Much Ado About Nothing 12








「なんだ、その格好は?」

ロビーへ入ってきた香藤達を、周囲がざわめきで迎える中、

ネルソンが遠慮のない声をあげた。

「相変わらず、派手な奴。」

「人のこと、言えないだろ。」

イタリアンブランドのスーツに身を包んだネルソンに、

香藤は顔を顰めて言い返した。

その文句を無視するように、

ネルソンは後ろから入ってきた岩城を見て、

大げさに両手を広げた。

「キョウスケ、凄いな!惚れ惚れするね!」

途端に、剥れた顔で口を開きかける香藤を、

岩城は笑いながら眺めていた。

手を引かれていたニキは、その場に居並ぶF1ドライバー達に、

ぽかんと呆けていた。

それに気付いた岩城が、ニキの前にしゃがみ込んだ。

「どうした、ニキ?大丈夫か?」

聞かれたニキは、口を開けたまま岩城を見て頷いた。

「ニキ、っていうのか?」

ズボンのポケットに両手を入れ、サングラスを頭に乗せて、

上体を折るように顔を覗きこんできたネルソンに、

ニキは咄嗟に岩城の上着を掴んだ。

「ありゃりゃ?嫌われちまったか?」

「そうじゃないよ、ネルソン。」

岩城がニキの背中を軽く叩くようにして、ネルソンを見上げた。

「緊張してるんだ。そうだよね、ニキ?」

微笑む岩城に、ニキはコクコクと首を振り、

そっとネルソンに視線を向けた。

「俺のこと、知ってる?」

「・・・しってる。」

「そっか。よろしくな、ニキ。」

小さな返事に、ネルソンは手をのばしてくしゃくしゃと頭を撫でた。

「ニキ、」

香藤の声がして、振り返った岩城は、

ニキの手を握ったまま立ち上がった。

「お久しぶりです、ニキ。」

岩城の声に、ニキがびっくりして顔を上げた。

「にき?」

「こんにちは、ニキ。」

ダークスーツに青いキャップを被った初老の男を、

まじまじと見てニキが、大声を上げた。

「にき!にき・らうだ!」

「へー、小さいのに、よく知ってるな。」

ネルソンが、またニキの頭を撫でて、ラウダに片手を差し出した。

「や、ネルソン。派手だな、相変わらず。」

笑いながら言われたネルソンは、ばつが悪そうに笑った。

「ニキ、」

「え?」

「ん?」

香藤がかけた声に、ニキとラウダが同時に振り返り、

香藤はこりこりと頭をかいた。

「あ、ごめん。ヘル・ラウダの方。」

「ああ、なんだ?」

「うん。この子が俺の息子なんです。ニキって言うんですけど。」

「ああ、そうらしいね。」

ラウダは、ニキに片手を出し、歯を見せて笑った。

「よろしく、小さいニキ。」

「あ、こ、こんにちは。」

その手を握り返して、ニキは香藤を見上げた。

「彼の名前を、貰ったんだよ、ニキ。」

「うん!」

「光栄だ。」

ラウダがそう言ってにっこりと頷き、

ニキは赤い顔で岩城の足にしがみ付いた。

「で、ヨウジ、その顔はどうしたんだ?」

ネルソンが、そう言って腫れた香藤の頬を弾いた。

「ってぇな!なにすんだよ!」

「なにって、結婚式には似つかわしくない顔だろうが。

誰にやられた?」

にやにやと笑うネルソンに、香藤は憮然として黙りこんだ。

「キョウスケの親父に、とかだったりして?」

「兄貴だよ。」

岩城がむすっとした顔で、代わりに答えた。

ネルソンとラウダが、吹き出し、

それを間近で聞いていた数人達も声を上げて笑い出した。

「殴られただけですんで良かったな、ヨウジ。」

香藤の肩に手をかけて、爆笑するネルソン達に、

ニキが眉を寄せた。

「だでぃ、なぐられたの?」

「うん、まぁね。」

「けんか、したの?」

見上げるニキに、香藤はその視線を合わせるように膝を折った。

「心配いらないよ、喧嘩じゃないから。」

「ほんと?」

「本当だ。」

岩城が握ったままのニキの手を軽く叩いて頷いた。

「うん。」

「・・・お前の言うことより、キョウスケの言うことを信じるんだな。」

「うるさいな。」

ぼそっと呟いたネルソンに、香藤が思い切り顔を顰めた。




「本当に申し訳ありません。」

「え・・・いや、その・・・。」

深々と頭を下げる香藤の両親に、

雅彦は言葉につまって苦笑を浮かべた。

その光景を、マーサや、ロビン達が困ったように見つめていた。

少し離れたところからそれを見つけて、ネルソンが香藤をつついた。

「あそこ、なんだか妙な雰囲気だぞ。」

「え?あ・・・。」

「なんだ?」

「俺の両親と、京介のお兄さん夫婦。」

「へー。」

ネルソンが気付いたようににやり、と笑った。

「あれがお前をぶん殴った、キョウスケの兄貴?」

「だから?」

「ご挨拶でもしてこようかな。」

「なに言ってんだよ。」

香藤が心底嫌そうな顔をして見せ、

ネルソンは声を上げて笑った。







村役場からやってきた役人の前で、

香藤と岩城は婚姻証明書へのサインを終え、指輪を交換した。

この部屋にはジャーナリストは入れず、

パーティを行うボール・ルームで待っていた

例外と認められた、ジュリアンとハーヴィーが、

花束を渡す役を貰ったニキを挟んで座り、二人を眺めている。

「後ろから見ると、ヨウジの方が嫁さんだよな。」

「ほんと。」

ジュリアンが、声を洩らさないように笑った。

「男前だもの、キョウスケは。」

「どう見たって、男だよなぁ。」

「あの色気を除いたらね。」

「・・・そうだな。」

認めたくなさそうな声の返事に、

ジュリアンはまた、笑いを堪えた。

誓いのキスをしようとした二人を見て、

ジュリアンが笑ってニキの目を隠した。

「教育上、問題ない?」

「・・・今更だろ?」

証人として立ち会わされた香藤の父と、

いまだに顰め面をしている雅彦は、

二人の会話に苦笑を浮かべた。

タキシードに蝶ネクタイをしたニキが、

促されて花束を持ち、岩城に差し出した。

頬にキスを受けて、微笑む岩城に雅彦がまた顔を顰めた。

「そんなに嫌そうな顔しなくてもいいだろ、兄貴。」

「悪かったな。生まれつきだ。」

ふー、と岩城が息を吐いて、肩を竦めた。

「他人から見ても、色気があるなんて、言われるようになりやがって。」

「なんだ、そんなのに腹立ててたのか。」

「そんなのだと?!」

冬美が宥めるように声をかけて、雅彦は憮然と口を閉ざした。

それを見ていたジュリアンが、岩城にくすりと笑いかけた。

「お兄さんは、反対してるわけね?」

「まぁね。」

「でも、証人になってくれたわけだし。

ほんとは認めたくないけど、しょうがないってとこね。」

くすくすと笑い出すジュリアンに、香藤と岩城は苦笑しながら頷いた。






パーティ会場に、フラッシュが何度も焚かれた。

香藤と岩城の、ケーキにナイフを入れる姿。

それは、きっと明日の新聞のトップを飾るだろう。

香藤や岩城の家族とニキ、それ以外なら何でもと、

許可を得たカメラマン達は、会場のあちこちへと散らばっていった。

「今日、お前達もこのホテルに泊まるのか?」

「ああ、そうだけど?」

「・・・子連れで?」

ネルソンが、驚いたように目を見張った。

「だから、なに?」

「いや、別に。」

口元を歪めるようにして笑うネルソンに、

香藤はむっつりとした顔を向けた。

「なにが言いたいんだよ?」

「お前のことだから、子供なんて誰かに預けて、

ベッドにお篭りかと思っただけだ。言っとくけど!」

香藤に殴られそうになったのを避けて、ネルソンは笑った。

「昔のお前なら、ってことだぜ?」

「悪かったな!俺がお前になんか悪いことでもしたってのかよ?」

「いんや。まぁ、お前のおかげで、

色っぽいキョウスケを見られるからいいけど?」

「お前、まだ諦めてないのかよ?」

「俺のポリシーは、為せば成るって奴だから。」

「・・・当たって砕けたくせに。」

「うるせぇな。」

「あらぁ、いいこと聞いちゃったわ。」

それを見ていたジュリアンが、両手を握り締めて声を上げた。

「ネルソンは、キョウスケに粉かけてるわけ?」

「あー、ジュリアン、それはオフレコな?」

大袈裟に肩を竦めるネルソンに、

ジュリアンも笑って岩城に顔を向けた。

「この二人って、いつもこうよね。」

「ああ。仲が良いのか悪いのか、よくわからないな。」

「いいわけないじゃん、岩城さん。」

香藤がするり、と岩城の腰に腕を回した。

「そうか?けっこう、馬が合ってる気がするがな。」

「どこがー?」

「言いたいことを言い合える、っていうのは、

そういうことじゃないのか?」

「勘弁してよ。」

ぴったりとくっ付いたままの二人に、

囃し立てるような声が周囲から上がった。

「色っぽいな、キョウスケ。」

誰かの声に、香藤は思い切り顔を顰めて岩城を抱きこんだ。

「俺のだから!」

「香藤、わかったからその腕を放せ。」

「わかったって、何がさ?」

近距離にある、香藤の脹れ面に、

岩城は仕方なさそうに溜息をついた。

そのまま、香藤の頬に手を当てると、掠めるようなキスをした。

「・・・ふえ?」

「これでいいか?」

惚けたような香藤の顔に、岩城が笑うと、

周囲から低いどよめきが上がった。

「・・・アホくさ。」

ネルソンの呟きが聞こえて、ジュリアンがその肩を叩いた。

「中てられるだけよね、二人といると。」

笑いが起きる中、ニキを中心にして座っていたアビー達と、

香藤の両親、雅彦達は、苦笑を浮かべていた。






「あれ?なにそれ?」

パーティが終わって、取っていたスイート・ルームのバスルームから、

香藤は頭を拭きながら出てきた。

置かれているテレビの前にニキが座りこみ、

ゲームのコントローラーを手にしているのを見て、香藤は首を傾げた。

「げーむ。」

「この前、買った奴?」

「うん。」

「一人でやる気か?」

何気なく聞いた香藤を見上げて、ニキが嬉しそうに笑った。

「だでぃ、できる?」

「レーシング・ゲームだろ?お前、誰に言ってんだ?」

先にシャワーを浴び、パジャマを着て、

ニキがゲームをセッティングしているのを笑って見ていた岩城が、

香藤の台詞にくすりと洩らした。

「実際のレースと、ゲームは違うだろう。」

「あー、岩城さんまでそういうこと言う?」

負けても泣くなよ、とニキに声を掛けて、

香藤はその隣に座りこんだ。

「よっしゃ、お前誰でやる?」

「・・・えー、」

「いつも、誰でやってたんだ?」

「・・・だでぃ。」

「俺?」

「それは、そうだろうな。」

岩城がベッドに座りながら、頷いた。

「・・・と、今日は、他の奴でやれよ。俺は、俺でやるからさ。」

「うーん。」

「誰でもいいじゃん、俺以外なら。ナイジェルとか、アランとか?」

ぷるぷると首を振るニキに、香藤はその頭を撫でた。

「しょうがないな。じゃ、ネルソンは?」

「うん。」

「おし。」

くすくすと笑いながら、岩城はベッドの中に潜り、

ヘッドレストに背を凭れさせた。

脇のテーブルに置いてあった本を手に取ると、

唇に笑みを浮かべたまま二人の騒ぎをよそに目を落とした。




「なんだよ、これ?!壊れてんのか?」

しばらくわーわーとした騒ぎが続き、

香藤の叫び声が聞こえて、岩城は顔を上げた。

片手で、がしがしと頭をかきながら、

香藤がぶすっとした顔でディスプレイを睨みつけている。

「どうした?」

「あー、岩城さん、これ壊れてるよー!」

首を傾げながら、ニキに目を向けると、

困ったような顔で香藤を見上げていた。

「・・・ひょっとして、お前が負けたのか?」

香藤が憮然として口を噤み、

彼が答えるより早く、ニキがにひ、と笑った。

「そうか。」

笑いながら返事を返した岩城を横目で見て、

香藤は剥れたままニキを見下ろした。

「もっかい、やろうぜ。」

「うん!」

満面の笑みのまま、ニキが頷き、

岩城は吹き出すのを堪えて視線を外した。

「・・・笑いすぎ、岩城さん。」

「まぁ、いいじゃないか。子供に花を持たせたってことで。」

「そう・・・とも言う?」

「そう、じゃないらしいな。」

まったく、負けず嫌いなんだから、

と一人ごちて岩城はまた本を手に取った。

「俺が負けるわけないじゃん。」

「・・・まけたのに、だでぃ。」

「いいの!」




ぎゃーぎゃーと騒ぎながらゲームに夢中の二人を放って、

岩城はベッドに横になると、顔を上げた。

「いい加減にして寝ろよ、二人とも。」

「わーってるって、今いいとこなんだから。な、ニキ?」

「うん!」

「程々にな。」

「はーい。」

まるで、子供が二人だ、と呟いて、岩城は瞳を閉じた。








     続く




     弓




   2009年1月16日
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