Pennies from Heaven 2 「ほんとに俺・・・岩城さんのこと、好きなのかなァ・・・。」 「あー? なんか言ったか?」 「なんでもねぇよ。」 休日、悪友二人に呼び出されて、 香藤は居酒屋でくだを巻いていた、小野塚と宮坂に合流した。 ぐるぐると、頭の中を駆け巡っていた疑問を忘れるには丁度いい、 と踏んだわけだが、結局二人をほったらかして堂々巡りは止まらず、 香藤はジョッキを片手に嘆息をついた。 「なーに、溜息なんかついちゃって。」 「暗いよー?」 「別にー。」 居酒屋と言う場所ではかなり目立つ三人に、 入って来たときから、ちらちらと彼らを伺う、 数人の女性だけのグループに、宮坂がちらりと視線を向けた。 「よー、小野塚。 声かけてみねえ?」 「いいけどー。」 「俺はいい。」 香藤は顔を顰めて首を振ると、 ジョッキを空にして立ち上がりかけた。 「ちょっと待てよ。」 その腕を掴んで座らせると、 宮坂が香藤の顔を覗きこんだ。 「なに、珍しいじゃん。 お前が女いらねーなんていうの。」 「ははーん。」 「なんだよ?」 小野塚のしたり顔に、香藤は盛大に眉を寄せた。 「さっきの溜息って、それ?」 「それってなんだよ?」 「女がらみ。」 「・・・うるせーな。」 「当たりか。」 苦笑する香藤を、小野塚は頬杖をついたまま見上げた。 「もてるからねー、変なのに付き纏われて困ってるとか?」 「違う。」 宮坂の茶々に香藤は首を振った。 「じゃ、なに?」 「言えよ、ほら。」 両側からまじまじと見つめられて、香藤は口篭った。 「まさか、と思うけどな。」 「なんだよ、小野塚?」 「真面目に恋愛してます、とか言うんじゃないよなー?」 「・・・わかんねえ。」 「は?」 「わかんねえんだよ、自分でも!」 ガリガリと頭をかく香藤を、小野塚と宮坂は唖然として見返した。 「すんません、生ビール、中ジョッキ!」 「三つねー!」 店員に叫んだ香藤に便乗して、小野塚がそう続けて、 むっつりとする香藤を見つめた。 「なに、自分で好きなのかどうかわかんなくて、悩んでんだ?」 「うるせえな、そうだよ。 悪いか?」 「いや、別に悪かねーけどさ。 悩むような相手なわけ?」 小野塚が届いたビールに口を付けながら、香藤を横目で見た。 その小野塚をちらりと見て、ジョッキを呷る香藤に、 小野塚と宮坂は顔を見合わせた。 「それってさ、すっごいブス、とか?」 「いや・・・すっごい、美人。」 香藤の返事に、宮坂が「おー、」と声を上げた。 「そんなの悩むことじゃないじゃん。 お前今まで落とせなかった女なんか、いねーんだから。」 「そういう問題じゃねーんだって。」 「ほんじゃ、不倫、とか?」 「ちげーよ!独身。」 宮坂に、香藤は首を振って答えた。 「おまけに真面目で素直。 すっごい純。」 「それで、なにが問題なわけ?」 「・・・なに、って・・・。」 答えられるわけがない、と香藤は苦笑を浮かべてビールを一口飲んだ。 「しょーがねー奴。 そういうことなら尚更じゃん。 パーっと遊んで憂さ晴らしでもすれば?」 「あ、だからいらねえって!」 止めようと腕を伸ばした香藤を無視して、宮坂は女たちの席に向った。 つまんねぇ・・・。 内心でそう呟いて、香藤は前を行く小野塚と宮坂のあとを、 だらだらと歩いていた。 居酒屋を女連れで出て、これから別の店に移動する途中だった。 女たちが、香藤を気にして振り返る。 それに曖昧な笑顔を向け、香藤は密かに溜息をついた。 その時。 「いえ、もうここで結構ですから。」 駅前に差し掛かり、タクシーの脇を通り過ぎようとした香藤の耳に、 飛び込んできた声。 考える間もなく、香藤はその方へ顔を向けた。 「いえ、本当にここでいいです。 今日はありがとうございました。」 「そう仰らずに、なら、ご自宅までお送りしますよ。」 グレーのスーツを着た男に腕を掴まれ、 困惑した表情を浮かべる顔に、香藤の足が無意識に動いた。 「あ、香藤!」 「どこ行くんだよ?!」 呼び止める小野塚と宮坂の声は、足早に行く香藤の耳を素通りした。 二人は、呆然としてその香藤の背を見つめていた。 「あの、ほんとにここで・・・。」 「遠慮なさらないで下さい、岩城主任。 こんなの経費で落ちますから。」 「いえ・・・あの・・・。」 岩城は、困り果てて苦笑を浮かべた。 「岩城さん!」 振り返った岩城は、そこに、 派手なシャツと花柄の刺繍が施されたジーンズをはいた香藤が、 にっこりと笑顔を浮かべて立っているのを見つけた。 「香藤・・・。」 一瞬、呆然と見返して、誰だかわかったのだろう、 明かにほっとした色を浮かべる岩城に、 香藤はゆっくりと近付いて、その腕を掴んだ。 「ごめん、待たせちゃった?」 「え・・・あ、いや・・・。」 二人の会話と、岩城の笑顔に、男は一瞬黙り込んだ。 「あ、すみません。 じゃ、私はこれで。」 岩城が振り返り、男に掴まれた腕を引いた。 男は鼻白んで、慌てて頭を下げた。 「あ、いえ。お約束でしたか。 それじゃ、僕はここで。」 上の空でそそくさと挨拶をして、男は駅の改札へ消えた。 それを見送って、岩城は香藤へ向き直った。 「すまん、香藤。助かったよ。」 「なんかね、岩城さんの顔がすごい困ってたからさ。」 「わかるのか?」 「うん。あいつ、それくらい気付かないとだめだよね。 誰、あれ?」 「うちの仕入先の営業マンだよ。 悪い人じゃないんだが・・・。」 岩城の物言いに、香藤は「ん?」と首をかしげた。 「前から、何度も誘われてたんだけどね、 一回くらいは付き合わないとだめかな、と思って・・・。」 「で、今日食事したんだ?」 「うん。そしたら、これから飲みに行こうって言われて、しつこくて・・・。」 「・・・そりゃあ、まぁ、そうだろうね。」 香藤の頭の中に、先輩の言葉がふわりと浮かんだ。 「ほんとにもてるんだ、岩城さん・・・。」 「え?なに?」 「あー、うん。こっちのこと。」 香藤は、ゆっくりと岩城の背に手を触れた。 「送ってくよ。帰ろ、岩城さん。」 岩城がはにかんだ微笑を浮かべて頷いた。 並んで改札へ入っていく二人を、 小野塚と宮坂は目を見開いたまま見送った。 「・・・すっごい、美人?」 「真面目で、素直で、純?」 「ちょっとー、行かないのー?」 女たちに急かされて、小野塚と宮坂は歩き出した。 その二人の頭の中に、巨大な疑問が浮かんでは消えた。 「・・・まさか、ねー・・・?」 電車に揺られながら、香藤は岩城の隣に立ち、 その顔をじっと見つめていた。 「岩城さん、家どこ?」 「あ、ああ・・・。」 岩城が口にした駅名は、 香藤の住んでいる場所から三つ先の駅だった。 「じゃ、家まで送るから。」 「いや、でもそんな迷惑は掛けられないよ。」 「迷惑って思ったら言わないよ、心配なだけ。」 「心配って・・・。」 苦笑を浮かべる岩城に、香藤はどきりとして眉を寄せた。 「ごめん、気に障った?」 その香藤の少し情けない顔に、岩城は慌てて首を振った。 「いやっ、そうじゃないよ!・・・ごめん。」 「えっ!岩城さんが謝るとこじゃないじゃない。 俺のほうこそ、ごめん。」 二人で顔を見合わせて、ぷ、と吹き出した。 「わかった。じゃ、送ってくれ。」 他愛ない話をして、岩城の住むマンションのドアの前まで来て、 岩城が鍵を取り出した。 「寄っていくか?」 「ううん。今日は遅いから今度にするよ。 って、勝手に今度って言っちゃったけど。」 岩城はにこりと笑って頷いて鍵を開けた。 「おやすみなさい、岩城さん。」 「ああ、おやすみ。」 「ちゃんと鍵掛けてね。」 「馬鹿、俺は子供じゃないぞ。」 「ごめん、ごめん。」 笑いながら香藤は手を振って岩城に背を向けた。 エレベーターに乗り、振り返ると、 ドアを閉める岩城の背が見えた。 ドアが閉まったエレベーターの壁に背をつけて、 香藤は大きな嘆息を零した。 「・・・決定、だな。」 外へ出て、駅に向って歩きながら、 脳裏に悪友二人の顔が浮かんで、香藤は別の溜息をついた。 「今度あったら、なに言われっかな。」 翌日、出勤した香藤は、 片手に弁当の包みを下げて見回りを始めた。 岩城がまだ残業していることは確認済みで、 彼の部屋の前まで来ると、香藤は大きく深呼吸した。 「岩城さん、いる?」 ノックをしてドアを開けた香藤に、岩城は振り返って微笑んだ。 「ああ、香藤か。 昨日はありがとう。」 「いいよ、そんなの。 はい、これ。」 バンダナの包みを受け取って、 岩城は嬉しげな顔で香藤を見上げた。 「いつもすまん。」 「どういたしまして。」 にっこりと微笑んで、岩城は弁当の包みを、 両手で大事そうに机の上に置いた。 「意外、だな。」 「え?」 岩城は申し訳なさそうな顔で、香藤を見上げた。 「ごめん。人は外見で判断しちゃいけないって思ったんだ。 昨日のお前の派手な格好からは、 仕事してる姿とか、こういう風に弁当を作ってきてくれたりとか、 想像もつかないから。」 「ああ、いいよ、そんなの。気にしないで。」 「やさしいな、香藤は。」 その岩城を見つめながら、香藤は少し溜息をついた。 「・・・岩城さんだからだよ。」 「え?」 「好きな人のことは、大事にしたいって思うでしょ?」 「え・・・あ・・・うん。」 「心配するし、さ。 特に昨日みたいなことがあると、余計に心配になるよ。」 岩城はその言葉をポカン、として聞いていた。 「・・・あの、香藤?」 「うん、なに?」 「好きな人、って・・・?」 「岩城さん。」 「大事にしたい、って?」 「そう。」 にこり、と笑う香藤に、岩城は顔を真っ赤にして視線をそらした。 「俺は、男だぞ?」 「知ってるよ、もちろん。」 「好き、ってそういう意味なのか?」 岩城が香藤を見上げた。 不思議そうなその顔に、香藤はぷ、と笑いかけて頷いた。 「そうだよ。」 「お前、もてるだろう? 別に男の俺じゃなくても、いいんじゃないのか?」 「岩城さんは俺のこと、嫌い?」 「そんなこと、誰も言ってないだろう?」 「なら、いいじゃない。」 「冗談も程々にしろ。 俺の年、知ってるだろ?」 「でも、可愛いって思っちゃうんだよね。 しょうがないじゃない。」 「は?」 ぽかんとして香藤を見上げる岩城の唇に、 香藤が軽く唇を重ねた。 なにが起こったのかわからずに、 岩城は呆然としたまま香藤を見つめていた。 「ね?キスもしたいし、それ以上もしたいんだよ、俺?」 「・・・そっ・・・それ以上、ってっ?!」 「当たり前でしょ? 好きなんだもん。」 香藤はそう言うと、脇に抱えた制帽を被った。 「じゃ、俺、見回り続けるから。」 「え、あ、・・・ああ。」 岩城は背を向ける香藤に、慌てて立ち上がった。 ドアを開け、微笑を残して出て行った香藤に、 岩城はしばらく目をぱちくりとして、その場に突っ立っていた。 「こんばんは。」 岩城が保安室に顔を出し、芝沼が椅子を勧めた。 「すみません、香藤はもうすぐ戻ってくると思うんですが。」 「あ、いえ、いいんです。 これ、香藤に渡しておいて貰えませんか?」 そう言って、岩城は弁当包みを机の上に置いた。 「いや、岩城主任、それは直接渡してやってください。 その方が香藤も喜ぶと思うんで。」 「いや・・・あの・・・でも・・・。」 「あいつ、何かしました?」 岩城の戸惑いに、彼は心配げに眉を顰めた。 「いえ、そうじゃないんです。」 首を振る岩城に、芝沼はにっこりと笑った。 「巡回、終了しました。」 香藤が保安室のドアを開けて、戻って来た。 「あれ?岩城さん、帰るの?」 「あ、うん。」 机の上に置いた弁当包みを差し出し、岩城は香藤を見上げた。 「ごちそうさま。」 「うん。」 「その・・・美味かった。」 「ありがと。 それ一番嬉しいよ。」 「じゃ、俺・・・帰るから。」 岩城が立ち上がり、保安室から出るのを、 香藤はそのままついて行き、研究所の門まで送った。 「気をつけて帰ってね。」 「うん。」 「じゃ、おやすみなさい。」 「おやすみ。」 一歩、歩き出した岩城は香藤を振り返った。 微笑んだまま自分を見送っていた香藤に、 岩城はもう一度口を開いた。 「おやすみ、香藤。」 「うん、おやすみなさい。」 ゆっくりと歩き出す岩城を、その姿が小さくなるまで、 香藤はその場でじっと見つめていた。 続く 弓 2007年5月10日 |
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