捻じれたサーキット 3







マクガバン・チームが借りている修理工場は、

非常に長く、背の低い建物だった。

天窓が大きくとってあり、

あちこちにスポットライトがぶら下がっているため、

とても明るく、この手の修理工場としては、

珍しく綺麗できちんと片付いていた。

鉄のドアがきしんで開いた時、

ジャンセンは工場の奥でポンコツのようになった、

香藤のマシーンの上に屈みこんでいた。

ジャンセンは上体を起こし、

手を振ってマクガバンと岩城に、

二人が来たことに気づいたことを知らせると、

またマシーンの検査を続けた。

岩城はドアを閉めると、低い声でマクガバンに囁いた。

「ほかのメカニックはどうしたんだろう?」

「もうわかってもいいころだぞ。衝突したマシーンは、

ジャンセンが一人で処理するんだよ。

ほかのメカニックたちをまるで買ってないんだな。

連中は証拠を見逃すか、下手につついてわからなくするか、

どちらかだって言うんだ。」

二人はマシーンに近付き、ジャンセンがブレーキ・パイプの

つなぎ目をきつく締めるのを、黙って見守っていた。




ジャンセンを見守っているのは、マクガバンと岩城だけではなかった。

彼らの真上の天窓の外で、工場内の強烈なライトの光が、

何か金属製のものに反射した。

それは、手に持っているビデオカメラだった。

カメラを構えている手は、微動だにしていなかった。

その手は、香藤洋二のものだった。

手がまったく動かないように、その顔もまったく無表情で、

全神経を集中しじっと動かず、カメラを構えていた。

その顔からは、酒の気も感じられなかった。

「どうだ?」

マクガバンが、ジャンセンの背中に声をかけた。

ジャンセンは、上体を起こすと痛む背中をそっと摩った。

「なんともなってないんです。どこも、なんともなってないんですよ。

サスペンション、ブレーキ、エンジン、

トランスミッション、タイヤ、ステアリングホイール。

すべてOKなんです。」

「しかし、ハンドルは・・・」

「折れたんですよ。衝撃で折れたんです。

ほかには考えられませんよ。

奴がイザクの前に飛び出していった時は、

まだ効いてたんですからね。

あの瞬間に、

ステアリングホイールが効かなくなったんだなんてことは、

言わないでくださいよ、マクガバンさん。

そりゃ、世の中には偶然の一致ってこともありますけど、

ちょっとこれは行き過ぎってもんです。」

ずっと黙っていた岩城が、口を開いた。

「じゃ、まだ原因は何もわからないってことだね?」

「私に言わせりゃ、明々白々ってとこですがね。

カーレース界最古の理由ですよ。運転ミス。」

「運転ミス、ね。」

岩城は首を振ると、ジャンセンを見上げた。

「香藤は今まで一度も、運転ミスをしたことがないんだよ。」

ジャンセンは微笑を浮かべたが、

その目は冷ややかな光をたたえていた。

「その点についちゃ、イザクの意見も聞いてみたいもんですね。」

マクガバンが、肩をすくめながら腰に手をあてた。

「こんなことをしていても何にもならないんだ。

行こう。ホテルへ戻るんだ。

君はまだ飯も食ってないんだぞ、ジャンセン。」

マクガバンは岩城に目を向けた。

「バーで一杯やって、ヨウジの部屋へちょっと寄ってみよう。」

ジャンセンが、背中を伸ばしながら頷いた。

「そんなことをしても無駄ですよ。ぐでんぐでんでしょうからね。」

マクガバンはその真意を探るようにジャンセンに目を向けていたが、

長い間を置いて、ゆっくりと言った。

「彼はまだ、ワールドチャンピオンだし、

このチームのナンバー・ワンなんだぞ。」

「なるほど、そういうわけなんですね?」

「そうじゃない方がいいのか?」

ジャンセンは流しへ行くと、手を洗い始めた。

振り返りもしないでジャンセンは口を開いた。

「ボスはあなたですからね。マクガバンさん。」

マクガバンは答えなかった。

ジャンセンが手をふくと、3人は黙り込んだまま修理工場を後にした。




香藤は工場の屋根の上で棟木につかまっていた。

3人が街頭の明るい通りを立ち去っていくのを見守っていたが、

視界から消えるや否や、

香藤は開いている天窓の方へ慎重に滑り降りて行った。

窓枠を掴んで内側にぶら下がると、

足先で鉄の横桁を探りあてた。

それから窓枠から手を離すと、ジャンセンが出て行くときに、

灯りを全部消していってしまったので、

横桁の上で危なっかしげにバランスを取りながら、

内ポケットから小さな懐中電灯を取り出し、それを下に向けた。

3メートルほど下に、コンクリートの床があった。

香藤は屈みこむと両手で横桁を掴み、

両腕を伸ばしてぶら下がってから、その手を離した。

軽々と床に降り立つと、入口へ行きすべての灯りをつけ、

真っ直ぐにマシーンの傍らへ行った。

香藤はカメラを2台、首からかけていた。

ビデオカメラとフラッシュのついた非常に小さなカメラである。

香藤は油の染みた布を見つけると、右側のサスペンションと、

燃料パイプとステアリング部分の連結部分、

それにエンジンルーム内の、

キャブレターの一つのそれぞれ一部分をその布で綺麗に拭いた。

そして、それぞれの部分をカメラで、

何回かずつフラッシュをたいて撮影した。

香藤は、また布を取り上げると、

油と床のどろの混ざったものをそれに付け、

写真を撮った部分部をすばやく汚すと、

ぼろ布を専用の缶に投げ込んだ。

入口へ行き、ドアに鍵がかかっていることを確認すると、

香藤は天井を見上げた。

香藤の左手の隅に、木製のはしごが、

天井から直角に突き出た腕木にかけてあった。

その足元に牽引用のロープがとぐろを巻いている。

香藤はそのロープを取り上げ、

腕木からはしごを外してロープをはしごの一番上の段に廻し、

鉄の横桁にはしごをかけた。

そして、入口へ戻ると、灯りを消した。

懐中電灯の光を頼りに、香藤ははしごを昇ると、横桁に跨った。

ロープを握ったままはしごを掴むと、

それを持ち上げて下の端を壁から

直角に出ている腕木の一つに引っ掛け、

さらに、一番上の段に廻したロープを使って

はしごのもう一方の端を下げていき、

多少苦労しながらなんとかもう一つの腕木に引っ掛けた。

香藤はロープの端を離すとはしごから外し、

輪のように巻きながら手繰り寄せ、

置いてあった隅へ投げた。

香藤は今にも落ちそうにふらつきながら、

横桁の上に立ち上がると、

開いている天窓から頭と肩を出し、

身体を引き上げ、夜の闇の中へ消えていった。






マクガバンと岩城はほかに客のいないラウンジに座っていた。

ウェーターがスコッチをふたつ運んできた時も、

二人は黙りこんでいた。

マクガバンは、グラスを取り上げると、

沈んだ微笑を浮かべた。

「素晴らしい日の終わりに乾杯するか?

とにかく、疲れたよ。」

「腹を決めたってわけかい、ジェームズ?

香藤はレースを続けるってことだね。」

「ジャンセンのおかげでね。ああ言われちゃぁ、

続けさせるほかはないんじゃないか?」






香藤は街頭の明るい大通りを走ってきたが、

不意に立ち止まった。

香藤のほうへ近付いてくる二人の男以外には、

人影がなかった。

香藤はすばやく辺りを見まわすと、

深くひっこんだ店の入口に隠れた。

ヴィリと、ザッキオが、低い声で夢中になって

何か話し合いながら香藤の前を通り過ぎた。

二人が香藤に気づいてないことを確認すると、

彼は引っ込んだ入口から姿を現した。

左右に注意深く視線を走らせて、

遠ざかっていく二人の後姿が角を曲がるまで待ってから、

走り出した。






マクガバンと岩城はグラスを空けた。

マクガバンは問いかけるように岩城に目を向けた。

「まぁ、いつまでも現実から、

目を背けているわけには行かないってことだな。」

「そういうことだね。」

二人は立ち上がると、バーテンに会釈をして出て行った。






走るのをやめ、早足で歩いていた香藤は、

ネオンのついたホテルの方へ通りを渡った。

正面玄関を横目で見て、脇の路地へ入っていくと、

非常階段を一段抜きで、上がっていった。

その足取りは確実で、ふらつくようなことはなかった。

無表情な顔の中で、何らかの表情があるとすれば、

それは、目、だった。

香藤の目は澄み、落ち着いていた。

そこには、適切で徹底的な計算の跡が滲み出ていた。

それは、自分のしていることも、

するべきこともすべて心得ていて、

それに全てを捧げている男の顔だった。






マクガバンと岩城は、430号室の前に立っていた。

マクガバンの顔には、

怒りと心配の混ざり合った表情が浮かんでいた。

岩城の顔からは、

妙なことに心配しているような色は読み取れなかった。

岩城は日頃から感情を表に出すことがあまりなかったので、

この時も感情を押し殺していたのかもしれなかった。

マクガバンは、激しくドアを叩いたが、

何の反応もなかった。

彼はいらだたしげに、赤くなった指の関節をさすり、

岩城にちらりと視線を投げかけると、

ふたたび、ドアに対する攻撃を開始した。

岩城は何も言わず、表情も変えなかった。






香藤は非常階段を駆け上がって、

5階の踊り場についた。

手すりをまたぐと近くの開いている窓の方に足を伸ばし、

無事に隙間を渡って室内に入った。

部屋は狭く、スーツケースが床に置かれその中身が零れて、

かなり散らかっていた。

ナイトテーブルには、暗いスタンドと、

半分あいたウィスキーの瓶が乗っていた。

香藤はドアを激しく叩く音を聞きながら窓を閉め、鍵をかけた。

怒りの滲み出たマクガバンの声は非常に大きく、

はっきりと聞こえた。

「開けろ!ヨウジ!開けないと、このドアをぶち破るぞ!」

香藤は、二台のカメラをベッドの下に押し込んだ。

次に、黒い革のジャケットと黒いセーターを、

引きはぐように脱ぐと、カメラと同じところへ隠し、

急いでウィスキーを煽って、手の平に少し受け顔にすりこんだ。






ドアがさっと開いて、前に伸びたマクガバンの脚があらわれた。

ドアを蹴破ってマクガバンと岩城は室内に足を踏み入れ、

その場に棒立ちになった。

香藤はシャツにズボンだけの姿で、

靴を履いたままベッドに長々と横たわっていた。

見たところは、昏睡状態といってもいいようだった。

片腕がベッドの脇に垂れ、右手はウィスキーの瓶を握っている。

顔を強張らせ、信じられないといった顔で、

マクガバンはベッドに近付くと香藤の上にかがみこんだ。

うんざりしたように鼻をひくつかせると、

香藤の力の抜けた手から、

ウィスキーの瓶を取り上げた。

マクガバンが岩城に目を向けると、

岩城も何の表情も浮かんでいない目を、

ちらっとマクガバンに向けた。

「世界一の名レーサーがね。」

マクガバンの溜息に、岩城は首を振った。

「やめてくれないか、ジェームズ。あなた自身が言ったんだよ。

みんな、神経をすり減らしてしまうんだ。憶えているかい?

遅かれ早かれ、そういうことになってしまうんだって。」

「・・・しかし、ヨウジ・カトウでもか?」

「そう・・・彼でも、だよ。」

マクガバンは頷いた。

二人は、香藤に背を向けると部屋を出て、壊れたドアを閉めた。

香藤は目を開けると、

考え込んだように腕を組んで、片手で頬をなでた。

その手が止まり、香藤は手の平のにおいをかいだ。

そして、うんざりしたように鼻に皺を寄せ、顔をしかめた。









            続く





          2005年9月10日
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