These are the days of our lives

         −チャンピオンの休日 12−









「・・・あのさぁ、」

香藤が腰に両手を当てて、庭先に駐めてある岩城の愛車を眺めながら、

口を開いた。

「なんで、レンジローバーなわけ?」

「なにがだ?」

岩城は、バスケットを抱えて助手席のドアを開けた。

「だからさ、なんでレンジローバーに乗ってるわけ?

前から聞こうと思ってたんだけどさ。」

「前って?」

「岩城さんが、ここに引っ越して来たとき。」

チッピング・カムデンにある香藤の家に、

シーズンが終わった後、

岩城はロンドン市内にあったフラットを引き払って移り住んだ。

香藤がそれを望んだからだが、岩城にも否やはなかった。

それは、瞬く内にニュースとして流れ、

取材陣までやってきて、

一時、香藤の家はちょっとした騒ぎに巻き込まれた。

雑誌社の取材を受けそれが発売されて、

また騒ぎにはなったが、ようやくそれも静まり、

正月が明けて、静かな日が続いていた。

「なにか文句でもあるのか?」

「文句って言うか・・・岩城さんなら、

もっと違うのが似合うと思うんだけどな。」

「仕事で必要だって言っただろうが。いやなら、乗らなくていい。」

岩城は、バスケットをシートの上に乗せると、香藤に顎をしゃくった。

「どうするんだ?散歩に行こうといったのは、お前だぞ?」

「あ〜・・・あのさ、やっぱり俺、助手席なわけ?」

「あたりまえだ。俺の車だぞ、これは。」

「へ〜い。」

香藤は助手席に置いたバスケットを取ると、そこへ座った。

運転席に座り、岩城が憮然とした顔をした。

「俺の運転が不満なのか?」

「不満じゃないけどさ。」

「お前と違って、俺は普通の人間なんだ。

F1ワールドチャンピオンから見たら、下手くそかも知れないがな。」

香藤が首をかしげ、その後肩をすくめた。

「下手くそじゃないね、岩城さんは。」

香藤はグローバーオール社製の、

キャメル色のダッフルコートを着て、バスケットを抱えていた。

そっと手を伸ばして、岩城の着ているダウンコートの肩を撫でた。

「似合うね、岩城さん。」

「そうか?」

にこ、と岩城が笑った。

「さて、どこへ行こうって言ったっけ、お前?」

「オックスフォード。グレイトミルトン、ってとこだよ。」

「なんで、また?」

「そこにさ、俺の友達がやってる、

オーベルジュ(宿泊の出来るレストラン)があるんだよ。」

へぇ、と岩城がクラッチを踏み込んで、香藤を振り返った。

ギアをローに入れながら、岩城は笑い出した。

「お前の交友関係は、どうなってるんだろうな。

シェフの友人がいるとは、知らなかったぞ。」

走り出した車の中で、香藤は申し訳なさそうな顔で、

岩城の顔を横から見つめた。

「ごめん、言わなくて。

友人って言うか、年はかなり上なんだけど、

前に食べに行ってから、なんか仲良くなってさ。」

「誰なんだ、そのシェフって?」

「あ、レイモン・ブランだよ。」

「なんだって?!」

岩城が慌ててブレーキを踏んだ。

「うわっ!ちょ、岩城さん、どうしたの?危ないよ?」

香藤は慌てて後ろを振り返り、

後続車がいないことにほっと息をついた。

「どうしたのって、二つ星のレストランじゃないか。

イギリスじゃ、超がつくほど有名だ。」

「うん、岩城さん、よく知ってるね?」

呆れたような顔で、岩城は香藤を見つめ返した。

「知らない奴なんているのか?」

「そうだっけ?」




その頃、オックスフォードのレイモンのオーベルジュに、

続々と人が集まってきていた。

「すっごいレストランだな。」

「まったくだ。」

15世紀のマナーハウスを改装したその店には、広大な庭園がある。

その庭園の中に建てられたレストランの入り口で、

マクガバン・チームのスタッフ達が辺りを見回して、呆れていた。

「全員、呼ばれたんだろ?」

「ああ、ヨウジが呼べって言ったんだそうだ。

ジェームズがそう言って、笑ってたよ。」

「うちのかみさんさぁ、やたら張り切っておしゃれして。」

そう言って彼は妻を振り返った。

「俺と出かける時なんか、普段着のままなのにな。」

「うるさいわね。」

笑い声が上がる中、ジェームズがドアを開けて出てきた。

「みんな、なにやってるんだ、さぁ、入って、入って。」

ぞろぞろと中へ入ってくるスタッフ達を、

ジェームズは嬉しそうに眺めていた。

「さすがに全員だと、多いな。」

歩き出しながらジェームズが笑った。

「なにを言ってるんだか。

自分とこのスタッフが何人いるか、知ってるだろうに。」

「そうなんだが。ヨウジが全員呼ぶ、って言うんでな。」

並んで歩いていたメカニックのマークが、

ジェームズのその言葉に、首を振った。

「なんて言ったんだ、ヨウジは?」

聞こえた会話に、周囲が興味深々でジェームズを見つめた。

「みんな、俺にとっては大事な人たちだから、ってさ。」

少しの沈黙の後、ジェームズが続けた。

「名前しか知らなくても、俺のマシーンを作ってくれてる人たちだ。

呼ばない方がおかしい、とさ。」

マークがまるで自分のことのように嬉しげに笑った。

「そりゃ、ヨウジならそう言うだろうな。」

「ジェームズ!」

その時、後ろから声がして、みなが振り返った。

オーナー・シェフのレイモンが、

エプロンをつけた姿でニコニコとして立っていた。

「久しぶりだな、レイモン。」

「ようこそ。ヨウジの披露宴をここで、って言われたときは驚いたが。」

「やろうって言ったのは、ヨウジ自身なんだ。

みんなに、紹介したいからってな。」

「キョウスケのことなら、みんな知ってるのに。」

マークがそう言って笑った。

「あら、私は会ったことないわよ?」

工場の庶務を任されている女性が、そう言って軽くマークを睨んだ。

「聞いてはいるけどね。

取材に来たとか、ヨウジと結婚したとか。でも、信じられる?」

「なにが?」

「あのヨウジがよ?男と結婚、なんて。」

周りが口々に同意するのを、ジェームズが苦笑していた。

「あら、キョウスケなら、会ったことあるわよ。」

「そりゃ、あなた、広報だからでしょ。」

レイモンが、そのやり取りをくすくすと笑いながら眺めていた。

「何にせよ、あのヨウジ・カトウが選んだ男だ。そうじゃないか?」

「それはそうだ。」

マークが頷いてジェームズを振り返った。

「確かに、ヨウジは見る目がある。

友人として言わせてもらうが、キョウスケはいい男だぞ。」

「それは、実際見てから考えることにするわ。」

集まっていたスタッフのうち、

香藤や岩城に会ったことのない者達は、その言葉に大半が同意した。

「やれやれ。」

「仕方ないじゃないか、ジェームズ。

私も、キョウスケに会えるのを楽しみにしてるんだ。」

レイモンがそう言って笑った。






1時間ほど走って、オックスフォードに入ると、岩城は溜息をついた。

「参ったな。」

「どうしたの?」

ちらり、と香藤に視線を送って、岩城は肩をすくめた。

「ジーンズだぞ、俺達。」

「え?」

「え、じゃないだろうが。ジーンズで入れる店じゃないぞ、あそこは。」

香藤はくすっと笑うと、ギアの上に乗せられた岩城の手を叩いた。

「大丈夫だよ、俺、いつもジーンズだもん。」

「・・・お前が無頓着なのか、向こうが気にしてないのか、

F1チャンプだから特別扱いなのか・・・。」

「全部、かもね。」

けらけらと笑う香藤に、岩城は笑って肩をすくめた。




レイモンのオーベルジュ、

「ル・マノワール・オ・キャトル・セゾン」の門の中に、

レンジ・ローバーが滑り込んだ。

車を駐車場に止めて、

香藤が助手席からバスケットを持って飛び出し、

さっと運転席側に回ってドアを開けた。

「なにやってんだ?」

「奥様、お手を、ってやつ。」

「馬鹿か。」

香藤が、左手を差し出し、笑っていた。

その手をしげしげと眺め、岩城はぱし、と一度叩いて右手を重ねた。

ぎゅ、と握り返してくる香藤を見つめて、岩城は微笑んだ。

「ほんとにジーンズでいいんだな?」

「うん、いいんだよ。」

香藤はそう言って、片手にバスケットをぶら下げて、

岩城の手を引いて歩き出した。

岩城の右手の肌に、香藤の左薬指にある指輪が当たっていた。

ふ、と自分の左手を上げてその薬指にある同じ指輪を眺めた。

「どしたの?」

「いや、なんでもない。」

「そう言えば、結婚してから指輪して出かけるのって、初めてだね。」

「・・・あのな。」

岩城の低くなった声に、香藤が振り返ると、

片眉を上げた岩城の顔があった。

「なに?」

「こういう出かけ方をすること自体、初めてだと思うぞ?」

「あれ、そうだっけ?」

「前は、事件がらみで出かけるだけだっただろう。」

「あ、そっか。じゃ、初デートなんだ、これ?」

「そういうことだ。」

香藤が白い歯を見せて笑った。

「嬉しいね、岩城さん。」

まるでその場で、飛び跳ねそうな香藤に、

岩城は呆れながら笑っていた。




「いらっしゃい、ヨウジ。」

コートを預けていると、シェフの制服を着た男が、

岩城と香藤を出迎えた。

ウェイターにバスケットを預けて、香藤はその男に片手を差し出した。

それを見て、手をつながれたままだという事に気づいた岩城が

離そうとする手を握りこんで、香藤がにっこりと笑った。

「こんにちは、レイモン。」

その名前に、岩城ははっとして彼を見あげて、余計に慌てた。

「香藤、手を離せ。」

「やだ。」

「指輪をしていて、離せはないと思うけどね、キョウスケ。」

「えっ?あ、それは・・・。」

「はじめまして、キョウスケ。ヨウジから聞いてるよ。ようこそ。」

「こ、こちらこそ、はじめまして。」

苦笑いしながら、岩城は差し出された彼の手を握った。

香藤に引っ張られるまま、ドアをくぐる二人に、レイモンが言った。

「封筒が届いてたから、部屋に入れといたよ、ヨウジ。」

「あ、ありがとう。」

「部屋?」

「うん。」

そう短く答えて、香藤は案内されるまま、庭へ出た。

「部屋って、何だ?」

「後で、わかるから。」




「・・・ほんとに、ジーンズで何にも言われないんだな。」

笑ったまま香藤は岩城を振り返った。

「だから言ったでしょ?」

「おまけに、オーナー自ら案内とはね。」

「え?いつもだけど?」

能天気な香藤の返事に、岩城は黙ったまま首を振った。

「呆れてる?」

「いや、なんて言うか・・・。」

岩城のつく溜息に、香藤はぎゅ、と手を握り直した。

「また、変なこと考えてるね?」

「変って、普通じゃないからな、お前の生活は。」

「そうかなぁ?」

「自覚しろ。俺は庶民だ。」

くすり、と香藤が笑った。

「俺もだけど。」

はっ、と呆れたように岩城は息を吐いて香藤を振り返った。

「なにを言ってんだ。」

「いいじゃない、気にしないの。」

前を行くレイモンが、その会話に肩を揺らして笑っていた。




「おめでとう!」

庭に建つレストランの扉を開けた途端、

クラッカーの派手な音と、拍手と歓声に、

岩城は驚いてその場に立ち尽くした。

香藤が手を引っ張って、岩城はようやく歩き出した。

「ありがと、みんな!」

香藤が満面の笑みで歩く中、

岩城は呆然としてその100人を超す人たちの間を進んでいった。

「ジェームズ、これはいったい・・・。」

「わけなら、ヨウジに聞いてくれ。

私はヨウジに言われて、みなに声を掛けただけだよ。」

「内緒にしてて、ごめんね。」

「・・・まったく。」

その二人のやり取りを見ていたジェームズが、

少し唸るような声を漏らした。

「どうしたんだ、ジェームズ?」

「・・・キョウスケ、君・・・。」

香藤の傍らに立つ岩城の姿に、ジェームズは呆れて首を振った。

身体にぴったりとしたシャツと、ローライズのジーンズを穿き、

腰に香藤の腕を絡めたまま、岩城は平然として立っている。

その姿から、今までには感じたことのない妙な色気が漂い、

ジェームズは思わず絶句した。

「なんというか・・・。」

その彼の顔に、香藤はにやり、と笑った。

「ずいぶん色っぽくなったでしょ?」

「ばっ・・・なに言ってんだ!」

赤くなって香藤を殴ろうとして捻った身体から、

零れ落ちるような色気が漂っている気がして、

ジェームズはますます唸った。

「たしかに、見違えるな。」

「ジェームズ、君までなにを・・・」

苦笑する岩城に、ジェームズは笑った。

「人妻、ってのは、色っぽいもんだよ、キョウスケ。」

今度は、岩城が唸る番だった。




「おめでとう、ヨウジ。」

「驚いたわ、キョウスケ、ほんとだったのね。」

口々に、お祝いを言われ、手を差し出す人たちに、

香藤は満面の笑みを浮かべてその手を握り返した。

「あ、あなたがマイラなんだ!いつもありがとう。」

「どういたしまして、ヨウジ。」

庶務を任されているマイラが、にっこりと笑った。

傍らに立つ岩城を見つめて、呆れて首を振った。

「どうしてあなた達みたいないい男が、

二人してくっ付くの?もったいない。」

周囲から笑い声が上がり、岩城と香藤も顔を見合わせて笑った。

岩城にも、おめでとうの声が大勢から掛けられた。

その一つ一つに返事を返しながら、岩城の眉が寄せられていった。

それに気づいた香藤が、岩城の肩を摩った。

「どうしたの?」

「・・・なんでもない。」

香藤が声を掛けた途端、岩城の頬に、つ、と涙が伝った。

「岩城さん?!」

「すまん・・・。」

く、と唇を噛む岩城を香藤が抱き込んだ。

「反対されると思ってた?」

「当たり前だ!」

その二人を、周囲が取り囲んで見つめていた。

目を閉じて、天井を向いて息を吐く岩城の背を、

香藤はゆっくりと撫でた。

「お前は、このチームの大事なドライバーなんだ。俺なんかが・・・。」

「その、なんか、って言うのやめようよ、岩城さん。」

「でも・・・。」

「岩城さんの言うとおり、

このチームのメンバーは俺にとっては大事な人たちだよ。

だから、紹介しないといけないと思ったんだ。

でも、反対されるなんて心配はしなかったよ、俺は。」

「能天気な奴・・・。」

岩城が泣きながら笑った。

「誰も反対なんてしないわよ。」

ジェームズの妻、シーラがにっこりと微笑んでいた。

「シーラ・・・。」

「そんな人がもしいたら、このチームにはいられないわ。

そうじゃない、ジェームズ?」

「まったくだな。もしいるんなら、私が追い出そう。」

白い歯を見せて岩城に頷き、

こつん、と岩城の額に自分の額をつけて、香藤が囁いた。

「ほら、言ったでしょ?もう、泣かないの。ん?」

「ああ、」

「・・・なんだか、人が違ったな、キョウスケは。」

「そりゃ、俺が愛してるからだよ。」

呆れる周囲に、香藤は岩城を抱きこんだまま、ぺろりと舌を出した。





     続く



     弓

 

  2006年11月23日
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