Much Ado About Nothing 2








朝食を食べている最中から、

アクセルが椅子に座るニキの両脚にまとわり付いていた。

『この子の名前、なんて言うの?』

『アクセル、だよ。』

『おっきくて可愛いね!』

ニキがそう言いながら、皿の上にあるソーセージを指で掴んだ。

「だめだ、ニキ。Nein。」

それをアクセルにあげようとしたニキに、

香藤が咄嗟に声を出し、首を振った。

びくり、としてニキが香藤を見上げ、

ついで岩城に視線を向けた。

香藤に叱られて、不安気な顔のニキに、

岩城は微笑んで頷いた。

『アクセルには、アクセルの餌があるから、

それはあげちゃいけないんだ。』

『・・・そっか。』

がっかりして、ソーセージを放したニキの指を、

岩城がナプキンで拭った。

『ファーターは怒ってるんじゃないから、心配しなくていいぞ。』

『うん・・・。』

『お食べ。』

しょんぼりとするニキに、

香藤はちょっと溜息をついて、岩城を見返した。

「気にしてるのか?」

「一応。」

「大丈夫だ。子供だけど、それくらいはわかるさ。」

「言いかた、きつかったかな?」

「いや、教えないといけないことは、

しっかり言わないとだめだろう。」

「だといいけど。」




「ニキ。」

食事を終えて、香藤はニキを呼んだ。

一瞬、びくりとするニキに、香藤は微笑んだ。

その顔に、あからさまにほっとするニキの顔を見て、

香藤はこりこりと頭をかいた。

「おいで。」

身振りで意味がわかったらしく、

ニキは香藤の傍へやってきた。

その肩を抱いて、香藤はキッチンへ入った。

岩城は、その後を黙ってついて行き、

香藤が話すことをニキに通訳した。

「うちには、アクセルと、黒猫のブレイクがいるんだ。

あと、ブレイクの子供達もね。」

『猫もいるの?』

「そうだよ。」

岩城が通訳して後ろから声を掛けた。

『多分、庭にいると思うけどね。』

「うん。」

香藤がそう言って頷き、シンクの下の扉を開いた。

しゃがみ込むと、ニキもその隣にしゃがみ中を覗きこんだ。

そこに置いてあるプラスチックの餌皿を見て、

ニキはわかったように笑った。

その皿と餌の袋を指差して、

香藤はニキを振り返った。

「これがアクセルの餌だ。

ペットに、俺たちの食べる物をあげちゃうと、

塩分とかいろんな物が彼らには多すぎて、

病気になるんだ。

だから、あげないこと。わかる?」

『うん、わかった。』

「いい子だ。」

そう言って、香藤はニキの髪をさらりと撫で、立ち上がった。

「それから、この家のことだけど、とても古い家なんだ。」

岩城の通訳に、ニキはこくりと頷いて、辺りを見回した。

香藤も、同じように、

キッチンからリビングのあちこちに視線を向けた。

目に入る、置いてある調度品の数々。

マイセンの置時計、

花瓶やガレのテーブルランプ、フロアランプ等々。

置いてある物の中にはとんでもないアンティークなものもある。

キャビネットの扉が机になる、

表面が飴色になったライティングディスクに至っては、

一体何年前の物やら、香藤も知らない。

それらを眺めて、香藤は溜息をついた。

「出来るだけ、この家にあるもの、

そこにあるランプとか花瓶とか、触らないように。」

『うん・・・。』

「高いんだ、すごくね。」

『そうなの?』

見上げるニキに、岩城は肩を少し竦めて、頷いた。

「人から貰った物もあるし、大事なものなんだ。」

香藤がそう言いながら、リビングへ入った。

「まぁ、このソファも、そうだけどさ。」

どさり、と座りこんで、香藤は背凭れから肩越しに振り返った。

「不用意に置いてる俺も悪いかなぁ。」

言い終わらないうちに、香藤はニキを見て黙りこんだ。

その、香藤がむっつりとする理由を悟って、岩城が首を振った。

「それも触らないで欲しいんだけどな。」

「なに言ってんだ。」

「ちゃんと、岩城さんに触っちゃだめって、通訳してよ。」

「馬鹿、子供にそんなこと言ってどうする?」

「だって、俺達夫婦じゃん。」

「そうだけど、今じゃなくてもいいだろう?」

苦笑を浮かべて答えると、

岩城は自分の両脚の後ろに隠れるように、

両手でぴったりと張り付いたニキの髪を、後ろ手で撫でた。

「恐がられたんだろ、お前が。」

「なんでさ〜?」

「あれも触るなこれも触るな、って言われりゃ、

子供なんだから、仕方ないだろ。」

「しょうがないじゃん。

俺だって、改めて見るまで、忘れてたよ、

ここにある物のことなんて。」

「まぁ、普段そんなこと、考えないからな。

使ってる皿とか、グラスのこととか、

いちいち気にしてたら、食事もできないしな。」

「でしょ?」

唇を尖らせて張り付いたままのニキを、岩城は庭へ行こうと誘った。

『お庭?』

『ああ、まだ見てないだろう?』

香藤を気にしながら、ニキが頷いた。

岩城は腿に張り付いたままのニキの手を取ると、玄関へ向かった。

それを見ていた香藤は、

振り返った岩城と目が合って、渋々立ち上がった。




庭の家の壁際に詰まれた薪の上で、

日向ぼっこをしていたブレイクを見つけて、

ニキはその前に座りこんだ。

ブレイクの廻りに、同じような黒猫が数匹いて、

ニキは岩城を見上げた。

『この子達は?』

『ブレイクの子供達だよ。

生まれたのは去年だ。

この子達はもう大人だね。』

『一年で大人になるの?』

『そうだよ。』

ブレイクは、ニキを見上げて「なー。」と鳴いた。

『可愛いね。』

ゆっくりと手を延ばしてブレイクを撫で、

彼女が逃げないとわかると、

ニキは嬉しそうに抱き上げて頬擦りをした。

その時、三人の後をついて来ていたアクセルが、

いきなり庭を駆け回り始め、

ブレイク以外の猫達はそれを避けようと右往左往し始めた。

その様子を、ニキがけらけらと笑いながら眺めていた。

「さすがはブレイクだね。まるっきり動じてない。」

香藤がそう言って、笑った。

そこへ、表からトラックの重厚なエンジン音が聞こえ、

香藤が思い出したように顔を上げた。

「あ、戻ってきた。」

「ああ、ディーノか。」

首を傾げていたニキは、

表に止まったセルフローダーの荷台にある、

真っ赤な車に大声を上げた。

『フェラーリ!すっごい、フェラーリだ!』

ブレイクを脇に置いて、ニキはぴょこんと立ち上がって、

庭と道路の境の生垣まで走っていった。

「やっぱり、男の子だな。」

「そうだね。」

くすり、と笑って香藤と岩城はその後を追った。

点検から戻ってきた香藤の愛車、

フェラーリ・ディーノに、

ニキは張り付いて動かなかった。

荷台から下ろされ、香藤がそれを駐車スペースにいれると、

ニキがそれに駆け寄った。

すごい、を連発しながら、ディーノの廻りを駆け回るニキに、

香藤が呆れて笑った。

「さっきのアクセルと同じだね。」

「そう言われて見ればそうだな。」

岩城も笑って頷いて、ニキの大騒ぎを眺めていた。

「触るなよー、って言いたいけど。」

「おい、」

「言わないよ。こればっかりは気持ちわかるもんね。」

そう答えて、香藤はディーノに近付いた。

ニキがそれに気付いて、

騒ぐのを止めるのを見て、

香藤は少し苦笑を浮かべた。

ドアを開け、それを全開にすると、

ニキが中を覗きたくてうずうずしているのが、

手に取るようにわかった。

香藤が笑って手招くと、

ニキは飛ぶようにして香藤の腋の下から、

ディーノの中へ顔をつっ込んだ。

『すごい!かっこいい!』

「かっこいいって言ってるぞ。」

「そりゃそうだよ。

俺だって、この内装のかっこよさには惚れたもんね。」

香藤が、くしゃくしゃとニキの髪をかき回した。

「乗っていいぞ。」

『乗っていいって、言ってるよ。』

『ほんと?!』

「ああ、いいよ。」

目を見開くニキの言葉を悟って、香藤が頷いた。

ニキは両手のひらをズボンに擦りつけると、

恐る恐る、運転席に座った。

その仕草を、香藤は笑って見ていた。

嬉しげにハンドルをそっと触って、ニキは雄叫びを上げた。

『いやっほ〜い!』

開け放ったドアの脇に膝を折ると、

香藤はげらげらと笑い出した。

「ちょっと、ドライブに行くか?」

それを岩城から聞かされて、ニキが両手を上げて頷いた。

「よし、そっちに移れ。」

助手席を指差されて、ニキは飛ぶように席を移った。

「ちょっと行って来るね。」

「ああ、気を付けてな。」

「うん。」

ニキのシートベルトを確認して、香藤はドアを締めた。

走り去るディーノを見送って、岩城はくすりと笑った。

「共通の話題があると、上手く行くってこと多いわね。」

騒ぎを聞き付けて庭に出てきていたアビーが、

後から声を掛け、岩城は振り返りながら頷いた。

「まぁ、男の子だしね。車は好きだろう。」

「ヨウジも、男の子だし?」

「あはは!そうだね。」




しばしのドライブから戻ってきた香藤は、

ニキをキッチンに連れて行った。

岩城が呼ばれて、彼の言葉を伝えた。

「これからは、ニキがアクセルとブレイクの餌係だ。

朝と夕方、これに餌をいれてあげてくれるか?」

『うん!』

そう明るく返事をするニキを見ながら、

岩城がおやおや、という顔をした。

「どうやら、言葉はわからなくても、

それなりに楽しかったらしいな。」

「え・・・うーん。まぁね。」

照れくさげに笑う香藤に、岩城は微笑んだ。




翌朝、朝食の後、香藤はニキを連れて表へ出た。

この村には、空き地がまだまだ残っていて、

子供達がフットボールをしたり、自転車を走らせたり、

遊ぶ場所には事欠かない。

ニキと手を繋いで、

香藤は家のそばのそんな空き地へと足を向けた。

その後から、岩城がアクセルのリードを掴んで続いていた。

『ここ、絵本みたいだね。』

ニキが、きょろきょろと当たりを見回しながら、目を丸くしていた。

『そうだね。昔のままの風景が残ってるんだ。

家も、何百年も前のものが、今もあるよ。

俺達が住んでいる家みたいにね。』

岩城に通訳されて、香藤が頷いた。

「素敵な村だよ、俺の村は。」

「うん!」

ニキがそこだけ英語で答えて、

香藤は笑いながらそれに同意した。

空き地に香藤が近付いていくと、

ボールを蹴って遊んでいた子供達がそれに気付いた。

「ヨウジだ!」

「おはよう、みんな。」

「アクセルの散歩?」

口々に言いながら駆け寄ってきた子供たちの中に、

アビーとロビンの十二歳になる息子、アンディがいて、

周囲が香藤を少し緊張しながら見上げる中、

真っ先に口を開いた。

「ヨウジ、その子、誰?」

「ああ、アンディ、君がいてくれて助かったよ。」

そう言われて、アンディはそばかすの散る鼻を、

得意げにうごめかせた。

ニキの肩に手を置いて、

香藤は子供たちに視線を合わせるように、

彼の隣にしゃがんだ。

「そんで、その子なにさ?」

「この子、俺の子供なんだ。」

「えーーー!?ほんと?!」

「ああ、ほんとだよ。」

それを聞いて、岩城はくすりと笑ってニキに通訳した。

「マミー、この子のこと知ってる?」

「知ってるよ。それでね、みんなに、頼みがあるんだ。」

集まっていた子供達に、香藤は真面目な顔で話しかけた。

「この子の名前は、ニキっていうんだけど。

ずっとオーストリアに住んでて、まだほとんど英語が出来ないんだ。

友達も、まだこの村にはいないんだ。」

「わかった、ヨウジ。俺達が最初の友達になってやるよ。」

アンディが、そう言って、ニキに片手を差し出した。

戸惑いながら、岩城を見上げたニキは、

それを伝えられてアンディを見返した。

おずおずと差し出された手を握るニキに、アンディは笑って頷いた。

「俺は、アンディ。俺のマミーには会った?」

『え?』

『彼のムッターは、アビーだよ、ニキ。』

『アビー!』

岩城に叫ぶニキの声を聞いて、

アンディは握った彼の手を大きく振った。

「そう!よろしくな!」

『うん!』

笑顔で返したニキに、それまで黙って見ていた子供達も、

わらわらと彼を囲んだ。

「フットボール、出来るか?」

アンディが、抱えたボールを両手でニキに、見せた。

意味が通じたのだろう、ニキが大きく頷くと、

アンディは親指を立てて空き地の真ん中を指した。

走っていく子供達を眺めながら、

香藤はほっと肩で息をついた。

「大丈夫だ。

子供って、言葉はわからなくても、

あっという間に仲良くなるもんだ。」

「まぁね。特にアンディはね。」

「そうだな。」

遠くで、早速ボールを蹴り出したニキと、アンディ達をしばらく眺めて、

香藤と岩城は歩き出した。

それにつられて、

足元の草にわさわさと鼻先をつっ込んでいたアクセルは、

岩城の脇にぴたりと付いた。

「今時、珍しくなっちゃったけど。

ガキ大将、っていうのかな?」

「ああ、いい子だな、アンディは。」

その日、ニキはアンディを連れて戻ってきた。

アビーの作った昼食を二人で並んで食べながら、

英語とドイツ語での、おかしなやり取りをしていた。

傍から見ればとても通じているようには見えないが、

二人はそれで理解しあっているらしい。

食べ終わって外へ飛び出していく二人を、

香藤と岩城、アビーが笑って見送った。




冬のチッピング・カムデンは日が落ちるのが早く、

三時半頃には暗くなってしまう。

街灯もそうそう付いているわけでもなく、

日の暮れかけた道を、香藤と岩城は空き地へ向かった。

薄暗くなった野原で、ボールの白を追いかける子供達に、

あちこちから声が掛る。

彼らと同じように迎えに来た親達が、

香藤に気付いて手を上げ、

ロビンがアンディに大きな声を掛けて手招きし、

香藤を振り返った。

「迎えに来たのか?」

その言葉で、ロビンがアビーから、

ニキのことを聞いたのだろうと推測して、香藤は頷いた。

他の親達はそんなことは知らず、

のんきに彼らの廻りに集まってきた。

「よう、ヨウジ、どうしたんだ二人で?」

「珍しいな、チャンピオン。」

「まぁね。すぐにばれると思うから言うけど、子供がいてさ。」

「・・・は?」

「誰に?」

「俺。」

シーンとなる周囲に、香藤は苦笑を浮かべた。

そこへ、アンディに手を引かれて、ニキが駆け寄った。

「だでー!」

「あはは、もう憶えたのか。」

香藤は笑ってニキの前に腰を屈めて、髪をくしゃくしゃと撫でた。

「まだ、遊んじゃだめ?」

アンディが、迎えに来ていたロビンを見上げた。

「もう日が暮れるからな。明日にしろ。」

「はーい。明日、だって、わかるニキ?」

首を振るニキに、岩城がしゃがんだ。

『アンディが、明日、また遊ぼうって言ってるよ。』

「うん!」

嬉しそうに笑って、ニキがアンディを見上げた。

「この子か、お前の子って?」

「そう。ニキって言うんだ。」

ロビンの言葉に、静まり返っていた周囲が、ざわめいた。

「こんにちは、ニキ。」

親達がニキに声を掛ける。

それを岩城が通訳して、ニキがこくりと頷いた。

「こんちゃ!」

「違うよ、ニキ。こ、ん、に、ち、は、だよ。」

「こ、こ、こんち、こんにち、わ?」

「そう、こんにちは。」

笑顔のニキを眺めて、ロビンが唸った。

「そっくりだな、こりゃ。」

「でしょ?笑っちゃうくらい似てるよね。」

「まったくだ。けど、これから大変だな。」

「うん・・・そうだね。」

香藤と、岩城に手を引かれて歩き去る三人を、

ロビン達が心配気に見送った。

「ねぇ、ダディ、どうして大変なの?」

「ん?そりゃあ、」

ロビンは、アンディを見下ろして、少し肩を竦めた。

「あの子は、これから学校へ行ったりするだろう?

でも、ヨウジとキョウスケには仕事がある。

それも家を空ける仕事だからな。」

「あ、そうか・・・。」

アンディが心配気にロビンを見上げた。

「俺、ニキが学校に来たら、仲良くするよ?」

「ああ、そうしてあげると、ヨウジ達は喜ぶだろうな。

さて、帰ろうか。」

アンディの頭を軽く撫でて、ロビンは歩き出した。

周囲でそれを聞いていた親達も、頷いて三々五々、帰って行った。





     続く




     弓



   2008年4月12日
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