捻じれたサーキット 19







「ヨウジは、情報部員とか、特別捜査官とか、そういったものなの?」

エディが助手席から言った。

香藤はちらっとエディに視線を向け、また道路に戻した。

かなり飛ばしていたが、香藤の限界にはほど遠かった。

「俺は、失業中のレーサーだよ。」

「また、そんなこと言って。隠さなくてもいいじゃない?」

「隠してなんかいないよ。岩城さんをちょっと手伝ってるだけさ。」

「キョウスケは、何をやってるの?

あんまり働いてないみたいだけどさ?」

「岩城さんは、連絡とか、調整とかの係りなんだ。

もちろん、証拠とかも探ってるし。俺は彼の調査員ってとこだね。」

「ふぅん・・・でも、何をしてるの?」

「他のF1ドライバーを調べてるんだよ。

って言うより、見張ってるって言ったほうがいいかもね。

ドライバーだけじゃなくて、メカニックとか、関係者すべてをね。」

エディは、わかったようなわからないような顔をして、聞いていた。

「どうしてヨウジが選ばれたの?どうしてヨウジのことは調べないの?」

「もっともな質問だね。」

香藤は笑った。

「この2年ほど、俺はとってもついてたんで、

悪いことをするよりまともに稼いだ方がとくだろうから、

馬鹿なことはしてないだろうって考えたんじゃないのかな。」

「どうしてそんなことを調べてたの?」

「もう一年以上前から、グランプリのサーキットで、

何かおかしなことが行われてるって気がしてたんだよ。

絶対に本命と思われてたマシーンが負ける、とか、

まるで見込みのないのが勝つ、とか、原因不明の事故が起きる。

まったく理由のないようなところで、マシーンがコース外へ飛び出す。

まだなくなるはずがないのに、ガソリンが切れる。

オイルや冷却水がそんなはずないのになくなって、

エンジンがだめになる。

出るたびに優勝をさらうようなマシーンを持っていれば、

いろいろと、何よりも利益を得られる。

どこかのオーナーが、

グランプリ市場を独占しようとしているんじゃないかってことが、

まず考えられたんだ。」

「だけど、そうじゃなかったんだね?」

香藤は、頷いた。

「そう。犠牲にされてるのは、

自分だけじゃなくみんな酷い目にあってるんだって、

マシーンの製造会社や、オーナー達にわかったとき、

そのことがはっきりしたんだよ。

スコットランドヤードに連絡しても、

介入する権限がないって言われたんだ。

で、ヤードは国際刑事警察機構に協力を求めたのさ。

ってことは、具体的には岩城さんに、協力を求めたってことなんだ。」

「ザッキオとか、ヴィリのことは?なんでわかったの?」

エディが、不思議そうに尋ねた。

「非合法、ってやつさ。電話、郵便物、すべてを監視してね。

で、ドライバー5人と、メカニックの7、8人が浮んだんだ。

その内の大半は定期的に金が入ってるわけじゃなかったんだ。

ザッキオと、ヴィリを除いてね。

で、あの二人が何かを売ってるって考えたわけだけど、

連中が受け取ってるような金で売れる物となると、

一つしかないんだ。」

「麻薬、だね?」

「そう。」

香藤が前方を指差すと、エディはヘッドライトに浮かび上がった、

「トゥーロン」という標識を読み取った。

香藤はスピードを落とし、窓を開けて顔を出した。

空を見上げると、雲が広がりかけていたが、まだ星が輝いていた。

香藤は首を引っ込めると、少し首を振った。

「ちょっと明るすぎるな。

君のお母さんには見張りがついてるだろうからね。」

香藤は小さな町に入っていくと、まず、外の路地からは見えない、

高い塀で囲まれた場所に車を止めた。

二人は車を降りると、間もなく暗いところを選びながら、

ちょっとした港に沿って用心深く歩いていった。

やがて、立ち止まると東側に広がる入り江を眺め回した。

「あれじゃない?」

エディは緊張しながら囁いた。

「ロイス号だ。」

皓々たる月光に照らされた静かな入り江には、

少なくとも14、5隻のヨットやクルーザーが停泊していた。

一番近くに泊まっているのは、50フィートに近い、

なかなかのクルーザーで、はっきりとブルーとわかる船体の上に、

白い船室などが見えていた。

「これから、どうするの?」

エディは震えていたが、それは不安というよりは、興奮を表していた。

香藤は考え込んだように、ちらっと空を見上げた。

ちょっとした雲が、月のほうに向かって流れてはいたが、

まだ空は晴れていた。

「夕食にしよう。腹が減ってるんだよ。」

「夕食?でも・・・」

「まぁ、そんなに慌てないこと。これからの1時間で、

君のお母さんが消えちゃうなんてことは、まず考えられないよ。

それに、ボートを借りてロイス号まで行くとしたら、

こんなに月の光が明るいと、見つけられるってこともあるし。

それは、あんまりありがたくないんだ。

ま、急がばまわれって言うしさ。」

2人はまた歩き出したが、海岸沿いのカフェの前で立ち止まると、

香藤は外から内部を調べた。

首を振るとまた歩き始め、2軒目のカフェでも同じように、首を振った。

2人は、3軒目のカフェに入っていった。

店内は、4分の1ほどテーブルがふさがっているだけだった。

2人はカーテンの引かれた窓の傍らに席を取った。

「ほかの店には無かった何かが、この店にはあるの?」

香藤はカーテンを引っ張った。

「眺めさ。」

二人の座った席からは、ロイス号がよく見えた。

エディは気乗りのしない様子で、メニューを眺めていた。

「何にも食べられそうにないよ。」

「何か食べとこうよ。」

香藤は元気づけるように言った。

その5分後には、大きな深い皿に入ったブイヤベースが、

2人の前に置かれ、

さらにその5分後には、エディの深皿は空になっていた。

香藤は空になった皿とエディを見て、微笑を浮かべたが、

その微笑が突然消えた。

「エディ、俺を見るんだ。ほかを見ちゃだめだよ。

特にバーを見ないようにね。自然に振舞うんだ。

前にほんのちょっと知ってた男がいま入って来たんだよ。

俺が入って2、3週間程して、

マクガバン・チームを辞めたメカニックなんだ。

何か盗んだんで、君の親父さんが首にしたんだよ。

ザッキオと凄く親しかったんだけど、やつがここにいることから見て、

相変わらず親しいってことはまず間違いないね。」

ひどく痩せて、骨ばった身体の男が、いっぱい入ったままの、

ビールのグラスを前に置いて、バーに座っていた。

男は、グラス口をつけながら、何気なくバーの奥の鏡に目をやった。

そこに、エディに向かって話しかけている香藤の姿が、

はっきりと映っていた。

男は口からビールを飛ばし、喉を詰まらせた。

やがて、グラスを置くとカウンターの上に小銭を置いて、

できるだけ目に付かないように出て行った。

「トニーって、呼んでたんだ。ほんとの名前は知らないんだよ。

奴としては、我々が気付かなかったと思いこんでるだろうと思う。

もし、奴がザッキオと一緒だとすると、

ザッキオがすでにロイス号に乗り込んでるってのは確かだね。」

香藤がカーテンを引っ張り、二人で外を見た。

エンジンをつけた小さなボートが、まっすぐにロイス号に向かっていた。

エディは、どうするのかと香藤を見た。

「ザッキオっていうのはね、衝動的、

とまでは言わないけど感情に流されやすいんだ。

腕はいいのに一流のドライバーになれないのも、そのためなんだ。

5分もしたら、俺が一歩店から踏み出したら、

すぐに打ち倒す為にどこか物陰に隠れて待ってるだろうね。

エディ、ひとっ走り車まで行って来てくれないかな?

麻紐を取ってきて欲しいんだ。それとテープをね。

必要になるかもしれないんだ。

あそこの桟橋を50メートルほど入ったところにある階段で会おう。」





香藤が勘定書を貰うためにウェーターを呼ぶと、

エディは駆け出しそうになるのを必死で堪えて席を離れた。

そして、入口を出た途端に、もの凄い勢いで走り出した。

フェラーリに駆けつけると、エディはトランクを開けて、

麻紐とテープをポケットに押し込み、トランクを閉めた。

それから、運転席のドアを開け、

座席の下からオートマティックを4丁取り出した。

エディは一番小さいのを選ぶと、残りをまた座席の下に隠した。

手に持った銃を調べていたが、安全装置を外すと、

いかにも気が咎めるとでも言うように辺りを見回してから、

内ポケットに仕舞いこんだ。

エディは急いで海岸へ引き返していった。





桟橋の階段の近くには、2重に積み上げた樽が2列に並んでいた。

香藤とエディは、その影に立っていた。

香藤の手には、銃が握られている。

エンジンの付いたボートが近付いてくるのが見えていたし、

音も聞こえていた。

ボートが岸に着き、泊まった。

木の階段を上がってくる足音が聞こえ、

桟橋の上に二人の男が姿を現した。

ザッキオと、トニーだった。

ザッキオは、ライフルを持っていた。

香藤は樽の陰から出て行った。

「動くな。ザッキオ、その銃を捨てるんだ。

両手を高くあげてむこうを向け。

同じ言葉を繰り返すのはもううんざりなんだ。

エディ、2人の持ち物を調べろ。」

エディが、2人のポケットを探ると銃が2丁出てきた。

「海へ捨てちゃえ。2人ともこっちへ来るんだ。」

香藤は2人を樽の陰にうつ伏せにさせ、背中へ回した両手を、

エディが麻紐で胴体にくくりつけ、テープでトニーの口を塞いだ。

「息は出来るか?」

香藤の言葉に、エディは肩を竦めた。

「辛うじて、かな?」

「充分だ。息なんかできなくてもどうってことないけどね。

奴はここに残していこう。

朝になったら、誰かが見つけてくれるさ。立て、ザッキオ。」





エンジンのついたボートは、月の光に照らされた海を進んでいった。

ザッキオがボートを操作し、香藤は銃を手に彼と向かい合って、

ボートの真ん中あたりに座っていた。

エディは前を向いて舳先に座っている。

ブルーと白のクルーザーが、その先に浮んでいた。

クルーザーの操舵室で、

背が高くがっしりした男が双眼鏡を目に当てた。

途端に、その顔が引き締まった。

男は双眼鏡を置くと、引出からピストルを取り出し、

操舵室を出ると梯子を昇って船室の屋根に腹ばいになった。

ボートが船尾のステップに横付けになると、エディが舫縄を縛った。

香藤は身振りで命令すると、ザッキオがまず梯子を昇っていき、

ついで、香藤がザッキオに銃を向けながら昇り、

その後にエディが続いた。

香藤はエディにその場から動かないように言うと、

ザッキオの背中に銃を突きつけて、船内をへ入っていった。

1分後、香藤とエディと、腹立たしげに顔をしかめたザッキオは、

灯りのついたロイス号のサロンにいた。

「どうやら、誰もいないらしいね。

マクガバン夫人は下の鍵のかかった部屋だろう。

鍵をよこせ、ザッキオ。」

「動くな。」

太く低い声がした。

「振り返るんじゃないぞ。ピストルを捨てるんだ。」

香藤はじっと動かず、言われたとおりに銃を捨てた。

ザッキオは、にっこりと笑うと、立ち上がった。

「お見事、ニコラ。」

「お安い御用ですよ。シニョール・ザッキオ。」

ニコラはエディの傍らを通るとき、

小ばかにしたようにエディを突き飛ばすと、

そのまま香藤の銃を拾いに行った。

エディはよろめきながらソファの隅に座り込んだ。

「ピストルを捨てろ。今すぐに!」

エディの声は、誰が聞いてもわかるほど震えていた。

その顔に驚きの色を浮かべて、ニコラはさっと振り返った。

がくがくと震えている両手で、

ピストルを握っているエディを見て、ニコラは笑った。

「これはこれは、なんて勇敢なガキなんだ。」

ニコラは、そう言ってピストルをあげた。

エディは唇を噛み締め、ぎゅっと目を閉じると引き金を引いた。

狭い部屋の中に、耳を劈くほどの音が響いた。

あまりの痛さに迸り出た悲鳴を上げて、ニコラは左手を握り締めた。

呆然とその左手を見下ろすニコラを、

同じように呆然と見ているザッキオの腹に、

香藤は強烈なフックを叩き込んだ。

ザッキオは身体を二つに折った。

香藤はその首筋に一撃を加えたが、

ザッキオも頑丈な身体の持ち主で、

よろめきながらデッキへ出て行き、香藤がそのあとを追いかけた。

エディは、血の気の引いた顔で、ニコラと、

その足元に転がっている2丁の銃に視線を落とした。

ニコラに銃を向けて、エディは立ち上がった。

「座れ。」

激痛にさいなまれながらニコラは、その命令に従った。

まったく予測できなかったエディの次の1発が、

どこに飛んでくるかわからなかったからだ。

ニコラがサロンの隅に移ると、殴りつける音と、

苦しげなうめき声が外からはっきりと聞こえてきた。





ザッキオはその背中を手すりに押し付けられて、仰け反っていた。

デッキについていない足をばたつかせていたが、

その上半身はすでに海の上だった。

香藤の両手は、ザッキオの喉に押し付けられ、

じわじわと船外へ押し出していった。

が、突如右手をザッキオの喉から外すと、

腋の下にかけて彼を手摺り越しに落としにかかった。

「俺は泳げないんだ!泳げないんだよ!」

ザッキオが掠れ声を上げた。

香藤の耳にザッキオの声が入っていたとしても、

その表情はまったく変わらなかった。

渾身の力をこめて、香藤は腿を持ち上げると、

ばたついていた足が視界から消えた。

派手な音を立てて、香藤の顔までしぶきをあげ、

ザッキオは海に落ちた。

香藤は少しの間、じっと海を見下ろしていたが、

懐中電灯を取り出しクルーザーを一回りして周りの海を調べ、

またもとの所まで戻ってきた。

まだ、荒い息をしていたが、エディの方を振り向いた。

「ほんとに泳げないのかもしれないよ?」

エディが、来ているジャケットを脱ごうとした。

香藤の手が、エディのシャツの襟を掴んだ。

「気でも狂ったのか、エディ?」

エディはしばらくの間、香藤を見上げていたが、

ジャケットを羽織りなおした。

「害獣?」

「そうだ。」

2人は、サロンに戻って行った。

ニコラはまだソファに身体を丸めて座り、うめき声を漏らしていた。

「マクガバン夫人のキャビンの鍵は?」

ニコラは、と棚の引き出しのほうへ向かって、顎をしゃくった。

香藤は鍵を見つけると、

救急箱を手に銃を突きつけてニコラを下へ連れて行き、

最初のキャビンのドアを開けると、

ニコラに入るように命じて救急箱を投げ込んだ。

「30分以内に医者をよこしてやるよ。それまで、

もとうがもつまいが、知ったことじゃないけどね。」

香藤はキャビンを出ると、外から鍵をかけた。





隣のキャビンでは、

40前後の女がベッドの傍らのストールに座っていた。

長い間、閉じ込められていた為に、顔色が悪く、

痩せていたが、それでも美人だった。

驚くほど、娘に似ているその顔には、表情がなく、

諦めと絶望そのものといった感じだった。

銃の音と、上甲板での騒ぎが聞こえなかったはずはないのだが、

その顔には何の色も浮んではいなかった。

鍵が回り、ドアが開くと、香藤が入ってきた。

女は、身じろぎ一つしなかったが、

香藤が3メートルほどのところまで近付いても、

じっと下を見つめていた。

香藤はその肩に手をかけた。

「迎えに来たよ、シーラ。」

シーラは、ゆっくりと、

驚きながらもまだ信じられないままに振り返った。

ひと目見ただけでは、

目の前の顔が誰だかは、わからないようだった。

が、やがて、覚束なげに立ち上がりかけ、

よろめくように香藤の首に腕を巻きつけた。

「ヨウジ・カトウ。本当に、ヨウジ?

私の大好きな、ヨウジ?その顔は、一体何をされたの?」

「時間がたてば、治る傷ばっかりだよ。」

香藤は元気良く言った。

「それに、そもそも、それほど大した顔じゃないしね。」

香藤は本当に自分がここにいるんだと、

シーラに分からせようとするかのように、その背を叩いた。

シーラの腕を、優しく解いて、香藤は笑った。

「あなたに会いたがってる人が、もう一人、ここにいるんだよ、シーラ。」





         続く





        2006年4月3日
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