Much Ado About Nothing 10








「一体、これはなんなんだ?!」

突然やってきたジェームズ・マクガバンを、

香藤が玄関で出迎えた途端、

彼は片手に握り締めた新聞を振り回すようにして叫んだ。

「なに、どうしたの?」

「どうしたの、じゃない、ヨウジ!この写真の・・・。」

「なんの騒ぎだ、ジェームズ?」

声を聞いて出てきた岩城に、

ジェームズは呆れ返って首を振りかけた。

「だでぃ?」

そこへ聞こえてきた声に、ジェームズは玄関の奥を覗きこんだ。

ニキはニキで、ドアの脇に立つ彼を見て、目を丸くしていた。

「じぇーむず・まくがばん・・・いたっ?」

ニキが弾かれた額を両手で押さえて見上げると、

岩城が眉を顰めていた。

「ニキ、初対面の大人の人を呼び捨てにしちゃいけないだろ?

ミスターを付けなさい。」

「あ。ごめなしゃ・・・みすた・じぇーむず・まくがばん。」

呆然としてニキの顔を見つめていたジェームズが、呻くように呟いた。

「なんてこった・・・。」






「ニキ、っていう名前なんだね?」

「うん。」

「私のことは知ってるんだ?」

「しってる。だでぃのちーむのいちばんえらいひと。」

それを聞いて、ジェームズは声を上げて笑った。

「そうだ。でも、私はヨウジの友達なんだよ。」

「しょなの?きょうすけも?」

「そうだよ。キョウスケとも、もう何年も前から友達だよ。」

リビングのソファに座って、ジェームズはニキを隣に呼んで座らせた。

そこへ岩城がカップを乗せたトレイを持って現れ、

それを見た香藤がニキを手招きした。

「ニキ、俺達はこれから仕事の話をするから、部屋に行ってて。」

「おやつの時間になったら、呼ぶからね。」

テーブルにトレイを置いて、ニキにそう言うと、

岩城は彼の頬にキスをした。

素直に頷いて岩城の首に腕を回し、

頬にキスを返してパタパタと廊下へ出て行くニキの後姿を眺め、

ジェームズは向かい側に座った二人に視線を戻して、深い嘆息をついた。

「丸っきり、というか、ほんとに親子なんだな。」

「って、言うと?」

首を傾げる香藤に、

「これを見てみろ。」

ジェームズは持ってきたタブロイドの皺を延ばして、テーブルに広げた。

そこには、岩城と香藤がお茶を飲み、ニキがその間に座って、

なにかを食べている写真が載っていた。

ニキの顔はわからないように、黒い四角で消されてはいたが、

「ヨウジ・カトウの隠し子」という大きな見出しに、

岩城と香藤が顔を見合わせた。

「まったく、なんで先に言わなかったんだ?」

「ごめん。」

顔を顰めて、香藤はジェームズを見つめた。

「近所の子供を連れていたとか、言い訳しようかと思ったが、

あの顔じゃ、それも通用しないな。

「まぁ、そっくりだから。」

「参ったな。」

額に手を当てて、ジェームズはソファに背を預けた。

「シビルパートナーシップの公報に名前が載ってたしね。

オフィスの電話が朝から鳴りっぱなしだ。

二年連続して、とんだオフだよ。」

「ごめん、ジェームズ。」

「ヨウジ、だいたい君は自分のことを、わかってるのか?」

「え?」

「チャンピオンなんだぞ?不世出の。

グランプリ始まって以来の天才だって、

世界中に、何億ってファンがいるんだ。

とんでもないスーパースターなんだぞ?

自覚あるのか?」

「あるよ、そりゃ。」

「ほんとうか?

そのチャンピオンがゲイだってわかって、

男のパートナーがいて、大騒ぎになった。

その騒ぎだって一年経ったってもまだ残ってる。

その上に今度は隠し子?

勘弁してくれ。

だいたい、キョウスケ。

君がついていながら、なんで思いつかなかったんだ?

君、ジャーナリストなんだから、想像つくだろう?」

「ああ、それは、」

岩城が眉を寄せて頷いた。

「すまん。まったく、その通りだ。

ジェームズに知らせるのを、すっかり忘れてた。

俺が悪い。」

「違うよ、岩城さんは悪くないって。」

「いや、でも、気がついて当たり前だろう?

気がつかないほうがおかしい。」

「ちょっと待て。私の前で痴話げんかはいいから。」

止められて、二人はジェームズに申し訳ないと頭を下げた。

「ニキの世話で、すっかり忘れてたな。」

岩城がそう言って苦笑するのを、

ジェームズは眉を下げて肩を竦めた。

「まったく・・・君が継母をやってるとはな。」

「そういうつもりはないが。」

「そうは言うけど、顔がな。」

「顔?」

きょとんとする岩城に、ジェームズは香藤に視線を向けた。

「俺もびっくりしてるんだけど。」

笑って答える香藤に、彼はまた溜息をついた。

「で、取引、というか、交換条件を出して、

これ以上の取材は、止めてもらうしかないな。」

「交換条件?」

「そうだ。」

ジェームズは、膝についた片手で額を押さえて、

呑気な返事を返す香藤に、強い口調で答えた。

「あの子をマスコミのさらし物にする気か?」

黙って聞いていた岩城が、

ジェームズの言わんとする先に気付いて、溜息をついて頷いた。

「そうだな。」

「キョウスケなら、わかるだろう?」

二人を交互に見ながら、眉を寄せる香藤に、岩城が顔を向けた。

「交換条件を出す代わりに、ニキのこと、

それからその母親に関して、

これ以上取材や詮索をしないでくれと、お願いするわけだな。」

「あー・・・。」

「ヨウジ、君だってマスコミの中には、

酷い連中がいるってことくらい分かってるだろう?」

「知ってる。ごめん。」

「いや、謝らなくてもいいんだ。」

香藤は腕を組むとジェームズを真面目な顔で見返した。

「で、その交換条件って、ひょっとして・・・。」

「そう、そのひょっとしてだ。」






「あーあ。」

「溜息つかなかくてもいいだろう。仕方がないんだから。」

「そーだけどさー。」

ジェームズが帰って行ったあと、ソファの背にもたれかかって、

香藤は顔を顰めた。

「せっかく身内だけで静かに結婚式するつもりだったのに。」

結婚式の取材を許可する事を、交換条件として発表する、

ジェームズと話し合いの末で決定した。

その結婚式の出席者が家族とごく限られたものだけとなると、

ニキの存在が目立つ。

それを避けるために、友人達を招待したらどうか、

とジェームズが提案した。

「だいたい、こんな大事なことを、

この私に知らせないなんて、どういうわけだ?」

と、ジェームズが半分本気で怒りながら言ったのを思い出して、

香藤は苦笑を浮かべた。








年が明け、結婚式の数日前、

岩城と香藤はニキを伴って、ヒースロー空港へと向かった。

香藤の両親を迎えに行くためだ。

空港へついた岩城は、レンジローバーを駐車場へとめ、

助手席から降りようとした香藤の腕を掴んだ。

「俺が行ってくるから、お前はニキとここで待ってろ。」

「なんで?」

「目立ち過ぎる。」

岩城が苦笑しながら答えた。

「三人揃って行ってみろ。大騒ぎになるだろう。」

そう言われて、香藤はぽりぽりと頭を掻きながら、

後部座席にいるニキを振り返った。

「二人でここで待ってような、ニキ。」

「うん。」






一時間ほど経って、岩城が両親をつれて駐車場へ戻ってくるのが見え、

香藤は車の後部ドアを開けて降り立った。

「よ、親父。」

香藤の父、洋一はそれを聞くと顔を顰めた。

「なにが、よ、だ。まったく。」

「そうよ、洋二。家についたら・・・わかってるわね?」

母、美江子がそう言って香藤を睨んだ。

それをくすりと笑って眺め、岩城は後部のドアの中を覗きこんだ。

「ニキ、降りなさい。」

「はーい。」

ぴょん、と飛び降りてきたニキを見て、

洋一と美江子は一瞬の瞬きのあと、固まったまま彼を見つめた。

岩城が、視線を合わせるようにニキの前にしゃがんだ。

「ニキの、おじいちゃんとおばあちゃんだよ。」

「ほんと?じーじとばーば?」

「ほんとうだ。洋二のお父さんとお母さんだからね。」

ニキが嬉しげに、それでもおずおずと二人を見上げた。

「ご挨拶は?」

岩城に促されて、ニキはこくりと頷いた。

「こんにちは、じーじ、ばーば。」

それを聞いて、洋一と美江子は、顔を見合わせ、

少し複雑そうな顔をしながらも、

微笑んでニキの差し出した両手を握り返した。

帰りの車の中、後部座席でニキは二人に挟まれて座り、

助手席の香藤を交えてあれやこれやと話をしていた。

それに返事を返しながら、洋一と美江子は運転している岩城を気にして、

時折気遣うような視線を向けた。






四人は、庭でアクセルと遊ぶニキを窓から眺めながら、

リビングにいた。

香藤の顔をしばらく見つめ、美江子が溜息をついた。

「ほんとに、もう・・・。」

「ごめん。」

「謝るのは、私達にじゃないでしょう。」

「あ、うん。」

「いや、私達からも、京介君に謝らないといけない。」

洋一がそう言って頭を下げた。

「いえ、そんな必要はありません。」

岩城が慌てて、首を振った。

「どうも、甘やかしたと言うか、こんなことになるとは・・・。

育て方を間違えたとしか思えなくてね。」

「ひでーな。」

香藤が苦笑しながら見返すと、洋一は眉を顰めた。

「なにを言ってるの、洋二!」

「まぁ、怒られるのは当然だけどさ、これからもっと怒られそうだしー。」

美江子の叱る声に、香藤が顔を顰めて溜息をつくと、

洋一が視線で岩城に問うた。

「明日、俺の兄夫婦が来るんです。」

それを聞いて香藤はますます眉間に皺を寄せた。

「それは・・・。」

洋一は口を開きかけ、香藤を一睨みした。

「覚悟しておけ、洋二。」

香藤は肩で息をするように頷いて、そのまま溜息をついた。








     続く




     弓




   2008年11月15日
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