These are the days of our lives

        −チャンピオンの休日 2−








ロンドン西部、

アールズ・コートにある岩城のフラットに、2人は戻って来た。

「・・・なんか・・・オンボロ。」

「悪かったな。」

岩城の部屋に入り、香藤はますます呆れたように、

そのがらんとした室内を見回した。

「なんにもないね。」

「忙しくて、ここには寝に帰るだけだし、

帰れない日のほうが多かったからな。」

「そうなんだ。そっか、警官だったんだもんね、岩城さん。」

岩城はキッチンへ向かいお茶を入れると、

買ってきたミルクを袋から取り出した。

「入れるか?」

「あ、うん。」

ティーバッグが入ったままの、2つの大きなマグカップにミルクを注ぐと、

それを冷蔵庫に戻し、一つを香藤に差し出した。

「これ飲んで待っててくれ。俺は荷造りするから。」

「手伝うよ。」

香藤は一口飲んで、立ち上がった。

「手伝ってもらうほど、荷物があるわけじゃないんだ。」

「なら、お茶してからでいいじゃん?

岩城さんだって、帰ってきたばっかだしさ。

2人でやったら、すぐ終わるでしょ?」

「・・・そうか?そうだな。」




ゆったりとお茶を飲んで、香藤が椅子から立ち上がった。

持ち込んだダンボールを手にすると、岩城を振り返った。

「はじめる?」

「あ、ああ。」

岩城が先導して、ベッドルームに入った。

一体なにを片付けるのかと思うほど、

そこにもベッドと引き出し以外にほとんど物がなかった。

秘かに、呆れて首を振りながら、

香藤はダンボールを組み立てて、引き出しを開けた。

さっさと中に入っている岩城の服を詰め込んでいく。

5段ほどのさほど大きくない抽斗。

下着や靴下までがその中に入っていた。

「あとは?」

「あとは、クローゼットだ。」

ドアを開けて、香藤がクローゼットを覗き込んだ。

その中の衣類を、香藤はてきぱきとダンボールへ詰め込み、

何着かのスーツを、岩城がガーメントバッグに入れる。

手分けして片付けた部屋は、あっという間に空になった。

それでも、掃除をして、ゴミをまとめる頃には、2人とも薄っすらと汗をかき、

岩城がシャツの前をつまんで、パタパタと扇いだ。

「シャワー、浴びてから行くか?」

岩城が項にかかる髪をかき上げながら、香藤を振り返った。

「そういう仕草しながら、言わない方がいいと思うけど?」

「え?」

首を傾げる岩城の背を押しながら、

香藤は笑ってバスルームのドアに向かった。




肌をシャワーが弾く音が響く。

香藤が岩城の背をスポンジで流しながら、片手で撫でていた。

「するなよ、ここで。」

「わかってるよ。」

「ほんとか?」

くるり、と岩城の身体を反転させて、香藤は間近で岩城の顔を覗き込んだ。

「俺、そんな節操なしに見えるかな?」

「見える。」

「あ、ひで・・・。」

「じゃ、これはなんだ?」

岩城が、香藤の勃ち上がったペニスに、

一旦視線を向けて、香藤の顔を見上げた。

「だってさ・・・」

岩城の胸にスポンジを滑らせながら、香藤は口を尖らせた。

「煽ったくせに。」

「俺がいつ煽った?」

「さっき、項撫でた。」

背中にかかるシャワーに、後頭部を濡らして首を振りながら、

岩城は呆れた顔で香藤を見返した。

「そんなの、煽るって言わないだろうが。」

「俺にはそうなんだって。」

「まったく・・・。」

岩城は香藤の手からスポンジを取り上げると、彼の鼻先をそれで突いた。

「あてっ・・・。」

「ほら、そっち向け。洗ってやるから。」

「うん。」

無言で香藤の逞しい背を流しながら、岩城はくすっと笑った。

「・・・帰ってからな。」

振り返った香藤は、満面の笑みで岩城を抱きこんだ。

「うん。」




バスルームから出た香藤に、岩城が声を掛けた。

「俺は、車を回してくるから。」

「うん。」

にこりと微笑んで、岩城は部屋を出て行った。




「ほえ?」

「なんだ?」

フラット前に駐められた、レンジ・ローバーに香藤が唖然としていた。

「これ、岩城さんの車って?」

「そうだが?」

「いつも乗ってたやつは?」

「あれは、借り物だ。」

バックシートにダンボールを載せて、岩城は香藤に手を差し出した。

その手に、ダンボール箱を手渡しながら、香藤が首をかしげた。

「それって、覆面パトってこと?」

「そうだ。」

「へぇ・・・全然気づかなかったな。」

荷物をすべて乗せ終えて、香藤はしげしげとその大きな型の古い車を眺めた。

「高いよね、これ。」

「ああ。」

そう答える岩城の顔が嬉しげに見えて、香藤は笑った。

「なにがおかしい?悪いか、俺がこれに乗ってて?」

「そうじゃなくてさ。気に入ってんでしょ?」

「ああ。安い給料を、無理して買ったんだ。

これだと、どこでも行けるしな。

調査に出かけるのは、平坦なところばかりじゃないから。」

「あれ?ジャーナリストの方の印税は?」

岩城は助手席のドアを開けながら、肩をすくめた。

「そんなのは、調査に消えてる。」

「あ、そうか・・・で?」

「乗れよ。」

言いかけて、岩城を見返す香藤に、岩城は助手席を顎で示した。

「俺がこっちなわけ?」

「当然だ。」

「当然ね〜・・・。」

回り込んで運転席に座った岩城は、香藤の声に片眉を上げた。

「なんか文句あるのか?」

「ないよ〜・・・岩城さんだけだよ、俺に助手席に座れなんて言ったの。」

「そうか?」

「当り前でしょ?俺、F1ドライバーなんだけど?」

「だからなんなんだ?これは俺の車だぞ。」

くす、と香藤が笑って岩城を見つめた。

「うん、わかってる。」






チッピング・カムデンの香藤の家へ向かう。

途中で、岩城は村の大通り(ハイ・ストリート)で車を止めた。

「・・・あ、パン屋か。」

「今夜の分、あるのか?」

「そう言えば、買ってない。」

2人が車から降りると、あっという間に村人が周囲を取り囲んだ。

「おかえり!」

「わからなかったよ、この車だから。買い換えたのかい?」

「ああ、これ、岩城さんの車なんだよ。」

香藤がそう答えると、笑い声が上がった。

「まだ、岩城さんって呼んでるのか?」

「あ、・・・変かな?」

2人は苦笑しながら顔を見合わせ、肩を竦めた。

パン屋で買い物を済ませ、店を出るころには、通りに人だかりができていた。

ドアを開けて出てきた2人に、大きな拍手が起こった。

笑顔で挨拶をして、車に乗り込み、香藤たちは自宅へ向かった。

走り去る車を見送っている、村人が呟いた。

「レンジ・ローバーで、嫁入りか。」

そこここで笑い声が上がった。

「どっちが嫁だか、わからんがな。」

「そりゃ言えてるな。」






「うわ、すっごい人・・・。」

香藤の家に到着すると、既に2人が村に入ったことが伝わっていたのだろう、

玄関先に人垣ができていた。

「大変だな。この前戻って来たときより、多いんじゃないか?」

車が止まり、二人が降り立つと、

ロビンが両手を広げて二人をいっぺんに抱きしめた。

「おかえり、ワールド・チャンピオン、おめでとう!」

「ありがと。ただいま。」

「キョウスケ、おかえり。」

「ああ、ただいま。」

2人を抱え込んだままでいるロビンに、周囲から声が飛んだ。

「独り占めはずるいぜ、ロビン!」

「そうだよ!」

やいのやいのと口々に言う村人達に、ロビンは二人を解放して、振り返った。

「うるさいな!これからずっと2人はここに住むんだ。慌てるなよ!」

その村人達を、岩城と香藤は笑いながら眺めていた。

「ほらほら、荷物運ばないといけないんだ。道をお開け。」

マーサの呆れた声がして、村人はわらわらと車へ向かった。






ダンボールを抱えて、岩城がそれをベッドルームへ運んだ。

ドアを開けて、中へ一歩入った岩城は、

視界に飛び込んできたものに、思わず手にしたダンボール箱を床に落とした。

その音に、後からついてきていた香藤が、慌てて岩城に走り寄った。

「大丈夫?!」

身じろぎもしない岩城の背中に、香藤が心配げに声をかけた。

「どうしたの?」

「・・・なんだ、これは?」

「え?」

岩城の視線をたどって、香藤はベッドルームを覗き込んだ。

そこには、真っ白いレースのカーテンが掛けられた窓と、

白いレースの縁取りのある、

ハート型のクッションが置かれたベッドが鎮座していた。

それを見た香藤が、腹を抱えて笑い出した。

「笑いごとじゃないだろう!いったい・・・。」

2人の声を聞きつけて、アビーがベッドルームに顔を出した。

「アビー、これ・・・?」

岩城がそう言って絶句した。

その顔を見て、アビーはにっこりと笑った。

「可愛いでしょ?」

「いや、そういうことじゃなくて・・・。」

「さっすが、アビー。気がきくね〜。」

香藤がそう言って、笑いすぎて目尻に滲んだ涙を指で拭った。

「当然だわ。新婚だもん。」

「し、新婚って・・・、」

「ほ〜ら、照れない、照れない。」

アビーが、ひらひらと手を振って、ベッドルームを出て行った。

呆然とアビーを見送る岩城に、香藤はまた吹き出して、

岩城に睨みつけられ、慌てて口を手で塞いだ。

「笑ってる場合か!」

「しょうがないじゃん。悪気があるわけじゃないんだし。」

「それはわかるが・・しかしな、これはちょっと・・・。」

「ま、新婚なのは事実だしさ。」

「誰が新婚だ?!」

顔を赤くして喚く岩城の背を、宥めるように叩きながら、香藤はウィンクした。

「ほら、片付け途中だよ?」

恐る恐る、クッションを摘み上げて、岩城が呟いた。

「・・・これで、何をするんだ?」

「あのさ・・・岩城さん、それ、飾りだから・・・。」

顔をしかめて首を振る岩城を、

笑いをかみ殺して香藤が促し、ベッドルームを出た。




荷物を運び込み、片づけを済ませて、

リビングの外の庭に集まった、ロビンと数人の村人達が、

マーサに指示されて巨大なモミの木を立て、クリスマスの飾りつけを始めた。

それを、岩城と香藤が窓に凭れながら見ていた。

「12月に入ったばかりなのに、もう準備するのか?」

「11月には、もうするんだよ、こっちは。」

「そうなのか。」

「お茶が入ったわよ。」

アビーがリビングにトレーを運びながら、皆を呼んだ。

飾り付けが終わった皆がわらわらと、ソファに集まった。

「クリスマスツリーなんて、久しぶりだな。」

岩城がそう言って、外のツリーに視線を向けた。

「いいでしょ?」

「そうだな。」

目元で笑って、岩城は言葉を継いだ。

「今日は、驚いてばっかりだ。」

岩城がそう言って笑った。

以前使っていなかった部屋を香藤は岩城の書斎にと、改装していた。

その部屋には、岩城の使っている古いニコンの為の暗室まで作られていた。

「今どき、写真を現像するなんて人、いないよね。」

「悪かったな、アナログ人間で。」

「ほら、怒らないの。」

2人の掛け合いを見ていた村人から、不思議そうな声が漏れた。

「・・・なぁ、ヨウジ。どっちが嫁さんなんだ?」

途端に、岩城がお茶に咽て咳き込んだ。

「大丈夫?」

「ああ・・・。」

その背を、トントンとたたきながら香藤は苦笑していた。

「ヨウジがゲイだったとはな。」

「そう?驚いた?」

香藤はにっこりと笑って村人を見返した。

「まぁね。でも、そういやぁ、女の影も形もなかったな。」

「ヒーローがゲイってのはさ、ちょっとまずいかなと思ってさ。」

香藤がそう言って、肩を竦めた。

その彼を、岩城は黙って見つめていた。

「黙ってるのをやめたのは、なんでなんだ?」

ロビンの質問に、村人達は香藤を見つめた。

口を開きかけて、香藤は岩城を振り返った。

少しの間、そのまま彼を見つめて、香藤は皆に向き直り、

「岩城さん、だからさ。

初めて、大事にしたいって思った相手だから、隠す気もなかったんだ。」

「そうか・・・で、どっちなんだよ?」

興味深々で、二人の返事を待っている周囲に、マーサがすました顔で答えた。

「そんなの、見りゃわかるだろう。」

「え?」

皆が振り返ると、マーサはくすりと笑った。

「見ればわかるのか・・・。」

首を傾げて2人を見つめる村人達を、

マーサは追い立てるようにして立ち上がった。

「ほら、帰るよ。2人の邪魔だ。」

苦笑いしながら、ロビンとアビーが続いてソファから立った。

「じゃ、また明日。」

「うん、ありがとうね。」

「アクセルとブレイクは、明日連れてくるから。」

ロビンがそう言って、微笑んだ。

「今夜は、いると邪魔だろ?」

香藤は肩をすくめて笑い返した。

「うん、ありがとう。面倒かけてごめんね。」

「気にするな。毎年のことじゃないか。じゃ、おやすみ。」

口々に挨拶をして帰って行くマーサたちを、

岩城と香藤は玄関のドアを開けたまま見送った。






     続く




     弓



  2006年10月12日
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