧めながら、佐和は二人の姿を見て笑った。

「なんだ?」

「いいえ、相も変わらず、仲のお宜しいこと。」

ぴったりと寄り添って座っていた岩城と香藤は、

苦笑して少し離れ、湯呑を取り上げた。

すると、目の前の庭に、

自分の身体の倍ほども丈のある、

束ねた
(むしろ)を抱えた小鬼が、ちょこちょこと姿を見せた。

転ぶなよ、と声を掛けようとした矢先、

物の見事に足を取られて、前のめりに倒れた。

「ふ・・・ふえ〜・・・。」

香藤が、ひょい、と庭へ降り立ち、小鬼に駆け寄った。

「大丈夫か?」

抱え起されて、小鬼がこくりと頷いた。

「お前には大きすぎる荷だな。」

香藤が笑いながら、前衣をはたいてやった。

「持てましゅる!」

ぐ、と泣くのを堪えて、つたない言葉で小鬼が答えると、

けらけらと笑い声が聞こえた。

岩城が式として使っている者達が、

それぞれ大小様々な文箱やら、
(ひつ)を抱えて庭へ現れた。

「ほれほれ、
(むしろ)を拡げぬと、書簡の虫干しが出来ぬぞえ。」

「殿は一服していてくだされ。」

「ああ、ありがとう。」

香藤が岩城の隣に戻ると、

式達は、わらわらと庭へ散り、

束ねた
(むしろ)を拡げ、箱の中から巻物やら書物を取り出し、

その上へ並べた。

「今年も、無事に終わったね。」

その賑やかな光景を眺めながら、香藤が口を開いた。

「そうだな。」

「ついで、って言っちゃなんだけど、うちのことも祈っておいてね。」

「うちのこと?」

「そう。家内安全、無病息災。

ここにいる皆が、来年も穏かに暮らせるように。」

「・・・ああ。」

ゆっくりと微笑を浮かべて、岩城は頷いた。

「さて、」

岩城がそう言って、膝に手を当て、背筋を延ばした。

「出かけられまするか?」

佐和が立ち上がった。

「ああ、ゆっくりしたいが、そうもいかない。」

「ご苦労様にござりまするな。」

「気を付けてね。」

香藤が抱き寄せて頬に唇を落とし、

目元に皺を寄せて、岩城は微笑んだ。

「行ってらっしゃいませ。」

式達の声に送られて、岩城は再び内裏へと向かった。






明けて、元旦。

結局、朝賀の付き添いを頼まれ、

挙句に大饗(宴会)へまで列席させられ、

その途中やっとのことで抜け出した岩城は、

急ぎ、門へと向かった。

「岩城殿、お帰りか?」

「はい、これから戻ります。」

「宴が始まっておると思いまするが?」

途中で掛けられる声に答えながら、

岩城は近道のため庭を抜けた。

陽明門にあともう少し、となったところで、

耳に、ブチッ、と音が聞こえ、岩城は立ち止まった。

はっと見下ろした彼は、

着ている表衣の前身ごろがはらり、と落ちるのを見た。

紐が切れた、ただそれだけのことと思いたいが、

おろしたばかりのそれが、何事もなく切れるわけもない。

震える手で、身ごろを持ち上げて押さえた。

戻る牛車の中で、岩城は唇を引き結んで、呪を唱えた。






屋敷に到着して、岩城は香藤が内裏警護の為、

入れ違いに出かけたことに胸をなでおろしながら、

玄関で出迎えた佐和の、

物言いたげな視線をあえて無視して、自室へと入った。

板戸を締めると、無言のまま表衣の紐を見つめた。

それは、まるで刃物で切ったかのように、

すっぱりとした切り口を見せていた。

「不吉な・・・。」

佐和が思わず口にした言葉に、岩城は眉を顰めた。

「香藤には言うな。」

「ですが・・・。」

「いかなる事かもわからぬうちに、いらぬ心配はさせたくない。」

「ではござりましょうが、」

「よい。」

硬い顔の岩城に、佐和は黙って頷いた。






少しばかりの不安を抱えたまま、

拍子抜けするほど、何事もなく松の内が過ぎ、

正月の宮中行事も無事に終わった。

岩城も、あれは単なる偶然、気の迷いかと思い始めた、

もうすぐ如月(二月)となった頃、それは起こった。




夜陰、なんの前触れもなく、突如として雷鳴が都に轟いた。

それは、ある屋敷に落ち、一人のうらぶれた公達が命を落とした。

内裏でも、それは世間話の一つとして話には出たが、

すぐに忘れ去られた。

が、その男の出自が明らかになると、

ただの世間話があっという間に内裏の関心事となった。

なぜか、といえば、その雷に撃たれた男が、

藤原時平の末、であったためだ。

藤原時平。

菅原道真を姦計に陥れ、都から追いやった男である。

しかも、雷といえば、道真の怨霊が姿を変えたものと、

皆が信じてた時代である。

人々は、道真が宿敵の、

既に落ちぶれ果てたその末にまで恨みの魔手をのばした、

とまことしやかに囁きあった。

そして、如月に入って、その不安を恐怖に変える事件が起きた。

再び、傍流ではあるが、時平の末の男の家が、

火事によって焼け落ち、主が焼死したのだ。

当日、そんな事実は無かったにもかかわらず、

その火の手は雷によるものだと、都中に噂が流れた。

道真が時平の流れに連なるものを、

すべて葬り去るつもりだと、

都の町衆までが、そうおおっぴらに言いあった。






岩城が、厳しい顔付きで、

目の前にいる左大臣を見つめていた。

その左大臣は、怯えた表情を浮かべ、

不安気に岩城を見返していた。

「どうなのじゃ、京介。

私の身はこのまま無事で済むものじゃろうか?」

左大臣、藤原
実朝(さねより)は、時平の弟、忠平の長男である。

「伯父上は、道真公の崇りで
身罷(みまか)られたのじゃ。

その弟の子である私が、無事で済むのか?

しかも、父上は四男であったに、嫡家を継いだのじゃ。

恨まれてもおかしゅうはないぞ?」

「いえ、それは、」

岩城が口を開きかけた時、近習がやってきて廊下へ手を付いた。

「なにごとじゃ?」

「は、右大臣殿が、至急にお目通りをと、申されておられまする。」

「おお、
師輔(もろすけ)が?すぐにこれへ。」

案内されて、あたふたとした様子で、右大臣・藤原師輔が入ってきた。

「すまぬ、兄者、間におうたかの?」

そう言いながら、左大臣の隣へ座りこんだ。

藤原師輔は、左大臣・藤原実朝の異母弟である。

「兄者が京介を呼んだと聞いてな。

さては例の件、と思うて、」

「そうじゃ。

そなたにも後で知らせようとは思うていた。」

「居ても経ってもいられず、来てしもうた。」

兄とは余り似ていない、恰幅の良い体を縮こめるようにして、

師輔は両袖をひらひらと振ってみせた。

「して、兄者、京介の見立ては?

それとも、まだ聞いておられぬか?」

実朝は、首を振って師輔を見返した。

「もう、聞いた。」

「こはしたり。して、京介の返事は?」

「それはまだじゃ。」

師輔は、岩城に身体ごと向き直ると、

ぎゅ、袖を掴んで真剣な顔を向けた。

「京介、いかがじゃ?教えてくれぬか?」

岩城は、内心苦笑しながら眉の下がった、兄弟の顔を見つめた。

「ご懸念には及びませぬ。」

「まことか?」

「はい。」

両側から、不信気な顔を向けられて、

岩城はいよいよ溜息をついた。

それを、彼の言葉を重ねて確認した自分達に対して向けられたもの、

と勘違いをして、実朝と師輔は、慌てて声を上げた。

「あ、いや、すまぬ!」

「おことを信じぬわけではないぞ?」

「気を悪くせんでくれい。」

「いえ、ご心配なさいませぬよう。」

常と変わらない顔色で、ゆるり、と頭を下げる岩城に、

実朝と師輔は顔を見合わせた。

「うむ・・・おことがそう言うなら・・・。」

「他の者達も、無事ですむかのぉ。」

師輔の言葉に、岩城は薄っすらと笑った。

「皆様に、お気になさらぬよう、お伝え下さい。」

「そうか、そうか。それは良かった。」

にこにことしながら、師輔は実朝の腕を掴んだ。

「兄者、このこと皆にお知らせを。」

「うむ。そうしよう。」

「それが良い。皆、心配しておるようじゃ。」

語り合う兄弟を前に、岩城は心持ち下を向いたまま、

顔には出さずに溜息をついた。







     続




     弓




   2008年3月16日
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※ 御魂祭・・・大晦日に亡き人(先祖)の魂が戻ってくるための慰霊祭。
          趣旨は、盆と同じ。
※ 追儺(ついな)・・・大晦日の夜、疫鬼(えきき)を駆除して、
              新年を迎える行事。
※ 四方拝(しほうはい)・・・年の始めに年中の災厄を祓い、
                  国家・人身の平和と安穏を祈願する儀式。
※ 菅原道真=菅公・・・詳しいことを知りたい方は、 
                こちら。(笑)(wikiに飛びます)


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