Storm in a tea cup 3 岩城邸に戻って来たラウールは、 冬美から借りた携帯電話を返しに行き、 雅彦が電話を切るところに出くわした。 「あの、奥様は?」 「ああ、いるよ。」 部屋に通されて、ラウールは冬美に携帯電話を差し出した。 「ありがとうございました。」 「あ、それ使っててください。必要でしょう?」 そう言われて、ラウールは頭を下げながら、 雅彦の苦虫を噛み潰したような顔に、首を傾げた。 「どうかしましたか?」 「ああ、あいつから電話が何回も入ってて。 しょうがない奴だ。」 「はっ?あの、それは、ヨージ・・・。」 「そうだよ。今更なんだって言うんだ。」 「あのっ・・・。」 焦り巻くって、ラウールは身を乗り出した。 「そのこと、マダムには・・・?。」 「言ってないさ。言うわけないだろう?」 「いやっ・・・それは・・・。」 「なんでだ?」 ラウールは長い足を折り曲げるようにして座り、 雅彦を見つめた。 「お気持ちはわかります。 マダムのこと、心配されてるって。 でも、ヨージの浮気、というのは間違いなんです。」 「間違い?」 眉を顰めて、雅彦はラウールを見つめた。 「じゃ、ガセだって言うのか?」 「はい。」 大きな溜息をついて、雅彦はラウールを見返した。 「じゃ、なんであいつは帰ってきたんだ? 香藤の奴、その説明をしなかったのか?」 その当たり前の質問に、ラウールは苦笑を浮かべた。 「説明をしようとしたのですが、 マダムはヨージ達が帰ってくるのを待たずに、 家を飛び出されて・・・。」 「で、君はその説明をしてやってないのか?」 「俺から説明することではないです。」 「なるほど・・・で、突然のことで、 なにも持たずについて来たわけか。」 苦笑を見合わせて、雅彦は首を振った。 「まったく・・・ただの痴話喧嘩じゃないか。」 「はい・・・。」 くすくすと笑い声が聞こえて、二人は冬美を振り返った。 「少し時間が経てば、京介さんもわかるでしょ。」 「馬鹿馬鹿しい。ラウールがいい迷惑じゃないか。」 「いや、俺はいいんです。」 そう言いながらも、ラウールと顔を見合わせ、 期せずして、二人から、大きな嘆息が洩れた。 「京介さん、日奈のこと見ててもらえるかしら?」 実家に戻って、岩城はすることもなく、 部屋に篭る日が続いていた。 日に日に、暗い顔をするようになった岩城に、冬美が声をかけた。 「どうかしたんですか?」 「雅彦さんと出かけないと行けなくなってしまって。 義父さんと義母さんも、お出かけしているし。」 「ああ、いいですよ、義姉さん。行って来て下さい。」 雅彦と冬美の娘、日奈を抱き上げて、 岩城は玄関まで雅彦と冬美を送りに出た。 脇に清水がいて、「お一人で大丈夫ですか、若先生?」と声を掛けた。 「ラウールもいるから大丈夫だよ。 それに、俺はもう若先生じゃないよ、清水さん。」 「いえ、私達弟子には、ずっと若先生です。」 そう言われて、岩城は小さく笑った。 「俺、子供の相手って、したことがないんですが。」 「俺もだよ。」 ラウールが不安気に、縁側に座った。 二人の心配をよそに、 日奈は岩城の膝の上で、一人喋り続けていた。 「らうー?」 「あー、えっと・・・。」 「ラウール、だよ、日奈。」 「らう?」 ラウール、と言えない比奈が、きょとんと首を傾げる。 それを見ながら、ラウールは「ラウーでいいよ。」と笑った。 「女の子ですね、やっぱり。」 「え?」 「良く喋る。」 ラウールの言葉に、岩城は声を上げて笑った。 「あのね、あのね、」 「うん、なに?」 「あちたね、くるくる行くの。」 「くるくる?」 顔を見合わせて首を捻る岩城とラウールに、 日奈は、憮然とした顔をした。 「ちらないの?おすし。」 「ああ!」 笑って顔を見合わせ、岩城は日奈に頷いた。 「そうか。日奈はお寿司が好きなんだね?」 「ちがうの。パパがママと行きたいの。 だから、日奈、一緒に行ったげるの。」 それを聞いて、ぶ、とラウールが吹き出した。 昼食を食べて、日奈が昼寝をしている。 その姿を眺めながら、岩城がふと溜息をついた。 「お疲れになったんじゃないですか。」 「いや、大丈夫だよ。」 「子供って、タフですよねぇ。」 そう言って笑うラウールに、岩城は微笑して頷いた。 じっと、日奈の顔を見ていた岩城が、大きな嘆息を零した。 「マダム?」 声を掛けて、ラウールは、 立ち上がって縁側へ出る岩城を追いかけた。 「子供って、可愛いよね。」 「そうですね。」 返事を返しながら、岩城の沈んだ顔に、 ラウールは眉を顰めた。 「・・・兄貴の言う通り、なのかな。」 「は?」 「離婚、したほうがいいのかな・・・。」 「そんなっ、」 「そしたら、香藤にも子供が出来るし。」 「マダム!」 「あいつ、全然来ないし、電話もしてこない。 やっぱり、女の方がいいのかな。」 「違います!それは違います。」 俯いたまま唇を引き結び、黙りこむ岩城の姿に、 ラウールは口を開きかけて、彼も黙りこんだ。 なんと言っていいのか迷ううちに、 岩城の眦からつぅ、と涙が零れた。 「マ、マダム・・・っ、」 「ご、ごめッ・・・。」 拭っても拭っても、流れてくる涙に、 岩城の方が戸惑いラウールから顔を背けた。 「なんでだろ・・・止まらないよ。」 仕舞いには両手で、顔を拭い、 それでも止まらないことに、 岩城は自嘲したように肩を竦めた。 「男らしくないよね、こんなことで泣くなんて。」 「そんなことないです。」 ラウールが、そっと躊躇いがちに岩城の肩に手を置いた。 「あの・・・。」 「うん・・・ごめん。」 唇を引き締めて、声を耐える岩城に、 ラウールはおろおろとしていた。 引き攣る喉に、岩城は肩で大きく息を吐いた。 濡れた頬のまま、ラウールの腕を掴んで岩城は彼を見上げた。 その濡れた瞳と、頼りなげな顔に、 ラウールは冷や汗を掻いた。 「香藤・・・。」 小さな声に、ラウールが聞き返そうとしたとたん、 岩城がその肩に縋って泣き出した。 「うわ・・・マダ・・・。」 とっさに上げた手のやり場に困って、 ラウールはそのまま固まった。 「香藤・・・。」 しゃくり上げるのを我慢しながら泣く岩城に、 ラウールは躊躇いながら、 持ち上げたまま行き場所を無くしていた手を、 そっとその背に置いた。 出先から戻ってきた雅彦が、廊下の端で立ち止まった。 「・・・ッ・・・」 声を上げそうになって、雅彦は咄嗟に柱の陰に隠れた。 岩城がラウールと抱きあっている。 頭の中を、疑問が駆け巡り、雅彦は脇の部屋へ飛び込んだ。 香藤の浮気、は既に出鱈目な報道だとわかった。 では、あの姿はなんだ? ゲイじゃなかったはずの弟。 本当はそうじゃなかったのか? ラウールを誘ったのは、まさか? そう言えば・・・。 雅彦はラウールが来たばかりの頃、 岩城が甲斐甲斐しい、と言っていいほど、 彼の身の回りの面倒を見ていやっていたことを思い出した。 箸の使い方、風呂の入り方などを実に丁寧に説明し、 上手く箸を使えないラウールに笑い転げた。 ラウールを客間に案内したら、 そこに布団を敷きかけた岩城がいて、 ラウールが慌てて止めると、岩城は、 「だって、ラウールは布団の敷き方なんて知らないだろう?」と笑った。 恐縮するラウールに、 岩城は優しげな笑みを浮かべていた。 ある時は、岩城が部屋におらず、 探すとラウールのところにいて、 フランス語で楽しげに話していた。 二人で会話するときは、フランス語だな、 と気付いて、雅彦は眉を顰めた。 そうして考えているうちに、 今回の家出の理由にまで疑問が浮かんで、 雅彦は腕を組んで唸った。 「お呼びですか?」 「ああ・・・うん。座ってくれ。」 雅彦の私室に呼ばれ、 ラウールは座卓の前に座った。 その、座りにくそうな姿を見ながら、 雅彦は気の毒な顔をした。 「まだ、慣れないだろう?」 「いえ、大丈夫です。」 「うちは、比較的天井が高く作ってあるんだが。 それでも、頭をぶつけそうだな。」 「無駄にでかいだけですから。」 笑いながらそう答えるラウールを、 雅彦は内心で、「いい奴なんだがな。」と、一人ごちた。 「お話というのは?」 「ああ・・・そのことなんだが・・・。」 言いにくそうに、雅彦はラウールを見返した。 一つ、咳払いをすると、 雅彦は視線を逸らしながら、口を開いた。 「え・・・その・・・どう考えても、京介が悪いと思うんだが・・・。」 「は?」 首を傾げるラウールに、 雅彦はたたみかけるように話し出した。 「多分、いや、きっと、誘ったのは京介の方だと思うんだ。 俺は、京介はホモじゃないと思ってたんだが、 ひょっとしたらそうだったのかも知れんし。だから、」 「あ、あの、一体どういう・・・?」 「だけど、香藤とそういう仲なわけだし。 あいつが浮気してるんじゃないとしたら・・・。」 「す、すみません、よくわからないんですが?」 思い切り不審を露に見返すラウールに、 雅彦は顔を引き締めた。 「すまん、京介と別れてくれ。」 「・・・はあッ?!」 「君が京介のことを大事に思ってくれているのは、 見ればわかる。君はいい男だと思うし。だがな、」 そう言われて、ラウールは飛び上がった。 「ちょ、ちょっと待ってください!俺は、」 焦り巻くって、ラウールは、 雅彦の誤解を解こうと、必死で言葉を並べた。 「・・・違うのか?」 「違います!」 座卓を叩くように手をついて、 ラウールは身を乗り出した。 「いや、・・・あの、さっき、京介と抱き合ってて、だな。」 「あー・・・。」 どすん、と畳に尻をついて、ラウールは天井を見上げた。 「あれは、ヨージのことで泣かれて・・・。」 「なんだ、そうなのか?」 呆然として、雅彦はラウールを見返した。 「す、すまん・・・。」 「いえ・・・確かに、マダムと俺は、 依頼主の奥様と護衛、としては仲がいいと思います。」 「うん・・・それは思ってた。」 「それは、ヨージとマダムのお人柄が大きいです。 友人のように接して頂いてます。 それは、非常に珍しいことなんです。」 「そう・・・なのか。 俺は、護衛付きの生活なんて知らないからな。」 「はい。それに、」 「それに?」 聞き返されて、ラウールは微苦笑した。 「俺、へテロなんで、あり得ません。」 「ヘテロ、って?」 「ああ、女が好きな男のことです。 ホモじゃないってことで。」 雅彦が、口を開けたままラウールを見返した。 「そうじゃなかったら、 ヨージが俺をマダムの護衛につけるわけがありません。」 「そっ・・・それは、そうだな。すまん。」 「いえ、良く勘違いされるんです。 マダムのお買い物とか、パリでもご一緒しますが、 大抵ヨージの服を選ばれる時、 俺の背中貸してくれって言われたりするので。」 「君の背中?」 「はい。」 少し溜息を吐きながら、ラウールは肩を竦めた。 「俺の背中に、服を当てて、 ヨージにはちょっと大きいとか、小さいとか。」 そう言って、笑うラウールを、 雅彦はぽかんとしたまま見返した。 「それに、マダムは美人ですからね。」 「は、はは・・・美人?」 「はい。」 そこだけは真顔で頷くラウールに、 雅彦は思わず顔を引き攣らせた。 「有名ですよ、マダムは。 あのヨージ・カトウの、とびきり美人の奥方、って。」 思い切り顔を顰めて、雅彦は首を振った。 「なんだかな・・・弟、なんだけどな。」 「・・・まぁ、そうなんですが。」 「と、とにかく、誤解してすまない。」 雅彦がそう言って、ラウールに頭を下げた。 「・・・今度、電話が来たら、繋いでやろう。」 「ええ、ぜひ。」 にっこりと笑うラウールに、雅彦はむっつりと頷いた。 『わぁー、岩城さん、岩城さんだー、やっと声聞けたよー。』 「なに言ってんだ。」 『だって、携帯使えないし。』 「かけて来なかったくせに。」 『したよ!ほとんど毎日、してたよ!』 「え・・・?」 電話を繋いでもらえなかったと、 香藤から聞かされて岩城は少し口篭った。 『岩城さん?』 「ああ、いや・・・すまん、知らなかったんだ。」 『だと思った。』 「兄貴は・・・まったく・・・。」 『仕方ないよ。それでね・・・、』 その電話で、岩城はあのスクープ写真の真相を聞かされ、 電話を掴んだまま、その場にへたり込んだ。 「そっ・・・。」 『わかった?』 「う・・・。」 『岩城さん?岩城さん?』 電話の向こうから、香藤が呼びかける声に、 岩城はなんと言えばいいのか困りはて、 顔を真っ赤にして俯いた。 『聞こえてる?岩城さん?』 「き、聞こえてる。あの・・・か、香藤?」 『うん?なに?』 「お・・・怒ってないのか?」 『俺が?なんで?』 「なんでって・・・俺、勝手に家を飛び出したし・・・。」 床の上に正座をして、岩城は受話器を耳に当てたまま、 着ていた上着の裾を掴んだ。 『そんなの、俺がちゃんとあのとき説明すれば良かったんだもん。 それに、それより前にああいうのが載るって、 事前にわからなかったほうが悪いし。 岩城さんは、悪くないよ。』 「香藤・・・。」 『ごめんね、岩城さん。』 香藤の真摯な声に、岩城は唇を震わせ、頷いた。 「俺の方こそ、すまん。」 聞こえてくる、小さな、頼りなげな声に、 香藤は驚いて声を上げた。 『岩城さん、泣いてるの? 駄目だよ、泣かないでよ。』 「うん・・・。」 『あと三日したら、そっちに行けるから。 迎えに行くから、待ってて。』 「わかった。」 電話を切り、座りこんだまま動かない岩城を、 雅彦とラウールは見つめていた。 「なんだかんだ言って、仲いいんだよな。あいつらは。」 「それは、もう。」 「痴話喧嘩も終わりか。」 雅彦の、少しだけ寂しげな顔を、 ラウールは微笑んで頷いた。 その三日後、香藤が金子とチャーリーを伴って、 岩城の実家に到着した。 玄関でしっかりと岩城を抱えこみ、 「ごめんね。」と繰り返す香藤に、雅彦が呆れた顔を浮かべた。 「まったく、人騒がせな。」 「ごめんなさい。」 香藤がそう言って、謝ると、 岩城はむっとしたまま雅彦を振り返った。 「だいたい、最初から兄さんが電話を繋いでくれてたら、 騒ぎにならなかったんだ。」 「仕方ないだろう。 こっちは浮気したんだと思ってたんだから。」 憮然とする雅彦をよそに、岩城は香藤を見上げた。 「すまない。」 首を振って、香藤はそっと岩城の頬を両手で挟んだ。 玄関で、皆が見ている中、 止めるまもなく香藤が岩城の唇を塞いだ。 唖然として二人を眺めている中、 ラウールは、その二人を口を開けて見ている日奈に気付いて、 咄嗟にしゃがみ込んだ。 日奈の両目を片手で塞ぐと、 冬美がそれを見てくすりと笑い、 日奈を抱き上げて奥へ入て行った。 「・・・ん・・・。」 薄っすらと紅の滲んだ目元で香藤を見上げる岩城に、 雅彦は顔を顰め、ラウールはその三人を眺めて密かに微笑んだ。 続く 弓 2007年12月2日 |
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