Much Ado About Nothing 11








チッピング・カムデンへやってきた雅彦は、ホテルへ直行した。

迎えに来た岩城と共に雅彦夫婦は、歩いて二人の家へ向かった。

同じホテルに泊まっている香藤の両親は、

自分達は居ない方がいいだろうと、ホテルにとどまった。






ニキに対面した雅彦は、顔を引き攣らせながら、

無理矢理笑顔を浮かべて、挨拶をするニキを見つめた。

階段を上がっていくニキを見ていた雅彦は、

その姿が見えなくなった途端、香藤を振り返った。

「ありがとう、兄さん。」

岩城に先手を取られて、雅彦は顔を顰めた。

「なにが?」

「ニキには、普通に接してくれただろう?」

「当たり前だ。子供に当たってどうする。」

どっかりとリビングのソファに座ると、

雅彦は正面に座った香藤をまっすぐに見据えた。

「で、なんだ、あれは?」

「あなた、」

とりなそうとする冬美を遮って、雅彦は続けた。

「だいたい、俺は京介がこいつと付き合うことさえ反対だったんだぞ?」

「また蒸し返すのか、兄さん?」

岩城がむっとして雅彦を睨んだ。

「悪いか?自分の弟を男に誑かされて、喜ぶ奴なんかいるのか?

しかも女房だと?逆ならまだしもだ。

お前がこいつに惚れてると言うから、目を瞑ったんだ。

なのに今度は子供?ふざけるな!

京介をなんだと思ってるんだ?」

雅彦の勢いに、香藤は肩を竦ませて彼を見つめていたが、

最後の問いには背筋をのばした。

「最愛の人です。」

「ああ?!」

雅彦の声に、香藤は隣に座る岩城の手を握った。

その手を握り返して、岩城は香藤を見つめた。

「俺が生きていくのに、必要不可欠なんです。

岩城さんのいない人生は、俺には考えられない。

岩城さんもそうだって信じてます。」

そう言って岩城を振り返った香藤に、

少しだけ顔を赤くして岩城が答えた。

「今更なに言ってんだ。」

その少し照れくさげな顔を見て、香藤は白い歯を見せて笑った。

「岩城さん、可愛いー。」

「バカ。」

「だって、可愛いんだもん、その赤い顔!」

両腕を広げた香藤は、岩城をすっぽりと抱きこんだ。

途端に、びりびりと額に青筋を立てる雅彦を見て、

冬美がくすりと笑った。

「笑いごとか?」

「仲がいいんだから、いいじゃありませんか。」

「仲がいいって、な。」

眉間に皺を寄せる雅彦に、岩城は悪戯気な顔を向けた。

「夫婦相和し、っていうだろ?

仲がいいのは当たり前だ。

俺は香藤を愛してるからな。」

それを聞いて雅彦は渋い顔で、

香藤は顔中を輝かせて岩城を見返した。

「岩城さん、嬉しいよー。

愛してるって言ってくれたの、久しぶり!」

「そうだったか?」

「そだよ。」

そう会話を交わしながら、顔を寄せ、唇が重なろうとした瞬間。

「俺の前で、いちゃつくのは、やめろ!」

「あ、ごめんなさい。」

少しも悪いと思っていないような笑顔で、香藤が少し肩を竦めた。

「もう、わかった。」

「ほんとですか?」

身を乗り出すように聞く香藤に、雅彦は頷いた。

「ああ、俺は嘘は言わない。」

「うわぁ、ありがとうございます。」

「そのかわり、だ。」

「そのかわり?」

「一発、殴らせろ。」

「・・・へっ?!」

香藤が一瞬絶句して動きを止めた。

「兄貴!」

「なんだ?当然だろう?その覚悟もなしに、俺を呼んだのか?」

「あ、いえ。」

香藤が顔を引き攣らせて、無理矢理口角を上げた。

「覚悟はしてます。」

「いい度胸だ。」

「ちょ・・・兄貴!」

「お前は黙ってろ。」

止めようと声を挙げる岩城に、そう言うと雅彦は立ち上がった。

香藤も、雅彦の前に立つと、く、と奥歯を噛み締めた。

鈍い音がして、香藤は床へ転がった。

「・・・ってぇ。」

殴り飛ばした拳を握り締めたまま、雅彦は大きく肩で息をついた。

「香藤!」

岩城が、脇に膝をついて香藤を抱き起こした。

その顔を見つめ、香藤は笑った。

「そんな顔しないの。」

「でも・・・。」

見る見るうちに腫れあがってきた香藤の頬に、岩城がそっと手を当てた。

「いいから、いいから。」

香藤はほっと息を吐いて立ち上がると、雅彦を振り返った。

「ごめんなさい、大丈夫?」

冬美の気遣う声に、香藤は微笑み返した。

「これくらいは、鍛えてありますから大丈夫ですよ。

それにしても、いいパンチだなぁ。」

「俺も、これでも鍛えてあるんだ。」

雅彦がそう返事を返して、ソファに座りなおした。

「なにもほんとに殴らなくたっていいだろう?」

「一発で済んで良かったって思え。」

「横暴なんだよ、兄貴は。」

「どこが横暴だ?」

「ストップ!岩城さん、止めようよ。」

香藤が、言い合う二人の間に割り込んだ。

「だって、」

「兄弟喧嘩はやめてよ。

俺は、なんとも思ってないし。当然でしょ?」

「なにが当然なんだ?」

「お兄さんにとっては、俺は、可愛い弟を攫った男だよ?

怒って当然だし、さっきお兄さんも言ったでしょ?

一発で済んで良かったよ、俺は。」

そう言ってけらけらと笑う香藤を見つめ、岩城は苦笑を浮かべた。






「大丈夫か?」

岩城が、冷却シートの貼られた香藤の頬を撫でた。

熱情の後の、潤んだ瞳と掠れた声に、

香藤は岩城を抱き締めたまま、顎先が触れ合う位置で見下ろした。

「こーんな色っぽい岩城さんを、俺のものに出来たんだもん。

これくらい全然痛くないって。」

うふふ、と笑って頬に置かれた岩城の手にキスを落とす香藤に、

岩城はまだ少し乱れた息のまま、笑顔を向けた。

岩城がのばした腕を香藤の首を巻き付けると、

香藤が耳元へ唇を寄せた。

「もいっかい、いい?」

「またか?」

「いいじゃん・・・ねぇ。」

「しょうがない奴だな。明日結婚式なんだぞ。ほどほどにしろよ。」

「わかってるって。」








快晴の一月二十七日。

ロンドン西部の田舎街、チッピング・カムデンは、

いつにない賑わいを見せていた。

あちこちからこの村を目指してきた人並みは、

一軒のホテルへ向かい、そのホテルの前には、

カメラを下げたジャーナリスト達が待ちうけている。




ハイストリートに面して建つホテル、コッツウォルズ・ハウスには、

まるでお祭りのような浮かれた空気が流れていた。

ほぼ貸切となったホテルに、

宿泊することのできた数少ない観光客達は、

自分の幸運を神に感謝した。

その彼らの目の前を、

ヨーロッパ中で名の知れたF1ドライバー達が行き交い、

チームのスポンサー企業のトップの顔も見える。

彼らが到着するごとに、ホテルの支配人がリストにさっと目を落とし、

にこやかに迎えた。

「これは出遅れたかな。」

玄関ホールに入った途端に、その人の多さに思わず声をあげた村長に、

支配人は微笑んで首を振った。

「いえいえ、まだお時間はたっぷりございます。

いらっしゃいませ、村長。」

立衿のシャツにアスコット・タイ、フロックコートを着込んだ、

体格のいい村長は、隣を歩く支配人に話しかけた。

「全員、そろったのか?」

「いえ、まだですよ。」

常は友人同士の二人は、くだけた口調で話を続けた。

「予約は満杯だろう?」

「通常のお客様は、三組だけ。」

「おやおや、運が良い。」

「ほんとにね。」

くすくすと笑いながら、

支配人は村長をロビーまで案内して引き返して行った。

「さて、今日はまったく忙しくなりそうだ。」

次の客を迎えるためにホールへ向かった支配人は、

言葉とは裏腹な、楽しげな声で囁いた。




「やあ、マーサ。ロビンとアビーも。」

にこやかに片手を上げて近づいてきた村長を見て、ロビンが笑った。

「随分、めかし込んだね、村長。

ヨウジはフォーマルじゃなくていいって言ってたのに。」

「まぁな。でも今日は特別な日だからな。」

「自分の息子でもあるまいに。」

落ち着いたベージュのワンピースを着て、

ストールを巻いたマーサがそう言って笑った。

「いいじゃないか、マーサ。お祝いなんだから。」

幾分拗ねたような物言いをする村長に、周囲からも笑い声が上がった。

と、いきなりざわざわとした声が聞こえ、村長が玄関のほうを振り返った。

「どうやら主役の登場らしい。」




ホテルの外で待っているカメラマンやジャーナリスト達も、

それぞれに礼服を着ていた。

香藤と岩城の結婚式に招待を受けた彼らは、まだ中に入らず、

二人が来るのを待ち構えていた。

「はーい、ハーヴィー、元気?」

「やあ、ジュリアン。」

ハーヴィー・コールマンは、

自分を見てこそこそと交わされる視線に、内心苦笑しながら、

ジュリアン・ビーチに近付いた。

香藤の独占インタビューをして以来、妙に有名になった自分に、

ハーヴィーはまだ戸惑っていた。

「ヨウジ達、ほんとに歩いてくるのかしら?」

「そうだろ。ここから十分もないからね。」

「子供つれて?目立つのに。」

「そうは言っても、ここに住んでるんだし、村の住人はとっくに知ってるだろ。」

そう話していた矢先、「あ、」と声が聞こえ、

二人は周囲の視線を追って振り返った。

通りの向こうから、

オフホワイトのスーツに白いタイをした香藤が歩いてくるのが目に入った。

胸元に、真っ赤な薔薇が咲いている。

岩城は、と視線を彼の周りに向けたハーディは、

その後ろから子供と手をつないで、

遅れて歩いてくる岩城を見つけた。

あの子が、と思いながら目をそばめたハーヴィーに、香藤が声をかけた。

「久しぶり、ハーヴィー。」

「あ、ああ、ヨウジ。」

香藤がハーヴィーに笑顔を向け、

その場にいたカメラマンと思われる男たちの前で、両手を広げた。

「ごめん、申し訳ないけど、子供の写真は無しね。」

残念そうな溜息に、香藤は肩をすくめた。

「そういう条件で、今日の取材の許可を出したはずだよ?」

「その通りね。私はこの中に入れるだけでも、めっけものだと思うわよ。」

腕を組んで、カメラを構えかけた男を、ジュリアンが睨みつけた。

「不服なら、帰えんなさい。

今日、ここにいるって事は、選ばれたって事なのよ?

ヨウジの信頼を失うか、中へ入るか、どっちがいい?」

ジュリアンの言葉に、カメラマン達はカメラを下ろして詫びた。

軽く手を振って、香藤はジュリアンに笑いかけた。

「ありがと、ジュリアン。」

「あら、私は自分の得を取っただけよ。」

くすくすと笑うと、香藤は後ろを振り返った。

ニキと手をつないで、立ち止まっていた岩城は、

香藤の笑顔を見て歩き出した。

「・・・ま。」

近くまで来た岩城に、周囲がざわめき、

ジュリアンの思わず上げた声に、香藤が首をかしげた。

「なに?」

「なに、じゃないわよ。なんなの、あれ?」

「は?」

まったく分からない、と顔に書いた香藤に、

ジュリアンは呆れたように溜息をつき、また岩城に視線を戻した。

白いシャツの上に、蒼に細く白いストライプのスーツを着て、

光沢のある青いネクタイを締めた岩城。

胸にはおそろいのポケットチーフ。

腰の高い、バランスの整った男性的な姿に、

しなやかな筋肉が服の上からでもはっきりとわかる身のこなし。

その中に、危うい、少し気だるげな風情が漂い、

時折手をつないだ子供に向ける微笑と、実に対照的だ。

「見てわかんないってのは、あれが日常って事よね。」

「まぁ、そうだろうな。」

こっそりと囁かれたハーヴィーは、同じようにジュリアンに囁いた。

「やぁ、ハーヴィー、ジュリアン。ようこそ。」

「どうも、呼んでいただいて。」

岩城が右手を差し出しながら、ハーヴィーの前に立ち止まった。

ハーヴィーは、その手を握り返して、目を下に向けた。

「こんにちは。」

「こんにちは。えっと・・・。」

ニキが岩城を見上げた。

「ハーヴィーだ。ハーヴィー・コールマン。俺の友達だよ。」

「うん、こんにちは。みすた・はーびー・こーるまん。」

「ハーヴィーでいいよ。君の名前は?」

「ぼく、にき。」

「そう。よろしく、ニキ。」

「ねぇ、私も紹介してくれない?」

ジュリアンが、にっこりと笑ってニキの前にしゃがみ込んだ。

「こんにちは、ニキ。私はジュリアン・ビーチ。よろしくね。」

男の声の、女言葉に、ニキは目をまん丸に開いたまま彼を見返した。

「ジュリアンも、友達なんだよ、ニキ。二人ともジャーナリストなんだ。」

岩城の声に、ニキはまたジュリアンに目を向けた。

「・・・おとこのひと?おんなのひと?」

「やーだ、私、男よ。」

ジュリアンがニキの驚きに笑って答えた。

「普通、びっくりするよ。」

それを見ていた香藤が、笑いながらニキの頭を、わしゃわしゃと撫でた。

「じゃ、中へ入ろうか。」








     続く



     弓




   2008年12月10日
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