These are the days of our lives

        −チャンピオンの休日 19−








「よく食べるわねぇ。」

アビーが、餌の入った器に、顔を突っ込むようにしているブレイクを、

眺めながら笑った。

その声に、岩城と香藤がテーブルから、ブレイクを見下ろした。

はぐはぐと口を動かすブレイクを見ていた岩城は、ふ、と眉を寄せた。

「どしたの、岩城さん?」

「うん、ちょっと。」

椅子から降りて、岩城がブレイクの傍へしゃがんだ。

「うにゃ?」と、ブレイクが顔を上げ、また、器へ顔を戻した。

岩城は、そっと手を伸ばすと、ブレイクの腹を下から触った。

「・・・やっぱり。」

「なに?」

香藤が岩城の隣に腰を下ろして岩城を見つめた。

「ブレイク、妊娠してるぞ。」

「はぁ?!」

「ええ?!」

アビーと香藤が、驚いて声を上げた。

ブレイクを眺めていた岩城が、その背を撫でながら、小さくつぶやいた。

「お前は、好きな相手のために子供を産んでやれていいな。」

香藤が、どきり、として岩城を振り返った。

岩城はそれに気づかず、微笑んだままブレイクを撫でていた。

アビーが、黙ってキッチンに消え、トレイを持って戻ってきた。

「お茶、入ったけど?」

「あ、ありがとう、アビー。」

岩城が立ち上がり、テーブルに戻った。

その岩城を、香藤はじっと見つめていた。






「どうしてわかったの、ブレイク、子供ができてるって?」

「なんとなく、かな。」

膝の上で丸くなって寝ているブレイクを撫でながら、岩城が笑った。

「腹が、出てる気がしたんだ。」

「そうなんだ。」

「それに、1月だったか、ブレイクがいなくなったことがあっただろう?」

香藤は、思い出したように笑った。

「ああ、そうだったね。」

「お前、いないって騒いで。」

岩城がそう言って香藤に笑顔を向けた。

帰ってこないブレイクを、香藤はあちこち探して回った。

当のブレイクは、涼しい顔で数日後戻ってきて、

香藤に抱きしめられて、じたばたとしていた。

「あの時、恋人と会ってたんだね、ブレイクは。」

「そうだろうな。」

「それでさ、岩城さん。」

見上げた香藤の、少し眉を寄せた顔に、岩城は首をかしげて見返した。

「なんだ?」

「さっき、ブレイクにお前は子供を生んでやれていいなって、言ったじゃん?」

「ああ、言ったが?」

「そういうこと、いつから考えてたの?」

岩城はふと口を閉ざすと、香藤から視線を逸らした。

「・・・そうだな、いつ頃だろうな。」

そう呟くと、岩城は香藤に視線を戻した。

「お前、どこかに子供の1人や2人、いるんじゃないのか?」

「は?」

「遊びまくってただろうが。」

「そうだけどさ・・・いない、と思うよ?なんで?」

「そうか・・・なんだか、残念だな。俺は、産んでやれないから。」

香藤は口を開けたまま、岩城をぽかんとして見返した。

「作ってきてもいいぞ?」

その言葉に、香藤は黙り込んで岩城を見つめた。

本気で言っていることが、岩城の顔つきからわかる。

それでも、香藤はそれを口にした。

「本気で言ってるの、それ?」

「・・・お前の子供は、見たいと思う。でも、俺には無理だからな。」

香藤は溜息をつくと、岩城の手を握った。

「あのね、岩城さん。今度そういうこと言ったら許さないからね?」

「どうしてだ?」

真剣に見返す岩城を、香藤は掴んだ手を引っ張って両手で抱きこんだ。

「岩城さんだって、どっか他の女とセックスして、

子供作ってきてもいいよ、って言われたらやでしょ?」

「・・・あ、・・・。」

「それは俺の気持ちを無視してるし、だいいち、女性に失礼だよ?」

「うん。」

いったん黙り込んだ岩城は、ふと笑うと、

身体に巻きついた香藤の腕を、撫でた。

「子供をつくってこい、って言われたらいやだが、

それ以前に、俺にはもう無理だな。」

くすり、と香藤も笑うと、岩城の額にこつんと自分の額を当てた。

「じゃ、俺にも言わないで?」

「ああ。すまん。」







「あ、ブレイク、だめよ!」

ソファの上に畳んでおかれていた、洗い立てのバスタオルを、

はっきりとわかる大きな腹をしたブレイクが、口に銜えて歩き出した。

「アビー、いいよ。」

慌てて追いかけようとしたアビーを、岩城が静かに止めた。

「え?」

「たぶん、そろそろ産まれるんだろう。寝床、つくりに行ったんだと思う。」

自分の身体よりも、はるかに大きなタオルを引きずって歩いていくブレイクを、

岩城はそっと追いかけた。

とことこと廊下を行き、ブレイクは玄関脇の納戸のドアの前で立ち止まった。

「ここがいいのか?」

付いてきた岩城を、ブレイクが見上げた。

岩城がドアを開けると、ブレイクは中へ入っていき、

隅の棚の一番下の端っこの暗がりへ入り込み、

銜えたタオルを口から放した。

もそもそと両手足でそれをかき寄せ、鼻先を突っ込み、

しきりに足元を探っていたが、納得したのか、また外へ出て行った。

リビングで、片づけをしていたアビーは、

戻ってきたブレイクが、またタオルを銜えるのを、黙って見ていた。

「お母さんになるんだね、ブレイク。」

「そうだね。アビー、しばらく納戸には入らないほうがいいね。」

「うん、そうする。」

岩城は、そっと納戸へ戻ると、開いているドアの隙間から中を伺った。

隅で、ブレイクがタオルを土手のようにして、蹲っていた。

「がんばれよ、ブレイク。」

岩城はそう呟いて、納戸のドアを閉めた。






「産まれるの?!」

「多分な。」

「いつ?」

「そんなこと、俺にわかるわけない。」

香藤が、チームとのオフ最後の打ち合わせから戻ってきて、

玄関先で声を上げた。

「それより、静かにしろ。」

岩城がそう言って、納戸のドアを指差した。

「・・・ここなの?」

香藤が小さく声を落として、岩城に顔を近づけた。

「ああ、そうだ。」

「うわぁ・・・。」

ドアに近づいて、開けようとした香藤を、岩城は慌てて止めた。

「なんで?」

「デリケートなんだ。出産中は、近寄らないほうがいい。

下手すると子供を食い殺すぞ。」

「そうなんだ?」

ああ、と岩城はうなずいて、香藤の手を引っ張った。






「あのブレイクが、ねー・・・。」

「なんだ?」

リビングに落ち着いて、香藤はソファに座って首を振った。

「すっごい、お転婆だったんだけど。」

そう言って、香藤が笑った。

「お年頃、ってやつ?」

「いつまでも子供じゃないさ。・・・こいつはわからないが。」

椅子に座る岩城の膝に顎を乗せて、

舟をこいでいるアクセルの頭を撫でて、岩城はくすりと顔を綻ばせた。

「贅沢な奴。岩城さんの膝枕なんて。」

「むくれるな。して欲しいなら、後でしてやる。」

「うん!」






夜中に、岩城は香藤の腕の中で目を覚ました。

しっかりと抱きしめられたまま、

しばらく香藤の胸に頬をつけて目を閉じていた岩城の耳に、

微かな物音が届いた。

少し眉を寄せて、その音を追いかけていた岩城は、

なにかに気付いた様に目を見開いた。

そっと香藤の腕を腰からはずすと、

岩城は静かな寝息を立てる香藤の唇にキスを落として、起き上がった。

音を立てないようにゆっくりとベッドから降りると、

全裸の上に、床に落ちていたバスローブを引っ掛けて、玄関に向かった。

中からみゃー、みゅーと、しきりに鳴く声が、

ドアにつけた岩城の耳に飛び込んできた。

「いったい、何匹産んだんだ。」

くすり、と笑いをこぼして岩城はベッドルームに戻った。

「寒いのにどこ行って来たの、岩城さん。トイレ?」

「いや・・・。」

岩城はバスローブを脱ぐと、香藤が持ち上げたブランケットの中に潜り込んだ。

そのまま、香藤の腕の中に納まると、岩城は冷えた身体を香藤に押し付けた。

「産まれたみたいだな。」

「ブレイク?ほんと?」

「ああ、声が聞こえた。」

「そっか。よかったねぇ。」

香藤は冷たくなった岩城の身体を、ブランケットの中で擦った。

「明日、見られるかな。」

「ブレイクに聞いてみろ。」

「うん、そうする。」






「みんな真っ黒・・・。」

香藤が納戸の隅に蹲るようにして、一番下の棚の奥を覗き込んでいた。

横たわるブレイクの腹に、小さな黒い塊が5匹、

鳴き声をあげながら吸い付いていた。

「父親のほうも、黒猫なんじゃないか?」

隣にかがんだ岩城が、そう言って笑った。

「なんでわかるの?」

岩城はそっと立ち上がると、香藤をドアに誘った。

リビングに戻ってきた岩城は、窓の外、庭の片隅を指差した。

そこには、黒い大きな猫がじっと座って家の方を見つめていた。

堂々とした体躯の、大きな黒猫で、長い毛で覆われ、

まるでたてがみがあるように見えた。

「今朝、気がついたんだが、ずっとあそこにいるんだ。」

「心配で、見にきたんだね?」

香藤が庭に通じるドアを開けて、そこにしゃがんだ。

そっと手招きすると、その黒猫は起き上がり、躊躇しながら片足を前に出した。

香藤はそれを見て、ドアから離れた。

黒猫が、ゆっくりと庭を横切り、リビングへ入ってくると、

岩城を見上げて、「な」と鳴いた。

「なんで岩城さんなんだよ。呼んでやったの俺だぜ?」

「猫相手に怒るな。」

黒猫は、リビングの角へ行くと、今度はそこへ座り込み、

玄関のほうを向いて動かなくなった。

「遠慮してるわけ?」

「さてな。俺は、ブレイクに餌を持っていくよ。」

岩城がそう言って、テーブルから器を取り上げると、黒猫は腰を上げた。

それを見て、岩城と香藤は顔を見合わせて微笑んだ。






ブレイクの脇に器を置くと、

ついてきた黒猫がブレイクの頬にそっと口先を押し付けた。

まるで労わるようにぺろり、とそこを舐め、

鼻先で器をブレイクに押しやり、

傍らに塊になって蠢く5匹の子猫たちを、彼はじっと見つめていた。

それを横目に、ブレイクははぐはぐと食事を始めた。

「わかってるらしいな、自分の子供だって。」

「そうみたいだね。猫って、頭いいもん。」

「うん。」

「それに引きかえって感じだね。」

そう言って香藤はドアを振り返った。

ドアの向こうで、閉め出されたアクセルが、ばうばうと吠えていた。

岩城と香藤は顔を見合わせて、くすくすと笑った。







3月半ば、今シーズンが始まる。

朝からばたばたと荷造りをして、

岩城と香藤は初戦の地、ブラジルへ向おうとしていた。

庭に駐めたレンジ・ローバーに、香藤が荷物を積み込みながら、声を上げた。

「岩城さん、まだ?」

「ちょっと待ってくれ。」

岩城は籐の籠の中にブレイクの子供達を入れて、玄関から現れた。

後から出てきたロビンが、両手に持っていたトランクを、

レンジ・ローバーに乗せながら、

岩城の足にまとわりつくブレイクに笑っていた。

「大丈夫だ、ブレイク。お前も入るか?」

岩城が屈むと、ブレイクは籠の中を覗き込んだ。

「今年は、数が増えちゃってごめんね。」

香藤がアビーにそう言うと、ロビンとともにアビーが首を振った。

「いいのよ、気にしなくて。大勢のほうが楽しいし。」

「ブレイクの旦那もいるね。」

庭先にいる黒猫を振り返って、香藤が笑った。

その足に、アクセルが額をつけて唸っている。

毎年の光景に、今年は小さな声が混じっていた。

「フェラーリは?」

「ジェームズの事務所に、昨日持ってった。」

「そうか。」

ロビンが、腰に手を当てて、手をつないで立っている岩城と香藤を眺めた。

「今年のシーズンは、何事もないことを祈ってるよ。」

「うん。そうだね。」

「ヨウジ。」

香藤は見返したロビンの顔に、小首をかしげた。

「土産は、チャンピオントロフィーがいいな。」

白い歯を見せて香藤は笑うと、しっかりと頷いた。







「よ、久しぶり、チャンピオン。」

開幕戦の行われる、ブラジル・インテルラゴスサーキットで、

ネルソンがマクガバン・チームのピットを訪れた。

ピットでは、予選を明日に控えて、メカニック達がマシンと格闘している。

香藤はカジュアルな服装のまま、時折リクエストを出しながら、

それを腕を組んで眺めていた。

「あれ?キョウスケは?」

「仕事だよ。」

「大変だな。お前と一緒になって、やり難いこともあるだろうし。」

「うん。多分そうだろうね。」

「7年連続か・・・。」

ネルソンがぼそっと呟いた。

「え?」

「今年勝ったら、7年連続だろ?」

「そうだけど?」

にやり、とネルソンは口元を上げた。

「それ、俺が阻止するぜ。」

「ふふん、やれるもんならね。」

香藤がそう答えると、ネルソンは彼の正面に立った。

「俺が勝ったら、キョウスケを貰うぞ。」

「はぁ?!」

ぽかんとする香藤を尻目に、ネルソンは背中を向けて、片手を振った。

「なに、馬鹿言ってんだよ!」

「ほお、自信がないのか?」

おたおたとする香藤を、メカニック達が肩を揺らして笑っていた。

「ふ、ふざけんな!冗談じゃない!」

「俺は自信あるぜ。キョウスケも、まんざらじゃなかったみたいだしな。」

笑い声を上げてネルソンが去っていき、入れ違いに岩城が戻ってきた。

「あー、岩城さ〜ん!」

「どうした?」

香藤から説明を聞いた岩城は、堪らずに吹き出した。

「笑い事じゃないよぉ。」

「笑い事だろう?」

「なんでさ?」

岩城は微笑んだまま、香藤の頬を指でそっと撫でた。

「勝てばいい。それだけだ。」

「う・・・ん。」

「俺はお前が負けるとは思っていないが、お前はどうなんだ?」

「勝つよ。」

「ま、ネルソンが勝ったら、その時はその時だな。」

「俺が勝つってば!」

岩城の返事に、焦って声を上げる香藤に岩城は再び吹き出した。

香藤が岩城の腰に、するりと腕を回して抱き寄せた。

軽くひねられた岩城の腰に、しどけない色気を見て、

メカニック達が顔を赤らめた。

「ああ、俺はここで待ってるからな。」

「うん。」

香藤がそっと岩城の唇を啄ばんで、額を擦り付けた。

「その辺で、終わりなよー。」

吉澄が呆れて声を上げ、ピット内が笑い声で包まれた。

「さて、チャンプ、テスト走行するかい?」

「うん、着替えてくるね。」

香藤がマシンに近づいて、そのノーズにキスを落とした。

岩城は黙って、その香藤の背を見つめていた。




サーキットに、今年初めてのエグゾーストノイズが響き渡る。

また、熱いシーズンが始まった。




 
     終わり




     弓




   2006年12月24日
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