Pennies from Heaven 3








「岩城さん、休憩?」

「あ・・・。」

見回りの途中、香藤は廊下の奥の休憩所に、

岩城が座っているのを見つけた。

「・・・うん。」

岩城は、はっとして香藤を見上げ、

手に持った缶に視線を落として頷いた。

「どしたの?」

「いやっ・・・別に。」

香藤は、首を傾げて岩城を見返した。

視線を合わせようとせず、

下を向く岩城の横顔を見ていると、

ぱちぱちと忙しなく瞬きをしている。

頬が少し赤くなっているのを見て、

香藤はそっと手を伸ばした。

「うわぁ!」

額に触れられて、岩城が思わず声を上げた。

「あ、ご、ごめん!びっくりして・・・。」

思わず手を引っ込めた香藤は、苦笑しながら首を振った。

「顔が赤いから、熱でもあるのかと思ったんだ。

俺のほうこそ、驚かせてごめんね。」

「だ、大丈夫だ。風邪は、引いてないから・・・。」

「そうなんだ。なら、いいけど。」

「あの・・・ごめん。」

申し訳なさそうに眉を寄せる岩城に、香藤は微笑んだ。

「いいよ、気にしないで。」

制帽を被って、「見回りに行ってくるね。」と歩き出した香藤の背を、

岩城は唇を噛んで見送った。







「あのさー、」

小野塚が、グラスをテーブルに置いて、

頬杖をついて香藤を見上げた。

「この間のさ、」

「なんだよ?」

「あのおっさん、誰?」

「あぁ?」

香藤が飲みかけたグラスを口から放して、眉を顰めた。

呼び出されて、なにを言われるかと覚悟していた香藤は、

あまりの言葉に小野塚を睨みつけた。

「だからさ、俺達のことほったらかしてすっ飛んでった、あのおっさん。」

「・・・殴るぞ、お前。」

「怒んなくたっていいじゃんか。どう見ても年上・・・それもかなり。」

「うるせえな。誰でもいいだろ。」

「あの人が、この前言ってたすっごい美人、なんだろ?」

香藤は黙り込み、ちら、と視線を向けた。

「やっぱなー。そうじゃないかと思った。」

「なんで?」

小野塚が、肩をすくめて香藤を見返した。

「おっさんだけど、美人にゃ違いねぇから。」

むっつりとグラスに口を付ける香藤に、小野塚はくすくすと笑った。

「機嫌わるー。」

「・・・五月蝿(うるさ)い。」

「おほっ、なんかあったみたいだねー。ふられた?」

「・・・。」

無言のまま溜息をつく香藤を、目を見開いて小野塚は見つめた。

「あれれ?ひょっとして当たり?」

「わかんねえ。」

「わかんねえ、って?」

「告ってから、避けられてる気もするけど・・・。」

「けどー?」

「普通にしゃべってくれるし、嫌がってるみたいでもないし。」

「それってさ、」

小野塚が摘まみを口に放り込み、箸を振りながら頷いた。

「相手にされてねえ、ってことじゃん?」

「・・・かも。」

そう呟いて、嘆息をついた香藤に、小野塚は笑った。

「自分で言って、落ち込んでやんの。」

「うー・・・。」

パタリ、とテーブルに突っ伏した香藤を、

小野塚は呆れて眺めた。

「お前ってさあ、」

「なんだよ?」

テーブルから、ひょこ、と顔を上げて、香藤は小野塚を見つめた。

「ホモだったんだねー。」

「・・・。」

香藤が無言で首を振った。

「んな自覚ない。」

「なんで?あのおっさ・・・いや、あの人、男じゃん。」

じろり、と睨まれて、小野塚は言い直して、ペロッと舌を出した。

「わかんねえんだ。

いつの間にか好きだったし・・・可愛いって思っちゃったし。」

「あ?可愛い?!」

「うん。すげえ、可愛い。」

呆然として、小野塚は香藤を見返し、

天井を仰ぐように顔を向けて、吹き出した。

「笑うな!なにがおかしい?」

「いや、末期だな。女に飽きたんじゃねえ?」

「そういう理由じゃないって。」

「可愛い?あの、おっさんが?」

「おっさん言うな!」

「はいはい。」

くつくつと笑いの止まらない小野塚を、

香藤は睨んだままグラスを煽った。

「で、告って、返事は貰ったのかよ?」

無言で首を振り、香藤は箸を取り上げた。

黙ったまま、小鉢の中をこねくり回して、

香藤は箸を置いて再び嘆息した。

「どしたん?」

「・・・そうなんだよなー・・・。」

「あ??」

「ホモ、ってことなんだ・・・。」

「・・・なに言ってんだ、今ごろ。」








「こんにちは。」

香藤が、保安室のドアを開けた。

「おう・・・どうした?」

「え?」

きょとんと見返す香藤を、芝沼が心配そうに見つめていた。

「顔色、悪いぞ?」

「いえ、大丈夫ですよ?」

「ほんとか?」

「・・・そんなに、顔色悪いっすか?」

「うん、悪い。」

はっきりと頷く芝沼に、香藤は苦笑を浮かべた。

「ちょっと寝不足なだけなんで、大丈夫です。」

「そうか?ならいいけどな。」




着替えて出てきた香藤に、

芝沼がまだ残っている所員の名と、部署を伝えた。

「あ、それから、客が一人来てるから。」

「客?」

「仕入先の営業マンだよ。岩城主任のとこだ。」

「・・・え。」

「あいつ、岩城主任のファンだからなぁ。」

「・・・っ。」

絶句した香藤の顔を、芝沼は面白げに見返した。

「俺っ、見回り行ってきますっ。」

走り出るように廊下に出て行った香藤を、

芝沼は笑って見送った。

「ま、大丈夫だろ。

岩城主任も、香藤のこと好きなんだし。」

しばらく、芝沼の笑いは止まらなかった。

「まぁ、心配なのはわかるけどね。」








「仕入先の営業マン、ってこの間のあいつだよな・・・。」

しつこく岩城の腕を掴んで、

タクシーに乗せようとしていた男の顔を思い出して、

香藤はムカムカとする気分を押さえ、各部屋を巡回した。

岩城のいる階へ、階段を上り、角を曲がった。

暗い廊下の先、

ドアに設けられた小窓から明かりが漏れていた。

ゆっくりとその廊下を、香藤は歩いた。




「俺、岩城主任のことが好きなんです。」

「は?」

「いや、は?じゃなくて。」

「君、いったい何を言ってるんだ?」

「白ばくれないでくださいよ。こっちは我慢してたのに。」

「え?」

「あんな男と・・・。」

訳がわからない、と見返していた岩城は、

いきなり腕を掴まれて抱きすくめられた。

「なっ・・・なにすっ・・・。」

「いいじゃないですか、俺と付き合って下さい。」

「じょ、冗談はよせ!」

「もちろん、冗談なんかじゃありません。」

「ふざけるな!」

岩城が男の腕を振りほどこうともがいた。

「ちょっ・・・やめろ!」

男が片手で岩城の顎を捉えた。

顔を背け、男の肩を引き剥がそうと、

岩城は手を突っ張った。

力任せに男が岩城の顔を引き寄せ、

唇が触れようとした。

「かっ・・・香藤!」

岩城が、思わず叫んだ。

それに呼応するように、

ドアが壁にぶち当たるほど、勢いよく開いた。

「岩城さん!」

「香藤!」

「て、め、え・・・。」

香藤が岩城から男を引き剥がし、

男は床に這い蹲るように転がった。

「殺されたいか?!」

「ひ・・・。」

日頃のにこやかな彼からは想像もつかない、

香藤の鬼のような顔を、岩城は呆然として見つめていた。

ジリ、と香藤が男に迫ろうとして、

岩城はとっさにその腕を掴んだ。

「待て、香藤。」

「なんで、止めるの?!」

「殴るな。お前に傷がつく。」

「でも!」

「いいから。」

岩城はゆっくりと男を見下ろした。

「帰ってください。二度と、ここには来ないように。」

「は・・・。」

男は自分の鞄を掴むと、あたふたと部屋を出て行った。




「殴りたかったのに・・・。」

「馬鹿、強盗でもないのに。」

「そうじゃなくて!」

香藤は椅子に岩城を座らせると、その足元に膝を付いた。

「強盗より性質(たち)悪いよ。

岩城さんを襲ったんだよ?」

「だから・・・無事だったんだし。」

「無事だったって、俺が来なかったらどうなってたのさ?」

「・・・あのな、」

岩城が少しため息をついた。

「俺も男なんだけどな?」

「知ってるってば。」

「そうじゃなくて、俺だって力もあるし・・・。」

香藤がぐじゃぐじゃと髪を掻き毟るようにして、首を振った。

「もおー!違うって。」

「助けに来てくれたじゃないか、お前。」

「当たり前でしょ・・・って、岩城さん。」

「え?」

「俺の名前、呼んだ、よね・・・。」

「あ・・・うん。」

途端に黙り込んだ岩城を、香藤はじっと見つめた。

真っ赤な顔をして俯き、岩城は眼鏡を外して、

ハンカチでそれを拭き、ついでに額を拭った。

「汗、かいちゃったよ。」

「なんで?」

「・・・なんで、って。」

「なんで、俺の名前呼んだの?」

「そっ・・・それは、その・・・。」

香藤は岩城の手から眼鏡を取ると、机の上に置いた。

岩城の前に膝を付いたまま、香藤はその肩をそっと掴んだ。

「ね?なんで?」

「なんでって・・・わからない。」

「わかんないの?」

こくり、と岩城が頷いた。

「気付いたら、お前の名前、呼んでた・・・。」

「それって、俺のこと、嫌いじゃないって思っていいのかな?」

「嫌い、なわけないだろ。」

「そう?最近、岩城さん俺のこと、避けてるみたいだったし。」

「ち、違う!」

岩城は顔を上げて香藤を見つめた。

「恥ずかしくて、お前の顔、まともに見られなかったんだ。」

「恥ずかしい?どうして?」

「・・・。」

くしゃり、と顔を染めて下を向いた岩城を、

香藤は思わず抱きこんだ。

「か、可愛すぎるよ、岩城さん。」

「可愛くない!こんな小父さん・・・。」

「可愛いよ、岩城さんは。」

香藤はそっとその頬に手を触れると、唇を寄せた。

「俺、自惚れていいんだよね?

岩城さん、俺のこと好きだって。」

「・・・え・・・あ・・・えっと・・・。」

「いいよね?」

そう言って、香藤は岩城の唇にそっと触れた。

目を見開いたまま、岩城はそのキスを呆然として受けた。

唇を離して、香藤は岩城のその顔を見て、ぷ、と吹き出した。

「岩城さん、今までキスしたことないの?」

「し、失礼だな!キスくらいしたことある!」

「じゃ、目、閉じて?」

「う・・・。」

ぱちぱち、と瞬きをすると、岩城は香藤を見つめた。

なにか言いたげに開きかけて止めると、岩城は目を閉じた。

その頬をそっと両手で挟んで、香藤は岩城に唇を重ねた。

「可愛い・・・。」

唇を放して香藤は真っ赤になった岩城の顔を、

蕩けそうな顔で見つめた。

「うるさい、可愛い、可愛いって言うな。」

しばらく、香藤は岩城を抱き締めていた。

「あのさ、岩城さん。」

「え?」

「今日、何時まで仕事?」

「わからない。まだ、実験の最中だから。」

「そっか。」

再び、香藤の顔が迫り、岩城は慌てて瞳を閉じた。

息苦しくなって香藤の背を、岩城が叩いた。

「なに?」

「苦しいって。」

ぽかん、と岩城の顔を見て、香藤はぶっと吹き出した。

「ねえ、ほんとにキスしたことあるの?」

「ある!」

「じゃ、さ、鼻で息しなよ?」

「・・・あ。」

初めて気付いたように、香藤を見返す岩城に、

くすくすと笑いながら、香藤は彼を抱きこむと、

喰むように唇を舐めた。

「・・・ふっ・・・」

舌先で唇を突き、思わず開いた岩城の咥内を、

香藤はくるりと舌で撫でた。

「・・・んぅ・・・」

洩れた岩城の声に、香藤の下半身が反応した。

抱き込まれた岩城が、それに驚いて顔を離した。

「・・・あのな、香藤。」

「ごめん。わかっちゃった?」

「当たり前だ。」

「だってさー・・・。」

岩城は赤い顔で、眉を寄せて香藤を見つめた。

「だめだぞ、ここじゃ。」

「ここじゃ、ってことは他ならいいの?」

「そっ・・・。」

口篭って、岩城は下を向き、そのまま言葉を継いだ。

「すぐ、そういうことにならないとだめか?」

「・・・え・・・と?」

「どうしたらいいのか、わからないし・・・。」

香藤は微笑んで首を振ると、岩城の額に自分の額をつけた。

「ごめん。俺、自分のことしか考えてなかったね。

心の準備って必要だよね。」

「あのな、香藤・・・。」

岩城は香藤を見つめ返して、口篭った。

「なに?」

「その・・・今度の休み、俺のとこへ来るか?」

「いいの?」

こくり、と頷く岩城に、香藤は満面の笑みを浮かべた。

ぎゅ、と自分を抱き締めて、巡回に戻った香藤を送り出して、

岩城は椅子に座り込んで溜息をついた。







     続く




     弓




   2007年5月12日
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