Rhapsody in Jade 2








木々の葉が、染まる頃・・・。

そろそろ、リサイタルのために、

香藤はヨーロッパへ向かわなくてはならない。

「今年は、ずっと日本にいますね。」

「まぁね。」

「あの方の、せいですか?」

金子が、笑っていた。

「せい、って言わないでよ。お陰で、って言ってよ。」

香藤も、笑いながら言い返した。





香藤は、岩城に出会って以来、日本から一歩も出ず、

朝起きて午前中から午後まで気の向くままバイオリンに触れ、

その後岩城のマンションへ向かう。

岩城がいなかろうが、それには構わず彼の帰りを待っている。

すでに、岩城から合鍵を渡されていた。

勝手知ったる様子で中へ入り、岩城のために食事の支度やら、

片付けなどをしている。

時折、連絡のために金子がやってくる。

たぶん、彼も二人の関係に気付いているだろう。

が、特に何を言うでもなく、岩城に会っても何も言わない。




「気付いているんじゃないのか、彼は。」

岩城のほうが心配げに、香藤に尋ねるくらいだった。

「別に、いいんじゃない、気付いてても。」

「・・・でもな・・・。」

「俺は、悪いことしてるとは思ってないよ。隠す必要もないでしょ?」

「あ、あのな、香藤。」

「なに、岩城さん?」

「俺も、お前も、男なんだぞ?」

「だから、なに?」

香藤の、不思議そうな顔に岩城は二の句がつげずに、押し黙った。

「岩城さん、俺とのこと、嫌なの?」

「そうじゃない・・そうじゃないけど・・・。」

「じゃ、気にしないこと。」

香藤がそう言って、岩城を優しく抱き寄せた。



「・・そろそろ、ツアーが始まっちゃう・・・。」

香藤がベッドの上に座って、岩城を後ろから抱きかかえた。

「・・・そうか・・・。」

「やだなぁ・・行きたくないよ。」

「何を言ってる。仕事だろうが。」

「そうだけどさ。」

香藤の手が、岩城の肌を探った。

その胸に背を預けて凭れかかり、岩城は、溜息をついた。

「時間が空いたら、なるべく、帰ってくるようにするから。」

「・・・無理はしなくていい。」

「無理じゃないよ!」

香藤は、岩城の肩を掴んで、自分の方を向かせた。

「俺が、寂しいの!離れたくないんだよ、本当は!」

「・・・香藤・・・。」

岩城を押し倒しながら香藤が、囁いた。

「・・・浮気、しないでよ・・・。」

「馬鹿・・そんなことあるわけないだろ。」

香藤が、にっこりと笑った。

「うん。俺もありえないね。俺は、岩城さんしか抱けないからね。」

熱い息で、岩城は香藤の唇を受けた。

香藤と知り合って5ヶ月が経とうとしていた。

身体を重ねてから、もう3ヶ月経つ。

その3ヶ月は、

岩城が変わっていくのに十分すぎるほどの時間だった。

香藤の肌を探る指や唇に、素直な反応を見せる。

「俺、こんなに日本にいたことないよ。子供のとき以来だね。」

「・・・そう・・なの・・か・・?・・・」

「うん・・耐えられるかな・・・。」

「・・・な・・にが・・?・・・」

岩城が、喘ぎながら香藤に返事をする。

それを見ながら、香藤は嘆息した。

「岩城さんが、傍にいないこと。

誰かをこんなに好きになったことないし。」

「・・・香藤・・・」

身体は素直に香藤を受け入れていても、

思いをうまく言葉で伝えられない。

岩城は、そんな自分がもどかしく、寂しげに顔を顰める香藤を、

黙ってその両腕に抱きしめた。






「じゃ、行くからさ。」

香藤が岩城のマンションから、出て行く。

東京にも自分のマンションがあるというのに、

香藤はほとんど岩城のところに入り浸り、

半同棲のような状態だった。

荷物はバイオリンと小さめのキャリーバッグ一つ。

他は必要なかった。

香藤の拠点は、パリにある。

「ああ・・・。」

岩城の声が、沈んでいる。

人前で自分をさらけ出すことのなかった岩城の、

大きな変化だった。

「そんな顔しないで。行きたくなくなるから。」

「どんな顔だって言うんだ。俺は、大丈夫だ。」

香藤が、ふっと笑った。

岩城の強がり。

香藤には、わかった。

「うん。電話するから。必ず、するからね。」

「わかってる。」

金子が迎えに来た。

「空港までは、行けないぞ。」

「うん、わかってるよ。」

玄関ドアを開け、金子が待っている。

靴を履いて、香藤は金子を見た。

「ごめん、金子さん。ちょっと待ってて。」

そういうと、香藤は岩城を抱き寄せた。

「ちょ、ちょっと待て!香藤!」

「いいから、黙って・・。」

香藤が岩城の唇を塞いだ。

逃れようとする岩城を、抱きかかえ唇を貪った。

金子が慌ててドアを閉める音が聞こえた。

「・・・んっ・・んんっ・・・」

熱い、深い、口付け。

岩城の唇の隙間から、声が漏れるほどの。

「・・・馬鹿・・・。」

肩で息をしながら、岩城は香藤を睨んだ。

目元が染まり、瞳が潤んでいた。

「ごめん、我慢できなくて。」

「香藤・・・。」

香藤は、嘆息すると岩城の顔を見つめ、

自分を元気付けるように笑った。

「ここでいいよ。」

「ああ。そうする。」

とてもじゃないが、まともに金子の顔を見られない。

ドアの外で待っているだろう、金子を思い浮かべて、

岩城は苦笑した。

「行ってきます。」

「ああ、気をつけてな。」

香藤が、ドアを開け手を振って出て行った。

そのドアに、岩城は額をつけた。思わず、嘆息が漏れる。

・・・部屋の中が、急に、寒くなったように感じた。







「なんだ、京介。帰るのか?」

「あ・・うん、ちょっと用があって。」

「晩飯くらい食っていけよ。」

「ごめん、兄さん。」

稽古が終わり、帰ろうとした玄関先で岩城は呼び止められた。

兄が、しかめっ面で岩城を見つめている。

「お前、付き合いが悪くなったな。」

岩城は困った顔で、俯いて立ち尽くしていた。

ふぅーっと、兄の溜息が聞こえ、

岩城はますます身を縮めるように肩をすくめた。

「しょうがないな、お前にそんな顔をされると、何も言えなくなる。」

「・・・ごめん、兄さん。」

「事始の準備を始めるまでは、仕方ないが、」

「わかってるよ・・・。」






師走に入った。

香藤が、欧州へ出かけてから3ヶ月。

必ず夜、電話が入る。

リサイタルの直前、それから3時間以内に、もう一度。

移動のときには、掛かってこない。

それが、とても寂しい。

『岩城さん、』

「ああ。」

『もうすぐ、始まっちゃう。』

「がんばれよ。」

『うん。』

他愛もない、会話。

リサイタルが終わりかかってくる電話の方は、もっと長くなる。

それがわかっているから、最初の電話は短く終わらせる。

次の電話までの間に、

岩城は食事から風呂から何から何まで済ませて、

ベッドの中で電話を待つ。

この3ヶ月、それは岩城の習慣になってしまっている。

「どうだった?」

『うん、うまくいったよ。大丈夫。』

「そうか、ならいい。」

『・・・寂しいよ、岩城さん。』

香藤が、沈んだ声で呟く。

「香藤・・・。」

俺もだ、と心は言うのに、

言葉に出来ない自分がもどかしくて、

岩城は受話器を握り締めた。

『来月の終わりには、絶対帰るからね。

それまでは、どうしようもないから。』

「わかってる。

クリスマスがあるのに、帰れるわけないからな。」

『やんなっちゃうね。』

「なに言ってんだ、仕事だろうが。」

『わかってるけど・・・ごめんね、クリスマスも、

正月も一緒にいられなくて。』

「いいさ、仕方がないだろう。」

『こんなに、辛いなんて思わなかったよ。』

香藤の溜息まじりの声。

心が疼く。

電話の最後はいつも同じ台詞。

『愛してる、岩城さん。』

「ああ・・わかってる。」

真夜中、切れる電話に溜息をつく。

それでも、声を聞かない夜よりは、はるかに眠れた。








自宅のマンションで、ぼんやりと、岩城は電話を見つめていた。

ふ、と、兄の顔が浮かぶ。

心配げだった。




ここ十年、どんな些細なことでも兄に逆らったことなど、ない。

兄にだけではなかった。

父や母の言葉にあからさまに反論したことはない。

全て呑み込んで、過ごしてきた。

あの日、以来・・・。



恵まれている、と思う。

何不自由なく育てられた。

それでも、敷かれたレールがいやで、荒れていた高校生の頃、

父親の高弟たちが無遠慮に話していた言葉を耳にした。

足元が、崩れ落ちる様なショック。

信じられなかった。

両親から愛情を貰っている。

大事にされていると感じてもいた。

母からも、兄からも、いじめられたことなど、記憶にない。

どちらかと言えば、特に兄は、うるさいくらいに、自分を構う。

普通に育てられたはずだ。

叱られたこともある、褒められたこともある。

『奥様に、大層な口を利くようになって。』

『ええ、本当に。

奥様はそういう年頃だからって、笑っておられたけど。』

『妾の子の癖に。生意気な。』

愕然とした。

・・・妾の子・・・

思い当たる人がいた。

優しい、控えめで物静かな、父の弟子の女性。

昔から、母が出かけるときなど、彼女に面倒を見てもらっていた。

いつも、いつくしむように自分を見つめていた。

岩城は、直感した。

・・・あの人が、本当の母なのだと。

・・・それを境に、岩城の反抗期は終わった。

その後も、その母であるはずの人に会っても、

態度を変えることはなかったが、

岩城の心の中に家族に対する一枚の壁が出来た。

茶道の道へ進んだのは、

もう、自分にはそれしかないと思ったからだ。

我儘は言えない。

言う立場ではない、と。

諦めた、と言えば聞こえはいい。

実の子として籍にも入っている。

差別されたこともない。

それでも、岩城の心に屈託が出来た。

自分の心に鎧を纏い、

誰も、その心の中に入れようとはしなくなった。

誰かが、何を考えているのかわからない、と零すほど

その顔から、笑顔さえ消えた。

岩城が成人し、兄とともに父である家元の片腕として、

次期家元である兄を助けて働くようになってからは、

そのことで陰口を叩くものはいなくはなったが。

そうやって、生きてきた岩城の、その鎧を、香藤が壊した。

自分の言葉を飲み込んで生きてきた。

それが習い性になり、

今、香藤に自分の気持ちを伝えるのがうまくいかない。

素直に口にしようとすると、どうしてもためらいが先にたつ。

それでも、香藤はそれを優しい眼差しで待っていてくれる。

・・・一人が、こんなに辛いとはな・・・。

昔とは違うため息が出る。






一年の締めくくりの行事が近付いてくる。

電話で、そのことを香藤に話すと、思い切り叫ばれた。

「仕方ないだろう?どうにもならないんだ。」

『わかってるよ。岩城さんの仕事だもんね。でも・・・。』

「実家に、詰める日も出てくるし・・・。」

『・・・う・・ん・・・。』

「・・・香藤・・・。」

言わなければいけない、と思った。

岩城は受話器を握り、頬が熱くなるのを自覚した。

「香藤。」

『うん、なに?』

「・・・俺も、辛いんだ。

だから、頼む、我慢してくれ。俺も、我慢するから・・・。」

香藤の声が、聞こえてこない。

心配になった岩城が、声をかけようとしたとき、

ようやく、聞こえてきた香藤の弾む声に、

岩城の頬が余計に染まった。

『ありがと。嬉しいよ、岩城さん。

そんなこと言ってくれたの、初めてだね。』

「・・・香藤・・・。」






「最近、若先生、お綺麗になりましたね。」

いつも、マネージャーとして傍についている清水が、

岩城にしみじみと言った。

「え?」

ニコニコとして、清水は岩城を見つめていた。

「いや、そんな・・・。」

「ここ何ヶ月かで、お変わりになられましたよ。以前は、

ほとんどお笑いにならなかったのに。」

「そうですか?そんなに、笑いませんでしたか?」

「ええ。今だから、言えますけど、若先生、

ちょっと冷たいところがおありだったから。」

その言葉は、岩城には思い当たる節がありすぎる。

人と、関わりあいになるのが億劫なところがあった。

稽古でも、余計なことはあまり喋らない。

それでも、生徒はついていたが・・・。

「今は、昔からお傍にいる私でも、ドキッとするような顔を

なさるようになりましたね。

どなたが、若先生を変えられたんでしょうね。」

「し、清水さん。」

うろたえる岩城に、清水がくすっと口元を押さえた。

清水にわからないわけがない。

マンションへ毎朝迎えに来るのは清水の役目で、

そこで彼女は香藤によく会っているのだ。

香藤が上半身裸でいるのを、見られたことさえある。

「あの・・・。」

「わかっています。ご心配なく。」

清水が、岩城を安心させるように頷いた。

清水には、隠し事など出来ない。

彼女は、岩城が家族に対して、

一歩引いていることも気付いていた。

「・・・良い方に、めぐり合いましたね、若先生。」

岩城は、肩から力が抜けたように、溜息をついた。

「ええ・・そう思います。」







岩城京介。27歳。

職業、茶道師範。

生まれてはじめて、本気で愛した。

この世でたった一人の俺の最愛の人。

美人なんだよね。

本当に、何から何まで、綺麗なんだ。

・・・今まで、綺麗な女はたくさん見てきた。

でも、岩城さんは、ダントツ。

彼女たちと違うところは、本人に、自覚がないところ。

何でだろうねぇ。信じらんないよ。




今、俺はオーストリアにいる。

毎年恒例の欧州ツアーの途中。

4月の始めまで、続く。

それは当たり前のことで、

拠点をパリに置いている俺にとっては、

どうってことのないこと、だった、去年までは。

でも、今年は全然違う。

・・・正直言って、苦しい。

辛い。

寂しい。

岩城さんが、傍にいない。

毎晩電話してるけど、抱きしめられない。

・・・思いっきり、溜まってる・・・。

他の誰かで、始末しようって気にはならない。

それは、いやだ。絶対にいやだ。

だから、我慢・・・。



・・・きつっ・・・。






ホールの、バックステージに燕尾服を着て立つ。

岩城に電話をした。

落ち着いた、岩城の声を聞くと、不思議と心が鎮まる。

バイオリンのケースを開け、そこに入れてある

皮の写真入れをケースに立てかけた。

「やぁ、ヨウジ、君の恋人って、その彼かい?」

「そうだよ。」

今日の指揮者、サイモンがニヤニヤしながら香藤に近寄った。

香藤はどのリサイタル会場でも、

そうやって岩城の写真を取り出し、

ステージに向かう直前、キスをする。

当然、それを見られている。

仕事仲間によく尋ねられ、香藤は包み隠さず答えていた。

欧州では、それはすでに周知の事実になっていた。

だからといって、それがスキャンダルにはならない。

「ほぅ・・・。」

サイモンが、感心したような声を上げた。

「美人でしょ?」

「ああ、ほんとだな。なんて名なんだ?」

「京介。」

「キョウスケ、か。どういう人なんだ?」

香藤はバイオリンを準備しながら、答えた。

「茶道の先生。俺より、5つ年上なんだけどさ、」

「ああ?」

サイモンがニコニコして聞いてる。

香藤はサイモンのことが好きだった。

もちろん、そういう意味ではない。

父親のような年のサイモン。

大変な才能で、

常任指揮者を持たないことで有名なこのオーケストラが、

たった一人、長年ラブコールを続けている。

香藤にとっても、彼と一緒に仕事するのは、

非常に楽しみなことだった。

「可っ愛いんだよ、すっごく。堪んないの。

本人は自分が美人だって思ってないしね。」

香藤の顔を見て、サイモンが笑い出した。

「わかるよ、ヨウジ。顔に出てる。ほんとに、好きなんだな。」

「うん。愛してるよ、誰よりもね。」

「道理で、浮話を聞かなくなったわけだ。」

そう言って、サイモンはウインクした。

「そんなことしたら、俺、殺されちゃうよ!する気もないけどね。」

「了解、言っとくよ。」

「え、言っとくって?」

「君に特定のステディが出来たって、それこそ噂を聞いて、

俺に確認してくれって言うのがいてね。

諦めるように、言っておくよ。」

「そうなの。うん、言っておいて。

俺は、もう、彼以外は愛せないって。」

「いつからなんだ?」

「4月の終わり頃だったよ。

そんな大事なこと、忘れるわけないよ。」

「なるほど・・・納得だね。」

きょとんとして見返した香藤に、

サイモンが真顔になっていた。

「・・・8月に、フェスで会ったとき、音が変わってた。」

「ああ・・そっか。」

「自分で、わかるだろう?」

香藤は、サイモンを見ながら頷いた。

音が変わった。

バイオリンは、いつものグァルネリだが、出る音が違ってきた。

それは、聞き手の方がよくわかるようで、記事にも書かれた。

深い、いい音が出ている、と。

「彼のお陰なんだな、ヨウジ。」

「うん・・彼に出会うまでの俺は、子供だったんだ。」

サイモンが、カーリーヘアの頭をくしゃくしゃと掻きながら、

にやっとした。

「ほう、自覚したんだ。」

「あ、ひどっ!」

香藤も、サイモンも、お互いをよく知っていた。

大笑いをして顔を見合わせた。

「じゃ、今日もよろしく、ヨウジ。いい音をね。」

「うん、がんばるよ。」

差し出された手を、目一杯握る。

いつも、サイモンは力いっぱい握り返してくる。

その本気さが、香藤は好きだった。

「ヘル・カトウ、行ってらっしゃい。」

ホールのスタッフが声をかける。

うん、と頷いて香藤の顔が引き締まる。

バイオリンを、弓とともに左手に持ち、

岩城の写真を右手に取り上げた。

燕尾服の胸にそれを当て、少し瞳を閉じる。

ふーっと息を吐くと、写真を見つめ、唇を触れた。

「行ってきます、岩城さん。」






もう、あと少しで、今年も終わる。

今月はクリスマスがあるため、欧州やアメリカはお祭り騒ぎ。

当然、リサイタルも立て続けにある。

・・・帰れない・・・。

香藤が溜息をついてると、金子に叱られた。

「でもさ、辛いものは辛いんだよ!わかってるよ!

ちゃんとやるからさ、その代わり、

1月の25日には、絶対帰るよ!」

「いいですよ、それはもう予定に入れてありますから。」

「ほんと?!」

「本当です。」

「やったぁ〜!ありがと、金子さん、大好き!」

「はい、はい。」

金子が、呆れた顔で香藤を見ている。

「もう、信じらんないよ。3ヶ月も会ってないなんて。」

「毎晩、電話してるじゃないですか。」

「電話じゃ、足りないんだよ!触れらんないんだよ?!」

金子が、顔を赤くして、心持ち顰めた。

「しょうがないでしょう、それは。それとも、誰か頼みますか?」

「いらない。俺は岩城さんじゃなきゃ、駄目だから。」

「なら、我慢してください。」

「わかってる。岩城さんも我慢するって、言ってくれたから。」

昨日かけた電話で、岩城がそう言った。

初めて、香藤に対して自分の気持ちを伝える言葉だった。

・・・嬉しかった。

今月は、岩城のほうが忙しくて電話も繋がらないことが多そうだ。

・・・伝統のある家って、行事が多すぎるよ・・・。

「いい仕事をするのが、

岩城さんへのプレゼントになるんじゃないですか?」

「いいこと言うね、金子さん!」

金子が香藤の笑顔に、クスっと笑った。

・・・でも、そうだよね。岩城さんに、相応しいように。

・・・もう、一月・・・がんばれ、俺。







ばたばたと師走がすぎ、年が暮れた。

明けて初釜を迎えた。

大晦日から用いた炭火に、元旦になって最初に

井戸から汲みたての水の入った釜をかけ、

家元自身の点前で家族だけでお茶をいただく、

元旦最初の茶会が済み、

ようやく岩城にも日常が戻り、

もう何日かで一月が終わろうとする頃。

「ただいま!」

玄関のドアが開く音がして、大きな声が聞こえた。

電話を待つ間に、

片付け物を済まそうとしていた岩城の心臓が、その声に跳ねた。

「香藤?!」

慌てて玄関へ現れた岩城に、香藤は飛びついた。

そのまま、床へ倒れこむ。

力任せに抱きついてくる香藤を、岩城は両腕に抱き返した。

「岩城さん!岩城さん!岩城さん!」

「お前、どうし・・・?!」

最後まで言わせず、香藤はその唇に喰らいついた。

「・・・んんっ・・!・・・。」

香藤の手が忙しなく岩城の着ている服を剥がし始めた。

慌てて、岩城は唇を離し香藤の腕を掴んだ。

「ま、待て、香藤!」

「なんで?!」

「なんでって、こんな玄関先で!」

「待てないよ!」

香藤が、そう叫んで岩城の下着の中へ手を差し込んだ。

「・・・あっ・・・!」

握りこまれて、岩城の茎がドクンと反応する。

「わかってるの、岩城さん、4ヶ月だよ?!

もう、俺、死にそうなんだから!」

「・・・だ・・・だから・・・って・・・。」

「岩城さんだって、こんなになってるくせに!」

香藤の言うとおり、

岩城の体は香藤が愛撫する指に、瞬く間に熱くなっていた。

香藤が岩城のセーターをたくし上げた。

胸の飾りが、紅く張り詰めている。

「・・・あぁぁっ・・あぁっ・・・」

香藤がそれに吸い付いた。岩城が胸を反らせて声を上げる。

「・・・身体は正直だよね。」

「・・・うるさいっ・・・」

岩城が顔を真っ赤に染めて、香藤の頭をはたいた。

「痛いってば・・・。」

香藤が熱い眼差しで見つめる。

肩で息をしながら、岩城はその香藤の顔を見返した。

欲情を露にした、その顔。

自分を求めるその顔に岩城の胸に切ない想いが溢れた。

・・・求めているのは、こいつだけじゃない・・・。

「・・・会いたかった・・岩城さん・・・。」

「・・・香藤・・・。」

バサバサと、服を脱ぎ岩城を抱え込む香藤の唇を、

岩城は自ら求めた。




「・・・ああぁっ・・・あぁっ・・・香藤っ・・・」

叩きつけてくる香藤の腰を、岩城の両足が抱え込んでいる。

性急な激しい突き上げ。

香藤が想いの丈を全てぶつけるように、岩城を蹂躙する。

それを、岩城は自分を偽ることなく受け止めていた。

羞恥をかなぐり捨て、声を上げる。

この4ヶ月は、

岩城にとって香藤への想いを募らせるのに、

十分すぎる時間だった。

岩城の乾いた心に入り込み、潤すだけ潤して、

欧州へ行ってしまった香藤。

傍にいないことがこれほど辛いことだったとは。

ゴリゴリと、背中や頭が床に擦れる。

その痛みより、心の飢えを満たすことに岩城は没頭した。

長い間放っておかれた身体に火がつき、

香藤を求めてやまない。

「・・・んんぅっ・・・香藤っ・・・香藤ォっ・・・あぁっ・・・」

「・・・岩城さんっ・・・愛してる・・・愛してるよ・・・」

「・・・あっ・・・香藤っ・・・もっとっ・・・もっと・・・奥っ・・・。」

より香藤を取り込もうと夢中で腰を振る岩城に、

香藤の心が躍った。

「・・・はぁぁぅぅっ・・・香藤・・!・・・」

深く抉る香藤を、体を反り返らせ、

受け止める岩城を抱く腕に力をこめて抱きしめる。

自分の名を呼び続ける岩城に、

香藤の胸に今までより深い、愛情が湧いた。




「ごめんね、大丈夫?」

香藤は岩城の中へ強かに吐き出し、

廊下に寝そべったまま、

岩城の背を撫でながら頬に唇を触れた。

「・・・ああ・・・。」

汗にまみれ、肩で荒い息をつくその顔を、

香藤は愛しげに見つめた。

「会いたかった・・・岩城さん。」

「香藤・・・。」

「うん?」

「顔・・・見せてくれ。」

岩城が、そう言って香藤の顔を両手で挟んだ。

ぽろぽろと、涙が目尻を零れる。

そっと、指でそれを拭って、香藤は微笑んだ。

「お前、だな・・・。」

「そうだよ。岩城さんに、こんなことするの、俺だけじゃん。」

そうだな、と岩城が笑った。

「続きは、ベッドでしようね。」

香藤が、岩城から離れ立ち上がり手を差し出した。

「ん?」

微笑む香藤に、岩城は一瞬のためらいの後、

その手を握った。

「立てる?」

そういいながら、香藤はその腕を引っ張った。

立ち上がり揺らいだ岩城を抱き上げ、額にキスを落とした。

「今夜は、寝かせてあげられないかも・・・。」

岩城は頬を染めて香藤の胸に顔を埋めた。

「・・・構わない・・・。」

その岩城に、香藤の顔が融けた。

「もう・・・可愛いんだから・・・。」

「・・・香藤・・・。」






「金子さん、じゃ、後頼むね。」

「はい、わかりました。」

香藤が、自分のマンションの鍵を金子に渡した。

家具つきの、外国人専用マンション。

防音装置付の部屋があったために、

借りていた香藤の東京の自宅。

荷物を岩城のマンションへ運び、

最後の手荷物を持って引越し完了である。

「それにしても、行動が早いって言うか、なんていうか。」

「しょうがないじゃない、あと3日しかいられないんだから。

そんな呆れた顔しないでよ。」

「別に、呆れちゃいませんけどね。」

金子が、首を振るのも無理はない。

日本に帰ってきて、

たった1日で香藤は引越しを済ませるために、

動き回ったのだ。

「仕事も、それだけ熱心だといいんですがね。」

金子がそう言って笑った。

「あ、ひっどいな!俺、仕事熱心だよ!」

香藤は金子の言葉に、笑って頬を膨らませた。

そういう冗談が言える関係の金子を、

香藤は信頼して後を任せた。

「それより、岩城さんはなんて仰ってるんですか?」

「え?」

「いえ、引越しのことですけど?」

「ああ、それ?」

香藤が、ペロッと舌を出した。

「言ってない。」

「はあっ?!」

「言ってないんだ、まだ。」

「あ、あの、香藤さん・・・?」

「大丈夫でしょ。追い出されたりはしないって。」

金子が、今度こそ呆れて香藤を見つめる。

その金子に、香藤はいたずら小僧のような顔をして笑っていた。







「お帰りなさい、岩城さん。食事できてるよ。」

香藤の言葉は、呆然とリビングを見回す岩城の耳を素通りした。

でん、とリビングを占領するように置かれたベッドに、

ソファが隅に押しやられ、岩城の視線が釘付けになっている。

「・・・なんだ、これは・・・?」

「え?ベッド。」

「だから、なんでこんなものがここにあるんだ?」

「俺の、ベッドだけど?」

「ああっ?!」

岩城が、勢いよく香藤を振り返った。

「だから、なんで?!」

「だって、岩城さんのベッド、二人には狭いから。」

「そういうことじゃなくて!」

香藤が頭を掻きながら、言った。

「俺、引っ越してきたから。」




「ねぇ、岩城さん・・・。」

「・・・なんだ?」

「怒ってる?」

香藤が上目遣いに岩城を見つめている。

その情けない顔に岩城が吹き出した。

「怒ってない。」

「よかった。」

あっという間に、顔を綻ばせ白い歯を見せる香藤を、

岩城は可愛い、と思った。

「じゃ、誕生日のプレゼント、明日買いに行こうよ。

俺、忙しくて・・・。」

申し訳なさそうに言う香藤に、岩城は微笑んだ。

「もう・・・貰った。」

「え・・・?」

少し頬を染めながら、

岩城は食事の後かたずけに立ち上がった。

「・・・岩城さん?」

「・・・お前だ。」

ぽかんとする香藤を横目で見て、

岩城はさっさとキッチンへ向かった。

その後を、香藤がバタバタとついてくる。

「岩城さん!」

「なんだ?」

「俺、幸せ。」

香藤が後ろから岩城の肩に腕を回した。

その腕に触れながら、

岩城は背に感じる香藤の温もりを失いたくないと想った。

「後、2日か・・・。」

「うん、ごめん。」

「・・・いいさ。しかたない。」

岩城の溜息が、響いた。

「今日は、寝かせてあげないからね。」

「・・・ああ・・・。」

「遠距離恋愛って辛いねぇ・・・。」

香藤が、岩城を抱きしめる腕に力を込めながら呟いた。

「そうだな・・・。」

クスッ、と香藤が笑った。

「なんだ?」

「遠距離恋愛っていうより、単身赴任、ってやつ?」

「ばっ・・・なに言って・・・。」

岩城の顔が、真っ赤になった。

「本格的に帰ってこられるまで、我慢して。」

「わかってる・・・。」








                  〜続〜



                 2005年4月13日
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