These are the days of our lives

        −チャンピオンの休日 7−








「なぁ、香藤、」

「ん?」

パーティーが終わった真夜中、

2人はタクシーで、ロンドンの中心地、

ケンジントンガーデンズの南に位置する、

チェルシーにあるフラットへやって来た。

吹き抜けの天井に、メゾネット形式のモダンな部屋。

センスのいい家具やソファが置かれている、その部屋に入って、

岩城は辺りを見回し、溜息を付いた。

それに気づいて、香藤が声を掛けようとした時、

岩城が彼を振り返った。

「ここは、いったいなんなんだ?」

「ああ、」

香藤はにこりと笑うと、窓へ近付いてカーテンを開けた。

「ここは、オフの時にロンドンで仕事したりする時のために、

使ってるんだよ。」

「オフの時って・・・そんなの、何回もあるわけじゃないだろ?」

「う〜ん・・・10日くらいかな、たぶん。」

「そんなことの為だけに、借りてるのか、こんなところ・・・。」

呟くように言って、岩城はまた溜息をついた。

「借りてるんじゃないよ。」

「は?」

岩城がぽかん、として香藤を見返した。

「借りてるんじゃなくて、買ったんだよ、ここ。」

「えっ?いくらしたんだ?」

「う〜んとね・・・100万ポンド(約2億円)はしてないと思ったけどな?」

開いた口が塞がらず、呆然としていた岩城は、

呼びかけた香藤の声に顔を上げると、そこに気遣わしげな瞳が見えた。

「岩城さんさ、今日、なんかずっと変だったけど、なんで?」

「・・・。」

岩城が黙って見返し、それからゆっくりと首を振った。

「ちょっと、ハーヴィーに言われたことが、リアルに感じられただけだ。」

「なに、それ?」

「シンデレラ。」

岩城がそう言って、少し黙った。

香藤は微笑んだまま、岩城のネクタイを緩め始めた。

「お前、俺のために、今までにいくら使った?」

「さぁ?」

「・・・さぁって・・・家だって改装したろ?」

「うん、したよ。」

岩城は苦笑しながら、香藤のネクタイに手をかけた。

「今日だって、タキシードだ、靴だ、って、」

「うん、そうだねぇ。」

「こんなの、自分じゃ買えないぞ、俺は。」

「それで〜?」

香藤が岩城のシャツのボタンを外しながら、のんびりと口を開いた。

「それで、じゃない。」

「気にしないの。」

「でもな、」

岩城にシャツのボタンを外してもらいながら、

香藤はそっと岩城の唇を人差指でふさいだ。

「俺は、自分がそうしたいからしてるだけ。

岩城さんは、そういうの、いや?」

上着を香藤の肩から脱がせながら、岩城は少し困った顔を向けた。

「いやって言うわけじゃないが、なんだか・・・。」

「慣れなくて、困ってる?」

「ああ、それが一番近いかもな。

大事に、大事に、まるで女みたいに・・・。」

「あれ?」

香藤が満面に笑みを浮かべて、岩城の上着を脱がせた。

「なんだ?」

「俺の女だって、岩城さんが言ったんだけど〜?」

「ばっ・・・あれはだな、」

「うん、わかってるよ。でもね、」

香藤がタキシードをハンガーに掛けながら、にこりと笑った。

「大事なんだから、仕方ないでしょ?」

まるで邪気のない、陽のあたるその顔を岩城は黙って見つめた。

「大事にされといてよ、俺がそうしたいんだからさ。」

諦めたのか、呆れたのか、

岩城はふ、と笑うと香藤のズボンに手をかけた。

「あのな、」

「なに?」

「疲れてるから、今日は勘弁してくれ。」

「了解。」

真っ白い歯を見せて、香藤が笑った。

翌朝、岩城は香藤の腕の中で目覚めた。

しっかりと両腕に自分を抱きこんで、

穏やかな顔で眠る香藤を見ているうちに、

岩城はストン、と何かが腑に落ちた気がした。

「惚れたかな、こいつに。」

ぽつり、と零して岩城は香藤にキスをすると、

その腕の中にもぐり込んだ。








12月24日、

アビーが朝からやって来て、キッチンであれこれと動き回っていた。

「ヨウジ、これは明日の朝、オーブンに入れて。」

「わかった。」

毎年、アビーがクリスマスの料理を作っておいてくれる。

ローストターキーに、

セイジやローズマリーで味付けしたスタッフィング、

ミンスパイに、付け合せの野菜の下ごしらえ。

「ヨウジ、マルドワインは、自分で作ってね。」

「了解。」

アビーが、香藤と岩城に簡単に説明をすると、

キッチンから彼らを追い立てた。

「さ、これから作るんだから、邪魔しないでね。」

笑いながら2人はキッチンから出て、顔を見合わせた。

「じゃ、俺たちは掃除でもしようか、岩城さん?」

「そうだな。」

岩城と香藤は、それぞれ掃除機や雑巾を持って、散らばった。

アクセルは庭に出されて走り回り、

ブレイクは、ちんまりとリビングのソファで丸くなっていた。

昼ごろになって、香藤と岩城の食事の仕度をして、

アビーは自宅に帰って行った。

「じゃ、良いクリスマスを、アビー。毎年、ありがとう。」

「どう致しまして。キョウスケとヨウジもね。」

「ロビンによろしく。」

「ありがとう、キョウスケ。」

ダイニングに戻り2人は食事をすると、ソファに移った。

アクセルが庭からリビングへ入ってこようとして、ガラスを鼻先で突いた。

「待ってろ、アクセル。」

香藤が立ち上がり、ドアを開けると、アクセルが香藤に飛びついた。

「うわっ・・・まったく、落ち着かないやつ。」

岩城は、くすくすと笑ってじゃれ合うその光景を、眺めていた。






「岩城さん、出かけるよ〜!」

夜、と言っても、もう夜中になって、玄関先で香藤が声をかけた。

「ちょっと待っててくれ!」

岩城は返事をしながら、コートを持ってリビングに入っていった。

自分の部屋から持ってきた包みを、

ツリーの下に置いて岩城が身体を起こすと、

玄関から戻ってきていた香藤が小首をかしげた。

「ねぇ、それ、俺へのプレゼントだよね?」

「ああ、そうだ。」

「そっか。」

嬉しそうに笑う香藤に、岩城はその隣にあった包みを指さした。

「ずいぶん、でかいな、これ。」

「明後日のお楽しみだよ、岩城さん。」







村の真ん中にある、小さな教会に、2人は向かった。

道すがら、村人達が声を掛け合う。

香藤は岩城の手を引きながら、それに答えていた。

「なぁ、香藤。」

「うん?」

「アビーとなんか話してただろ?」

「ああ、」

香藤が白い歯を見せて笑った。

「クリスマス・プディング作ってたからさ、」

「うん?」

「どこにコイン隠したんだって、聞いたんだ。」

岩城は笑いながら、香藤を小突いた。

「そんなの、教えてくれるわけないだろ。」

「まぁね。」

くすり、と笑って香藤が答えた。

楽しそうなその顔を、岩城は微笑んで見つめた。






教会の中は、天井の照明が消され、あちこちに蝋燭が立てられていた。

そのほの暗い中でも、村人達の賑やかな話し声が聞こえていた。

「メリー・クリスマス、チャンピオン!」

「メリー・クリスマス!キョウスケ!」

教会へ入った2人に、村人達が声を掛けた。

ざわざわとする中、香藤は岩城の手を引きながら通路を行き、

ロビンを見つけてその隣に座った。

「お出でだね、キョウスケ。」

ロビンとアビーに挟まれて座っていたマーサが、

ロビンの影から顔を覗かせた。

「マーサ、メリー・クリスマス。」

「ああ、メリー・クリスマス。これでキョウスケも、ここの住人だね。」

「ありがとう、マーサ。」

マーサは、皺だらけの顔をほころばせて、笑った。




牧師が脇のドアから現れて、祭壇の前に立った。

聖書を開き、彼は徐に口を開いた。

「しばらく、蝋燭の明かりの中でお話しましょう。

こんな風に、日常、電気を使わずに過ごす、というのは、

なかなか経験することができないものです。風情があるでしょう?」

牧師の説教が始まり、香藤は隣に座る岩城の手を、そっと掴んだ。

「もし互いに愛するならば、神は我らの内にもいます、

というのは、私達にとっても、高いハードルです。

ですが、私達は、自分の愛が裏切られ、

傷つけられた時にも、なお愛を失ってはなりません。

人の心ではなく、神様の内から愛を汲み取って、

どんな人も愛する、そういう者にならなければならないのです。

なぜなら、神様はその人のことも愛して居られ、

その人のためにイエス様を与えて居られるからです。」

牧師が、言葉を切って内陣を見回した。

居並ぶ村人に、微笑み、牧師は聖書を閉じた。

「メリー・クリスマス、皆さん。これで、今日のお話は終わりです。」

そう言葉を切って、牧師が頷いた。

「今年のクリスマスは、この村に新しい家族が一人増えました。

私にとっても、とても喜ばしいことです。」

そう言うと、牧師が微笑んで悪戯そうにウィンクをした。

「ヨウジ、結婚おめでとう。

そして、キョウスケ、ようこそ、チッピング・カムデンへ。」

香藤と岩城は嬉しそうに顔を見合わせた。

「ヨウジ、嫁さんを紹介してくれよ!」

そう、大きな声がして、香藤は笑いながら立ち上がった。

「電気!電気点けろって!」

誰かがバタバタと照明を点けに走り、

いきなり明るくなった中、

香藤は岩城の手を引いて、祭壇に向かった。

牧師が二人を迎え、岩城に手を差し出した。

「おめでとう。」

「ありがとうございます。」

「いいのか、国教会の牧師が、男同士の結婚の祝福なんかして?

禁止されてんだろ!」

「うるさいですね。個人的なファンなんだから、放っといてください。」

そう揶揄する声に、牧師がそう答えると、

あちこちから笑い声が上がった。

「・・・ああ、あのさ、」

香藤が笑顔のまま、皆を見回しながら、口を開いた。

「彼が、キョウスケ・イワキだよ。

まだ会ったことがない人もいるだろうけど、俺の・・・。」

そう言って、香藤は岩城を振り返った。

「いいのかな、嫁さんで?」

「好きにしろ。」

「うん、・・・俺の嫁さん。みんな、よろしくね。」

盛大な拍手が起こり、香藤は満面に笑みを浮かべてそれを受けた。

隣に立ち、岩城はその信じられない光景に、呆然としていた。

「さ、みなさん、あちらに席を移しませんか?」

牧師がそう言って、ドアを開けた




裏にある、教会付属の集会所に皆が集まり、

マルドワインや、ミンスパイなどが、テーブルに積まれ、

香藤と岩城を囲んでがやがやとしていた。

「ま、披露宴の代わりだね、これは。」

マーサがそう言って笑った。

「ひ、披露宴?!」

岩城が慌ててマーサを振り返った。

「いいじゃないか、気にしなくったって。みんな、喜んでるんだ。」

「マーサ・・・。」

屈みこんだ岩城に、まるで、子供にするように、

マーサはその頭を撫でた。

「ヨウジは、見る目があるね。」

「・・・そうかな?」

「そうさ。あんたじゃなきゃ、

あんな無茶苦茶な男を受け止められないだろうさ。」

くすり、と岩城は笑って頷いた。

「少しは、我儘言ったって、

バチはあたりゃしないんだからね、キョウスケ。」

「ああ、そうだね。そうするよ。」

「それにしてもさ、」

村人の一人が、香藤と岩城を眺めながら、首をかしげていた。

「雑誌、読んだけど、ヨウジの女だって言われても、

いまいちピンと来ないよな。」

「言えてる!実際、いま座ってる姿見ても、

どこが女なんだろうって思うね。」

村人達が雑誌に載ったインタビュー記事に、

口々に勝手なことを言いあうのを、

香藤と岩城は顔を見合わせて苦笑していた。

「ヨウジから、告白したんだな、やっぱり。」

いきなり話しを振られて、香藤が飲みかけたワインに少し咽た。

その背中を、トントンとたたきながら、岩城は笑っていた。

「やっぱり、ってなにさ?」

「キョウスケから、とは思えないだろ。」

「だから、なんで〜?」

村人達が、声を上げて笑い出した。

「見てりゃわかるさ。大事で大事でしょうがないって顔だぞ、ヨウジ?」

「それは、当然だね。」

香藤が真顔でうなずくと、周囲が呆れたように香藤を見返した。

「守らなきゃならないほど、弱くないと思うがな、キョウスケは?」

「守るとか守られるとかって、そういうことじゃなくてさ。」

香藤はそう言って、岩城を見つめた。

「好きだから、誰よりも愛してるから、大事なんだ。」

少し肩をすくめて、香藤はくすりと笑った。

「でも、守りたいってちょっとは思ってるけど。」

「・・・守られてるよ、俺は。」

岩城が、ぽつり、と呟いた。

その顔を見つめて、香藤は心配げに首を傾げて岩城を見返した。

「・・・いや?」

岩城は黙って微笑んで、首を振った。

「ほんとに?」

「ああ、いやじゃない。」

「嬉しいよ、岩城さん。」

「・・・あのなぁ、お2人さん。」

そう声を掛けられて、はっとして2人は見つめあった瞳を外した。

「やってらんね〜!」

「勝手にやってくれ、もう!」

集会場の中が、笑い声に包まれた。

その声の中、誰かが「キス!キスしろよ!」と大きな声を上げた。

歓声が上がり、2人は顔を見合わせた。

「ちょっ・・・。」

「待ってくれ、あの・・・。」

慌てる2人に、マーサが笑った。

「結婚式には、誓いのキスが付き物だろ?」

その彼女の言葉に皆が賛同して、

香藤はくすり、と笑って岩城の頬にそっと手を当てた。

岩城が呆れた顔をして、すぐに顔を綻ばせ、

そっと瞳を閉じると、香藤はゆっくりと唇を重ねた。

囃し立てる皆の声に、2人はくすくすと笑っていた。






真夜中を過ぎるころ、香藤と岩城に声をかけて、

家族連れ達が家に帰って行った。

「あんまり、遅くなるんじゃないよ。」

マーサがそう言って、香藤と岩城の頬にキスをして、

椅子から立ち上がった。

「ありがとう、マーサ。」

岩城がにっこりと微笑み、マーサはそれに頷いてさっさと出て行った。

「相変わらず、言葉遣い悪いよね。」

香藤がそう言って笑った。

それに同調して、皆が頷いた。

「この村で、一番おっかないんだから、あのバァさんは。」

50代、と思われる男がそう言って大げさに溜息をついた。

「会うといつも、オシメ替えてやったのなんだのって、言われるんだ。

いい年こいてるのに、子供扱いだもんな。」

そう言って愚痴る彼に、皆が耐え切れずに爆笑した。

「香藤、誰なんだ、彼は?」

「ああ、彼?村長。」

「え・・・。」

岩城が絶句して、立派な体格のその男を振り返った。

「マーサにとっちゃ、そんなの関係ないんだよね。」

香藤が小声でそう言って、笑った。

「ヨウジ、どうだい、新婚生活は?」

「いいよ〜、最高に幸せ!」

いきなり掛けられた声に、香藤はおどけた様に、

岩城を抱きこんで答えた。

「なんて顔だよ、蕩けてんじゃないか。」

村人の声に、香藤は声を上げて笑い、

岩城は抱きこまれたまま苦笑していた。




それから少し飲んで、残っていた全員が、

グラスを置いてお開きになった。

「うわ〜、星が綺麗だね〜。」

外へ出て、香藤が天を見上げた。

「うん。気持ちがいいな。」

寄り添ってきた岩城の手を取って、香藤は村人を振り返った。

「メリー・クリスマス、みんな!ありがとう!」

「メリー・クリスマス!」

「おやすみ。」

「また、来年!」

そう言いあって、三々五々、真夜中に家路に着く村人達を、

香藤と岩城は、手を繋いで見送っていた。





     続く



     弓



  2006年10月28日
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