These are the days of our lives

        −チャンピオンの休日 5−








「手伝うよ、アビー。」

岩城がダイニングテーブルの上の皿を集めて、

キッチンへ入ってきた。

「あ、ありがとう。」

シンクにそれを置いて、岩城は袖口のボタンを外して、

肘の上までめくり上げた。

なにげなくそれを見ていたアビーは、

その腕の内側に点々と飛んだキスマークに目を見張った。

「あら・・・。」

「え?」

アビーを振り返った岩城は、

その顔に浮んでいる笑みに首をかしげた。

「やっぱり、キョウスケが奥さんだったのね。」

「は?」

「そうじゃなきゃ、

そんなとこにキスマークなんてつかないでしょ?」

そう言われて、岩城はアビーの指さす腕を見下ろした。

「うわっ・・・」

途端に、赤い顔で苦笑いをする岩城に、アビーは笑った。

「キスしてるのみて、そうじゃないかなぁとは思ったんだけどね。」

「わかるのかい、そんなことで?」

「わかるわよ。同じ立場だもん。」

ハハ、と岩城は乾いた笑いを浮かべて、皿を洗い始めた。

「女性ってのは、鋭いもんだな。」

「見ればわかるって、おばあちゃんが言ってたけど、」

「うん?」

「キョウスケ、顔つきが違ってるもの。去年会ったときと。」

「そうかな?」

きょとんとする岩城に、

アビーは、彼を見つめてゆったりと笑った。

「柔らかくなってる。

おばあちゃんは、

そのことを言ったんだと思うんだ。」

少し驚いて岩城は目を見張り、微笑んだ。

「嬉しいな、私。」

アビーがそう言ってくすくすと肩を揺らした。

「なにが?」

「だって、あのヨウジ・カトウの奥さんとお友達なんて、

すごいじゃない?」

アビーが少しいたずらそうな顔をして、二人は声を上げて笑った。






香藤家のリビングに、

香藤と岩城の背丈と同じくらいのツリーが持ち込まれた。

アビーがその飾り付けをしている傍らで、

アクセルがわさわさと長い毛を揺らしてそれを見上げていた。

「こっちのクリスマスって、落ち着いていて、いいな。」

そう言って、岩城がアビーに、オーナメントを手渡した。

「日本は違うの?って言うか、

クリスマスのお祝いとか、するんだ?」

「するよ。」

香藤がブレイクを腕に抱いて答えながら、2人に歩み寄った。

「日本じゃお祭みたいになってるけどね。」

「ふ〜ん。そうなんだ。」




「カード、いっぱい来てるわね。」

暖炉の上や、壁際に置かれた机の上に、

12月に入ってから続々と送られてきたクリスマスカードが、

所狭しと置かれていた。

それは、香藤の友人たち、チーム・スタッフからのものだった。

「ファンからのとかは、どうしてるの?」

「ジェームズのオフィスに保管してもらってるよ。

すごい量なんだもん。」

「そりゃそうね。」

アビーが、ふと、気づいたように脇に立つ岩城を見上げた。

「2人のカードは、もう作ったの?」

「・・・え?」

岩城が答える前に、香藤が声を上げた。

「いっけね〜・・・。」

「まだなの?」

「関係者宛のとかオフィシャルなのは、

オフィスが送ってくれるからさ。

プライベートのは、まだ作ってなかった。」

「あ〜もう、なにやってんの?」

「わっちゃ・・・岩城さん、明日、行ってもいい?」

「ああ、買い物のついでに、行ってこよう。」






翌日、香藤に連れられて、岩城は村の印刷屋のドアを開けた。

「や、ヨウジ、今年は遅かったな。」

店主が笑いながら出迎えた。

「あはは、ちょっと、色々あってさ。」

「いろいろね、ま、そりゃそうだ。で、文面は、これでいいんだな?」

店主が差し出した紙には、

   『Wishing you a Happy Christmas and a great New Year !

    Kyosuke & Yoji』

と書かれていた。

「ちょっと待て、俺の名前が先なのか?」

「当然でしょ?」

きょとんとして、香藤は岩城の顔を見返した。

その会話を聞いていた店主が、不思議そうに首をかしげた。

「結婚の報告も兼ねて、だろう、キョウスケ?」

「やっ・・・ち、違うよ。」

「そうなのか?」

「そうじゃな・・・。」

「そうだよ?」

岩城と香藤の声が重なって、店主が笑った。

「どっちでもいいけど、みんなはもうそう思ってるわけだし、

いいんじゃないのか?」

そう言いながら、店主はカードの見本をカウンターの上に置いた。

「さて、どれにする?」

岩城の抗議は見事にスルーされて、

香藤と店主はカードを選び始めた。

むっつりとする岩城に、店主が横目で尋ねた。

「どっちが嫁さんなんだい?」

その言葉に、岩城が絶句した。

香藤はにっこりと笑いながら、岩城の肩を叩いた。

「これがいいね、岩城さん?」

「・・・お前の好きにしろ。」




それから数日後、

以前にアポを取っていたジャーナリストから電話が入った。

彼は、岩城と面識のある記者で、

各地のサーキットで必ず顔を合わせていた。

時折、情報交換などもして、お互い便宜を図ったこともある。

『じゃ、明日そっちに行くから。よろしく頼む。』

「ああ、村のハイ・ストリートに、本屋があるんだ。

その角を曲がってまっすぐ行った左側だから。」

『了解・・・。』

少し言葉を切る彼に、岩城が声をかけた。

「どうした?」

『ん〜・・・ま、そっちに行ってから言うさ。』




「いらっしゃい。」

いきなり、ワールドチャンピオンに出迎えられて、

取材に訪れた記者、ハーヴィー・コールマンは、

絶句したまま玄関先で固まっていた。

香藤はその彼の引きつった顔に、

ドアノブを握ったまま笑っていた。

「やぁ、早かったな。」

岩城が後から現れて、

やっとハーヴィーはほっとして息をついた。

「ああ、びっくりした。

まさか、彼がドアを開けるなんて思ってなかったよ。」

促されて中へ進みながら、

ハーヴィーは、岩城に小声で囁いた。

「どうして?俺がドア開けるのって、そんなに驚くことかな?」

「そりゃあ・・・ワールドチャンピオン自らとは、思わないよ。」

リビングのソファに導かれて、

彼はそわそわとしながらそこへ座った。

岩城がその向かい側に座り、

香藤が立ち去る背を見ながら、

ハーヴィーは溜息をついて首を振った。

「どうしたんだ?」

不思議そうな顔で訊ねる岩城を見て、

彼はもう一度首を振った。

「ほんとに、一緒に暮らしてるんだな、

と思ってな・・・君が、なァ・・・。」

「なんだよ、それは?」

思わず吹き出すように笑って、岩城が聞き返した。

そこへ、香藤が戻ってきて、岩城の隣に座った。

ラフに両脚を投げ出すようにして岩城に寄り添い、

ゆっくりと左腕が岩城の肩に回るのを、

ハーヴィーは呆然として眺めていた。

「久しぶりだね、ハーヴィー。

こういう取材っていうのは、やりにくくないかな?大丈夫?」

「・・・いや、やりにくいって言うか、

ボスからお前ならなんでも聞けるだろうって言われてさ。

キョウスケと仲が良かったし。」

くす、と香藤が笑った。

「たしかにね。サーキットで、よく2人で話してるの見てたよ。

ちょっと、妬けた。」

「はぁ?!」

ハーヴィーと岩城の声が重なって、香藤は声を上げて笑った。

「そ、そんなこと、思ってたのか?」

「そうだよ、岩城さん。

俺さ、昔は嫉妬深くなかったはずなんだけど、

岩城さんと知り合ってから、そうじゃなくなったらしくてね。」

香藤は岩城の顔を見ながら、けらけらと笑っていた。

「けっこう、岩城さんて、もててたしね。

俺、気が気じゃなかったよ。」

「いやっ!あのっ!俺は、そっちじゃないから!」

ハーヴィーが、慌てて首と両手を振った。

「うん、わかってるよ、今は。

ごめん、余計なこと言っちゃったな。」

「まったく・・・バカなこと言って・・・。」

「あれ?岩城さん、もてるの知らないんだ?あ、そうか。」

香藤が笑い出して、岩城はきょとんとして彼を振り返った。

「なんだ?」

「うん。オーストラリアでさ、

男らの岩城さんを見る目が、やな目でさぁ。

俺、ムカついてたんだけど、

岩城さんぜんぜん気にしてなかったもんね。

気がついてなかったでしょ?」

「は?そうなのか?」

「そうだよ?岩城さん、すごい色っぽいんだもん。」

香藤がそう言うと、ハーヴィーがボソッと呟いた。

「それ、あなたのせいだと思うけど・・・。」

「あれ?そうかな?」

呆れたように、岩城とハーヴィーが顔を見合わせて溜息をついた。




「あ、ちょっと待っててね。」

香藤が立ち上がり、ハーヴィーは頷いて岩城に視線を向けた。

「ああ、今、お湯沸かしてるんだろ。お茶でいいよな?」

「・・・は?」

ハーヴィーがぽかんとした顔で、岩城を見返した。

「お茶でいいか、って聞いたんだが?」

「そっ・・・そうじゃなくて!ヨウジがお茶入れてるのか?!」

「うん、そうだけど?」

唖然として岩城を見つめていた彼の前に、

香藤がトレイを持って現れた。

「うわっ・・・。」

「どうしたの?」

「ヨウジ、君が、こういうことをやってるのか?」

「こういうことって?」

「いや、だから、客にお茶いれるとか・・・。」

「ああ、」

香藤はカップにお茶を注ぎながら、笑顔で頷いた。

「いつもなら、そういうことしてくれる人がいるんだけど、

今日はお休みなんだ。」

「やっ・・・あの、」

「チャンピオンにそんなことさせるなんて、とでも言いたいのか?」

岩城が、腕組みをして笑いながら、

ハーヴィーの困り果てた顔を見ていた。

「・・・ひょっとして、いつもこうなのか?」

「こうって?」

香藤がハーヴィーの前にカップを置きながら、小首をかしげた。

「いつも、ヨウジがお茶いれてるとか・・・?」

「うん、そうだよ?アビーが、あ、さっき言った人って、

アビーって言うんだけど、夕食作ったら、自宅に帰るからね。

そのあとは、お茶とか俺がいれるんだ。

岩城さんも、いれるけどね、もちろん。変?」

「いや、変って言うか・・・。」

ハーヴィーは、信じられないものを見たように、

香藤と岩城を交互に見つめた。

その目の前で、

香藤はどう見てもお揃いのマグカップにお茶を注ぎ、

あるまいことか、「熱いから、気をつけてね。」と言いながら、

岩城にそれを手渡した。

岩城はと言えば、「ん。」とだけ返事を返して、

至極当然のようにそれを受け取って、飲み始める。

ハーヴィーは、目の前のありえない光景に溜息をついた。

『まさか、ヨウジが女役・・・?』

そう疑いながら、ハーヴィーはカップに口をつけ、

上目遣いで2人を見ていた。




「で、なにが聞きたいの?」

カップを取り上げながら、香藤がハーヴィーを見つめた。

「まぁ、その・・・世間の知りたいことなんてのは、

決まってるようなもんだけど・・・。」

ああ、と香藤は笑った。

お茶を一口飲むと、ゆっくりと笑った。

「ほんとに付き合ってるのか、だとしたら、

いつから付き合いだしたのか、って感じかな?」

「そう。助かるね、チャンピオンの方から、そう言ってもらえると。」

「あはは。」

香藤はゆっくりと、ソファに背を当てた。

「ほんとに付き合ってるか、については、YES。

いつからってのは・・・言ってもいいのかな?」

そう言いながら、香藤は岩城に顔を向けた。

「別に、俺はかまわないぞ?」

「そう?」

にこ、と笑って香藤はハーヴィーの方を向くと、軽く頷いた。

「知り合ったのは2年前。

恋人になったのは、オーストラリアGPの前。」

「・・・。」

ハーヴィーが、口を開きかけ、言葉につまって黙り込んだ。

「ま、つい最近だね。」

香藤と岩城が顔を見合わせて微笑みあうのに、

彼はごくりと唾を飲み込んだ。

「・・・あの、」

遠慮がちに、ハーヴィーが言いかけた。

香藤は眉を上げて、その先を促した。

「どっちが、その・・・、」

「あ、それはね・・・。」

「ヨウジ・カトウが、男に抱かれるわけないだろ?」

香藤が口を開くのよりも早く、岩城が静かに答えた。

ハーヴィーだけでなく、香藤も驚いて岩城を振り返った。

「わかりやすく言えば、俺は香藤の女だ。」

すっぱりと言い切る岩城を、ハーヴィーはまじまじと見つめた。

香藤の心配げな顔を見て、岩城はにっこりと笑った。

「F1ドライバー、ましてやチャンピオンは、

あくまでも牡じゃなくちゃできない。

それもただの牡じゃだめだ。100%そうじゃないとな。」

香藤の手が、そっと岩城の腰に回った。

その手が、ゆっくりと、岩城のわき腹を撫でた。

少し香藤に視線を向けて、

いっそ晴れやかな顔で、岩城は笑っていた。

「ヨウジがネコなんか、やるわけないだろう?

見てわからないか?」

「あ・・・そ、それはそうだが。」

ハーヴィーは、香藤の表情を気にして、

ちらちらと視線を向けていた。

少し眉を寄せて、香藤は岩城をじっと見つめていた。

腰にまわした手で、ぽんぽん、と、軽く労うようにそこを叩いた。

「それ、書いてもいいのかな?」

「あのな、なんの為に来たんだ?」

「そうだけど。」

ハーヴィーが、言いよどんだその時、ペシッ、と音がした。

「いった〜い・・・。」

「まったく、落ち着かないやつだな、お前は。」

わき腹に回って、そこを彷徨っていた香藤の手を、

岩城が叩いた。

その、軽く腰を捻った岩城が、

以前には感じられなかった、

仄かな色気を醸し出していることに気づいて、

ハーヴィーは目を見張っていた。

「いいじゃないさ〜・・・ちょっと触るぐらい。」

「いちいち、触らなくてもいいだろうが。インタビュー中だぞ?」

「そんなこと、わかってるけどさ。」

睨むように香藤を見つめる岩城の顔に、

ハーヴィーはドキリ、として思わず顔を赤くしていた。

「けど、なんだ?」

「だって、触ってたいんだもん。」

口を尖らせる香藤に、岩城は溜息をつき、

同時にハーヴィーの口からも、大きな溜息が出た。

「すまん、ハーヴィー。」

「いいよ、キョウスケ。気にしないでくれ。」

いくつかの質問のあと、

ハーヴィーが岩城を見ながら、にやりと笑った。

「あのな、キョウスケ。

世界中が憧れるヨウジ・カトウの、

恋人の座を射止めた心境はどんなもんなんだ?

かなりのラッキーガールだと思うけどね?」

途端に、香藤が腹を抱えて笑い出し、

岩城は絶句して彼を見返した。

「だって、まるでシンデレラじゃないか?」

「シ、シンデレラ?」

岩城が上擦った声を上げた。

ハーヴィーは澄ました顔で、頷いた。

「だって、チャンピオンだぜ?契約金数十億の?」

「・・・それは、そうだけどな・・・。」

岩城が憮然とした顔で、カップに口をつけた。

それを見ながら、香藤は涙を浮かべて笑っていた。

「お前、笑いすぎだ。」

「ご、ごめん・・・。」

ハーヴィーが促して、岩城は少し肩を竦めた。

「心境って言ってもな。

別にこいつが金持ちだからってわけじゃないし。」

「いや、そういうことじゃなくてさ。」

真顔で答える岩城を見返して、

くすくすと笑う香藤に、ハーヴィーは呆れたように肩をすくめた。




「驚いたな。」

玄関先で、ハーヴィーがそう言って笑った。

「チャンピオンは、家じゃ尻に敷かれてるらしい。

なんて言うか、まるで子供だ。」

岩城は苦笑しながら、頭をかいた。

「まぁ、その・・・。」

ハーヴィーは、笑いながら岩城を見つめた。

「ヨウジが、ほっとできる相手なんだな、キョウスケは。」

「そうかな?」

ドアを開けて、ハーヴィーは岩城を振り返った。

「色々聞かせてもらって、嬉しかったよ。

ヨウジの私生活って、サーキットじゃ聞けないし、

言わないしさ。

結構、謎多き人物だったよな、チャンピオンは。」

「そうだっけか?」

「・・・あのなぁ・・・ま、女房に言ってもわからないか。」

「なんだよ、それは?」

岩城が顔を顰めて苦笑すると、

ハーヴィーはそれを見て肩を竦めた。

「ヨウジにも驚いたが、キョウスケ、君にも驚いたよ。」

「俺?」

「どう見たって、女には見えないからな。」

感に堪えない、といった風に首を振るハーヴィーに、

岩城はふっと笑った。

「ま、それだけ、ヨウジがいい男だってことだよな。

お前に、女になってもいいって思わせるってのはさ。」

目を見張って岩城はハーヴィーを見返した。

ふわり、と目元に皺が寄るように嬉しそうに笑って、

岩城は頷いた。

「じゃ、遠慮なく書かせてもらうよ。」

「ああ、俺みたいなおじさんが相手で、

世界中のヨウジのファンに申し訳ないって、

書いておいてくれ。」

岩城がそう言って笑い返した。

「はは、了解。」






ハーヴィーが帰っていったあと、

香藤は岩城を抱き寄せて、ソファに座っていた。

「なんで、言っちゃったの?言わなくてもよかったのに。」

「なにをだ?」

「どっちが、って話。」

岩城はすっと顔を上げて香藤を見つめた。

「お前のイメージってもんがあるだろうが。

言わないと、みんなが勘ぐるし、

チャンピオンがネコだと思われたら、

ファンががっかりするだろう?」

「そうだけど。」

岩城が、香藤の腕の中から手を伸ばして、

彼の髪をそっと撫でた。

「気にするな。俺のことはいいから。」

じっと岩城を見つめていた香藤は、

泣きそうに顔をクシャリと歪ませて岩城を両腕に抱きしめた。

「俺、すごい甘やかされてるよね。」

「そうか?」

「うん。」

岩城の頭に頬を擦り付けて、香藤は溜息をついていた。

「ありがとね、岩城さん。」

「うん?」

「ううん。ありがとって、言いたいから、言わせて。」

くすり、と岩城の笑う声がした。





     続く



     弓



   2006年10月21日
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