捻じれたサーキット 7







しばらくして、

心配そうでもあり反抗的にも見えるマギーが、

マクガバンの前に座っていた。

「そんなこと、誰が言ったの?」

「誰でもいいんだ。それは本当なのか?」

「私はもう、22なのよ、パパ。答える必要はないわ。

自分のことぐらい自分でちゃんとやっていけるんだから。」

「そうかな?マクガバン・チームから放り出されても?

金はないし、行くところもないんだぞ。

今や、母親さえいないんだ。

お前は何の資格ももっていない。

誰が雇ってくれるんだ?」

「ヨウジの前で、そんな酷いことを言うのを聞きたいわ。」

「意外かも知れないが、

それくらいの事を言われても私は平気なんだ。

お前の年には私はお前以上にもっと独立心が旺盛で、

親の権威なんてものを馬鹿にしてたんでね。」

マクガバンは、息をつくと探るような口調で続けた。

「お前は、奴に惚れてるのか?」

「奴じゃないわよ。

ちゃんと、彼にはヨウジ・カトウって言う名前があるんだから。」

マクガバンは、マギーの言葉の強さに眉を吊り上げた。

「私には、一生隠しておけることってないわけ?」

「わかった、わかったよ。」

マクガバンは溜息を漏らした。

「お前が私の質問に答えてくれたら、

なぜこんなことを聞くのか説明してあげるよ。

どうだい?」

マギーは、その言葉に黙って頷いた。

「よし、本当なのか?それとも、嘘なのか?」

「パパのスパイが間違いないって言ってるんでしょ?

どうして、私にまで聞く必要があるの?」

「言葉遣いに気をつけなさい。」

秘かに探らせたように言われて、マクガバンは声を強めた。

「言葉遣いに気をつけろなんて、言えた義理じゃないでしょ?

謝ってちょうだい。」

マクガバンは驚いて娘を見つめたが、

その顔には、苛立ちと感嘆が入り混じっていた。

「お前はまさに私の娘だな。謝るよ。彼は飲んでいたのか?」

「ええ。」

「何を?」

「知らないわ。彼はトニックの水割りだって言ってたけど。」

「お前が好きなのは、そういう嘘つきなんだよ。

トニックの水割りだって?!

彼には近付かないようにしなさい。

言うことを聞かないと、マルセイユの家に帰しちゃうぞ。」

「どうしてなの?ねぇ、どうしてよ?」

「厄介なことが一杯あって、落ち目のアル中に、

夢中になってる娘の面倒まで見きれないからだよ。」

「ヨウジが?!アル中ですって?!

彼が少し飲むことは知ってるけど・・・。」

マクガバンは受話器を取り上げ、片手でマギーを制して黙らせた。





「俺から話すのか?」

岩城は嫌そうに顔を顰めた。

「残念ながらそうなんだ。

ヨウジの部屋でなにが見つかったか、

私が話したんじゃ、マギーは信じないからね。」

二人の会話を、マギーは呆気に取られて交互に眺めていた。

「二人で、彼の部屋を調べたのね?」

岩城は深く息をすると、マギーを見つめた。

「立派な理由があったから、調べたんだよ。

俺自身、まだ信じられないんだ。

彼の部屋にスコッチが何本も隠してあったんだよ。

そのうちの半分は、開いてたんだ。」

マギーは、呆然として二人に目を向けた。

すっかり二人の話を信じたマギーに、マクガバンは優しく話しかけた。

「ごめんよ。お前が彼をどんなに好きかって、よくわかってるんだ。」

岩城の眉が、少し上がった。

それには気付かず、マギーは立ち上がった。

彼女が部屋を出て行く間、岩城はドアを開け、

その目に複雑な色を浮かべて、マギーを見守っていた。





イタリア、モンツァ近郊のホテル。

マクガバンと岩城はロビーで、

隣り合わせて大きな肘掛け椅子に座っていた。

二人共、滅多に口を聞かなかったが、

たまに喋っても元気がなく、

勢い込んで話す話題もないといった様子だった。

岩城がもそもそと身体を動かした。

「わが彷徨えるチャンピオンは、

今夜はずいぶんと遅いんじゃないか?」

「遅くなるわけがあるんだ。」

マクガバンは身体を起こしながら言った。

「少なくともわけがあってくれることを祈るよ。

ヨウジはいつも念入りに仕事をする男だったんだから。

今度の新しいマシーンのサスペンションと、

ギア・レーションを調整する為に、

2、3回余計に回りたいと言ったんだよ。」

岩城はふさぎ込みがちな声で答えた。

「新しいマシーンを、

ザッキオにやるわけにはいかなかったんだろうね?」

「そんなこと、絶対に不可能だよ、キョウスケ。

そのくらいわかってるだろう?

ヨウジは、チームのナンバーワンドライバーであるだけじゃないんだ。

世界のナンバーワンなんだからな。

スポンサー無しでまずやっていけない時代なんだぞ、今は?

連中はひどく神経質なんだよ。

世論とか大衆をやたら気にしてる。

その製品の名前を車体にベタベタと書くのは、

それを見て大衆がその製品を買ってくれるからに過ぎないんだ。

でも、その大衆の99パーセントはレース界の外にあるんだ。

レースの世界でどんなことが起こってるかなんて、

何一つ知らなくても一向に構わないのさ。

問題は、連中がまだヨウジに何が起こってるかなんて知らないんだ。

だから、ヨウジは新しいマシーンを手に入れるってわけだ。

そうじゃないと、チームと広告主は、大衆の信用を失うってわけさ。」

「なるほどね。まだ奇跡の起こる可能性は、

無くなったわけじゃないかもしれないな。

この12日間、香藤は飲んでるところを見られたわけじゃないし、

飲んだってことを掴まれたわけでもないからね。

ひょっとしたら、俺達をびっくりさせてくれるかもしれないよ。

イタリア・グランプリまでは、もう2日しかないんだから。」

マクガバンは、深い嘆息を漏らすと岩城に向き直った。

「じゃ、どうして奴はあの二本のスコッチを持ってたんだ?

君がたった1時間前に、奴の部屋から取り上げたスコッチをね。」

岩城は少し黙ってテーブルに視線を落としていた。

顔を上げてマクガバンを見ると、肩を竦めた。

「精神力を試してたって言うことも出来るけど、信じないだろうね?」

マクガバンは、呆れたように眉を上げた。

「君はどうなんだ?」

「正直言って、信じないよ。」

岩城はまた、塞ぎこんで黙った。

それを振り払うかのように、話題を変えた。

「南フランスで調査に当たってる連中からは、何か言ってきたかい?」

「いや、何も。もう、諦めかけてるんだよ、キョウスケ。

シーラが失踪してからもう十四週間も経ってるんだ。

長すぎるよ。事故でも起こしたんだとしたら、もう私の耳に入ってるずだ。

犯罪が絡んでたとしても、そうだしね。

金目当てだとしても・・・。

とにかく、忽然と消えちゃったんだ。

見当もつかない。」

「記憶を失くしてるんじゃないかってのも、話したね。」

「それも変だからね。シーラ・マクガバンほどよく知られた人物が、

精神状態がどうあろうと、

こんなになに長い間見つからないってほうがおかしいんだ。」

「マギーは、大丈夫かい?」

「特にこの12日間は、ひどく落ち込んでるよ。

ヨウジなんだ。原因は。

それに私はこの前、オーストリアであのこの心を踏みにじっちゃたんだ。」

岩城は、黙ってそれを聞いていた。視線を外すと言葉だけを続けた。

「今晩、マギーをレセプションに連れて行くのか?」

「うん。どうしても行くようにと言っておいた。

少しでも気がまぎれるかと思ってね。

というか、自分がそう思いたいだけかもしれないがな。」

「香藤は、色々と償わなきゃならないことがあるみたいだね。

これが最後のチャンスなんだろ、ジェームズ?

今度、気違いじみた運転をしたり、大失態をやったり、

酒を飲んだりしたら、クビってわけだよね?」

「その通りだよ。」

マクガバンは玄関の回転ドアに顎をしゃくった。

「奴に今、言っといたほうがいいと思うか?」

岩城は玄関へ視線を向けた。

香藤がホールを横切っていた。

彼が通りかかると、フロントの娘が微笑みかけた。

が、香藤はそれにちら、と無表情な顔を向けると、その微笑が強張った。

香藤はさらに広々としたロビーを横切っていたが、

香藤が傍らを通り過ぎると、話し声が次々に止んでいった。

香藤は仲間達がそこにいるのにまるで気付いていないように、

まったく左右に目を向けなかったが、

方向を変えてマクガバンと岩城のほうへ近付いていった。

「スコッチの匂いも、薄荷の匂いもさせてないことは確かだな。

でないと、私を避けるはずだからね。」

マクガバンが、こっそりと岩城に囁いた。

香藤は二人の前に立った。

「静かな夕暮れを楽しんでるってわけですか?」

「まぁ、そんなところだな。新しいマシーンの調子はどうなんだ?」

「だんだん良くなってますよ。ギア・レシオとリア・サスペンションを、

ちょっと変えるだけでいいっていう俺の意見に、

珍しくジャンセンが同意したんです。

日曜には、完璧になってますよ。」

「じゃ、文句は無いわけだ。」

マクガバンが、ほっと息を吐いた。

「いいマシーンですね。

これまでの中でも最高ですよ。速いし。」

「どのくらいでるんだ?」

「まだそこまではわかりませんが、

最後の2週はラップ・レコードとタイでした。」

「ほお、そうか。」

マクガバンは腕時計に目をやると、香藤を見上げた。

「急いだ方がいいぞ。

あと30分でレセプションに出かけないといけないからな。」

「疲れてるんですよ。

シャワーを浴びて、少し眠ったら食事をします。」

「行かないつもりなのか?」

「俺はグランプリの為に来たんで、

社交界の連中と付き合うために来たんじゃないありませんからね。」

「この前も行かなかっただろう?

今晩は特に重要な地位にある人物が、

君にあう為に3、4人来るんだぞ?」

「わかってます。」

マクガバンは、ちょっと間を置いて口を開いた。

「どうして知ってるんだ?

知っているのは、キョウスケと私だけなのに。」

「マギーに聞いたんです。」

香藤は二人に背を向けると、エレベーターの方へ去って行った。

「やれやれ。」

マクガバンは、ぎゅっと口を引き結んだ。

「なんとも傲慢だな。別に努力もしないで、

ラップ・レコードとタイになったって事を言いに来たんだ。

嘘とは思えないんで、逆に始末が悪いよ。」

「まだ、グランプリの世界では、

最高のドライバーなんだって、俺達に言う為にかい?」

「それと、くそ面白くもないレセプションに、

出ないってことを伝える為、だろうな。

それと、マギーがなに一つ自分には隠し立てをしない、

ってことを言う為にだな。」

マクガバンの言葉に、岩城は視線を背けて、

香藤の去っていったほうを見つめた。





香藤は、白いバスローブを着て、

バスルームから出てくると、クローゼットを開けた。

プレスのきいたスーツを取り出すと、棚の上に手を伸ばし、

そこに置いてあったものが、なくなっているのに気付いて、眉を上げた。

小さな戸棚を開けて覗いてみたが、

そこからも置いてあったものがなくなっていた。

香藤は部屋の真ん中に立って考え込んでいたが、

やがてその顔に微笑が広がった。

「やれやれ、また盗まれたか。」

言葉の内容とは裏腹に、まだ微笑をたたえたまま、

香藤はベッドのマットレスを持ち上げた。

そこに手を差し入れ、スコッチの平たい瓶を取り出し、

中身を調べまた、元へ戻した。

それから、バスルームへ取って返すと、

水洗用のタンクの蓋を開け、モルト・ウィスキーの瓶を取り出して、

適当な位置に戻してタンクの蓋を、少しずらして閉めた。

バスルームを出て、明るいグレーのスーツに着替えると、

香藤は窓から慎重に外を覗いた。

腹に響く音が聞こえていた。

大型バスが、ホテルに横付けされ公式のレセプションに向かう、

ドライバー、マネージャー、

メカニックやジャーナリスト達の姿が見えた。

香藤は、その晩ホテルにいてもらいたくない人物のすべてが、

そのバスに乗り込もうとしているのを確かめた。





5分後、香藤はぶらぶらとフロントに近付いた。

フロントには、入って来たとき香藤が無視して通り過ぎた娘がいた。

同僚達には、到底信じられない笑顔を浮かべると、

娘は無視されたことをすっかり忘れて、頬を染めた。

グランプリの仲間内は別として、

香藤はまだ世間ではナンバー・ワンだったのだ。

「こんばんは、カトウ様。」

娘はそう声をかけて、すぐに笑顔が消えた。

「バスはたった、今、出てしまったんですが。」

「いいんだよ。俺は、自分の車があるからね。」

「そうでございましたわね。

確か、赤いフェラーリをお持ちでしたね。何か・・・?」

「うん。ここに4人の名前を書き出してあるんだけど、

マクガバン、ヴィリ、ザッキオ、ジャンセン。

この4人のルーム・ナンバーを教えてもらえるかな?」

「勿論、わかりますが、皆さんお出かけになられましたが?」

「知ってるよ。みんなが出かけるのを待ってたんだ。」

「どういうことかわかりかねますが・・・。」

娘の困惑した顔に、香藤は悪戯そうに片目をつぶって見せた。

「彼らのドアの下から、ちょっと入れておきたい物があるんだ。

昔からのレース前のしきたりなんだよ。」

「レーサーって、悪戯なんですね。」

娘は、くすくすと笑いながら頷いた。

「お知りになりたいナンバーは、

302、308、304、それに、306です。」

「今言った名前の順番どおりだね?」

「はい、そうです。」

「ありがとう。」

香藤は唇に指を当てて、にっこりと笑った。

「いいかい、誰にも言っちゃだめだよ?」

「勿論、言いませんわ、カトウ様。」

香藤が背を向けかけると、

娘はまるで共謀者のような微笑を投げかけた。

娘が、この先何ヶ月も香藤とのちょっとした出会いについて、

言いふらすだろうことは予測がついたが、

その週末が過ぎるまで黙っていてくれればいい、

と香藤は口角を上げて立ち去った。





香藤は廊下づたいに302号室、マクガバンの部屋へ行った。

マクガバンと違って、

香藤は不正な手段を使って鍵を手に入れる必要はなかった。

ポケットから万能キーを取り出すと、次々に差し込んでまわした。

幾つ目かでドアが開き、香藤は部屋に入り、鍵をかけた。

クローゼットの上の棚にキャンバス・バッグを押し込むと、

香藤は室内を徹底的に調べ始めた。

クローゼット、戸棚、幾つものスーツ・ケース。

最後に、鍵のかかった小さなブリーフ・ケースを、

特殊なキーで開けた。

そのケースは、

ちょっとした移動事務所といってもいいような中身で、

大量の書類が入っていた。

香藤が目を付けたのはゴムバンドで止めた、

使用済みの小切手の束だった。

ぱらぱらと捲っていきすばやく目を通していたが、

やがてその手が止まった。

小切手帳のある一冊の、支払先と支払額が書いてある、

最初の何ページかをじっと凝視していた。

信じられないといった様子で首を振ると、

ミニカメラを取り出して、

それぞれのページを2枚ずつ合計8枚を撮り、

それが終わるとすべてを元通りにして部屋を出た。

廊下には人影がまったくなく、

香藤は304号室へ行くとザッキオの部屋へ入った。

マクガバンに比べると、

ザッキオはかなり荷物が少なかったので、

調べるのも簡単だった。

書類ケースの中の書類もごく僅かで、

非常に謎めいた書き方のアドレスと思しきものをい空きこんだ、

薄いノート以外には香藤の興味を引いたものはほとんどなかった。

それは、判読不能な文字の羅列で意味があるのかないのか、

わからないもので、香藤はためらっていたが、

カメラを取り出すとそれぞれのページを撮った。

マクガバンの部屋と同じように、香藤は元通りにして出て行った。

数分後、香藤は308号室でヴィリのベッドに座り、

その膝の上にブリーフケースを載せて、

次々とカメラのシャッターを切っていた。

すでに、香藤に迷いはなかった。

香藤が手にしている薄いノートは、

ザッキオの部屋で見つけたものと、まったく同じだった。

そこを出ると、香藤は最後の部屋、ジャンセンの部屋へ向かった。

どうやら、ジャンセンはザッキオや、

ヴィリに比べると慎重さを欠いているようだった。

預金通帳を2冊もっていたが、

それを開いた途端、香藤は全身を強張らせた。

その通帳の残高は、常識的に見てチーフ・メカニックとして

与えられる金額の少なくとも、20倍に達していた。

片方の通帳には英語で書いた、

ヨーロッパの各地のアドレスのリストが挟んであった。

通帳とアドレスのすべてを、香藤は写真に撮ると、

すべてを元に戻して立ち去りかけた。

その時、廊下から足音が聞こえてきた。

香藤が決心がつかないまま、その場に棒立ちになっていると、

その足音はドアの前で止まった。






   続く




      2005年12月9日



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