※注意 このお話は、「捻じれたサーキット」の、おまけよりも前のお話です。






     
These are the days of our lives

         −チャンピオンの休日 1−








オーストラリアGPサーキット。

レースが終わり、観客達がスタンドからコースへなだれ込み、

今年最後の表彰台へ殺到 した。

オーストラリアや、イギリス、そして日本の国旗が打ち振られる。

その騒ぎの中、香藤が表彰台の袖から現れ、観客に向かって手を振った。

途端に、メインストレートを埋め尽くすファン達から、

地響きがするような、割れんばかりの大きな拍手と歓声が上がった。

表彰台の一番天辺に立ち、

香藤は空を見上げて、ふ〜ッと大きく息を吐いた。

両隣に並んだ2位と3位になったドライバーが、

香藤に手を差し出し、握手を求めた。

香藤は2人と手を握り合い、白い歯を見せて健闘を称えあった。

TVカメラが接近し、香藤はおどけてウィンクすると、

片手を挙げて親指を立てて見せた。

君が代が流され、香藤はトロフィーを受け取り、

それを下に置く間もなく、

両脇からシャンパンが、香藤目掛けて勢いよくかけられた。

片手でそれを避けながら、香藤もシャンパンボトルを握り、それに応戦する。

その表彰台の馬鹿騒ぎを、岩城は袖に隠れて眺めていた。

腕を組んで、だるい身体を壁に寄りかからせ、くすくすと笑いを零していた。






大歓声に送られ、ほとんど空になった3リットルの、

大きなシャンパンボトルを片手にして、袖に戻って来た香藤に、

サーキット・スタッフからも大きな拍手が起こった。

ボトルを床に置いて香藤はそれに笑顔で答えた。

スポンサーから支給されたキャップを取ると、

微笑んで彼を見つめていた岩城の腕を掴んで引き寄せた。

肩を抱きこむ香藤の背を、岩城はそっと撫で続けた。

「・・・お疲れ。」

「うん・・・。」

その2人を、周囲はくすぐったそうに眺めていた。

「終わったな、今年も。」

「長かったような、短かったような、変な感じ。」

香藤がそう言って、岩城の肩から顔を上げた。

「ワールド・チャンピオン、おめでとう。」

「うん、ありがと・・・今年は、ちょっと複雑だけど。」

そっと岩城の頬に触れると、香藤は顔を寄せた。

キスしようとする香藤に、岩城が心持ち眉を寄せた。

「・・・だめ?」

「だめって言っても、やるだろうが。」

岩城はそう言って笑い、頷いた。

軽くあわせた唇が啄ばむように動き、岩城の口から溜息が漏れた。

周囲からどよめきが起きて、岩城は香藤の背を叩いた。

「帰ろう、香藤。」

「うん、そうだね。」

「やっとゆっくり眠れるな。」

岩城の少しホッとした顔に、香藤は歯を見せて笑った。

「それは、ちょっと無理でしょ?」

その顔に、岩城は苦笑して、軽く香藤の頭をはたいた。

2人のやり取りに、笑い声が起きた。

祝福の声の中、香藤は岩城の手を引きながら、その場を後にした。






オーストラリアのホテルで、香藤は少しの間、休暇を楽しんでいた。

その数日後、岩城と香藤の関係が、新聞のゴシップ欄を賑わせた。

F1サーカスを救ったスーパースターと、

その事件を解決する為に、共に協力したジャーナリストが、

実は恋人同士だった、と記事の見出しが躍っていた。

「あ〜あ・・・。」

「今さら、なに溜息ついてるんだ?」

「今さらって〜。」

ホテルの部屋で、香藤は新聞をテーブルの上に放り出した。

「ばれたくなきゃ、人前でキスなんかしなきゃいいんだ。」

「・・・う〜ん・・・。」

事務所を通じて、香藤と岩城に正式なインタビューの申し込みが相次ぎ、

その一つに応じることにして、その騒ぎは一旦収まった。






日本に向かう飛行機の中で、2人はずっと黙ったままだった。

香藤は岩城の手を膝の上で握り、岩城はそれを拒否もせず、

窓枠に肘をついて外をじっと眺めていた。

「ねぇ、岩城さん。」

しばらくして、香藤が口を開いた。

「・・・ん?」

「成田に着いたら、そのまま俺の実家に来てくれないかな?」

「え?」

岩城は驚いて香藤を振り返った。

「俺たちのこと、ニュースになっちゃったじゃん?

ちゃんと言わないとなと思ってさ。」

「ああ、そうか・・・。」

「そのあと、俺仕事がいくつか入ってるから、

ホテルに泊まって待ってて欲しいんだ。

終わったら、岩城さんちも行かないといけないでしょ?」

それを聞いて、岩城は大きく溜息をついた。

「俺の家、ね。」

「そう。岩城さんが嫌でも、俺は行くからね。」

「嫌ってわけじゃない。ぐだぐだ言われるのが、面倒なだけだ。」

くすっと、香藤は笑って握った岩城の手を、ゆっくりと撫でた。

「・・・あのさ。」

香藤が、幾分躊躇いがちに言葉を継いだ。

それに気付いた岩城は、じっと香藤が口を開くのを待った。

「俺と付き合うのって、大変だと思うんだ。

バッシングとかあるかもしれないし、偏見の目で見られるようになると思う。」

いったん言葉を切って、香藤は岩城をまっすぐに見つめた。

「でも、俺はこそこそ隠れてつきあうのはいやなんだ。

人前でも、堂々と手をつないで 歩きたい。」

「あのな、香藤。」

岩城は笑顔を浮かべると、握られたままの手に少し力を入れた。

「バッシングなら、俺よりお前だろう。

カミングアウトしちまったんだから。

世界のスーパースターが、ゲイだってだけじゃなく、

今現在、付き合ってる男の恋人がいる、なんていうのは、

それこそスキャンダルだろう。」

「そう、だけどさ。」

「俺のことは心配しなくて大丈夫だ。お前がいれば、な。」

「・・・岩城さんってば。」

香藤は融け崩れそうな顔をして、岩城の頬に手を滑らせた。

「それでさ、」

「ん?」

「一緒に暮らさない?」

「は?」

「だめかな?」

まじまじと香藤を見つめたまま、岩城は黙り込んだ。

「だから、先に両方の実家に行って、挨拶したいんだ。」

「・・・そうか。」

しばらくして、岩城が目を閉じて、

背もたれに寄りかかるようにしているのに気づいて、

香藤はそっとその肩に触れた。

「・・・ん?」

「岩城さん、眠いんなら、このシート、ベッドになるから横になりなよ?

日本まであと6時間あるからさ。」

「ああ・・・そうか。」

香藤がフライトアテンダントを呼んだ。

「お呼びでしょうか?」

「彼にスウェットの上下、持ってきてもらえるかな?それから、枕と布団も。」

「はい、畏まりました。奥様のサイズをお教え願えますか?」

半分寝ぼけていた岩城が、そのアテンダントの質問に、

バチッと音がしそうなほど目を見開いた。

香藤は危うく吹きだしそうになるのをこらえて、岩城を振り返った。

「岩城さん、俺と同じでいいんだよね?」

「あ、ああ・・・。」

岩城が、苦笑しながら答えると、香藤はアテンダントに頷いて、立ち上がった。

「XLだよ。頼むね。それから、俺のシートも使ってダブルベッドにしてもらえる?」

「はい、畏まりました。ベッドのご用意が出来ますまで、

もしよろしければ、あちらのバーカウンターでお待ち頂けますでしょうか?」

「ありがとう。そうするよ。」




カウンターに肘を凭せかけて、岩城は欠伸をしながら首を振っていた。

「参ったな。奥様だと。」

「仕方ないじゃん、なんでそう思ったのかはわからないけどさ。」

「まぁ、普通に考えたら、お前が女房とは思わないだろうな。」

2人に、カウンターの中にいたアテンダントが、声をかけた。

「何をお出ししましょうか?」

「あ、いや。これから、休むところなんだ。

ベッドが用意できるまで、ここで待ってるんだよ。」

「お前、なにか飲みたいなら、飲んでいいぞ。」

「そう?」

アテンダントが、岩城の顔を見ながら、微笑んだ。

「お疲れでございますか?」

「そうだね。少し。」

「エールをほんの少しだけ、召し上がられますか?」

岩城が微笑んで頷くと、アテンダントは香藤に視線を向けた。

「チャンピオンは、いかがなさいますか?」

「そうだなぁ、俺もエールにしようかな。」

畏まりました、と頷いて彼はその場を外した。




バーで飲んでいた2人をアテンダントが迎えに来て、岩城と香藤は座席に戻った。

そこには、背の低いカーブを描いた仕切りで囲まれたダブルベッドがあった。

その上に、二つの枕と、2人分のスウェットスーツが置かれていた。

「話には聞いていたが、驚いたな。」

「そう?」

香藤達のいる席は、「アッパークラス・スイート」と呼ばれるシートで、

そのサービスは、超がつく一流ホテルを凌いでいるのでは、と思わせるものだった。

一番後ろにあるそのベッドの脇で着替えた2人は、布団の中にもぐりこんだ。

「気持ちいいな、これは。」

岩城がほっと息を吐いて、隣に顔を巡らせた。

香藤はその岩城に微笑むと、首の下に腕を潜らせ、岩城の肩を抱き寄せた。

「・・・あのな、香藤。」

岩城が小さな声で、囁いた。

その声に混じるものに、香藤は苦笑して岩城の髪を撫でた。

「しないよ、こんなとこじゃ。」

「なら、いいけどな。」

岩城が香藤の肩に頭を凭せ掛け、片手を香藤の胸の上に置いて瞳を閉じた。

「ごめんね、ずっと眠かったでしょ?」

「まぁ、そうだが。お前がレース前の緊張を解すのに必要だったんだ。気にするな。」

「うん、ありがと。」

その2人の会話が、聞こえていないとは思えなかったが、

そのフロアには2人の声しか聞こえなかった。

すべて前を向いているシートの仕切りに隠れて、

他の乗客たちが秘かに笑っていることなど、

二人はまるで気づいていなかった。

「おやすみ、岩城さん。」

「ああ。」

フロアに、香藤が岩城の額にキスをする、ささやかな音が聞こえた。






成田に着いた二人を待ち受けていたのは、フラッシュと歓声の嵐だった。

収拾のつかない騒ぎの中、空港職員に先導されながら、

2人は別の出口から逃げるように空港を出て、迎えのタクシーに飛び乗った。

「あ〜、びっくりした。」

「当り前だろうが。ワールドチャンピオンの帰国だぞ?」

「それに、岩城さんも一緒だしね。」

そう言って香藤は声を上げて笑った。




香藤の実家の前で、岩城は落ちつかなげに立ち止って、その家を見上げた。

「どうしたのさ?」

「どうしたって、緊張してるんだ。」

岩城は顔を顰めて香藤を振り返った。

「大丈夫だよ。俺の両親は驚かないと思うから。」

「馬鹿言え。」

その岩城の背を押しながら、香藤はドアを開けた。

玄関で案内を請うと、すぐに女性の声がして、

リビングのドアと思われるガラス戸が開いた。

出てきたのは女性ではなく、香藤によく似た年かさの男だった。

「あ、親父、いたんだ?」

「当り前だ。お前が帰ってくるのに。」

そう香藤に声をかけて、香藤の父親は岩城を見つめた。

「あの・・・はじめまして、俺は・・・。」

「存じてますよ、岩城さん。さぁ、上がってください。」

にっこりと微笑む彼に、岩城の方が驚いて、呆然としていた。

「だから、言ったでしょ?」

「それにしたって・・・。」

「気にしないの。」




「先に言ってなくて悪かったんだけどさ。」

香藤がソファに座って、目の前の両親に頭を下げた。

「お前がやることに、もう今さら、いちいち驚かないよ。」

香藤の父、洋一がそう言って笑った。

「あ、やっぱり?」

そう言って笑いながら、香藤は隣に座る岩城の手を掴んだ。

「彼、岩城京介さん。俺の一番大事な人だからね。」

「はじめまして、洋二の父です。」

洋一が隣に座る香藤の母を紹介して、言葉を継いだ。

「あなたの方こそ、面倒なことに巻き込んだんじゃないですか?騒ぎになってるし。」

「いえ、俺は大丈夫です。」

「そうですか?」

「そうなんだってさ。気にするなって言われたんだ。」

香藤が岩城の返事を引き取って、そう答えた。

「このあと、ちょっと仕事して、岩城さんの実家に行ってくる。」

「そうだな。けじめつけて来い。」

洋一が、そう言って頷いた。






それから数日後、香藤は岩城の実家にいた。

当然のように、2人のことは岩城の家族には衝撃的で、

岩城の兄、雅彦が香藤を目の前にして、怒りに震えていた。

「マスコミの報道が先になってしまって、

申し訳なかったんですが、岩城さんを頂きにきました。」

そう言った香藤を、雅彦が睨みつけ、岩城に向き直った。

「だいたい、お前が外国で警官になるのだって、反対だったんだ、俺は。」

「知ってるよ。」

「まるっきり、それを無視して行ったのは、今さら仕方ないと思う。でもな、」

「ああ、そのことだけど。」

岩城が兄の言葉を遮って、彼を見つめた。

「警察は辞めたよ。」

「は?!お前、なにを・・・!」

顔色一つ変えない岩城に、雅彦は言いつのった。

「あんな難しい試験通って、やっと就いた仕事を、辞めたって言うのか?!」

「そうだよ。」

「なんでそんな馬鹿な真似を?!」

岩城はじっと雅彦の顔を見ていた。

ゆっくりと、その頬に微笑が浮んで、雅彦は目を見張った。

「香藤といられる時間が取れないからだ。

ジャーナリストなら、自分のペースで仕事できるからな。」

雅彦が、顔を引き攣らせて口を開きかけた。

「俺が決めたことだよ、兄貴。文句は言わせない。」

岩城の断固とした言葉に、雅彦が声も出せずに、見つめていた。

「岩城さん、もっと、こう、さ・・・?」

香藤の方が気にして、そっと岩城に囁いた。

「いいから。」

岩城は香藤に頷いてみせると、雅彦に向き直った。

「お前にホモの趣味があるとは、思ってもみなかったよ、俺は。」

吐き捨てるように言う雅彦に、岩城は無表情のまま答えた。

「別に、趣味ってわけじゃないが。そうだったのかもな。」

絶句する雅彦に、岩城は続けた。

「俺は、許可を貰いに来たわけじゃない。ただ、言っておくことがあるから。」

「なんだ?まだあるのか?」

「ああ。」

岩城はようやく、微笑むと香藤を振り返り、頷いた。

「こいつと、こいつの家で暮らすことにした。」

「岩城さんっ?!」

「なんだって?!」

香藤と雅彦が同時に叫んだ。

岩城は微笑んだまま、まっすぐに雅彦を見つめていた。

「本気?」

「本気だ。」

香藤は嬉しそうに笑うと、雅彦に向き直った。

「岩城さんをこっちに引き込んだのは俺ですから、彼を責めるのはやめて下さい。

でも、別れるつもりはないってことも、言っておきます。」

怒鳴りつけようとした雅彦を制して、

それまで、黙っていた岩城の父が、ようやく口を開いた。

「その辺でやめておきなさい。どうやら、言っても無駄のようだ。」

「父さん!」

「京介の顔を見てみなさい。到底、悩んでる顔じゃない。」

父親がそう言って、笑った。

「香藤さんとやら、どうやら本気らしい。」

香藤が頷くのを見て、父親もはっきりと頷いた。

「引越しをしたら、住所を連絡するように。」

彼のその言葉に、雅彦は憮然として黙り込んだ。






ロンドンへ向かう飛行機の中で、香藤はずっと岩城の手を握り締めていた。

その手を引き戻そうともせず、岩城は香藤が撫でるその感触を追いかけていた。

「あのな、」

ようやく、岩城が口を開き、香藤を振り返った。

「ヒースローに着いたら、俺のフラットへ来てくれ。」

「え?」

「引越し、するんだろうが。」

「あ、そうか。」

気づいたように、香藤は笑った。







     続く



     弓


  2006年10月1日
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