Crazy Little Thing Called Love 2 パリに来て、1週間も経たないうちに、 二人が暮らすアパルトマンのある6区の、その界隈では、 岩城のことを、知らぬものがいないほどになっていた。 その噂の出所は角の花屋で、 岩城はほとんど毎日その花屋を訪れ、何がしか買っていく。 パリに不慣れな岩城に、買い物のための情報など、 店主のマルコや店員が教えてくれたり、 他の客が教えてくれたりする。 6区のアパルトマンの最上階に暮らす、 天才とその妻の行きつけの花屋、 とマルコが自慢げに話す、その当の岩城は、 自分が人目を引く姿をしているなどとは、 まったく気付いてもいない。 屈強な男2人を引き連れ、香藤の隣で着物姿で歩く、岩城。 身長180センチを越えた男2人が、寄り添い、 ウィンドウを覗き、時おり微笑みあう姿は、あまりにも目立ちすぎた。 瞬く間に、あれが天才バイオリニスト、香藤洋二の女房と、 皆が知ることになった。 「香藤、買い物に行きたいんだ。」 「どこへ?」 ある日、岩城が朝食の後、香藤の隣に座りながら言った。 手には、新聞の切抜き。 「この店に行ってみたいんだ。」 「え?」 岩城はにこにことしながら、香藤を見ている。 マレ地区に出来たという、インテリアと雑貨の店。 その、「マレ」という地名に、香藤は慌てた。 確かに、ファッショナブルな地区には違いないし、 買い物をするのにいい店もあるが、 そこは有名なゲイのメッカでもある。 「だ、ダメ!」 「どうして?」 わけがわからず、岩城は顔を曇らせた。 「どうしてって、ダメだよ、岩城さんは行っちゃ!そこは、ダメ。」 「香藤・・・。」 真剣な顔で首を振る香藤を、岩城は黙って見つめた。 「どうしてもか?」 「どうしても。」 「そうか・・・わかった。」 肩を落として立ち上がる岩城の背中に、 香藤はガシガシと頭をかいた。 「あ〜〜〜・・・わかったよぉ、わかったって、岩城さん。ごめん。」 後から岩城の手を握って、香藤は立ち上がった。 岩城の顔を覗き込むと、少し口を尖らせた岩城の顔があった。 「あはは・・・可愛いけど、そういう顔、させちゃダメだよね、俺。」 「どうして、だめなんだ?」 「駄目って言うか、心配でさ。」 「なにが?」 くすり、と笑って香藤は岩城の肩を抱いて首を振った。 「いいよ、行っといでよ。た、だ、し。」 「ただし?まだ何かあるのか?」 「うん。俺の言うとおりにすること。いい?」 「そうすれば、行ってもいいのか?」 もちろん、と香藤が頷くと、岩城の顔に笑みが広がった。 「香藤の言うとおり、って、これか?」 呆れて岩城は、首を振った。 アパルトマンの前から、店まで車で行くこと。 他には寄らないこと。 帰りも車で帰ってくること。 今日は、リサイタルがあるから、自分は行けない。 だから、チャーリーとラウールを連れて行け。 「なんで、2人ともなんだ?香藤はいいのか?」 後部座席で、ぶつぶつと文句を言う岩城に、 助手席に座ったチャーリーが笑って答えた。 「オペラ座の中に入れば、大丈夫ですからね。」 「だから、早めに行ったのか。」 組んだ足に片肘を乗せて、頬杖をついて溜息をつく岩城を、 前に座る2人はちらりと見て、 香藤の心配は当然だと、顔を見合わせ肩を竦めた。 深川鼠の単を着て、墨染めの羽織り。 地味な色のはずが、 その渋みが岩城の肌を引き立てるのに一役買っている。 ラウールが、運転しながら首を振った。 「どうした?」 「前に言われたこと、わかってきた気がする。」 こっそりとそう囁いた彼に、チャーリーが笑った。 「やっとか。」 店に着いた岩城は、チャーリーに守られながら買い物を済ませた。 店の主人は、入ってきた岩城を見て呆然としていた。 飛びつくように岩城に近付き、必要以上に、 触れようとする主人をチャーリーがけん制した。 見るからに、ゲイとわかる主人。 チャーリーが、内心香藤が心配したのは無理もない、と苦笑した。 睨みつける店主を横目で見ながら、チャーリーは岩城に声をかけた。 「どれになさいますか、マダム?」 「え?」 ボディガード、という立場から、 普段は自分からは声をかけては来ないチャーリーに、 岩城は少し驚いて、彼をを見上げた。 「うん、これにするよ。」 その岩城よりも、店主の方が驚いていた。 「あの、どなたかの奥様で?」 そう言われて、岩城は頬を染めて途惑ったまま、 どう答えればいいのかとチャーリーを振り返った。 「そうです。」 チャーリーが店主に、済ました顔で答えた。 岩城が恥ずかしげににこりと笑い、 店主は、チャーリーの睨みに顔を引き攣らせながら、 その岩城に見惚れていた。 「あ、お幾らですか?」 その言葉に、チャーリーが信玄袋に手を入れかけた岩城を止めた。 黙ってカードを差し出すチャーリーに、岩城は驚いて目を見張った。 「チャーリー、まずいよ、それは。」 「ご心配なく、マダム。」 戻ってきたカードを、チャーリーは岩城に渡した。 「あれ?」 それは、香藤のカードだった。 「お預かりしてました。お返しします。」 「うん。」 微笑んだまま、岩城はそれを自分の財布にしまった。 店を出ようとドアを振り返り、そこに人だかりを見つけて、 目を丸くする岩城を促して、チャーリーはドアを開けた。 人垣が崩れて、岩城は店の真ん前に止めた車へ戻った。 「どうしたんだろう?誰かいたのかな?」 のんびりと言う岩城の声に、 チャーリーとラウールは顔を見合わせて溜息をついた。 「岩城さん、散歩しようか?」 香藤の、オフの日。 離れているのが嫌だ、と一緒に暮らし始めてから、 香藤の休日、練習の合い間には必ずどこかへ出かけていた。 自分の住んでいる街を岩城に知って欲しいから、 とあちらこちらへ足を向ける。 白い単を着た岩城が、羽織りの紐を結びながら、顔を上げた。 「今日は、どこに行くんだ?」 「決めてないよ。ぶらぶら、行ってみようよ。」 カジュアルな黒いジャケットに腕を通した香藤が、 岩城に手を差し出した。 日本にいる時には、ほとんどと言っていいほど、 手を繋いで歩くことはなかった。 伝統を重んじる旧家の出身のせいか、 茶道の家元である兄の世間体を慮ったか、 香藤が無理矢理手を握ると、 それを恥ずかしげに顔を顰めて払ったりしていた。 それが、パリに暮らすようになって一番、 岩城が変わったことかもしれない。 「ああ。」 そう返事をしながら、 岩城はごく自然に差し出された香藤の手に、 自分の手を乗せるように、差し延ばした。 アパルトマンを出て、カルティエ・ラタンの方に向かう。 2人のボディガードを後ろにして、 手を繋いで歩くいつもの2人の姿に、 周囲はもう慣れっこになっているようだ。 着物姿の岩城と、カジュアルなジャケットの香藤。 最近は時折、ご近所さんから声がかかるようになった。 「お出かけ?」 「うん。散歩。」 香藤が答え、岩城と二人で笑顔を向ける。 そぞろ歩きの途中、香藤が石畳のわき道を覗き込んだ。 「ねぇ、岩城さん、いい感じじゃない?」 「そうだな。行ってみるか?」 ゆっくりと歩いていくと、公園の側にレンガ色の小さな建物があった。 「教会だ、岩城さん。」 香藤が立ち止まった。 「え?」 「入ってみようか?」 サン・ジュリアン・ル・ポーヴル(貧しき聖ジュリアン)教会。 小さな、小さな教会の中は、木造の内陣だった。 二人が入っていくと、中にいた地元の住人と思しき人たちが、 神父の説教に耳を傾けていた。 まず、その中の一人が気付き、 次々と彼ら、彼女達が振り返り、またゆっくりと前に視線を戻した。 神父が、目元に微笑を浮かべながら、説教を続けていた。 「なんだか、俺たち邪魔じゃないか?」 小さな声で、岩城が囁いた。 「そうだね。でも、座ろっか。」 香藤が岩城の手を引いて、一番後ろに座った。 祭壇を見上げながら、香藤はゆっくりと岩城の肩に手を回した。 神父の説教が終わり、香藤と岩城が立ち上がると、 前の席の老婦人が岩城を見上げてにっこりと笑った。 「ごめんなさい。邪魔をしてしまって。」 「とんでもない。 私達こそ、待たせてしまったみたいで、ごめんなさいね。」 「・・・は?」 岩城が首をかしげると、その老婦人は同じように首をかしげた。 「あら?式を挙げるんじゃないの? 白い衣装だから、そう思ったんだけど?」 それを聞いた香藤が、 顔中を笑顔にして思わず、天井を見上げるようにした。 絶句する岩城の手を掴み、 神父に向かってそのままの笑顔を向けた。 「お願いできますか?」 「おや?お2人は、お式はまだだったのですか?」 「ええ。」 「か、香藤?!」 岩城が慌てて香藤の手を引いた。 「お前、なに・・・。」 「だめ?」 「や・・・だ、だめって・・・。」 岩城が、唇を震わせた。 周りの老婦人を筆頭とする人たちが、 にこやかに2人を見つめている。 「あの・・・俺達、男同士なんですけど・・・。」 岩城が神父に、おずおずと尋ねた。 神父が答える前に、老婦人の隣にいる男性が、肩を竦めた。 「なにを言っているのかねぇ、あなた達のことはとっくに知っているさ。 ここに住んでればね。」 「あ・・・。」 「さぁさぁ、前へ。」 皆に促されて、香藤は岩城の手を取って祭壇の前に進んだ。 「ところで、ムッシュ・カトー。指輪は?」 そう言われて、岩城は香藤を振り返った。 その、岩城のなんとも言えない顔に、香藤はニヤリ、と笑った。 「あります。」 「えっ?!」 「持ってるよ。」 香藤は岩城をじっと見つめた。 「いつか、渡そうと思って、いつもポケットに入れてたんだ。 ちゃんとプロポーズって、したことないじゃない? いつの間にか、岩城さんが俺のそばにいてくれるのが、 普通になっちゃって。」 「おやま、プロポーズがまだだとは。」 老紳士が呆れた声を上げた。 香藤はその声に振り返り、苦笑した。 「ちゃんとしないとだめだな、そりゃ。亭主としちゃ、まずかろう。」 「そうですね。」 みんなの前で、香藤は固まったまま、 呆然としている岩城の肩をそっと掴んだ。 「大丈夫、岩城さん?」 「あの・・・香藤・・・。」 香藤が少し、芝居がかかった様子で、 岩城の目の前で、片膝を折った。 そっと、香藤の手が岩城の左手に触れた。 甲に唇を触れ、にっこりと微笑んで、岩城を見上げた。 「岩城さん、俺と、結婚して下さい。」 「ばッ・・・馬鹿か、お前・・・。」 「うん。」 岩城の手をとったまま、香藤は立ち上がった。 空いたほうの手で、 顔を覆って俯いたままの岩城を、香藤は抱きしめた。 「・・・相変わらず、泣き虫だよね。」 「うるさいっ!」 香藤の背に、両手を回して、岩城は抱きついた。 老婦人が、バッグの中からレースの白いハンカチを取り出し、 岩城の黒い髪の上にそれを広げた。 「さ、ベール代わりくらいにはなるでしょ?」 「ありがとう・・・。」 岩城は、頬が濡れた顔のままで、婦人に頭を下げた。 香藤がポケットから指輪を取り出した。 プラチナの、シンプルな指輪ふたつ。 介添え人代わりの、老紳士が、それを受け取り手の平の上に乗せ、 香藤の脇に立った。 地元の住人達を立会人に、2人は結婚式を上げた。 誓いの言葉に、何度も声が詰まりかける岩城を、 香藤が大丈夫だと頷いて励ました。 指輪の交換と、誓いのキス。 暖かい拍手の中、ぼろぼろと泣く岩城の頬を、 老婦人がベール代わりにしたハンカチで、そっと拭ってくれた。 「ありがと、岩城さん。指輪、填めてくれるとは思わなかったな。」 「ばか、礼なんて、言うことじゃないだろ。」 フフ、と香藤は笑って岩城の背を撫でた。 「泣きながら、ばかって言っても、恐くないね。」 ゆっくりと二人の腕が、お互いの背に回った。 誓いのキスより長い口付けに、 一番後ろに立ち尽くしていた、金子たちが肩をすくめていた。 周囲が呆れて、盛大に囃し立てるなか、2人は教会をあとにした。 「岩城さん、お腹すかない?」 歩きながら、香藤が岩城を振り返った。 潤んだ瞳の岩城が頬を染めていて、 香藤はぎょっとしてその顔を見返した。 「・・・あはは。やっばい顔だなァ、岩城さん。」 「なにがだ?」 少し眉をしかめる岩城に、香藤はくすっと笑った。 「お腹は?」 「すいてない。」 「そお?じゃ、なんか飲んで帰る?」 岩城は少し小首を傾げると、頷いた。 サンジェルマン地区にある、ピエール・エルメに、 香藤は岩城を連れて行った。 「ここは?」 「うん、ここのケーキ、美味しいよ? って言うか、ここが一番近かったからさ。」 香藤はそう言って笑った。 店に入ると、他の客の視線を浴びながら、 香藤は岩城の手を引いて奥へ向かった。 「落ち着いた?」 目元に、泣いたあとの残る岩城の顔を覗き込みながら、 香藤は微笑んだ。 ちらりと香藤を見て、頷く岩城の背をゆっくりと撫でる手に、 岩城がほっと息をついた。 「大丈夫だ。」 「ほんとはさ・・・。」 そう言いながら、香藤は岩城の耳に顔を近づけた。 「ここより、ラデュレのほうが好きなんだけど。 今度、連れてったげる。」 「お前、失礼だろ、そういうのは。」 「聞こえてないよ。日本語だし。」 こそこそと耳打ちをしながら、くすくすと笑う二人に、 ラウールは、別のテーブルに座りながら、肩をすくめていた。 金子とチャーリーが、顔色一つ変えないでいるのを見て、 少し溜息をついた。 「慣れてるわけか。」 「え?ああ。」 チャーリーが笑った。 「慣れるっていうか、慣らされたというか。」 「あはは。」 乾いた笑いを浮かべるラウールを、チャーリーがじっと見つめた。 「お前さ、ゲイじゃないって、言わなかったっけ?」 「へ?」 ラウールが、真顔でチャーリーを見つめながら、首をかしげた。 「そうなんだけどね・・・自信、なくなってきたね。」 金子とチャーリーが、そのラウールを、気の毒そうに見返した。 「その残った自信、あっという間に、崩れるね。」 チャーリーがそう言って笑った。 金子が苦笑するのを見て、 ラウールは首を傾げたままだった。 「請け負ってもいいよ。」 甘ったるい香りの漂う中、一番奥のテーブルで、 秘かで盛大な注目を浴びながら、香藤は岩城の頬にキスをした。 続く 2006年5月6日 |
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