Much Ado About Nothing 9








朝食の最中、黙りこくるニキに、岩城と香藤は顔を見合わせた。

「どうした?食べないのか?」

心配気に声をかける岩城に、ニキは横に首を振るだけだった。

買い物に行こうと、かけられた声にも首を振って、

ニキは出かける岩城と香藤を見送った。

リビングのソファで、膝を抱えて座っているニキの前に、

マグカップが置かれた。

その香りにつられて顔を上げると、アビーが笑いかけた。

「元気ないわね?どうかした?」

微妙に表情を硬くしたニキに気付いて、

アビーは彼の隣に腰を下ろした。

ゆっくりと自分のカップに口を付け、しばらくすると、

ニキがもぞもぞと身じろいで、両足を床に下ろした。

「あのね、」

「うん?」

「だでーが、きょうすけとけっこんしゅるって。」

「うん、そうね。」

「あびー、しってるの?」

「知ってるわよ。二人から聞いたから。」

「しょっか・・・まみぃとはしなくて、きょうすけとしゅるって・・・。」

それを聞いてアビーは眉を寄せてニキを見つめた。

子供にとっては、自分の母親と結婚しない父親、

と言うのは理解を超えているのだろう。

しかも結婚する相手は男だ。

尚更ニキの頭の中は混乱しているはずだ。

アビーは、そっと手を延ばしてニキの肩に回した。

「ヨウジは、キョウスケこと、愛してるからね。」

「・・・うん。」

こくり、と頷いて、ニキはアビーを見上げた。

「ニキのマミィのことを、嫌いになったんじゃないと思うよ?」

ますます困惑した顔で、眉が寄るニキに、

アビーは困ったように溜息をついた。

「ニキには、難しいかもしれないわね。」

「わかんない。」

「そうね。」

しばらく二人で黙ったまま並んでお茶を飲んでいると、

ニキが小さく呟いた。

「だでー、ぼくのこときらいかな。」

「好きでしょ。」

「だでー、ぼくのことにばんめっていった。」

それを聞いて、アビーは苦笑を浮かべた。

「ニキは?」

「ぼく?」

「ニキは、ヨウジのこと、好き?」

「うん。」

「じゃ、キョウスケは?」

迷うように目をきょろきょろとさせて、ニキはそっぽを向いた。

「しゅき・・・だけど・・・。」

再びソファの上に両足を乗せて、ニキは膝を抱え込んだ。

むっつりと黙りこんだ彼に、アビーはゆっくりとその髪を撫でた。

「キョウスケは、ニキのこと大好きね。」

「しょだけど・・・まみぃ、どこにいるかな・・・。」

膝の間に顔を埋めてぽつりと零れた言葉に、

アビーはニキの身体を引き寄せて抱き締めた。

とんとん、と背を叩く手にニキがしゃくり上げるように泣き出した。

「十歳だもんね、まだ。」

しがみ付くようになくニキを抱えながら、アビーは溜息を漏らした。






「ごめん、お掃除とか出来てないよ。」

「いいよ、アビー。ごめんね。」

アビーの膝で寝入ったニキを起さないように抱き上げて、

岩城は彼を二階に運んだ。

その背を見ながらアビーは、肩で息をついた。

「なんか、大変よね、キョウスケ。」

「うん・・・。」

「男と女でもこういうことってよくある話だけど。」

「こういうことって?」

香藤が首を傾げてアビーを見返した。

アビーは呆れたように肩を竦めて口を開いた。

「結婚相手に子供がいたってこと。

義理の母親になるのって大変よ?

赤ちゃんならともかく、十歳って難しい年頃だし。

そろそろ反抗期だし。キョウスケは男だし。

ニキだって混乱するわよ。」

「・・・岩城さんは、義理の母親になろうなんて、思ってないと思うけど?」

「でも、立場はそうよね?」

「うーん・・・。」

そこへ戻ってきた岩城は、

眉間に皺を寄せた香藤に見て、首を傾げた。

「どうした、香藤?」

「うん、ちょっと。」

ソファに歩いて来た岩城に、アビーは立ち上がった。

「お茶入れるね。」






「ニキには、理解できない、かな?」

「俺達のことか?」

「うん。」

顔を曇らせる香藤に、岩城は微笑んだ。

「当然だろうな。」

あっさりと頷く岩城に、香藤は唖然として彼を見返した。

「驚くことじゃないだろう?」

「そうかなぁ?」

「考えなくてもだ。ニキが例え二十歳でも、

自分の父親が男と結婚するって言ったら、

そりゃいい気はしないだろう?

あの子はその半分の歳だ。

理解しろっていうほうが無理だろう。」

「なんか、岩城さんのこと避けてる気がするし・・・。」

岩城はゆったりと笑って香藤の頬を撫でた。

「焦ることはないさ。」

その光景を眺めながら、アビーは軽く首を振りながら、

テーブルにティー・セットを置いた。

「なんて言うか、キョウスケって良い奥さんよねぇ。」

「なんだい、それは?」

岩城はきょとんとしてアビーを見上げた。

お茶を入れながら、アビーはくすくすと笑った。

「私だったら、亭主のことはとりあえず、張り飛ばすわね。

子供に罪はないし、嫌われちゃったらいやだし。」

それを聞いて香藤は苦笑を浮かべ、

岩城は笑い返して香藤に視線を向けた。

「ああ、でも、」

アビーが気付いたように頷いた。

「ニキは、キョウスケのこと好きだって言ってたわよ。」

それを聞いて岩城と香藤は顔を見合わせた。

そして、岩城は香藤とアビーが驚くほどの、

晴れやかな笑顔を浮かべた。

「それだけで十分だよ。」






翌日、香藤は朝食後、

「出かけるから、仕度して。」

と、ニキに声をかけた。

「どこいくの?」

「クリスマスプレゼント、何がいい?」

「・・・ぼくの?」

「そうだよ。」

笑顔で答える香藤をぽかん、と見上げて、ニキは少し固まっていた。

「何が欲しい?」

「え・・・と・・・。」

口篭るニキに、岩城が微笑んだ。

「遠慮はしなくていいから、言ってごらん。」

その岩城を見つめて、ニキは香藤に目を戻した。

「・・・げーむ。」

「ゲーム?どんな?」

「れーしんぐげーむ、ほしい。」

途端に、歯を見せて笑った香藤に、

ニキは顔を真っ赤にして俯いた。

「レース、好きか?」

「うん、だいしゅき。」

「オーケー、ニキ、買いに行こう。」

「いいの?」

「あったりまえ。」

その遣り取りを眺めながら、岩城はくすくすと笑っていた。

「何、その笑い方?」

「いや、蛙の子は蛙だなと思っただけだ。じゃ、出かけるか。」





ロンドン、チェルシーにある香藤のフラットの、

駐車場にレンジローバーを駐めて、

三人は二十二番のバスに乗り込んだ。

ロンドンへは初めて来たニキは、周囲を見回してきょろきょろとしていた。

「このばしゅ、てれびでみた!だぶるでっかー!」

「ああ、そうだよ。よく知ってるな。」

シートに座っていたニキは、

隣にいる岩城に窓の外を指差して、

あれは何、これは何、と質問を繰り返した。

その会話をバスの乗客たちは、

ヨーロッパで一番有名な同性同士のカップルと、

子供連れが乗ってきた最初から、興味津々で見つめていた。

その彼らが、一斉に目を剥く問いがニキから飛び出した。

「だでー、どこいくの?」

「デパートだ。」

二人の前に立っていた香藤に、ニキは大きな声をかけた。

「どこにあるの?」

「デパートか?」

「うん。」

「ナイツブリッジ、ってとこで降りるんだよ。」

「しょっか。」

ニキの茶色い髪が揺れるのと同時に、

無言の衝撃が車内に走ったのにも気付かず、香藤達はバスを降りた。

残された乗客たちは、その三人をバスの中から見送った。






「ここがデパート。ハロッズって言うんだ。」

「ふえー・・・。」

見上げるニキを促して、三人はおもちゃ売り場へ向かった。

エスカレーターの手摺りから身を乗り出すように上や下を見るニキに、

岩城はそのシャツの裾を握って苦笑した。

「危ないぞ、ニキ。まっすぐ立ってろ。」

「うん・・・あ、あれなに?」

壁から突き出た像を指差して、ニキが頓狂な声を上げた。

「あれはエジプトの神様。」

「なんでここにあるの?」

「ここのオーナーが、エジプトの人だから。」

「ふーん。」

周囲の客達の遠慮のない視線を物ともせず、

香藤は横向きにエスカレーターに乗って、ニキと話をしていた。

フロアに着いて、香藤はニキの手を引いて売り場へ向かった。

フロアマネージャーが満面の笑みを浮かべて彼らを迎えた。

ゲームの並べられた棚に向かい、

ニキが目を輝かせて目当てのゲームを探し始め、

香藤はふと、岩城の姿が無いことに気付いた。

慌てて通路へ向かい、左右を見回した。

「岩城さん?」

「ここだ、香藤。」

岩城が通路へ姿を見せ、香藤に手を上げた。

「どしたの?」

「ああ、ちょっと、子供服が目に付いてな。」

「あー、そうか。今までアビーに頼んでたりしたもんね。

服も買わなくちゃ。」

「それと、学校に通う鞄か、リュックが必要だな。」

「じゃ、この際だから、全部買っちゃお。」

「だでー!」

そこらじゅうに響くようなニキの声がして、

香藤と岩城は顔を見合わせて笑い、

ニキのいる場所へ足を向けた。

買ってもらったゲームの包みを両手でしっかりと胸に抱いて、

ニキはニコニコとしながら香藤と岩城に挟まれて歩いていた。

「顔、溶けてるね。」

「さすが、親子だな。」

「えー?なにそれ?」

「お前もそっくり同じ顔するぞ。」

「・・・まじ?」

「ああ。」

楽しげに笑う岩城に、

香藤は複雑そうな顔で頭を掻きながらニキを見下ろした。

「で、ニキ。俺からもプレゼントがあるんだが。」

岩城の声に、ニキは驚いて彼を振り返った。

「学校に持っていく鞄がいるだろう?」

「がっこう!」

「そう。」

「がっこう、いけるの?」

「二月からね。」

「わー!」

ゲームを握った両手を降り上げて、ニキが飛び跳ねた。

「鞄はあっちだ。」

指差す方向へニキが駆け出し、

岩城と香藤は笑いながらその後を歩き出した。






「おなか、しゅいた・・・。」

大きな包みを抱えたニキが、ぽつり、と零した。

「そりゃ、腹減るな。」

「レストランあるから、そこでご飯にしよう。」

荷物を預けて、三人は四階にある「ザ・ジョージアン」へ足を向けた。

フロアの奥に、開けた入口があり、黒服が客を迎える。

いつも混雑しているそのレストランは、

少しだけカジュアルに優雅さを味わえる。

出迎えた黒服は、香藤と岩城に目を見張り、

窓際の日当たりのいい席へと彼らを案内した。

その姿を視線で追いながら客達がざわざわとし始め、

岩城と香藤に手を引かれたニキの顔を見て、

彼らは慌てたように目を逸らして、ひそひそと顔を見合わせた。

「どうせなら、アフタヌーン・ティーにしようか?」

香藤がメニューから顔を上げた。

「あふたぬーんちー、ってなに?」」

「お茶と、サンドイッチとか、スコーンとかケーキとか、いっぱいある奴。」

「しょれ!」

「了解。」

白い歯を見せてニキが頷いて、香藤はウェイターを呼んだ。




三段に重ねられた、

ハロッズのロゴ入りの白いプレートと、

銀のティーセットが並んで、ニキが「すごーい!」と声を上げた。

「いっぱい食べろよ。」

「うん!」

ニコニコとしながら、ニキは一番下の皿からサンドイッチを取った。

「このみどりの、なに?」

「キューカンバのサンドイッチ。」

香藤の言葉に、首を傾げてニキは岩城を見上げ、

彼はくすりと笑って答えた。

『きゅうりのことだよ、ニキ。』

「きゅーかんば、っていうの?」

「そうだよ。」

「わかった。」

そう言って、ニキはそのサンドイッチを頬張った。

ハムや、サーモンのサンドイッチを次から次へと食べるニキに、

岩城は笑った。

「そればっかり食べてると、ケーキとかスコーンは、食べられないな。」

「やだ!たべる!」

顔中を笑み崩して、スコーンにクロテッドクリームとジャムを塗りたくって、

齧り付くニキと、それをお茶を飲み、微笑みながら眺める二人。


その三人の写真がタブロイドにすっぱ抜かれ、

それはあっという間に世界中に流れた。







     続く




     弓




   2008年9月15日
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