捻じれたサーキット 15








ちょうど夜が明けたころ、香藤と兄弟のメカニックは、

マクガバン・チームのガレージへ入って行った。

そこにはジャンセンと、知らないメカニックが1人、すでに来ていた。

2人とも自分と同じくらい疲れきっているようだと香藤は思った。

「新しいメカニックを2人雇ったって言わなかったっけ?」

「1人、現れないんだ。のこのこやってきたら、くびにしてやるよ。」

ジャンセンは凄みをきかせて香藤に答えた。

「さあ、輸送車を空にして積み込むんだ。」

後になって雨が降り出したが、

香藤が輸送車をバックさせて通りに出た時には、

屋根の上に早朝の太陽が輝いていた。

「じゃ、3人で行ってくれ。私は2時間ほど遅れてつくよ。

その前に片付けなきゃならない仕事があるんだ。」

どんな仕事か、と聞くことさえ香藤はしなかった。

まず第一にどんな答えが返ってきても、

嘘だということがわかっていたし、

第二には、どんな仕事か香藤にはわかっていたのだ。

ジャンセンとしては、

エディット・ピアフ通りの「隠者の里」にいる仲間と至急に会って、

サンドロが災難にあったことを知らせなければならなかったのだ。

香藤はただ頷くだけで、輸送車の運転席に乗り込み、走り去っていった。






ヴィニョールまでのドライブは、モンツァからマルセーユまでの、

身の毛のよだつようなドライブではなかったので、

兄弟のメカニックは胸を撫で下ろした。

香藤の運転ぶりは大人しいと言ってもいいほどだった。

マルセーユを出て、1時間もしないうちに雨が降り出し、

次第に激しくなって視界が悪くなった。

が、それでも11時半には目的地に着いていた。

香藤はスタンドと大きな建物の間の、

どちらからも同じくらい離れたところに、

輸送車を止めると、運転席から降りた。

二人のメカニックがその後に続いた。

まだ雨が降っていて雨雲が低く垂れ込めていた。

香藤は荒涼としたヴィニョールのコースを眺めまわすと、

腕を伸ばしてあくびをした。

「やっと辿り着いたって感じだね。くたくただよ。

それに、腹もペコペコだね。食堂に行ってみようよ。」

食堂にはたいした物はなかったが、

3人とも腹をすかしきっていたので、文句も言わなかった。

3人が食事をしていると、食堂は次第に込み始めた。

ほとんどが役員とサーキットの従業員だった。

みんな香藤を知っているのだが、その大抵が無視を決め込んでいた。

香藤も一向に気にしている風もなく、

12時になると香藤は椅子を押し下げて、入口の方ヘ向かった。

ドアノブに手をのばすと、ドアが開いてマギーが入ってきた。

マギーは、いかにも嬉しそうに微笑みかけると、

香藤の首に腕を巻きつけ、きつく抱きしめた。

香藤は咳払いをすると食堂を見回した。

いまや、客達も香藤を無視してはいられなくなっていた。

「凄く人目を気にするたちだって、言ってなかったかい?」

香藤は、そっとマギーの腕を解いて言った。

「そうだけど、私は誰でも抱きしめるの。

そんなことぐらい知ってるでしょ?」

「なるほど、それはどうもありがとう。」

マギーは、香藤の頬を撫でると、顔を顰めた。

「ヨウジ、あなた、むさくるしくて、不潔で、不精ヒゲがはえてるわ。」

「もう、24時間も、この顔は水にお目にかかってないし、

シェーバーの感触も味わってないんだから、しょうがないよ。」

マギーは、微笑を浮かべた。

「キョウスケが、シャレーの方で会いたいんですって、ヨウジ。

どうして食堂に会いに来ないのかしら。」

「きっと、何か理由があるんだよ。

俺と一緒にいるところを見られたくないっていうような、ね。」

そんなことは信じられないといった顔で、

マギーは先に立って雨の中へ出て行った。

歩き出して、香藤の腕に腕を絡ませ、彼を振り仰いだ。

「私、気が気じゃなかったのよ、ヨウジ。」

「そりゃあ、無理もないね。」

香藤は真面目くさった顔で言った。

「なにしろ、マルセーユまで輸送車を転がして、

またここまで戻ってくるっていうのは凄く危険な仕事だからね。」

「ヨウジ。」

マギーの、少し睨んだ顔に、香藤は肩をすくめて謝った。

雨の中を急ぎ足でシャレーにつくと、二人は木の階段を昇り、

ポーチを横切ってホールへ入っていった。

ドアが閉まると、マギーは香藤の方へ手をのばし、キスをした。

香藤は驚いて目を見開いた。

「でも、今みたいなのは誰にでもするわけじゃないのよ。」

「俺にも、しちゃいけないと思うけどね。」

「どうして?」

今度は、マギーの方が驚いて目を見張った。

「どうしてもさ。」

「ヨウジ・・・。」

香藤はマギーを正面から見つめた。

「俺は、君には答えられないから。ごめんよ。」

マギーが、泣き出しそうな顔で香藤を見つめた。

「誰か、好きな人がいるの?」

香藤は少し口を開きかけ、一旦閉じた。

それでも、マギーの真剣な顔に、頷いた。

「・・・そう。」

黙りこんだマギーを、香藤が促した。

エディが、その光景を階段の上から見ていた。

ひどく顔を顰めていたが、

マギーと香藤が階段を昇ろうとして向きを変えると、

とっさに姿を隠すだけの分別はあった。






20分後、香藤は岩城の部屋にいた。

シャワーを浴び、髭もそっていたが相変わらず、

ひどく疲れたような顔をしていた。

前夜の出来事に関する香藤の報告は簡潔だったが、

何一つ重要なことは落としていなかった。

「で、これからどうするんだ?」

「フェラーリで、まっすぐにマルセーユへ戻るんだよ。

ジャン・ポールのところへ行って、

例のフィルムの方がどうなってるか調べて、

それからサンドロのお見舞いに行ってくるよ。」

「奴はしゃべるかな。」

「べらべら喋ると思うよ。すっかり吐いちゃえば、

警察も奴の銃とナイフを見たことを忘れてくれて、

5年間くらい込むなんてことをしないですむからさ。

サンドロが、仲間のことを絶対に吐かないほど、

根性があるとも思えないしね。」

「どうやってここへ戻ってくるんだ?」

「フェラーリで、だけど?」

「でも、ジェームズは・・・。」

「マルセーユに置いてくるように言ってたね。

このもう少し先にある空き家の庭に置いとくつもりなんだよ。

今晩、必要なんだ。」

香藤はそこで、一旦言葉を切った。

「今夜さ、隠者の里に乗り込みたいんだ。

で、銃が欲しいんだけどな。」

実際には、10秒足らずの間、

岩城は香藤には目を向けずに身じろぎ一つしないで、

じっと座っていたが、

やがてベッドの下からアタッシュケースを取り出し、蓋を開けた。

その中には、フェルトが張ってあり、クリップがいくつもついていた。

そのクリップには、オートマティックが2梃と、サイレンサー、

予備のマガジンが2つ、留めてあった。

香藤は小さいほうの銃とサイレンサー、予備のマガジンをはずした。

そして、マガジンを抜くボタンを押して、

すでに装填されていたマガジンを調べると、またそれを戻した。

その三つのものをジャケットの内ポケットに仕舞うと、

ジッパーを閉め、香藤は何も言わずに部屋を出て行った。

その後姿を、岩城は見送り、ドアが閉ると小さく溜息をついた。






少し後、香藤はマクガバンの部屋にいた。

マクガバンは、非常に顔色が悪かった。

「出かけるのか?もう、くたくただろうに。」

「明日の朝になったら、どっと疲れが出るんじゃないのかな。」

マクガバンは、ちらりと窓の外に視線を向けた。

叩きつけるような雨が降っていた。

「君がマルセーユに行くのを羨ましいとは思わないよ。でも、

予報によると夕方には上がるそうだ。

あがったら、輸送車の積荷を降ろすよ。」

「俺に何か、言いたいことがあるんじゃないですか?」

マクガバンは、躊躇ったが、結局口を開いた。

「マギーに、キスしてたそうだな。」

「それは違いますよ。キスしてたのはマギーの方です。

ところで、折を見てエディをぶん殴ってやりますからね。」

「ぜひ、そうしてくれ。」

マクガバンは、うんざりしたように言った。

「君は、マギーに気があるのか、ヨウジ?」

香藤はマクガバンの探るような顔に、首を振った。

「マギーが俺に気があるのは知ってるけど。でも、俺は・・・。」

「・・・わかった。」






香藤は部屋を出て行ったが、

外の廊下で文字通りエディにぶつかった。

エディは慌てたが、香藤はその肩に腕を回した。

「ねぇ、エディ。話しておきたいことがあるんだ。

俺がその内君をぶん殴るつもりだって言ったら、

君の親父さんは、許可してくれたよ。

もちろん、ぶん殴るのは俺が暇な時にするけどね。」

香藤は親しみをこめて肩を叩いた。

が、その親しげな態度とは裏腹に、かなり凄みが聞いていた。

香藤が薄っすらと微笑を浮かべて階段を下りると、

マギーが待っていた。

「ちょっと話がしたいんだけど。」

「いいよ。でもポーチへ出よう。

またエディが聞き耳を立てるかもしれないからね。」






二人はポーチへ出て、ドアを閉めた。

「ヨウジ、私、恐いのよ。ここのところ、ずっと怯えてるの。

何か凄くおかしなことがあるような気がするの。

そうじゃない、ヨウジ?」

「おかしいって、何が?」

「あなたってほんとに腹の立つ人ね?」

マギーは、脹れ面のまま、話題を変えた。

「マルセーユへ行くの?」

「うん。」

「一緒に連れてってよ。」

「だめだよ。」

「冷たいのね?」

「うん。」

「あなたは、なんなの、ヨウジ?なにをしてるの?」

マギーは、香藤にぴったりと身体を押し付けた。

が、ゆっくりと不思議そうにその身体を離した。

香藤の着ている革のジャケットの内側にその手を差し入れると、

ポケットのジッパーを開けてオートマティックを取り出した。

マギーは、青みがかかった光沢を放つそれを、じっと見下ろしていた。

「何も、心配することはないんだよ、マギー。」

マギーはその手をまた、ポケットに入れ、サイレンサーを取り出した。

不安と恐怖の入り混じった顔で、それをじっと見つめた。

「これを使えば、音を立てずに人を殺せるのね。」

「何も心配しなくていいんだよ、って言ったんだよ?」

「あなたが人を殺すような人だとは思わないけど。

でも・・・パパに話さなくちゃ・・・。」

「パパをダメにしたいんなら、話すといいよ。

かまわないよ、話しておいで。」

「どういう意味なの?」

「俺にはしたいことがあるんだ。

君の親父さんがそれを知ったら、俺を止めるからだよ。」

マギーは、眉を寄せて香藤を見上げた。

「だめにしちゃう?」

「君のお母さんが死んだら、

親父さんはとても堪えられないんじゃないかと思うよ。」

「母?」

マギーはしばらくの間、じっと香藤を見つめていた。

「でも・・・母は・・・。」

「君のお母さんは、生きてるんだ。俺にはわかってるんだよ。

どこにいるかも、探り出せると思うんだ。

で、わかったら、今夜、助け出しに行こうと思ってるんだ。」

「ほんとなの?」

マギーは、声を出さずに泣いていた。

「ねぇ、ほんとうなの?」

「もちろんだよ。」

香藤はその言葉ほどには、自信がないことを残念に思った。

「でも、警察だってあるのよ、ヨウジ?」

「だめなんだよ。情報を手に入れるにはどこへ行ったらいいか、

連中じゃ無理なんだ。法律の枠内でやらなきゃならないからね。」

香藤はマギーの涙の溢れた顔を見ながら、

彼女の手の中から銃とサイレンサーを優しく取り上げ、

ポケットに仕舞って、ジッパーを閉めた。

マギーは香藤にじっと目を向けていたが、

やがてそのジャケットを掴んだ。

「危ないことはしないで。」

「大丈夫だよ。心配しなくていい。」

香藤はジャケットの襟を立てると、

階段を下りて吹き付ける雨の中を、

一度も振り返らずに足早に立ち去っていった。





1時間足らず後、香藤はジャン・ポールの前に、座っていた。

山のように積み上げられた写真に目を通しながら、香藤は笑った。

「自分で言うのもなんだけど、写真の腕もなかなかだね。」

「まったくだ。それに、あんたの撮る写真は実に面白いね。

今のところ、ザッキオとヴィリのメモに途惑わされてるがね。

それがますますあの二人を面白くしてるとは思わないか?

ここ、6ヶ月の間に、マクガバンが二千八百万を超える金を、

払ってるということを知ってるか?」

「・・・かなりの金を払ってるとは思ってたけど、そんな大金とはね!

いくら大富豪だって、痛いだろうに。

その運のいい受取人を突き止める可能性は、どれくらい?」

「今のところ、ないな。チューリッヒの口座なんだ。

犯罪行為があったことを立証できれば、

スイスの銀行だって口を割るだろ。」

「ま、証拠はつかめると思うよ。」

ジャン・ポールは、しばらくの間、つくづくと香藤を眺めていた。

やがて、頷くと静かに口を開いた。

「まあ、そうなっても驚かないがね。

で、わが友ジャンセンだが、

奴はヨーロッパで一番金持ちのメカニックに違いないな。

ついでに言っておくと、奴の持ってた住所のリストは、

ヨーロッパでも知られた呑み屋のものだよ。」

香藤は、眉をひそめた。

「グランプリ・レースに賭けてたってわけ?」

ジャン・ポールは同情の色の滲んだ目を香藤に向けた。

「全ての預金は、レースの2、3日後に行われてたんだ。」

「なるほどね。」

溜息をついて、香藤は呆れたように首を振った。

「ジャンセンは、なかなかやり手なんだな。」

「まったくだよ。その写真、持って行っていいぞ。

焼き増ししてある。」

「それはどうもありがとう。」

香藤は笑って写真を返した。

「こんな物持ってて、とっつかまったらどうなると思う?」

「まぁ、そうだな。」

香藤は礼を言ってジャン・ポールの家を出ると、車に乗り込んだ。

少しの間、ハンドルに両手をかけて額をつけ、押し黙った。

顔を上げシートに背をつけると、香藤は車のキーをまわした。









         続く





      2006年3月26日
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