捻じれたサーキット 13







巨大なマクガバン・チームの輸送車は、

その側面と後部に少なくとも20個はついているライトで、

途方もなく大きな輪郭を浮かび上がらせ、

4つの強力なヘッドライトを煌々とつけて、

ほとんど車の走っていない道路を、

その晩、そのあたりにイタリア警察のパトカーがいたら、

あまりいい顔をしなかっただろうスピードで、

轟音を上げて疾走していた。





香藤は、高速道路を通ってまずトリノに行き、

そこから南下してクオネに出たのだが、

いまやタンド峠に差し掛かっていた。

登り切ったところにトンネルがある。

そこがイタリアとフランスの国境になっている、

ぞっとするような山道である。

普通の車で、昼間、乾いた路面の運転しやすいときに通っても、

細心の注意を要する道だった。

坂が急でトンネルの両側に果てしなく続くように思える、

殺人的と言ってもいいようなヘアピンカーブがあるために、

ヨーロッパでもっとも危険で、運転の難しい峠と言われていた。

その峠に、かなりの激しさで雨が叩きつけていた。

その中を、路面保持性能の限界ぎりぎりのスピードで、

巨大な輸送車を飛ばすなどということは、

異常な危険を伴うことだった。

ある種の人々にとっては、

それは危険であるばかりでなく、悲惨なことですらあった。

一人は香藤の隣で小さくなり、

一人は運転席の後にしつらえられた、狭い仮眠用のベッドの上にいた。

兄弟のメカニックは、くたくたに疲れてはいたのだが、

明らかにこれまでにないくらい、はっきりと目を醒ましていた。

もっとはっきりと言えば、二人は怯えあがっていて、

次々と迫ってくるヘアピンカーブを曲がるたびに、

激しくスリップして車体が傾くと、

恐怖のあまりお互いに顔を見合わせているか、

目を閉じているかどちらかだった。

もし、道路から外れたら、谷底への長い転落が待っている。

そうなったら、生き延びる可能性はまったくなかった。

ランドルフ兄弟が、

激しい不安に苛まれていることに香藤が気付いていたとしても、

その表情や態度からはまったくわからなかった。

香藤の全神経は運転と、ヘアピンカーブを二つ、

時には、三つも曲がった先の道路に、

ちらっと目を走らせることに集中されていた。

ザッキオはもちろん、今頃はもうその仲間も、

香藤がフィルムのカセットを持っていることを知っていて、

そのカセットを奪おうとしているということを、

香藤は一瞬も疑わなかった。

いつ、どこで彼らが襲いかかってくるかは、推測するしかなかった。

タンド峠の頂上へ通じるヘアピンカーブを這い上がっていく輸送車は、

待ち伏せする側にとって絶好の目標だった。

相手が何者であれ、

その本拠はマルセイユだと香藤は確信していた。

イタリア警察と衝突するような真似をするだろうとはまず、

考えられなかった。

モンツァを出発してから、

付けられてていないということにも自信があった。

香藤がどのルートを取るか、

連中にはわかっていないということも考えられた。

香藤がもっと本拠地に近付くまで、

あるいは到着するまで待っているのかもしれなかった。

一方、香藤が途中でフィルムのカセットを誰かに手渡すなり、

郵送する可能性もあるということを考えているのかもしれなかった。

香藤はさまざまな可能性を頭から拭い去ると、運転に専念したが、

相変わらず危険に備えてあらゆる感覚を研ぎ澄ませていた。

何事もなくタンド峠の頂上にたどり着くと、

曲がりくねった山道を下り始めた。





ラ・ジェンドラに着くと、香藤はちょっとためらった。

リヴィエラ沿いに、西へ延びている高速道路を行くか、

ニースへ直行する道は距離は短いが、

曲がりくねった道をとってもよかった。

リヴィエラへのルートは、イタリアとフランスの税関を一度ならず、

二度通らなければならないということを考慮して、

香藤はニースへ直行するルートをとることにした。

何事もなくニースに着くと、高速道路に入り、

カンヌを通ってトゥーロンに出ると8号線に入り、

マルセイユに向かった。

ちょっとした事件が起きたのは、

トゥーロンを過ぎて、20キロほど走り、

ルボーセ村の近くにさしかかった時だった。

カーブを曲がると、500メートルほど先にライトが4つ見えた。

その内の2つは静止し、2つは赤く点滅しながら、

90度ほどの角度を描いて、同じような動きを繰りかえしていた。

香藤がギアを落とすと、不意にエンジン音が変わった。

その音で、うとうとしていた兄弟も目を覚まし、

香藤よりも一瞬遅れただけで、その点滅しているライトに気付いた。

静止した2つのライトには、「止まれ」、と書いてあり、

もう一方には「警察」と書かれてあった。

そのライトの後に、少なくとも5人の男が立っていて、

そのうちの二人は道路の真ん中に立っていた。

香藤は、瞳が隠れてしまいそうなほど目を細めて、

ハンドルの上に屈みこみ、身を乗り出していた。

不意に、香藤は頷くと、腕と脚が完全に連動して動き、

すばやくエンジン・ギアを一段落とした。

前方では、揺れていた二つの赤いライトの動きが止まった。

ライトを振っていた男達に、輸送車が止まろうとして、

スピードを落としていることが伝わったのだろう。

50メートルほど手前で、香藤はアクセルを床まで一杯に踏み込んだ。

最大の加速力を引き出せるギアまで、計画的に落としてあったので、

そのギアのまま香藤は突っ走った。

輸送車と前方で点滅するライトの距離が着実に、

そして急速に縮まっていく。

赤いライトを振っていた二人の男は、

輸送車には止まるつもりが無いと気付いて、両側に飛びのいた。

運転席の後ろで、ランドルフ兄弟は、

信じられないといった恐怖の表情で香藤を見つめていた。

香藤は、今まで道路の真ん中で、

自信たっぷりに立っていた人影が飛び退くのを、

無表情のまま見送った。

輸送車が道路の中央で点滅していた、脚付きのライトを引っ掛けると、

ガラスの割れる音と、金属の拉げる音が、

次第に高まっているエンジン音にもかき消されずに、あたりに響いた。

さらに、20メートルほど走ると、

輸送車の後部から、ガンガンと音が聞こえてきた。





その後部を叩く音は、さらに3、40メートル走り、

車体を傾けてカーブを曲がるまで続いた。

香藤はギアを1段上げ、しばらくしてさらにトップに入れた。

まったく平然とした顔で、香藤は前方を見ていたが、

ランドルフ兄弟は、震え上がっていた。

「どうしたんだ、ヨウジ?気でも狂っちゃったのか?

あんなことしたら、夜が明ける前に、ブタ箱入りだよ?

今のは、警察の検問だったんだぞ?」

「パトカーも、白バイも、制服の警官もいない検問なんて、ありえないよ。」

「でも、あの警察の標識は・・・。」

香藤は、出来るだけやさしく言った。

「頼むからあんまり心配しすぎないようにしてくれないかな。

フランスの警察は、あの連中みたいに覆面をするようなことはないし、

ピストルにサイレンサーを付けるようなこともしないんだ。」

「サイレンサー?」

兄弟は、計ったように同時に言った。

「輸送車の後ろで、がんがんいってたのは、聞こえたでしょ?

石でもぶつけてたと思ってるわけ?」

「じゃ、連中は・・・?」

「輸送車の貨物を狙う強盗だよ。」

香藤は、そう言いながら内心、苦笑していた。

とっさのことで、上手い返事が見つからなかったのだ。

兄弟は、メカニックとしての腕は優秀だったが、

いささか単純に出来ていたので、香藤のような人物のいうことなら、

たやすく信じてしまうようなところがあった。

「でも、どうして俺達が通ることを知ってたのかな?」

「前もって、わかってたわけじゃないんだよ。」

香藤は、すばやく話をでっち上げて言った。

「物陰に、ああいうライトとかを隠しておいて、

無線で連絡を取り合ってるのさ。

俺達みたいな獲物が通りかかったら、

ライトを設置して止めさせるんだ。

そんなの、ものの何秒かあればできちゃうよ。」

「ずいぶん遅れてるんだな。やり方が。」

「まったくだね。」





兄弟は、香藤ののんびりした返事に安心して、眠る準備に入った。

香藤は、疲れるということを知らないらしく、

相変わらず前後左右に気を配り、目を光らせていた。

2、3分すると、運転席外のバック・ミラーで、

香藤は猛スピードで近付いてくる一対の、ライトを捕らえていた。

そのヘッドライトが迫ってくると、

香藤はとっさに道路の中央へでようかと迷ったが、

すぐにその考えを捨てた。

もし、敵側の人物だった場合、

輸送車のタイヤに、

ピストルででも穴を開ければすむことだったからだ。

その車に乗っていた人物は、

ピストルを撃ちかけてくるような事はなかったが、

奇妙なことがあった。

輸送車を追い越すと、前後のライトが消え、

少なくとも100メートルは引き離すまで、

そのライトは消えたままだった。

再び、ライトが点いたときには、遠く離れすぎていて、

後部のナンバー・プレートは確認できなかった。

そのわずか数秒後に、香藤はまた一対のヘッドライトが、

前の車よりもさらに凄まじいスピードで近付いてくるのに気がついた。

この車は輸送車を追い抜いてもライトを消さなかった。

サイレンを盛大に鳴らし、

青いライトを点滅させながら前方へ消えていった。

香藤は、嬉しそうに微笑を浮かべた。

さらに、100メートルほどを走り、静かにブレーキを踏んだ時も、

その顔には何かを期待しているような表情が浮んでいた。

前方には、パトカーがまだ青いライトを点滅させたまま、

道路に止まっていた。

そのすぐ前にも、もう1台止まっていて、

警官がメモ用紙を手に開いている窓越しに尋問していた。

輸送車は、まだゆっくりと走りながら、

2台の車を追い越す為に、左側へ出た。

香藤は、苦もなく前の車のナンバー・プレートを読み取っていた。

PJ666M。





大抵の大都会のように、

マルセイユにも一見の価値のある場所もあれば、

そうでない部類に入るところもある。

マルセイユの北西部のいくつかの地域は、

明らかに後の方の部類に入り、

かつては住宅地だったのだが、うらぶれ果てて、

今では工業地域になっていた。

ラウール通りもそういった地域のひとつだった。

見るからに不愉快、という所まではいっていなかったが、

見事に人を引きつける所のない通りで、

そのほとんどが小さな工場と大きなガレージで占められていた。

その通りで一番大きな建物は、

真ん中あたりの左側にあるレンガと鉄板の大きいだけの、

なんともつまらない建物だった。

巨大な金属製のシャッターの上に、

高さが1メートルほどある文字で、

ただ一語、マクガバンと書いてあった。

香藤は輸送車を、ラウール通りに乗り入れ、

ガレージに近付いていった。

シャッターが上へ巻き上がり始め、

ガレージへ乗り入れるためにいったん反対側にハンドルを切ると、

内部に灯りがついた。

ガレージは間口が約50メートル、

奥行きが80メートルほどのがらんとした建物だった。

構造も外観もひどく古めかしかったが、

この種のガレージとしてはまず、文句のつけようがなく、

手入れも掃除も行き届いていた。

右手の壁際には、マクガバン・フォーミュラ・ワンが、3台並び、

その先にはV8エンジンが3台、台座に据えられ、

同じ側の入口を入ったところには、

黒いシトロエンが、止めてあった。

左側には、工具のそろった作業台が並び、

ガレージの裏には、

頭まで部品やタイヤの入った木枠が何十も積み上げてある。

頭上には輸送車にエンジンを積み込むための桁が走っていた。

香藤はゆっくりと輸送車を乗り入れると、

縦に走っている積み込み用の桁の真下に止めた。

エンジンを切り、眠っている兄弟を揺り起こすと、輸送車から降りた。

ジャンセンが迎えに出ていた。

腕時計に目を落とすと、口元を歪ませた。

「2時だ。早かったな。」

「道がすいてたんだ。で、これからどうするんだい?」

「一眠りするんだな。角を曲がったとこに古い家がある。

たいした家じゃないが、寝るくらいの役には立つ。

朝、ここへ来て積み込みにかかるからな。

住み込みのメカニックが手伝いに来てくれるはずだ。」

「ジョンと、スティーブ?」

「あの二人は辞めちまったんだ。」

ジャンセンはいつもよりさらに機嫌が悪くなった顔で、言った。

「ホームシックとか言ってたな。馬鹿馬鹿しい。

新しいメカニックは、イタリア人だ。腕は悪くない。」

そのときになって初めて、

ジャンセンは輸送車の後部の傷に気付いた。

「いったい、この痕はなんだ?」

「弾丸だよ。トゥーロンのこっち側で、

何者かが積荷を奪おうとしたんだ。

少なくとも、俺は奪おうとしたと思ってるんだけどね。

もしそうだとしたら、手馴れてなかったな。」

「何者にしろ、なんだってこの輸送車を襲おうとしたんだ?

マクガバンを2台盗んで、なんになるっていうんだ?」

「なんにもならないね。この型の輸送車は、そこらにあるから。

間違えたんじゃないの?」

「明日の朝、警察に届けとこう。」

ジャンセンは、苦々しげに言った。

「犯人が捕まるわけじゃないけどな。」

4人はガレージを出て行った。

歩きながら、香藤はさりげなく黒いシトロエンを見た。

そのナンバー・プレートには、PJ666M、とあった。






     続く





    2006年2月23日
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