Storm in a tea cup 2










実家に到着して、雅彦や冬美達に出迎えられ、

岩城とラウールは奥へと通された。

玄関で靴を脱ぐ習慣を聞かされ、驚いたラウールと、

そのラウールの美貌に驚いた、

内弟子達のささやかな騒ぎを過ぎて、和やかに話が始まった。

「で、理由は?」

「なにが?」

岩城が菓子を口に放り込みながら、雅彦を見返した。

そののんびりとした口調に、雅彦は苦笑を洩らした。

「なにが、って。帰ってきた理由だよ。」

「ああ・・・。」

途端に、岩城は視線を落とし、

ことさらゆっくりと口の中の菓子を噛んだ。

「なんだ?言いにくいことなのか?

まさか、あいつと喧嘩したとか言うんじゃないだろうな?」

「喧嘩、じゃないよ。」

「じゃ、なんなんだ?」

「・・・浮気。」

「なに・・・?」

雅彦が、俯いたまま発せられた小さな声に、

眉を寄せて聞き返した。

「あの馬鹿、浮気したんだ、女と。」

「は?」

唖然として見返す雅彦に、

岩城は少し顎を上げるようにして、頷いた。

見つめていた雅彦の顔が緩んで、

岩城は眉を顰めかけた。

「丁度いいじゃないか。別れちまえ、そんな奴。」

「雅彦さん、いきなりそんなこと。」

冬美が雅彦の腕に手を掛けた。

「いいじゃないか、そんな不実な奴と一緒にいることはない。」

「・・・兄さん、なんだか、嬉しそうに見えるんだけど?」

「そ、そんなことはないぞ。」

むっつりとする岩城に、

雅彦は眼鏡のブリッジを摺り上げて、まっすぐに見つめた。

「だいたいな、お前を泣かせないって言っておいて、

この様じゃないか。」

「・・・それは、そうだけど。」

「迎えに来たって、入れてやらないからな。」

黙りこんで俯いた岩城に、雅彦は決然として言った。

口を尖らせて上目遣いに見返す岩城に、

雅彦は憮然として言葉を継いだ。

「離婚だ、離婚。わかったな。」






「わかんないよ。」

「まぁ、京介さん。

あの人、勢いで言ってるだけだと思うから。」

「なんでいきなり、離婚ってことになるんですかね。」

出かける雅彦を見送って、冬美は座敷に戻ると、

所在無げな岩城に声を掛けた。

「義姉さん、ごめんね。

迷惑かけちゃうと思うんだけど。」

「あら、」

冬美がころころと笑った。

「ここはあなたの家なのよ?」

「そうですけど・・・香藤が来たら、騒動になると思うから。」

「いいじゃない。香藤さん、飛んでくるんじゃないかしら?」

「それはどうかな。」

その顔を、ラウールは黙って見つめていた。

「お休みを貰ったと思って、ゆっくりすればいいわ。」

「そうします。」








それから二日経っても、香藤が来る様子はなかった。

日毎にイラつき出す岩城に、ラウールは困り果て、

何度か岩城の自宅からチャーリーへ電話を掛けていた。

「いや・・・リサイタルだってのはわかるんだけど。

マダムが・・・。」

『こっちもだよ。ヨウジが落ち込んじゃっててね。

金子が言うには、音は大丈夫らしいんだが、

無理してるのがはっきりわかるんだと。』

「やっぱり。

とにかく、電話入れてくれって言っといてくれ。」

『キョウスケのお守りは大変か?』

チャーリーの、からかうような声に、

ラウールは真顔で返事を返した。

溜息をつきながら電話を切った時、冬美が声を掛けた。

「ラウールさん、京介さんが探してたわよ。」

「あ、ありがとうございます。

それから、俺のことはラウールでいいです。」

「あら、どうして?」

「俺は、マダムのボディガードなので。」

その言葉に、冬美がくすくすと笑い出し、

ラウールは首を傾げて見返した。

「マダム、って京介さんのことよね?」

「はい。」

返事を返しながら、ラウールは苦笑を浮かべた。

「すみません。

いつもそうお呼びしているので、つい。」

笑って頷く冬美に会釈を返して、

ラウールは岩城の私室へ向かった。






「お呼びですか?」

軽く障子の桟をノックして、ラウールが声を掛けた。

岩城の声がして、障子が引き開けられ、

ラウールは長身を屈めながら中へ入った。

「お出かけですか?」

岩城のジーンズにジャケットを羽織った姿を眺めながら、

ラウールが声を掛けた。

「うん。買い物に行きたいんだ。」

頷いて、ラウールは借りている車のキーを取りに、部屋を出た。

「どちらに行かれますか?」

「日本橋に行って欲しいんだけど、わからないよね?」

「いえ・・・ナビ、付いてますから。」

いくらか不安気にナビを操作するラウールを、

岩城はにこにことして眺めていた。






老舗のデパートの本館、二階の紳士服売り場に入り、

岩城はラウールを振り返った。

「なにがいいかな、ラウール。」

「なに、と仰いますと?」

「ラウールの好きなブランドは?

ここ、色々あるんだけど。」

きょとんとしたまま見返すラウールに、

岩城はにっこりと笑った。

「だって、着替えとかなんにも持ってこなかっただろう?

いま着てるの、兄貴のお古だし。

いつまでも、それじゃ拙いよね。」

「あっ・・・。」

やっと気が付いて、ラウールは申し訳なさそうに、

長身を竦ませた。

「申し訳ありません。」

「いいよ。俺が急に出かけるって言ったんだから。

で、なにがいいかな?」

そう言われて、ラウールはフロアを見回した。

「特に好きなブランドってのは、ない、です・・・。」

目に入った高級ブランドのプレートに、

冷や汗をかきながら答えた。

「そう?香藤なら、アクア・スキュータムとか、ポール・スミスとかだね。

ラルフ・ローレンも着るし。」

そう言って、岩城はフロアを歩き出した。

なにげなく出てきた香藤の名前に、

後をついて歩きながらラウールがふと微笑んだ。

「あ、」

小さな声を出して立ち止まった岩城は、

並べられたシャツを見て、ラウールを振り返った。

「どうなさいました?」

「シャルベがあるよ、ラウール。」

「は?」

「好きじゃないのかな?

フランスのメーカーだけど?」

呆然とするラウールに、

岩城は小首を傾げて彼を見上げた。

「いえっ!好きとか嫌いとかじゃなくて、ですね。」

「え?」

「・・・200ユーロもするようなシャツ、着れません。」

「ああ、なんだ。値段は気にしなくていいよ。

必要経費だし。」

笑って首を振る岩城に、ラウールは思わず天井を仰ぎかけ、

ゆっくりと息を吐いた。

「そういうことでは、なくて・・・。」

言いかけて、ラウールは、

自分からこれは動かないと大変だと悟って、頷いた

「わかりました。選んでいいですか?」

「もちろん、君のだからね。」






「スーツと、ワイシャツと、靴下と、下着と、ハンカチもいるね。」

「は・・・そうですね。」

あれこれとフロアを見ながら、

岩城はワイシャツを、取り上げた。

「これなんか、香藤によさそうだな。

こっちは、少し地味か。」

独り言のように零れる言葉に、

ラウールは思わず笑みを零した。

本人はまったく自覚していないようで、

笑ったことを悟られないように、

ラウールは別の棚に視線を向けた。

「あの、これは?」

ラウールが触れたスーツを見て、岩城は首を振った。

「それはプレタだよ。」

「あ・・・あのぉ。」

ラウールがにっこりと笑って、そのスーツを掴んだ。

「俺、これがいいです。」

「でも、」

「マダム、これにします。」

周囲が、その呼びかけに仰天して振り返ったことに、

内心でしまった、と思いながら、

ラウールは岩城を見返した。

「いいのかい、これで?」

「はい。サイズがあればいいのですが。」

「お探しいたします。」

後ろに控えていた外商担当が、

そこに並べられたスーツを見始めた。

「じゃ、探しててよ。」

そう言って歩き出す岩城に、

ラウールが慌てて近寄った。

「どちらにいらっしゃるんですか?」

「下着とか見ないとね。」

「いえっ、マダム!

そういうのも、ブランドじゃなくていいですから!」

「そうは言うけど・・・。」

「お願いします。」

長身を折って頭を下げるラウールに、

岩城は少し顔を曇らせた。

「本当に、いいのかい?」

「いいんです。

俺、ブランド物なんて着たことがないですし。」

「いいじゃないか、別に。」

「そうじゃなくて・・・。」

日本人の中でも長身の岩城。

カジュアルなジャケットとジーンズを着ているが、かなり目立つ。

その岩城が、あれこれと、

自分の胸にスーツを当てて選ぶ姿は異様で、

周囲が目を点にしている。

店員や客達が唖然として見つめる中、

注視され続けていることに、

逃げ出したい心境を押さえて、

ラウールは溜息をつきながら答えた。

「俺、マダムのボディガードなんです。

そんなの着れません。」

「それこそ、関係ないと思うよ。」

「関係ありますって!」

ラウールの顔に困惑した表情を見て、

岩城は少し口を尖らせて、嘆息した。

「本当にいいの?遠慮はしてないね?」

「してません!」

わかった、とようやく頷いて、

岩城は担当を振り返った。

「ありましたか?」

「あ、はい・・・ですが、あの、お色が・・・。」

ラウールのサイズでは、これしかない、と差し出されたスーツ。

実に地味なグレーの、

野暮ったいとしか言いようのないそれに、岩城が顔を顰めた。

「駄目だよ、そんなの。

ラウールには似合わない。」

「いえ、これをお願いします。」

「駄目だって。格好悪いよ。」

顔を顰める岩城に、

ラウールはいたたまれずに溜息をついた。

「あの、マダム。」

姿勢を正してまっすぐに見つめるラウールを見上げて、

岩城はその真面目な顔に、思わず口を閉ざした。

「俺の仕事は、マダムの護衛です。

護衛は、目立っちゃいけないんです。」

それを聞いて、岩城はぷ、と吹き出した。

「なに言ってるんだ。

ラウールはなに着てても目立つじゃないか。」

「いえ、ですから・・・。」

苦笑を浮かべながら、ラウールは首を振った。

「背が高いだけです。

本来、護衛と言うのはですね・・・。」

「わかった、ほんとに、これでいいんだね?」

「はい。」

押し問答を経て、ようやく岩城が渋々と頷いた。

それでも、岩城はそのグレーというより、

鼠色といったほうがいいようなスーツを眺めて、

ぶつぶつと洩らしていた。

「俺だったら、亭主にこんなの着せないよ。」

「まぁ、そうですね。彼は着ないでしょうね。」

「当たり前だよ。俺がこんなの選ぶわけない。」

さらりと断言して、岩城はラウールを振り返った。

「あとは、ネクタイだけだね。一階にあると思うんだ。」

「あ、はい。左様でございます。」

二人の後ろから、

ラウールの選んだ服や下着類を両手に抱えて、

担当が答えた。

「もしよろしければ、後ほどご案内いたします。」

「ああ、ありがとう。」

にっこりと微笑む岩城を、

惚けたように見惚れる彼に、

ラウールは気の毒な視線を向けた。

レジに向かい、岩城はカードを取り出した。

それを受け取った担当が、小首を傾げて岩城を見返した。

「あの・・・私共のお客様カードをお持ちかと存じますが・・・。」

「ああ、今回はこっちを使うよ。

これは、別の経費なんだ。」

岩城が取り出したカードは、

香藤の名が刻印されたカードだった。

岩城の後ろで、ラウールはそのカードを見て、

カリカリと頭を掻き、密かに溜息をついた。






「どうかなさいましたか?」

ラウールが岩城の顔を覗きこむようにして、声を掛けた。

にこやかに話していたはずが、

買い物の途中から、岩城の顔色が冴えない。

「うん、別になんでもないんだけどね。」

「と、いうお顔ではありませんが?」

少し困った顔をして、岩城はラウールを見上げた。

「ラウールには、わかっちゃうんだね。」

「当然です。」

「うん・・・。」

岩城が、少し言いよどんで俯きかけラウールは、

心配気にその顔を見つめた。

「なんだか、ちょっとね。」

「はい?」

「誰でも出来るんだ、って思ったんだよ。」

ぽかんとするラウールに、岩城は周囲を見回しながら、笑った。

「夫婦連れの買い物客、結構いるだろう?

それ見てて思ったんだ。」

「は、」

「俺は、この十年香藤の買い物とか、

家のこととか、してきただろう?

俺がいないと駄目なんだ、って思ってきたんだけど。」

「それはそうです。」

ラウールの返事を聞きながら、岩城は軽く顔を顰めた。

「でも、あいつ来ないし。

なんか、俺じゃなくてもいいのかなって。」

「そんなことはありません。」

ラウールは、真剣な顔で岩城を見つめた。

「ヨージが来られないのは、リサイタルがあるからです。

来たくても、出来ないだけです。」

「それは、わかってるんだけど。

我儘なのかな。凄く腹が立つんだ。」

「はぁ・・・。」

「俺って、」

そう言って、黙った岩城が肩を落として呟いた。

「こんな嫌な奴だったっけ。」

「そんなことはありません。」

寂しげな岩城の顔に、ラウールは密かに困り果てて、宥めた。

「電話、かかってくると思いますから。」

「そうかな。」

岩城は、疑わしげに首を傾げた。





     続く




     弓




   2007年12月2日
本棚へ
BACK NEXT