捻じれたサーキット 17







ヴィニョールの南のロータリーで、1台の黒いシトロエンが、

香藤のフェラーリをやり過ごす為にブレーキを踏んだ。

フェラーリが傍らを追い抜いていくと、

シトロエンのハンドルを握っていたジャンセンは、

考え込んだように顎を撫でて、車をヴィニョールのほうへ向け、

最初に見つかった公衆電話の傍らに止めた。





ヴィニョールのテスト・コースのほとんど客のいなくなった食堂で、

マクガバンは食事を終わりかけていた。

ドアの方に目を向け、マギーが出て行くのを見守っていた。

溜息を漏らしながら、

視線を向けていると岩城がマギーとすれ違いに入ってきた。

「これから食事か?」

少し顔色の悪い岩城は、入口へ視線を送りながら、口を開いた。

「ああ、まぁね。」

「ところで、キョウスケ、エディを見なかったか?」

「さぁ。部屋にいるんじゃないのかな。

じつはね、あの坊やが盗み聞きしてるところを、

香藤に見つかったんだ。」

「なんだって?またか!」

「エディは、ここで香藤と会うのが嫌なんだろう。

当の香藤は部屋で寝てるよ。」

「羨ましいね。ベッドで寝てるってことが、だが。

どういうわけか、今夜はくたくたなんだ。

先に休ませてもらうよ。」

マクガバンが立ち上がりかけると、ジャンセンが入って来て、

二人のテーブルの方へ近付いてくると、また腰を下ろした。

ジャンセンも、ひどく疲れているようだった。

「どうだった?」

マクガバンが口を開いた。

「だめです。ここから半径5キロ以内のところは、

しらみつぶしに探したんですがね。

手がかりが何もないんですよ。

でも、連中の人相風体に非常によく似た二人連れを、

ルボーセで見かけた人がいるって言う連絡が今、

警察から入ったんです。

何か一口食ったら、行ってみます。

まず、車を見つけなきゃならないんですがね。

私のがイカれちゃったんです。」

マクガバンは、自分の車のキーを差し出した。

「私のアストン・マーチンを使うといい。」

「ありがとうございます。」

「いろいろと、本当にご苦労さんだな、ジャンセン。」

「いや、あの二人は俺の部下でもあるんですから。」

二人の会話の間、岩城は宙に視線を向けていたが、

その顔には何の表情も浮んでいなかった。





フェラーリのスピード・メーターは、180キロを指していた。

ヴィニョールを出てから、

40分足らずのうちにマルセイユ市という標識を通過した。

さらに1キロほど行って、

信号が赤に変わると、フェラーリは止まった。

香藤の顔はアザだらけで絆創膏がべたべたと貼ってあったので、

どんな表情かはわからなかった。

しかし、その目はいつものように穏やかで、落ち着き払っていた。

その香藤を、一時慌てさせる声が聞こえた。

「ヨウジ。」

香藤は、さっと振り返り、後ろに置いてあった、

防水布の中から顔を出したエディを見つめた。

やがて、香藤はゆっくりと言葉を選び、区切るように言った。

「いったい、こんなところで、何をしてるんだ?」

「手伝えることが何かあるかな、と思ったんだよ。」

エディは言い訳がましく言った。

香藤はぐっと怒りを抑えたが、それには大変な努力が必要だった。

内ポケットから岩城に貰ってきた金の一部を取り出すと、

香藤はエディに差し出した。

「300フランある。これでホテルの部屋を取って、明日の朝、

ヴィニョールに電話をして迎えに来てもらうんだ。」

「そんなお金要らないよ。僕はとんでもない間違いをしちゃったんだ。

だから、手伝わせてよ。」

「いいかい、エディ。今晩、俺は何人もの人に会うんだ。

君を見つけた途端に殺しちゃうような連中にね。

お陰で君の安全にまで、気を配らなきゃならなくなるんだ。

君にもしものことがあったら、親父さんに顔向けできなくなるよ。」

信号が変わると、フェラーリはまた走り出した。

香藤の顔に、何かに気をとられているような色が浮んでいた。

「そういえば、パパはどうしちゃったの?」

「強請られてるんだ。」

「まさか。」

エディは、まったく信じられないようだった。

「親父さんが、何か強請られるようなことをしたってわけじゃないんだ。

いつか話してやるよ。」

「その連中に、強請るのをやめさせようってわけ?」

「できたらね。」

「それから、ジャンセン。あいつもやっつけるの?」

「うん。」

エディは、遠慮がちに言った。

「ヨウジは、マギーと結婚するの?」

香藤は肩をすくめて嘆息をついた。

「いや・・・。」

「キスしてたのに?」

「そうだよ。」

「・・・なんで?」

「俺の周りには、刑務所の塀が迫ってるみたいだからね。」

エディは、香藤の顔を見ながら、首を振った。

「本当の理由はは違うんでしょ。」

香藤はもう一度嘆息すると、はっきりと答えた。

「俺には、好きな人がいるんだ。大事な人がね。」

エディは香藤の言葉を聞くと、

それ以上その話題を続ける気がなくなったようだった。

「僕は、マギーやパパやママを愛してるんだ。

その敵をやっつけるんなら、僕も行くよ。」

香藤はしばらく黙って運転していたが、しょうがない、と頷いた。

「いいだろう。ただし、見えないところに隠れて、

危なくないようにしてるって、約束すれば、だ。」

「わかった。言うとおりにするよ。」

香藤はバックミラーに目をやった。

エディはかなり満足しているらしく、微笑を浮かべていた。

10分後、香藤は、

エディット・ピアフ通りから300メートルほど離れた狭い道に、

車を止めると、必要なものを全てバッグにつめてそれを肩にかけ、

エディを連れて目的の家に向かった。

エディの顔に浮んでいた微笑は消え、不安そうな色が現れていた。





香藤とエディは、「隠者の里」を取り巻いてる、壁の影に身を潜めていた。

香藤はバッグの中身を調べた。

「さて、と。

・・・ロープ、フック、防水布、絶縁した針金切り、

鏨、救急箱・・・全部あるな。」

「そんなもの、何に使うの?」

「最初の3つは、塀を乗り越えるのに使うのさ。

麻紐は、何かを縛るために使うんだよ。」

そういいながら、香藤はエディを見た。

「すまないけど、エディ。

その歯をカタカタ鳴らすのはやめてくれないかな。

中にいる連中に聞こえちゃうからね。」

「止まらないんだよ、ヨウジ。」

「しょうがないな。ところで、ちゃんとここにいるんだぞ。

警察にはできれば来てもらいたくないけど、

30分たっても俺が戻ってこなかったら、

角の公衆電話へ行って警察に電話するんだ。いいね?」

「うん。」

香藤はロープの先にフックを結びつけ、それを投げた。

邸内の木の枝を乗り越え、フックが枝にがっしりとかんだ。

慎重にロープを引っ張ると、

白い防水布を肩にかけて必要なだけ塀を登ると、

コンクリートで固めたビンの破片だらけの塀の上に、

両側に垂らしてかけた。

さらに塀を登ると、それに跨りエディを見下ろした。

「バッグ。」

エディがバッグを放り上げ、

香藤はそれを受け取ると塀の中へ落とした。

そして、両手で枝を掴むと、

邸内の方へ身体を振り、中へ降り立った。

香藤はちょっとした木立を抜けて、

一階の部屋のカーテンを引いた窓から、

明かりが洩れているのを見つけた。

がっしりとしたドアは、当然のことだったが、

閉まっていて閂がかかっていた。

出来る限り陰になった部分から出ないようにしながら、

香藤は家の横手に回った。

一階の窓はどれも役にたたなかった。

全て、頑丈な鉄格子が嵌まっていたのだ。

裏口にも当然予想されたように鍵がかかっていた。

香藤はさらに反対側の側面へ回って行った。

二階を見上げた途端に、

香藤の目は僅かに開いている窓に気付いた。

庭を見回し、20メートルほど離れたところに、

いくつかの小屋と温室が固まっていた。

香藤は意を決してその方へ歩いていった。





エディは、決心がつきかねていた。

絶えずロープに視線を走らせながら、

外のとおりの行ったりきたりしていた。

が、突如、ロープを掴むと、塀をよじ登り始めた。





エディが反対側に降り立った頃には、

香藤はすでに僅かに開いている窓に、

梯子をかけ、窓の高さまで登っていた。

懐中電灯を取り出すと、窓の左右の端を念入りに調べた。

どちらの側にも、明らかに電線とわかる針金が、

窓のフレームに留めてあった。

香藤はバッグに手を突っ込み、

針金切りを取り出して両側の電線を切り、

上下に開く窓を大きく開けて中に入った。

2分足らずのうちに、香藤は2階には誰もいない、

ということを確かめていた。

バッグと懐中電灯を左手に、サイレンサーのついた銃を右手にして、

足を後を忍ばせて玄関ホールへ、階段を下りていった。

少し開いているドアから明かりが洩れ、

女が一人混じった話声がはっきりと聞こえた。

香藤はしばらくその部屋を無視して、一階を歩き回って

他の部屋には人がいないことを確かめた。

台所で、懐中電灯の光が地下へ通じている階段を照らし出した。

香藤はその階段を下りると、床も壁もコンクリートの地下室を、

懐中電灯の光で調べた。

4つドアがあった。

その内の3つはごく普通のドアだった。

4つ目のドアには、がっしりとした差し錠が二つ付いていて、

中世の地下牢を思わせるような、頑丈な鍵が差してあった。

香藤は差し錠を外し、

鍵を回して中へ入ると、スイッチを見つけて灯りを点けた。

ひと目見ただけでは、

何の実験室かということまではわからなかったが、

香藤はアルミニウムの容器が並んでいるところへ行くと、

その一つの蓋を取り、中に入っていた白い粉の匂いを嗅ぐと、

うんざりしたように鼻に皺を寄せて蓋をした。

香藤は、肩を竦めるとドアも開けたまま、

灯りも点けたままで部屋を出た。





香藤が地下室からの階段を上がっていったとき、

エディは木立のはずれの暗い影の中に隠れていた。

エディの立っているところからは、

家の正面と側面の両方が見えた。

その顔には、心配そうな色がかなり濃く滲み出ていたが、

いきなりそれが恐怖に近い表情に変わった。

黒っぽいズボンに黒っぽいセーターを着た、

背の低いがっしりした男が、

不意に家の裏側から姿を現したのだ。

香藤が計算に入れていなかった庭の見張りは、

一瞬その場に棒立ちになって、

家の外壁に立てかけられた梯子を見つめていた。

が、次の瞬間には玄関に向かって走り出していた。

まるで手品のようにその手に、

二つのものがいつの間にか握られている。

大きな鍵と、それよりもはるかに大きな、ナイフだった。

香藤は人のいる部屋の外に立って、

少し開いているドアからこぼれた光をじっと見つめ、

話し声に耳を傾けていた。

銃に付いたサイレンサーをしめなおすと、すばやく2歩進み出て、

右脚の踵で乱暴にドアを蹴りつけた。

ドアは、危うく蝶番から外れるところだった。

部屋の中には、5人の男女がいた。

その内の3人は妙に似ていた。

3人ともががっしりとした体格で、

布地も仕立てもいいスーツを身に着け、

見るからに金持ち然、としている。

4人目は、ブロンドの美人。

そして、5人目はヴィリ、だった。

5人とも、まるで魅せられたように香藤を見つめていた。

「手を上げてもらおうか。」

香藤はゆったりと言った。

「もっと高く、もっと、高くだ。」

5人は言われたとおりに、手を上げた。

「いったい、どういうことなんだ、カトウ?」

ヴィリは荒々しく、詰問するような口調で言うつもりだったのが、

極度の緊張で僅かに掠れていた。

「せっかく、友人を訪ねてきたのに。」

香藤は冷ややかな声で、それを遮った。

「文句があるなら、判事の前で言うんだね。

俺よりはまだ、話を聞いてくれるだろうから。黙るんだ。」

「危ない!」

恐怖に駆られた叫び声は、辛うじてエディのものだとわかった。

香藤は、傑出したF1ドライバーに相応しい反射神経を持っていた。

振り返ると同時に、引き金が引かれていた。

ナイフを振り下ろそうとしていた、男はあまりの痛さに悲鳴を上げると、

信じられないといった顔で、撃ちぬかれた手を見つめた。

香藤は彼を無視して、

ナイフがまだ落ちないうちに5人の男女の方へ向き直っていた。

男のうちの一人が、内ポケットに片手を入れようとしていた。

「出してみろ。」

香藤の声に、男はなんとも凄まじい速さで、右手を上げ直した。

香藤は慎重に脇により、

手を打たれた男のほうにちょっと、銃を振った。

「仲間の方へ行くんだ。」

痛みに堪えかねるようにうめき声を漏らして、

右手を左手で掴みながら、男は言われた通りにした。

その時、エディが部屋へ入ってきた。

「ありがとう、エディ。これで全て帳消しだよ。

そのバッグから救急箱を取ってくれ。」

香藤は冷ややかに一同を眺めまわした。

「救急箱が必要なことは、これで最後にしたいもんだね。」

ブロンドの女に銃を向けると、顎を振った。

「こっちへ来るんだ。」

女は椅子から立ち上がると、ゆっくりと進み出た。

香藤はぞっとするような微笑を浮かべたが、女はショックのあまり、

その微笑の裏にあるものを読み取ることが出来なかった。

「あんたは、看護師の素質があると思い込んでるようだね。

誰にも惜しまれずに死んで行ったサンドロは、

同意しないかもしれないけど。

そこに救急箱があるんだ。仲間の傷の手当をしてやれよ。」

女は、香藤に唾を吐きかけた。

「自分でやったらいいでしょ。」

香藤は黙って女を見つめた。

「殴られたい?

俺としては、できるだけ女には乱暴したくないんだけどね。」

女は、香藤の顔に表れている凄惨な表情を見て、身体を震わせた。

「ヨウジ、本気で殴らないよね?」

「それはわからないな。彼女次第だね。

それに、この美人は殺人犯でもあるし。」

女は黙って救急箱を取り上げ、男の手当てを始めた。

「他の奴は、みんな床にうつ伏せになって、両手を背中に回すんだ。

エディ、銃を持ってるかどうか調べるんだ。

ちょっとでも動いたら、頭をぶち抜くよ。」

エディは4人の男を調べた。

そして、調べ上げると自分がテーブルの上に置いた、

4丁の銃を恐る恐る見下ろした。

「みんな、持ってたよ。」

「当然だよ。今度は麻紐だ。エディ、どうするかはわかってるね?

血の巡りがどうなろうと、かまうことはないから、

できるだけきつく結ぶんだ。」

エディは、夢中になって仕事にかかり、6人の手を背中で縛り上げた。

香藤はヴィリに顔を向けた。

「門の鍵はどこにあるんだ?」

ヴィリは憎しみのこもった目で睨みかえしたが、答えようとはしなかった。

香藤は銃をポケットに仕舞うと、襲いかかろうとした男の落としたナイフを拾い上げ、

その先をヴィリの喉に突きつけて、微かに皮膚を傷付けた。

「三つ数えたら、後へ突き抜けるまで、

このナイフを押し込むよ。一つ・・・二つ・・・。」

「ホールのテーブルだ。」

ヴィリの顔から、血の気が引いていた。

「みんな立つんだ。地下室へ行け。」






   続く




   2006年3月31日
本棚へ
BACK NEXT