Much Ado About Nothing 6 村のハイストリートに面して建つ、ホテル「コッツウォルズ・ハウス」。 香藤の自宅からは、歩いて十分程の所にある。 オフになると香藤は、よく岩城をつれて予約無しに、 このホテル内のレストランにやってくる。 彼らがここの住人であることと、ここ数年来ずっと、 香藤がF1チャンピオンを獲り続けていることもあって、 彼らに限ってはアポの必要や、 ドレスコードはあって無いに等しかった。 この村も冬の間は、観光客の数はそれほど多くはないが、 それでも入ってきた香藤を見て、客達が歓声を上げた。 笑顔でそれに答える香藤に、 フロント係が慌てて彼の元へ飛んできた。 「いらっしゃいませ、チャンピオン。本日も、お食事でしょうか?」 「いや、今日はお願いがあって。」 そう答えた香藤に、 フロント係は二人をレセプションに案内して戻っていった。 ソファに座り少しの間を置いて、 支配人がティー・セットを乗せたトレイを抱えたウェイターを伴って現れた。 「お待たせ致しました。申し訳ありません。」 にこやかな笑顔を浮かべて、支配人がウェイターを労い、 差し向かいに座った。 「さて、今日は何かご希望がおありになる、とのことですが?」 その支配人の笑顔を受けて、香藤が口を開いた。 「ええ、実はここでシビル・ウエディングが出来ると聞いたので、 そのお願いに伺いました。」 「おお、それは!」 「空いている日を教えていただけますか?」 「承知いたしました。少々お待ち下さい。」 支配人がそう言って立ち上がり、歩き出した。 格式を壊さない程度に、それでもかなりの慌しさで、 ロビーを横切る彼を、ホテルの従業員達は目を丸くして見送った。 「慌ててるな。」 「いつも、ゆっくり歩くのにね、彼。」 二人が笑いながら待っていると、 手に、黒い皮の表紙のついた、 大ぶりの手帳を抱えて戻ってきた支配人は、 眉間に皺を寄せながらページを捲った。 「十五日間の待機期間がございますが、 実際に届け出るのは、いつになさいますか?」 「早急に行ってくるつもりなんだけど、 もうクリスマスだから、その後になるよね。」 「そうだな、二十七日か、二十八日ころになるだろうな。」 「そうしますと、」 そう言いながら、また支配人は手帳に目を落とした。 「一月十二日か、十三日が待機期間明け、ですね。」 「空いてますか、どちらか?」 岩城がそう言うと、支配人はにっこりと笑った。 「どちらがよろしいですか?」 「え?」 顔を見合わせる二人に、 支配人は大げさに両手を広げ、鷹揚に頷いた。 「私共は、チャンピオンのご希望を叶えるためにおります。 こちらのことはどうぞ、お気使いなく。」 そう言われて、香藤がくすぐったげに笑った。 「それじゃ、十二日に・・・。」 「ちょっと待って。」 言いかけた岩城を、なにかに気付いたように香藤が遮った。 「二十七日は?空いてるかな?」 「二十七日、でございますか?ちょっとお待ちを・・・。」 支配人が手帳のページを捲り、とん、と指でその日付を叩いた。 「はい、空いております。」 「じゃ、その日に。」 「え・・・。」 笑顔で頷いた香藤を、岩城はしげしげと見つめた。 「いいじゃない、岩城さん。 誕生日に結婚って、いいと思わない?」 「お誕生日でしたか! それでは、そちらのお祝いもご用意致しましょう。」 「ありがとう。」 にっこりと笑って、香藤が頷いた。 「俺の誕生日でなくても、いいのに。」 「せっかくだから、そうしようよ。 それにさ、三十代のうちに、花嫁衣裳が着られるよ、岩城さん。」 「ばっ・・・なに言ってんだ!俺になにを着ろって?」 「だから、花嫁衣裳。」 「ふっ・・・!」 真っ赤な顔で、ふざけるな、と言おうとした岩城に、 香藤が堪らず吹き出した。 げらげらと笑う香藤の頭を、岩城が引っ叩いた。 その二人を、こっそりと聞き耳を立てていた周囲と、 支配人が笑い出し、二人は苦笑して顔を見合わせた。 「それじゃ、お願いします。」 「はい。畏まりました。」 支配人が、嬉しげに微笑んで頷いた。 「で、お前さん達、いったい何をしに来たんだ? 見たところ、やたら元気そうだが?」 村の病院の待合室にいた香藤と岩城に、 ここの院長であるバジルが、 白衣のポケットに手をつっ込んだまま、首を傾げた。 「なにって、検査に来たんだってば。」 香藤が苦笑して言い返すと、バジルは大げさに肩を竦めた。 「なんの検査だ? 嫌になるほど、健康な身体してるだろうに。 なに食ったら、そんな病院要らずの身体になるのか、 教えてもらいたいくらいだぞ?」 「俺だって、病気とか、怪我くらいするってば。」 「嘘つけ。 前の怪我だって、オフに戻ってきて診察したら、 ほとんど治ってただろうが。 俺の出る幕なかったじゃないか。 バケモノみたいに、頑丈な身体してやがるんだから。」 そのやり取りを、待合室にいた他の患者達が、 くすくすと笑いながら見ていた。 「バジル、そう言わないで頼むよ。」 岩城がそう笑顔を向けると、バジルはしかめっ面のまま頷いた。 「しょうがないな。診察室に来いや。」 「やな医者だなぁ、俺の言うことは聞かないわけ?」 「やかましい。」 「ったく、もう・・・。」 ぶつぶつと文句を言う香藤を、岩城が促して立ち上がった。 「なんか言ったか?」 「言ってないよ!」 診察室に入って、並んで座った二人に、バジルが片眉を上げた。 「HIV検査、等々ね。遅すぎやしないか、それ。」 「・・・そう言われると、言い返せないけど。」 「当たり前だろ。感染してたら、今頃キョウスケだって、罹ってるぞ。」 「うん・・・。」 「って、ことは、だ。」 「へ?」 独り言のように呟いて、バジルは真顔で見返した。 「お前さん達、アナル・セックスしてるわけだ。」 「・・・は?」 のんきに聞き返した香藤を見て、バジルは肩を竦めた。 「まぁ、お前さんがしてないわけないだろうが。 それで、コンドーム、使ってるんだろうな?」 「え・・・と・・・。」 「え、と、じゃない。」 「だって・・・。」 「だって、でもないな。」 「バジルー、そんなに睨まなくてもいいじゃん。」 誤魔化そうとして文句を言う香藤を見返したバジルは、 隣で真っ赤な顔をしている岩城を見て、頷いた。 「ああ、返事はいい。キョウスケを見れば判る。 使ってないって顔だな。」 香藤が岩城を振り返って、苦笑を浮かべる赤い顔に、 ペロリと舌を出してバジルに向き直った。 「しょうがない奴らだな。」 「そんなに怒んなくたって。」 「怒って当たり前だ。 わざわざリスクのあることしなくてもだ、セックスは出来る。」 「わかってるけどさ。」 「いや、バジル、それは俺がしなくていいって言ったんだ。」 岩城が、そう言ってバジルを見返した。 「ちょ、ちょっと、岩城さん!」 慌てる香藤を尻目に、バジルはガリガリと頭を掻いて溜息をついた。 「それはな、キョウスケ、甘やかしって言うんだ。」 「そう、だな。」 「愛してるからだ、なんて甘ったるい言い訳はするなよ? 命、掛かってるんだぞ?」 「ああ、」 岩城は、バジルを見つめ返して頷いた。 「確かに、愛してるんだが。 そうだな、命掛けてもいいと思ったのは、事実だな。」 そう言い切る岩城を、バジルは少しの間、 机に頬杖をついて見つめていた。 「これからはそうはいかないだろ。 アナル・セックス止めるならいいが。」 「それは無理。」 「即答かよ。」 呆れた顔で、バジルは香藤を見返した。 「なら、使え。」 「えー・・・岩城さんだって、イヤだよね?」 「あのなぁ、」 苦笑する岩城に、バジルは首を振った。 「それで、罹患してたらどうするんだ?」 「まぁ、今のところ兆候はないけどね。」 「あってどうするよ?」 睨まれて、岩城と香藤は肩を竦めた。 「で、その検査はいいとして、ニキのことだがな。」 バジルが、真面目な顔をして香藤を見返した。 「学校へ通うなら、健康診断しておこうか。」 「あ、そうだね。今度連れて来るよ。」 「で、だ。」 「うん?」 一呼吸置いて、バジルは口を開いた。 「DNA鑑定、する気はあるか?」 それを聞いた香藤は、咄嗟に言葉に詰まり、彼を見つめた。 すると、横合いから岩城の声がした。 「いや、その必要はないよ。」 「岩城さん?」 「キョウスケ、それはどう言う意味だ?」 驚く香藤とバジルに、岩城は頷いた。 「もう、済ませてる。」 「へっ?!」 「・・・なるほどな。」 バジルがまじまじと岩城を見返した。 「ならいい。」 目をぱちくりとして、聞き返そうとする香藤に、 バジルは視線を向けた。 「たいしたもんだ、出来た嫁さんだな。お前さんにはもったいない。」 「・・・どういう意味、それ。」 「褒めてんだよ。」 脹れる香藤の腕を宥めるように岩城が叩き、 バジルはそれを笑いながら見ていた。 「で、ニキの診察はいつにする?」 「二十七日に役場へ申請に行くんだ。その帰りに寄るよ。」 岩城の言葉になんの申請だ、とは聞かず、バジルは大きく頷いた。 「それで検査することにしたのか。」 「まぁね。」 顔を見合わせて微笑む二人に、バジルは肩を竦めた。 「ニキはどうするんだ?そのまま一緒に住むんだろ?」 「そうだな。先々、養子縁組のことも、考えなきゃいけないかもな。」 「え・・・っ?」 香藤が思わず岩城を振り返った。 「本気?」 「お前が嫌じゃなければな。」 「それ・・・ちょっとだけ待って。」 黙ったまま香藤を見返し、岩城は一度瞬きすると、微笑んで頷いた。 「で、検査の前に、問診するんだけどな。」 「問診?」 「ああ、そうだ。」 「個別にするから、どっちか外へ出ててくれ。」 「いいよ、そんなことしなくて。」 香藤が何気なく答え、バジルは眉を上げて彼を見返した。 「そうか、なら聞くが、ヨウジ、これまで何人と付き合った?女も男も、だ。」 「・・・へっ?」 香藤が頓狂な声を上げ、バジルは、 真面目な顔で香藤に視線を向けた。 「そ、そんなこと聞くの?」 「そんなことってな、当然の質問なんだよ、これは。」 「え・・・と・・・。」 口篭る香藤を見て、バジルは苦笑しながら片手を振った。 「わかった。キョウスケから聞くから、外に出てろ。」 「う・・・。」 岩城は、ばつの悪そうな表情を浮かべる香藤を宥めるように、 後から軽く頭を叩いて、笑った。 「向こうで待ってろ。」 「あー・・・うん。」 香藤が診察室を出て行く背中を見送って、 岩城はバジルに向き直った。 「問診って、他に何を聞くんだ?」 「不特定多数の異性と性的接触を持ったか。 同性と性的接触をもったか。 麻薬・覚醒剤を注射したことがあるか。 それらに該当する人と性的接触を持ったか、だな。」 「不特定多数って、どれくらいを指すのかな?」 岩城が笑いながら聞くと、バジルは肩を竦めた。 「さてな。で、どうなんだ?」 「特定少数の女性となら付き合ったことはある。昔だが。」 「女と?」 「そうだよ。」 岩城の返事に、バジルが奇妙な顔をした。 それを見返して、岩城が首を傾げた。 「なんだ?」 「じゃ、同性は?」 「ああ、」 岩城はにっこりと笑うと、頷きながら答えた。 「それなら、はっきり人数を言えるな。洋二だけだ。」 「・・・は?」 バジルが唖然として口を開けたまま、 しばらく、まじまじと岩城を見つめていた。 「キョウスケ、お前ゲイじゃないのか?」 くすくすと笑い出して、岩城は首を振った。 「洋二と暮らしてるんだ。ゲイじゃないとは言えないだろう?」 「それはそうだが。つまり?」 「つまり、洋二が俺の最初の男だってことだ。」 「・・・ヘテロだったわけだ、一応。」 「ああ、彼と出会うまではね。」 「はー・・・ヨウジに勇気があるのか、 キョウスケに度胸があったのか、どっちだろうな。」 声を上げて笑うと、岩城は前髪を指でかきあげた。 「どっちもかもな。」 呆れて口をへの字の曲げるように笑って、バジルは肩を竦めた。 「で、他の質問の答えは?」 「麻薬に関しては、無し。で、最後の質問の件だけど。」 「ああ?」 「洋二も薬はやってない。 それは断言できるが、それ以外はわからないな。」 「そりゃそうだな。」 岩城はバジルに頷くと、 「その辺、じっくり聞いといてくれ。」 そう言って笑った。 「ねぇ、岩城さん、」 家に戻る途中、ハイストリートを歩きながら、香藤が首を傾げた。 「なんだ?」 「さっきのことなんだけどさ。」 「うん?」 「ニキのDNA鑑定、いつしたの?」 「来て、すぐだ。」 こともなげに答える岩城に、香藤はぽかん、と見返した。 「勝手にして悪かったな。」 「え、ち、違うよ。そういうことじゃなくてさ。」 「・・・元の職業柄、かな。 顔見ればお前の子だとはっきりしてたが、 違うとなったら、まずいことになるしな。」 「まずいこと、って?」 「他人だったら、あの子がうちにいる理由がないだろ? 未成年誘拐、なんて言われかねないからな。」 「あー・・・。」 初めて気付いたように頷く香藤を見ながら、岩城は苦笑を浮かべた。 「こういう考え方も、職業病みたいで、嫌なんだが。」 「そんなことないよ。それで、その・・・。」 「結果か?」 「うん。」 少し眉を寄せて、心配げな顔で見返す香藤に、岩城は笑った。 「血縁関係は、九十九.九七パーセントの確率、だそうだ。」 「は?パーセントで言うの、止めてよ。わかんないよ。」 「まぁ、まず間違いなくお前の子ってことだ。」 「そっか。」 溜息をついた香藤を見て、岩城はくすり、と笑った。 「ほっとしてるみたいだな。」 「うーん・・・。」 苦笑を浮かべた香藤の肩を、ぽん、と叩いて、岩城は微笑んだ。 「やっぱり、自分の子供となったら、可愛いと思うだろう?」 その岩城とは対照的に、香藤はくしゃり、と顔を歪めた。 「どうした?」 「ごめんね、岩城さん。」 「なんで謝る?」 「だって・・・、」 立ち止まって香藤は唇を噛み締めた。 「俺、岩城さんから、そういう機会を奪っちゃったんだよ? 俺に出会わなきゃ、岩城さんだって、」 「ストップ。」 言いかける香藤の唇を、岩城が片手で塞いだ。 「人の幸せというのは、決まった形があるわけじゃない。 俺のことは気にするな。」 「でも・・・。」 「お前は、俺がいま、幸せじゃないと思うか?」 そう言われて、香藤は絶句した。 「もし、お前といて幸せじゃないと思ったら、 俺はとっとと出て行くさ。そうだろ?」 「うー・・・。」 唸る香藤に、岩城は笑いながら歩き出した。 「だいたい、そうじゃなかったら、結婚なんてするか。」 「そっ、だよね!」 途端に元気になる香藤に、岩城は声を上げて笑った。 「あのさー、聞いていい?」 「なんだ?」 「アニカのことなんだけど、」 「ああ、それは調査中だ。」 「・・・やっぱり。」 肩を竦めて香藤は、あっさりと頷いた岩城を見返した。 「調べて判ったところで、どうすればいいかは、まだ考えてないが。」 「そうだね。その時はその時?」 「そういうことだな。」 「ニキに説明しないといけないね、俺達のこと。」 香藤が歩き出しながら、少し溜息をついた。 「そうだな。」 続く 弓 2008年5月24日 |
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