These are the days of our lives −チャンピオンの休日 6− 「そう、シャツはいくつか見繕っておいてくれるかな? そっちへ行って決めるから。」 香藤が電話をしながら、ソファから立ち上がった。 トレイを持ってきた岩城に、席を譲り、座りなおして電話を切った。 「なんだ、シャツって?」 「クリスマスパーティーに着ていく、タキシードのシャツ。」 「あっ・・・。」 岩城が、慌てたように声を上げた。 「どうしたの?」 「すまん、香藤。俺、タキシード・・・。」 「心配いらないよ。」 香藤がそう言って、軽く片目を瞑って見せた。 「でも、会場、インターコンチネンタルなんだろ?」 「そうだけど?」 「そうだけど、って・・・俺の持ってるタキシードなんて、 タキシードとは言えない代物だぞ?」 「大丈夫だって。」 香藤の穏やかな笑みに、岩城はなにも言えずにカップを取り上げた。 パーティー会場となるホテルの駐車場にレンジ・ローバーを駐めて、 歩いて店に向かった。 岩城は、その店の前で立ち止ったまま、しばらく呆然として見上げていた。 サビル・ロウにある、王室御用達のターンブル&アッサー。 岩城が、ただの一度も足を踏み入れたこともなければ、 縁のないはずだった店が両脇にずらりと建ち並んでいる。 「入るよ。」 香藤が岩城の手を取って、歩き出した。 「いらっしゃいませ。」 スーツ姿の店員が、二人を出迎えた。 その店内に、ラフな服装で家を出たことを、 岩城が後悔し始めた時、香藤が振り返った。 「岩城さん、こっちだよ。」 手を引かれて、岩城は奥へと向かった。 きょろきょろと店の中を見ながら奥へ向かうと、 テーブルの上に、白いシャツブラウスが数枚置かれていた。 「どれがいい?」 「え?」 「シンプルなのがいいって言っておいたから、 岩城さん好みの、あると思うんだけど?」 「・・・??」 きょとんとして見返している岩城に、香藤がくすっと笑った。 「いいからさ、シャツ選んで?」 言われるまま、岩城は目の前に並ぶシャツに目を向けた。 素人目に見ても、質の良いものだとわかる。 選べと言われて視線を彷徨わせる岩城に、店員がにっこりと笑った。 「どうぞ、お好きなデザインをお選び下さい。私共の資料になりますので。」 「は?資料?」 「はい。奥様のお好みをこちらの顧客名簿に載せておきますので、 後はお電話でご注文頂ければ、お作りいたします。」 「・・・!!」 呆然として彼を見返す岩城に、 香藤が後を向いて肩を揺らして、笑いを堪えていた。 苦笑しながら岩城が選んだのは、極めてシンプルな白いシャツだった。 「これでいいの?」 「これがいいんだ。」 少し香藤を睨んで、岩城は眉をしかめた。 「そ。じゃ、着替えてきて。」 香藤がそう言うと同時に、店員が手に抱えて来たものに、 岩城は目を見張った。 極上のブラック・タイ。 「か、香藤?」 「岩城さんのだよ。サイズはほとんど俺と同じでしょ? でもバストとか違うから、少し細めに作ってもらったんだ。合うと思うよ。」 「いつのまに・・・。」 「いいから、着替えてくるの。」 その香藤を見つめていた岩城は、ゆっくりとした溜息をつくと、 店員に促されて更に奥へと向かった。 「参ったな・・・。」 岩城の秘かな呟きに、店員が微笑んだ。 岩城が着替えて出てくると、香藤も既にタキシードを着て彼を待っていた。 ブラック・タイに、派手な幾重ものレースを、 胸元に重ねたドレスシャツを着ている。 思わず吹き出しかけて、岩城は口を開いた。 「お前、そういうの、似合うな。」 「でしょ?ありがと。」 香藤は岩城の姿をしみじみと眺めると、両手を広げて岩城を抱きこんだ。 「岩城さんも、すごく似合うよ。格好いいねぇ。」 「なに言ってんだ。」 まるで測ったように身体にフィットするその生地を撫でながら、 岩城は、自分の姿を足元まで見下ろした。 「・・・あ。」 「岩城さん。」 岩城が話し出す前に、香藤がその肩に腕を回した。 「じゃ、行くよ?」 店員に見送られて、岩城と香藤は歩き始めた。 「着て来た服、どうするんだ?」 「家に送ってもらうから、大丈夫。」 そう言いながら、香藤は別の店のドアを開けた。 表から見ても何の店だかまったくわからず、 香藤の手に引かれるまま、中に入った岩城たちを、 首から細いメジャーを提げた店主が出迎えた。 岩城は香藤を振り返り、口を開きかけて、 香藤が浮かべる優しい笑みに、黙ったまま微笑み返した。 ずらりと並んだ靴の中から、自分に合うものを選んだ岩城は、 ストールに座らされた。 足元に台座が置かれて、岩城は慌てて香藤を振り返った。 「作るのか?」 「もちろん。」 「でも、買ったのに。」 「それは、作ってる時間がないからだよ。 服と違って、靴はちゃんと測らないと駄目でしょ?」 両足の隅々までサイズを測る店主に時々視線を送りながら、 岩城は困ったように呟いた。 「香藤・・・。」 ストールに座って、岩城は香藤を見上げた。 「なに?」 無言でいる岩城に、香藤は少し心配げにその頬を両手で挟んだ。 「どうしたの?」 「いや・・・。」 「さっきから、変だよ、岩城さん?どうしたの?」 岩城は黙ったまま微笑むと首を振った。 その顔に、何かを感じた香藤は、それでもその場で聞くことはせず、 そっと岩城の額にキスを落とすと、同じように微笑んで頷いた。 その2人を、店主が見上げて、彼もまた微笑んでいた。 通りを歩いていく香藤に、周囲から声がかかった。 岩城は引かれていた手を外そうとして、 香藤がその手を力をこめて握り首を振った。 「だめ。言ったでしょ?堂々と手をつないで歩くって。」 「そうだけど・・・。」 「気にしない。」 まっすぐに前を向いて歩く香藤に、岩城はそっと溜息をついた。 ロンドン市内、ハイドパークにある、インターコンチネンタル・ホテル。 到着したそのホテルを見上げて、岩城は思い出したように笑った。 「懐かしい、って気がするな、ここは。」 「ん?」 「ここに泊まってたお前に、初めて会いに来たんだ。」 「あ、そうだったね。」 香藤も笑顔を浮かべて頷いた。 「なんか、懐かしいね。」 「そうだな。たったの2年前なのにな。」 正面玄関の前に、人だかりがしていた。 香藤と岩城が歩いていくと、その集団からどよめきが起こった。 内ポケットから、香藤がスポンサーのロゴの入った帽子を取り出した。 待ち受けていたカメラマン達は、 そのブラック・タイに真っ赤な帽子の香藤に、一斉にカメラを向けた。 記者の中から、2人に例のインタビューに関しての質問が飛び、 「発売日まで、何にも言わないよ!」 と、香藤がおどけた顔で答えた。 毎年恒例の、スポンサー主催のパーティが行われる、 ボールルームの扉の前のレセプションで、 ジェームズがある人物と立ち話をしていた。 「あ、吉澄さん!」 香藤が岩城の手を掴んだまま、足早に近寄った。 「やぁ、久しぶり。」 吉澄直孝。 彼は別のF1チームのメカニックをしていた。 香藤とは、彼がヨーロッパF3参戦していたときに知り合い、 ずっと香藤の専属メカとして、共に優勝を攫った。 その後、F1に昇格した香藤を追う形で、彼もF1サーカスにやってきた。 チーフメカニックを失ったマクガバン・チームは、 香藤の勧めで吉澄をチーフとして迎えようとしていた。 帽子を脱ぎながら、香藤は白い歯を見せて吉澄を見つめた。 「来てくれるとは思ってなかったよ、吉澄さん。」 「昨日、チームとの話し合いが終わったんだ。 で、彼が来ないかって言ってくれたんでね。」 そう言って、吉澄はジェームズに顔を向けた。 「そっか。良かった、ちゃんと話しが済んで。」 香藤はそう言って嬉しそうに笑った。 にっこりと笑顔で頷いた吉澄は、そのまま岩城にその笑顔を向けた。 「ずっと、手をつないできたの?」 「えっ?!いやっ、その・・・。」 岩城は苦笑して手を離そうとしたが、 香藤はそれをさせまいと両手で岩城の手を包み込んだ。 「駄目だって言ったでしょ?」 「香藤、もういい加減いいだろう?」 「い、や、だ。」 まるで駄々っ子のような香藤のもの言いに、 吉澄が「ぷっ」ッと吹き出した。 「まったく、大人だと思ってたんだが、そうじゃなかったらしい。 あんな危険な真似をした人物と同じとは、とても思えないな。」 ジェームズが笑いながらそう言うと、 吉澄が我慢できずに腹を抱えて笑い出した。 「さて、ヨウジ。チームの皆やスポンサー連中が、 首を長くしてチャンピオンの到着を待ってる。 これ以上待たせると、私が文句を言われるよ。」 ジェームズがそう言って、親指を立ててボールルームのドアを指さした。 「彼が、キョウスケ・イワキだよ。よろしくね。」 「知ってるとも、もちろん。」 香藤のキャップにロゴのある、 マクガバン・チームの最大のスポンサーである、 タバコメーカーの責任者が、鷹揚に笑って頷いた。 「彼の取材を受けたこともあるしね。」 「あ、そうだよね。」 香藤が気付いたように笑った。 「ここにいる、ほぼ全員、彼のことを知ってるんじゃないのかい?」 「うん。多分ね。」 香藤がそう言って、岩城を振り返った。 あいもかわらず手を握ぎられたまま、岩城は曖昧に笑った。 「仲がいいんだな、チャンピオン。ずっと手を繋いだままじゃないか。」 「岩城さんの手って、気持ちいいんだよね。」 そう言って笑う香藤に、周囲がつられて笑っていた。 そんな中、香藤がイメージキャラクターを長年務めている、 アパレルメーカーの担当者が、 香藤とジェームズをテーブルに誘った。 ずっと手を繋がれたままの岩城も仕方なく付いて行き、 担当者は少し顔を顰めた。 それに香藤が気付いて、ふと眉をひそめた。 「今度の契約書に関してですが。」 担当者はいきなり、そう始めた。 ジェームズは、その物言いにも、 いつもの穏やかな顔で彼を見つめていた。 「ある条項を入れさせていただきたい、と思いましてね。」 「ほう、どんな?」 「彼のことです。」 担当者が岩城を指し、香藤はびくりとする岩城の手を、 しっかりと繋ぎなおした。 「そういう関係なのは、仕方ありませんが、公の場に2人で出ること、 例えばこういう席に、をやめていただきたい、と・・・。」 「へぇ・・・。」 香藤が気のない声を上げた。 それに気付かず、担当者が続けた。 「イメージダウンに繋がりかねませんので、 当社としては、その条件は是非に入れさせて頂いて、 契約をしたいと・・・。」 「なら、来年の契約は、しないってことでいいですね?」 香藤が彼の言葉を遮って答えた。 「は?!」 「他の誰かと契約なさってください。俺はその条件は呑めないから。」 担当者が愕然として香藤を見つめていた。 「ジェームズ、すまないけど。」 「ああ、私はかまわないよ。」 「じゃ、そういうことで。」 「・・・いやっ・・・ちょっ・・・。」 岩城がことの成り行きに驚いて、香藤を振り返った。 「待ってくれ、香藤。そんな・・・。」 「いいんだよ、岩城さん。」 言いつのろうとする岩城に、香藤は微笑んで握った手を優しく叩いた。 「俺は隠す気もないし、恥ずかしいとも、 悪いことをしてるとも、思ってない。 岩城さんと別れろ、 でなきゃスポンサーは降りるって言うんなら、 それでいいさ。」 「でも、香藤!」 「いえっ!別れろと言っているわけではありません!」 担当者が焦って叫んだ。 その声が聞こえて、何事かと周囲が注目した。 そんな中に、香藤の静かな声が響いた。 「岩城さんを連れて歩くな、パーティーに出るな、って言うのは、 俺にとっちゃ同じことだよ。 一緒に暮らしてるんだ。買い物だって行くし、パートナーなんだから、 当然こういう場所には同行する。 それが受け入れられないなら、出資していただかなくて結構。 俺にとって彼がどういう存在なのか、お解かりでないらしい。」 「香藤、スポンサーを怒らせちゃ・・・。」 「じゃ、俺は怒らせていいわけ?」 「そうじゃない、そうじゃないが・・・。」 「岩城さん。」 香藤の声に、岩城ははっとして彼の顔を見つめた。 まっすぐに見つめてくる香藤の瞳に、岩城は言葉をなくして黙り込んだ。 「愛してるよ、岩城さん。俺にとっては、岩城さんが何よりも大事なんだ。」 「・・・うん。」 「岩城さんが気にすることは、なにもないんだよ?なんにもね。」 眉をしかめて見つめる岩城の頬に、香藤はそっと手を触れた。 「ごめんね。嫌な思いをするだろうって言ったけど、 ほんとにさせちゃったね。」 「いや・・・それは、いい。お前が謝ることじゃない。」 絶句したまま、呆然と見ている担当者に、香藤はにこり、と笑った。 「インタビュー受けちゃったしね、それ、どうにもならないよ?」 「ああ、あれはいつ発売なんだ?」 ジェームズが首を回して尋ねた。 「来週だよ・・・だから、その条件は余計に意味がないね。」 香藤は最後の言葉を、担当者に向けて言った。 「ジェームズ、ただでさえ今年の一件があって大変なのに、 スポンサー1つ失くしちゃって、ごめん。」 「いいさ、ヨウジ。そんなのどうにでもなる。」 「・・・あの、ジェームズ。」 岩城が言いかけるのを、ジェームズは笑って首を振った。 「気にするな、キョウスケ。君は、今まで私の友人だったが、 これからはヨウジの・・・なんて言えばいいんだ?」 ジェームズが、困って香藤に視線を向けた。 香藤はくすり、と笑うと、大げさに肩を竦めた。 「さぁ〜、なんだろうねぇ〜。奥さん、かな〜。ねぇ、岩城さん?」 「そうじゃないのか?インタビューじゃ、なんて答えたんだ?」 周囲から声が飛んで、香藤は笑顔で、彼らに頷いた。 「まだ内緒だよ。」 「・・・あのインタビューが出たら、当然そう言われるんだろうな。」 岩城がぽつりと呟いた。 香藤は目を細めてその岩城を見つめていた。 「そうか。じゃ、これからはヨウジの女房ってことで、 いいな、キョウスケ?」 「勝手にしてくれ、もう、どうでもかまわん。」 岩城が溜息交じりにそう答えて、 ジェームズと香藤は顔を見合わせて笑った。 続く 弓 2006年10月22日 |
|||
本棚へ | |||
BACK | NEXT |