These are the days of our lives −チャンピオンの休日 14− 「大丈夫?」 香藤が玄関のドアを開けて、それを支えた。 岩城は顔をしかめて背筋を伸ばすと、とんとんと腰を叩いた。 「ああ、大丈夫だ。ちょっときついが、そうも言っていられない。」 ジャーナリストとしての仕事。 各F1チームが、早いところは1月の終わり頃からテスト走行を始める。 来年のマシーンが登場するとあって、記者達もこぞって動き出す頃だ。 岩城もまた、その内の1チームの取材へ向かおうとしていた。 「今日中に帰ってこられるの?」 「ああ、帰る。国内で助かったよ。」 レンジローバーのドアを開け、香藤は助手席に岩城のバッグを置いた。 少し屈託のある香藤の顔に気付いて、岩城はその頬を両手で挟んだ。 「どうした?」 「ううん。なんでもないよ。」 「ほんとか?」 頬を挟まれたまま、香藤はにこりと微笑んだ。 「気をつけてね。」 岩城の腰を抱き寄せて、香藤は軽く唇を啄ばんだ。 「ああ、じゃ、行ってくる。」 リビングに戻った香藤は、ダイニングテーブルに着いて、 ぽてり、と頬をテーブルにつけた。 そのまま溜息をつく香藤に、アビーが肩をすくめた。 「男同士って、大変ね。」 「え・・・?」 テーブルに突っ伏したまま、香藤はくるりと首を回してアビーを見上げた。 「仕事に行かないで、なんて言えないもんね。」 「それは女性もでしょ?」 アビーは笑いながら首を振った。 「そういう意味じゃないわよ。」 「・・・あ〜・・・。」 腑に落ちた顔で、香藤は苦笑した。 「男のプライドって、時々邪魔になるんじゃない?」 「うん、まぁね。」 溜息をつく香藤の足に、ブレイクが擦り寄り、彼を見上げた。 「慰めてくれるわけ、ブレイク?」 ぴょん、と香藤の膝の上に飛び乗ると、 ブレイクは「み」と一声鳴いて香藤の手を舐めた。 「どうしたもんかなぁ、ねぇ、ブレイク?」 「どうだい、新しいチームメイトは?」 「マッシモ?いい奴だよ。若いけど、腕はあるね。」 「そうか。どうもありがとう、フェルナンド。」 岩城が、テーブルの上に置いたレコーダーのスイッチを切りながら、 微笑んだ。 「いいよ、キョウスケに取材されるっていうのは、 来年俺達が注目されるってことが確かになるってことだから。 こっちこそ、ありがとう。」 フェルナンドは、20歳でF1デビューを果たすと、 戦闘力の劣るマシーンで上位を追い掛け回し、 その才能を認められて、上位チームに移籍した。 まだ20代の彼は、 年上の、名の通った有名なF1ジャーナリストである岩城の取材を、 嬉しげに受けていた。 パドックに設えられたカフェで、 岩城はこのチームのナンバー1ドライバーに、にっこりと笑いかけた。 岩城が言葉を続けようとすると、ポケットに入れた携帯が鳴り出した。 「すまない、ちょっと。」 「あ、いいよ。」 取り出した携帯の液晶に、HOME、の文字を見て、岩城が微笑んだ。 「・・・もしもし、」 話し始めた岩城と、その言葉を聴いていたフェルナンドは、 取材の間の彼の表情の違いに、驚いて椅子に座り直した。 「ああ、そうか。香藤、お前の・・・あ、来週戻ってくるのか。 俺?俺は今、取材中・・・フェルナンドだよ・・・ああ、そうだな。」 岩城はそう言いながら、目元でフェルナンドに笑いかけた。 「あと少ししたら、戻る。わかってる・・・は?馬鹿、なに言ってんだ。」 苦笑しながら電話を切った岩城は、 呆然として自分を見ているフェルナンドに気付いた。 「申し訳ない。話の途中で。」 「あ・・・いや・・・今の、ヨウジ?」 「ああ、そうだよ。」 「・・・ヨウジ、俺のことなんか言ってた?」 恐る恐る聞く彼に、岩城は肩をすくめて首を振った。 「馬鹿みたいなことばっかりだよ、残念ながらね。」 そう言って笑う岩城を、フェルナンドが驚いて見返した。 「ひょっとして、早く帰って来いとか?」 「当たり。」 「チャンピオンに大事にされてんるんだな、キョウスケは。」 「そう、だな。」 くすぐったそうに笑う岩城に、フェルナンドは肩をすくめた。 「パーティーに出るのも、チャンピオンの仕事のうちか。」 「そうだよ。岩城さんだって、よく知ってるでしょ?」 翌日、ブラックタイに着替えた二人は、 岩城のレンジローバーで出かけた。 「知ってはいるが・・・俺も行かないといけないってのはな・・・。」 「当たり前じゃない。俺のパートナーなんだから。」 「そうだけどな・・・。」 ある企業家が催すパーティーに、香藤は毎年招待を受けていた。 彼は香藤のファンで、個人的に出資もしていた。 香藤のレーシング・スーツの隅っこに自分の名があることが、 彼の最大の自慢だった。 「岩城さんを連れて来てくれって言われてるしさ。 ちょっとの間だから、我慢してて。」 「わかった。」 ロンドンのピカデリーサーカスの傍にある、 一見、こぢんまりとしたレストラン、「ジ・アイビー」。 半年先の予約を取るのも難しいといわれる、 そのレストランを借り切って、毎年パーティーが行われる。 香藤が来るこのパーティーに呼ばれることが、 招待客たちのステイタスになっている、という噂さえある。 近くに車を止めて、岩城と香藤は店の前まで歩いた。 このパーティーの主催者である、フィリップ・グリーンが、 顔中を笑いに崩して、両手を広げ、 まるで抱きつかんばかりに香藤達を迎え出た。 「よかった、来てくれて。今年は駄目かと思ってたんだ。」 「どうして?」 「いろいろ、あったからね。心配していた。」 「ありがとう。俺は、大丈夫だよ。」 香藤は握手をしながら、笑顔を向けた。 その笑顔のまま岩城を振り返り、片手を差し出した。 「彼が、キョウスケ・イワキだよ。よろしくね。」 「ああ!もちろん知ってるとも! 事件解決の協力者で、君のパートナーだからね! ジャーナリストとしても、大したものだ。」 「ありがとうございます。いつも、洋二がお世話になって・・・。」 「当然だよ!当然だとも! 私は彼の大ファンなんだ。 こうやって、年に1回会えるだけでも、嬉しくてね。」 恰幅のいい身体を揺すって、ニコニコと子供のように笑う彼に、 岩城は微笑んで頷いた。 食前酒を載せたトレイを片手にするボーイから、 香藤はシャンパングラスを二つ受け取って、岩城に差し出した。 フィリップがニコニコとしながら、ずっと傍に立っている。 部下、と思われる男が時折彼を呼びに来ると、 残念そうな顔で挨拶をして、呼ばれた方に行く彼の後姿を眺めながら、 岩城はくすくすと笑った。 「ほんとに、彼はお前のことが好きなんだな。」 「うん。なんか、こっちがくすぐったくなるくらいだよ。」 「そういえば、去年はこの中に入れなくて、前のカフェで待ってたんだ。」 「あ・・・そうだったね!」 香藤が思い出したように、笑顔で岩城を見つめた。 「そう思うと、不思議な気がするな。」 「今は、俺の隣にいるんだよ、岩城さん。」 「ああ、そうだな・・・。」 岩城が口を開きかけたとき、フィリップが声を掛けた。 「ヨウジ、すまないがちょっといいだろうか?」 「うん、なに?」 岩城と香藤が振り返ると、フィリップに連れられて、 二人の男が立っていた。 見るからに、体格のいい男と、20代と思われる黒髪のスレンダーな男。 「あ・・・。」 香藤が微かに声を上げた。 岩城はその声を聞きつけ、香藤を振り返った。 「ん?」 「あ、ううん。なんでもないよ。」 「ヨウジ、会えて嬉しいよ。」 フィリップに紹介されて、男は香藤の両手を握った。 「こちらこそ、あなたのことはフィリップから聞いてます。」 「今年はフィリップに我がままを言ったんだ。ヨウジに会いたいってね。」 「それはどうもありがとう。」 男は連れを振り返り、香藤に向けて笑顔を浮かべた。 「彼は、リカルド。私のパートナーなんだ。」 香藤が手を差し出し、口を開こうとした。 すると、リカルドが先に、にこりと笑って片手を差し出した。 「こんにちは、シニョール。」 「あ、こんにちは、リカルド。」 握手をして、リカルドは岩城に視線を向けた。 白い肌に背の半ばまでのばした黒髪が映え、 赤い唇が印象的なその彼を、岩城は目を見開いて見ていた。 細身のタキシードを着こなし、物腰の柔らかいリカルド。 不思議な色気が漂うその姿は、周囲の注目を浴びていた。 「キョウスケ、はじめまして。」 「ああ、はじめまして、リカルド。」 握った手が、彼の微笑のようにふわりとして、 岩城は自分の手が無骨なように感じた。 「彼、すごく素敵だね。」 リカルドがパートナーを振り返って、話しかけた。 「そりゃあ、ヨウジが選んだ男だからね。」 そう答える男に、リカルドがにっこりと頷いた。 「じゃ、また後で、チャンピオン。」 男がリカルドを促して、奥へと向かった。 周囲が、さわさわとリカルドに視線を向け、 彼を知っているかのような光景を、岩城は不思議そうに見ていた。 香藤が岩城に声を掛けて、近づいてきた客に挨拶を始めた。 リカルドを視線で追いかける岩城に気付いたフィリップが、 こっそりと耳打ちをした。 「綺麗な男だろう?」 「ええ、そうですね。」 「あれはね、有名なレントボーイ(男娼)なんだよ。」 「・・・え?」 岩城が驚いてフィリップの顔をまじまじと見つめた。 「高級なんだ、彼は。ああいう客ばっかりだよ、彼の相手は。」 「そう、なんですか・・・。」 「初めて見たって顔だね、キョウスケ?」 「ええ、まぁ・・・。」 ちょっと肩をすくめて答える岩城に、フィリップが目を細めた。 「仕事一筋だったんだろう、キョウスケは。 ずっとジャーナリストのトップにいて。」 「いや、そんなことはないですよ。」 そこへ、香藤が戻ってきて、するり、と岩城の腰に腕を回した。 「なに、フィリップと仲良く話してんの?」 「仲良くって、お前なぁ・・・。」 「おいおい、ヨウジ、誤解だよ。」 フィリップが困って両手を挙げると、香藤は笑いながら首を振った。 「わかってるよ、フィリップ。」 「まったく、ヨウジの大事な男に変な真似なんかしないよ、私は。」 香藤は岩城を抱えたまま、くすくすと笑った。 「まったく、しょうがない奴だな。」 岩城が笑い返し、周囲はその光景に微苦笑を浮かべていた。 「あれ・・・?」 香藤がふと、辺りを見回した。 「どうしたんだ、ヨウジ?」 「あ、うん、京介を知らない?」 「さて・・・そういえば、姿が見えないな。」 フィリップも周囲をぐるりと見て、首を傾げた。 「どこへ行ったのかな・・・。」 ポツリ、とこぼす香藤に、フィリップがにんまりとして笑った。 「変わったね、ヨウジは。」 「え?そうかな?」 「真面目になった。遊んでる噂なんて、とんと聞かなくなったぞ。」 「うん、まぁね。」 「彼に出会ってからだろう?」 そう言われて、香藤はにっこりと笑って頷いた。 「これまでの相手と、どう違うんだろう、そう思ってたんだ。」 香藤はくすりと笑うと、その先を促した。 「会ってみてわかったよ。実にセクシーだ。」 「出会ったときは、そうじゃなかったよ。」 そう言っていたずらそうに笑う香藤に、 フィリップは口を曲げて両肩を上げた。 「なるほど、自分のせいってわけだ。」 笑い声を上げ、フィリップは香藤の背を叩いた。 「ごめん、ちょっと席はずすね。」 香藤がそう声を掛けて、店の奥へ向かった。 地下にトイレがあり、その個室の手前に広いラウンジが設けられている。 鏡があり、ソファが置かれ、身支度などが出来るようになっている。 そこへ入り、香藤はネクタイを直していた。 ふと、顔を上げたそこに、リカルドが映っていた。 にこり、と笑うとリカルドはラウンジに入ってきた。 「・・・え?」 個室にいた岩城は、思わずドアを開けようとした手を止めた。 『元気そうでなにより。』 『うん、リカルドも、元気そうでよかった。彼が今のパトロン?』 『ああ、そうだよ。』 『優しそうな人だね。大事にされてるのがわかるよ。』 『うん、いい人なんだ。』 ごくり、と岩城の喉が動いた。 香藤とリカルドの声。 初対面ではありえないその会話に、 そのまま、岩城は身動きがとれずに、 その交わされる話を聞いていた。 『ここ2年、ぜんぜん呼ばれなくなったから、どうしたのかと思ってたよ。 その理由がわかって、驚いた。』 『ああ、うん、まぁね。』 『大変だったんだな。』 『うん、けっこうね。』 『それに、キョウスケのこと。』 どきん、と鼓動が跳ね、岩城は息を呑んだ。 『すごく、綺麗だね、彼。』 『ああ、ありがとう。』 『幸せそうで良かった。遊んでる話もまるで聞かないし。』 そうリカルドが、笑いながら言う言葉が聞こえた。 『以前のヨウジなら、 恋人がいたって俺を見つけたら声を掛けてきたのに、 今回はそうじゃなかったな。』 香藤が笑い声を上げた。 『そんな気ないよ。リカルドには悪いけどね。』 『ああ、見てりゃわかるよ。よっぽど、惚れてるんだな。』 『うん。もの凄くね。』 『でも、彼、大変なんじゃない? 俺は一人でヨウジの相手するのは、きつかったんだから。 逃げ出したこともあったくらいだったからね。』 『ああ、そんなこともあったっけ・・・う〜ん、この間ちょっと壊しかけたよ。』 『あ〜あ、だめじゃないか。大事な大事な奥方を。』 『ほんとだね。さすがに反省したよ。』 『でも、ほんとに幸せそうだな、ヨウジ。』 『ああ、とってもね。』 そう言って、答える香藤の声と、 くすくすと笑うリカルドの声が、遠ざかっていった。 その声が、まったく聞こえなくなっても、 岩城はしばらくその場から動けなかった。 続く 弓 2006年11月29日 |
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