These are the days of our lives −チャンピオンの休日 18− 「・・・え?」 岩城が、差した影に驚いて見上げた。 その岩城を見つめながら、ネルソンは彼の隣に席を移した。 「今の、ヨウジだろ?」 「ああ、そうだけど?」 ネルソンが、にやり、と笑った。 「驚いたな。そういう顔をするとはね。」 言われて、岩城はきょとんとして彼を見返した。 「そういう顔?」 くすくすとネルソンが笑い出した。 つ、と手を伸ばすと、ネルソンはテーブルの上に置かれた、 岩城の手の甲に指を滑らせた。 「・・・どうだ?」 「どう、って?」 「とぼけなくてもいいだろう?」 「は?」 岩城の手の甲に置かれた指が、妖しげに動いた。 「だから、今夜どうだ、って言ってるんだ。」 「は?何を言ってるんだ。お前、大丈夫か?」 ネルソンの手を外しながら、岩城は眉をしかめた。 外された手で、頬杖を突いて、ネルソンは岩城をまじまじと眺めた。 「どうやら、本気で言ってそうだな。」 「当たり前だろう?趣味が悪いのは、香藤だけだと思ってたが。」 「は?」 今度は、ネルソンの方がきょとんとして岩城を見返した。 「なんでお前まで、俺なんかと寝たいと思うんだ?」 真顔で聞く岩城にネルソンは唖然とした。 「驚いたな。そんなこと聞かれるとは思わなかったぞ。」 「あのな、ネルソン。お前、俺のこと知ってるだろ?」 「知ってるさ。ヨウジの女だろ?」 苦笑する岩城に、ネルソンは笑った。 「美人で色っぽいときてる。おまけに、肌も綺麗だ。誘って当然だろ?」 「なに言ってんだ。」 嘆息する岩城を、上から下まで眺め下ろして、 ネルソンはとんとん、とテーブルを指で叩いた。 「こんなフェロモン撒き散らしてる相手、誘わなきゃ、男が廃るってもんだ。」 「誰がフェロモン撒き散らしてるって?」 「キョウスケ。」 ぴ、と人差し指で岩城を指して、ネルソンがにんまりと笑った。 岩城が口元を歪めて首を振った。 その隙を突いて、ネルソンは岩城の顎を捕らえた。 え、と思う間も無く、ネルソンが岩城の唇を塞いだ。 舌を差しこもうとした途端、喉元を掴まれて、 驚いて目を開いたネルソンは、 ぱちり、と目を見開いたままの岩城に、唇を離して苦笑した。 「馬鹿か、お前。気持ちが悪い。」 顔をしかめてそう言う岩城に、ネルソンの方が驚いて首を傾げた。 「気持ち悪いって、感想はそれだけかよ?」 「それ以外に、何を感じろと?」 「はぁ?キョウスケ、ゲイなんだろ?違うのか?」 「俺はゲイじゃない。」 「・・・え?」 そこへ、テーブルの上に置いてあった岩城の携帯が鳴った。 液晶の、「HOME」の文字に、ネルソンが肩をすくめた。 ふ、と岩城の頬が緩んだのを見て、呆れたように首を振った。 「ああ、俺だ。今?」 岩城が少し溜息交じりに、答えた。 「ネルソンと話してる。」 途端に、岩城が顔をしかめて、携帯を少し耳から離した。 隙間から香藤の声が聞こえて、ネルソンは笑いをこらえた。 「なに言ってるんだ、馬鹿。あ・・・。」 「よーお、ヨウジ、元気か?」 岩城の手から、ネルソンが携帯を取り上げた。 『なっ・・・ネルソン!なにやってんだよ?!』 「なにって、キョウスケとお話。」 『話って、なんの話だよ?!』 香藤の質問に、ネルソンはにやり、と笑った。 「実に楽しいね、キョウスケは男も大丈夫ときてる。」 『ネルソン、まさか、お前、ゲイ・・・。』 「あ、俺?どっちも行けるくち。いい嫁さんだよな、美人で、美味だし。」 『美、味、ってなんだよ?!』 「これからもっと楽しい時間を過ごそうかと思ってさ。」 ネルソンがそう言った途端、ぶちっ、と携帯が切れた。 「変な奴。切っちまったよ。」 岩城は携帯を受け取りながら、溜息をついた。 「馬鹿なことを言うからだ。知らないぞ、俺は。」 「なにが?・・・それより、さっきの話。」 「さっき?」 ネルソンが不思議そうな顔をして、岩城を眺めた。 「ゲイじゃない、って言っただろ?」 「ああ、」 岩城は頷くと、香藤に出会うまで男と付き合ったことはない、と答えた。 「・・・なんで、そのヘテロがそうなっちまうんだ?」 「さぁな。」 腕を組んで、ネルソンは岩城を見つめた。 「だいたい、俺のどこがいいんだか。」 「なに言ってんだよ、キョウスケ!自分のこと、わかってなさ過ぎだ。」 「わかるも何も、俺はいい年の男だぞ?食ってもおいしくないと、思うが・・・。」 そう言って、岩城はくすりと笑った。 「いや・・・一人、悪食が家にいるな。」 「は?」 ネルソンが呆れたように口を開いたまま、岩城を見返した。 「悪食って・・・あの遊び人、つかまえてよく言うな。」 「遊び人ね。」 岩城が頬杖をついて、軽く肩をすくめた。 「そうだよ。あのヨウジ・カトウが、マジになってるんだ。 なんか理由があるだろうと思ってたよ。 噂は、いろいろ入ってきたからな。」 「へぇ?」 「オフになると、どうしてもあちこちのパーティに出なきゃならないだろ、俺たち? ヨウジはそういうの、女連れで出たためしがないんだ。 それは、キョウスケも知ってるだろ?」 「・・・まぁな。」 「それが、どこに行くのも、お前を連れてくんだ。そりゃ、いろいろ見られてるさ。」 「そうだな。」 くすりと笑う岩城の顔に、ネルソンは溜息をついた。 「あと追い掛け回してるって聞いてるぞ。それでも、わからんわけか?」 黙ったまま肩をすくめる岩城に、ネルソンは呆れて首を振った。 「ヨウジじゃなきゃ、やだってわけだ。」 「やだ、っていうか・・・。」 「じゃ、なんであのヨウジが、電話かけまくって来るんだよ? 俺が電話に出たときの、奴の声、笑えるくらいびっくりしてたぞ?」 「だろうな。」 「チャンピオンがぞっこんだってのは、本当なんだな。」 ネルソンは、岩城の左薬指にある指輪を、ちょん、とつついた。 「その服の下、見てみたいけどな。ぞっこんの理由の一つだろ?」 「・・・馬鹿。」 まともに取り合おうとせず、吹き出す岩城に、ネルソンは口元を歪めた。 「まったく、この俺が軽くあしらわれるとはな。 堪らんね。俺って、そんなに魅力ないかな?」 「そうじゃない。」 笑って首を振る岩城に、ネルソンは身を乗り出した。 「きっと、あれだろ?」 「え?」 「そんなにいいのか?デカイのか、ヨウジのあれは?」 ぷ、と岩城が吹き出し、声を上げて笑い出した。 「でかいかどうかは、わからん。あれしか知らないからな、俺は。」 そう言って、岩城は気づいたように真顔で頷いた。 「俺のよりは、でかいな。」 「・・・なんてこった。」 ネルソンがついていた頬杖を外して、岩城をじっと見つめた。 「ほんとにヘテロだったのか。ありえねぇな。」 「なぜ?」 「そんな急に色っぽくなるなんざ、信じられん。 オーストラリアの時までは、これっぽっちも感じなかったんだぜ?」 「ああ、」 岩城が頷くのを見て、ネルソンは声を潜めた。 「やりまくられた、ってわけだ?」 苦笑する岩城を、ネルソンは、一人頷いた。 「なるほどね。奴、絶倫だもんな。」 それを聞いて、にやり、と岩城が笑った。 「俺に、先に手を出したのは洋二だからな。 お前にその前に誘われてたら、何が起こってたかわからんぞ。」 そう言われて、ネルソンが絶句した。 それに重ねるように、岩城が笑った。 「まぁ、なんというか、この歳まで、 ああいうセックスの仕方があるなんて、知らなかったな。」 飲みかけたコーヒーにむせながら、ネルソンはじろりと岩城に視線を向けた。 「それ、俺の前で言うかよ?」 「すまん。」 「勘弁してくれよ。へこむぜ。」 ぶすっとした顔で岩城を見ていたネルソンが、にんまりと笑った。 「それを、お前受け入れてるんだよな。 それ聞くと、やっぱりお願いしたくなるな。」 「馬鹿言え。」 「貞操は守ります、って奴か?」 溜息をついて、岩城は呆れたようにネルソンを見返した。 「さっき言ったろう。気持ちが悪い。」 あーあ、とネルソンが呟いた。 「ヨウジ以外は、眼中になし、か・・・。そんなにいいのか、あいつ。」 「言っておくが、」 岩城がまっすぐに視線を向けた。 「俺があいつに惚れたのは、セックスが理由じゃない。」 真顔でそういう岩城に、ネルソンは手にしていたカップをソーサーに戻した。 「・・・わかったよ。」 頷く岩城に、ネルソンは肩をすくめた。 「キョウスケの言うヨウジは、まるで以前とは別人みたいな気がするな。」 「俺もそう思う。」 岩城がそう笑って答えた。 「ヘテロが受け入れるのって、大変だったろうに。」 「ああ・・・。」 くすり、と笑う岩城の顔を、ネルソンがまじまじと見つめた。 「気持ちがあれば、慣れるもんだよ。ただ・・・。」 「・・・ただ?」 「クリスマス休暇の間は、死ぬかと思ったが。」 ぶほ、とネルソンが飲みかけのコーヒーを吹き出した。 「もう戻れないな。」 「は?」 ネルソンが、きょとんとして岩城を見返した。 「もう、女は抱けないと思う。俺のほうがすっかり女だ。」 そう言って笑う岩城に、ネルソンが憮然とした顔をした。 「・・・それ以上は言わなくていい。」 「ああ、すまん。」 「シーズン、始まったら大変だぞ。お前に粉かける奴、一杯いるぞ、きっと。」 「物好きが多いんだな。」 あきれ返ってネルソンが、岩城を眺めた。 「自覚しろよ。ヨウジに言われないか?」 「言われてるよ。」 そうだろうな、とネルソンが頷いた。 その時、正面玄関からざわざわと、声が聞こえた。 何事かと振り返ったネルソンは、 普段着のままロビーに入ってくる香藤に、驚いて目を見張った。 「ヨウジ?!」 「あ、いた!」 香藤が足早に近付いてくる。 「だから言っただろう、知らないぞって。」 「あ?!ちょっと待て、チッピング・カムデンからここまで、結構あるぞ?」 ネルソンがそう言うと、岩城は笑った。 「そうだな。でも、香藤には関係ないんだろ。」 香藤が床に膝をついて、岩城の肩を抱きこんだ。 「岩城さん、大丈夫?」 「なにが、大丈夫なんだよ?」 ネルソンが、椅子の背もたれに肘をついて香藤を見返した。 「お前、なにしたんだよ、岩城さんに?!」 「別にー。キスしただけ。」 「・・・っ・・・。」 香藤が絶句した。 その顔を横目で見ながら、ネルソンは岩城に顔を向けた。 「キョウスケ、ヨウジが飛んでくるってこと、わかってたな?」 「ああ、まぁな。」 「まったく、いやにな・・・うわっ!」 香藤が、いきなりネルソンの襟首を掴んだ。 「香藤、やめろ。」 岩城は香藤のシャツを掴むと、ぐい、と引っ張った。 弾みで床に膝をついた香藤の顎に手をかけて、 岩城は目元で笑って、香藤に唇を押し付けた。 「・・・うへ。」 ネルソンの声を聞きながら、岩城はゆっくりと香藤の唇を舐めた。 「・・・岩城さ・・・。」 青い顔で見つめる香藤に、岩城が微笑んだ。 ネルソンを振り返ろうとする彼の頬を両手で挟んで、自分の方に向けた。 「やめとけ、香藤。」 「なんで?」 「バカ。殴るほどのもんじゃない。俺は、他の奴にキスされても、何も感じない。」 香藤がぱちくりとして岩城を見つめた。 「なんか唇に当たっただけのことだ。」 「ひでぇ・・・。」 ネルソンが思い切り顔をしかめて、天井を仰いだ。 「俺は、なんか、程度なのか。」 「当然だな。」 クス、と岩城が笑った。 呆れ返って二人から視線を外したネルソンは、 遠巻きにして3人を囲んでいるスタッフに気付いた。 「あらら、見られちまってる。」 周りを見回した岩城と香藤は、顔を見合わせて苦笑した。 「ネルソン、ふざけるのはもうやめるんだな。」 ウィリアムが、笑いながら近付いた。 「ま、チャンピオンの女に手を出す勇気は、ないな。」 「嘘ばっか・・・。」 香藤がぼそっと呟いて、スタッフから笑いが漏れた。 ネルソンが香藤を見つめながら、にんまりと笑った。 「俺以外、ってこと。」 「ったく、もうー!」 庭先に停まったレンジ・ローバーの隣に、ディーノが滑り込んだ。 リビングに入って、香藤がソファにだるそうに腰を下ろした。 「アビーは帰ったみたいだな。」 「あ、うん。俺が家を出る時、終わったら帰っていいよ、って言ったから。」 「そうか。」 岩城は香藤を少し見つめたあと、キッチンに向かった。 「お茶でよかったか?」 声を掛けながら戻ってくると、香藤はクッションを抱えてむっつりとしていた。 「あ、ごめん。ありがと。」 その前にマグカップを置いて、岩城はまだ拗ねている香藤にくすりと笑った。 抱えているクッションを取り上げると、岩城は香藤の上に乗り上げた。 驚く香藤の髪に指を突っ込み、唇を塞いだ。 「・・・ど、どしたの、岩城さん?」 「まだ、気持ち悪い・・・。」 「へ?」 香藤がまじまじと岩城を見上げた。 「ネルソンに、キスされたから?」 「ああ、口直しする。」 そう言って、岩城はまた、唇を重ねた。 「・・・ん・・・」 主導権を奪い返し、香藤は岩城の上唇と下唇を交互に、 ゆっくりと丁寧に舐めた。 「まだ、気持ち悪い?」 「もう、ちょっと・・・」 ふふ、と笑いながら、香藤は岩城を抱きこんで、 身体を回転させソファに組み敷いた。 薄明るくなったベッドルームで、 岩城が、スースーと寝息を立てて、香藤の腕の中で眠っていた。 その岩城を眺めながら、香藤は溜息をついた。 「なんだか、岩城さんに、身体で誤魔化された気がするなー・・・。」 ぽつり、と零すと、香藤はクスクスと笑い出した。 「俺がそうしたんだっけ・・・。」 「・・・ん・・・」 岩城が寝返りを打ち、香藤の胸に擦り寄った。 その岩城を抱きこんで、キスをすると、香藤もまた、一寝入りしようと瞳を閉じた。 続く 弓 2006年12月15日 |
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